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魔法使いの生徒会(私立クリスティ学園シリーズ1)  作者: 月森琴美


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21/56

20

 しとしと降りしきる雨は、プラットホームにしめった風をもたらした。

 反対側のホームに滑り込んでくる電車を見て、茉理はふと思い出す。

(こないだ遠野君、この電車に乗ったんだっけ)

 彼の家はこっち側なのだろうか。

(今……どうしてるのかな)

 透明になっても家に帰りついたとは思うのだが。

 確認するすべがないことに苛立ちを感じながら、茉理は自分の側に来た電車に乗り込んだ。

 ドアに身をもたせかけ、彼女は先ほどの英司との会話を思い起こす。

(遠野君、どうしてわたしにだけ声を送ってくれたのかな)

 てっきり生徒会の人たちとは、会話しあってるのだとばかり思っていたのに。

 やっぱり嫌っているのだろうか。

(親戚なんだろうけど、いろいろ人間関係、複雑そうだもんね)

 本家とか分家とか。

 まして魔力や呪いなんてものまで絡んでくると、どうにもややこしくなりそうだ。

(なんかあの家系、まともな人っていなさそうだし――あ、でもさっきの山下先輩は、まあ普通だったかな)

 ふっとため息を漏らしたとき、最寄り駅に着いた。

(雨、やまないな)

 明日もこんな天気なのだろうか。

 憂鬱な気分で茉理は駅を出た。



「やみませんね、雨」

「そうだな」

 生徒会業務も終わり、めいめい帰宅の徒についている。

 校門で英司は帝と二人、迎えの車を待っていた。

 本家の車がやってきて、帝が乗り込む。

「帝、じゃまた明日」

「ああ」

 走り出す黒塗り高級車のタイヤが、地面に出来た水鏡をはじき返した。

 雨にも負けず、それなりのスピードで車は走る。

「帝様、ご自宅でよろしいですね」

 運転手の声に、彼は組んでいた腕をはずして窓の外を見た。

 車のガラス窓をたたきつけるように雨は降る。

「……遠野に行く」

 帝の唇から静かに目的地変更が告げられた。

 心得たように運転手はうなずき、車は次の交差点を左に曲がった。



 本邸には及ばないが、遠野斎の家もそれなりに大きな一軒家だった。

 静かな高級住宅街の庭付きガレージ付き一戸建て。

 赤レンガで出来た洋風の家には、門のところに大きな花かごが下がっていた。

 運転手が降りてインターフォンを押す。

 しばらくすると門がオートロックで左右に開き、車はゆっくりと中庭に入っていった。

 玄関の扉を開けて、白いワンピースを着た女性が出てくる。

 傘を持ち、彼女は車の後部座席に向かって深々とお辞儀をした。

 帝は車から降りて、運転手が差した傘を受け取り、返礼を返す。

「帝様、ようこそ」

 白いワンピースの女性が優しく微笑んだ。

 少し病弱な顔色は斎によく似ている。

「叔母さんも、お元気そうですね」

「昨日は斎がご迷惑をかけたとか。本当に失礼しました」

「いいえ、こちらも突然すみません」

 玄関まで歩きながら、二言三言、言葉を交わす。

 居間に上がると、そこには今にも薄くて、向こうが透けてみえる体をした少年が待っていた。

 硬い表情で彼はお辞儀をする。

 半ば睨むような視線を投げ、帝は彼の前のソファに座った。

「今、お茶をお持ちしますね」

 ワンピースの女性――斎の母親はそう言うと、二人を残してリビングの扉を閉める。

 静寂と無言が辺りに満ちた。

 帝は黙って、やっと輪郭が見える斎を見つめる。

 何を考えているのかわからないが、斎も静かに帝を見つめ返した。

 薄い瞳は揺らいで、悲しんでいるように見える。

 母親がお茶とクッキーを並べた皿を持ってきて、二人の前に置いた。

「たいした物はありませんが、帝様、よろしかったら夕食を準備させていただきますね」

 そう言って微笑むと、彼女は斎の前に白い紙の束とボールペンを置いて出て行く。

 それを見た帝の目が、つと細められた。

 彼は嫌そうにその紙を一瞥し、じっと斎を睨む。

 斎の表情は動かない。

 視線をはずすでもなく、真っ直ぐ帝を見返した。

 二人きりになると、帝は彼に挑むような視線を投げた。

「単刀直入に聞く。お前は後野茉理と言葉をかわしているな」

 斎のまつげが伏せられる。

「先日、彼女は何者かに襲われた。そのとき土属性の魔法によって彼女は助けられ、無傷で帰宅した。あれはお前だな」

 斎は目を開け、静かにうなずいた。

「何故、あいつを助けた?」

 斎はしばらく考えていたが、すっと指をボールペンに伸ばす。

 彼の指が黒いボールペンに触れた瞬間。

 ピシャッと帝の手が伸びて、ボールペンをひったくった。

「こんな物で答えるな! お前、思念会話が出来るのだろう?」

「……」

「何故、俺にそれで言葉をぶつけてこない! 俺を馬鹿にするつもりか」

 青筋を立てて帝は怒鳴り、ボールペンを握りしめる。

 軽く握っただけで、それはボキッと嫌な音と共に折れた。

「お前が俺たちクリスティを憎んでいるならしょうがない。俺たちと袂を分かちたいとでも思っているのなら、言葉を送れとは言わん。だがな、それでもお前はクリスティの分家に生まれ、血の責任を負っている。その身に宿る魔力と共に」

 斎の瞳が悲しげにゆれる。

 表情が歪んで今にも泣き出しそうに見えた。

「……すぐに俺たちに心を開けとは言わん。だが」

 帝は目をガラスのテーブルにやり、そこに詰まれた紙束を睨む。

「せめて両親ぐらいにはそろそろ言葉を送ってやれ。お前をここまであきらめずに育ててくれたんだぞ。両親よりも後野茉理が良いというなら、お前は薄情な大馬鹿者だ!」

 勢いよく立ち上がり、帝は居間のドアを開けた。

 何も反応せず、自分を見つめる斎に一瞥をくれると、そのまま部屋を出る。

「あ、あら、もうお帰りですか、帝様」

 台所からあわてて母親が出てきた。

「ゆっくりしてくださってもいいのに……あの、まさか斎が何か粗相でも?」

「いいえ」

 帝は無表情で母親に向かう。

 不安そうな、どことなく悲しげに自分を見つめる彼女の姿が彼の心を苛立たせた。

 彼は作り物の笑みを浮かべると『話はもう済みました。急ぎの用があるので、ゆっくり出来なくてすみません』と答えて玄関を出た。

 差し出された傘を受け取ると、お愛想ぎみに、『今度は本家にも顔を出すように斎に言ってください』と付け加える。

 その言葉に、母親は嬉しそうに笑顔を見せて彼を車まで送っていった。

「帝様、自宅に戻られますか」

「ああ」

 車のシートにもたれながら、帝は過ぎていく遠野邸と、いつまでも自分を見送る斎の母親を窓越しに眺める。

 雨は勢いを増し、いつまでも降り止まなかった。

 まるで彼の心の苛立ちを代弁するかのように――。



「あーあ」

 放課後の教室で、奈々がため息をついていた。

「今日も雨。さすがに3日続くとあれよねえ」

「ランニングがなくなって、いいんじゃんかったの?」

 茉理は彼女の憂鬱そうな背中を見ながら、せっせと教科書を鞄に押し込む。

 あれから、もう3日がたっていた。

 斎の姿はまだ見えず、茉理の心も重くなっている。

(遠野君……今度はいつ出てくるのかな?)

 魔力が回復するまでにどれだけかかるのだろう。

 一週間? 一ヶ月? それとも一年――。

 彼と会えないまま卒業なんてことになったらどうしよう、と考えれば考えるほど、彼女の心は沈んでいった。

(やだな、こんなに暗くなってちゃ駄目じゃない)

 茉理は必死に自分を励ますが、うっとおしい雨音がまた心の闇に拍車をかける。

 ため息をつき、彼女は鞄を持つと奈々に手を振って教室を出た。

 昇降口まで行くと、そこに人影がたたずんでいる。

「やあ、後野さん」

 茉理は目をまん丸にした。

 英司が微笑んで彼女に片手をあげている。

 茉理ははっと気づいて、ぺこりとお辞儀をした。

「後野さん、今日、時間ある?」

「え、時間ですか」

「そう、これから。何もないなら俺とつきあってくれないかな」

「はあ」

 茉理は戸惑った。

 これは一体どういう意味のお誘いなんだろう。

 彼女の表情を見て、ああ、と英司は微笑む。

「別に変なとこに連れてったりしないよ。ちょっと斎のとこ行くだけだから」

(遠野君のところへ?)

 茉理はうなずいた。

 気になってたし、ちょうどいい。

「じゃ、決まり。履き替えて校門で待ってて」

 片目をつぶると英司は身を翻し、自分の靴箱に向かっていった。

 自家用車――白いセダンの後部座席に、茉理は膝をそろえて座った。

「そんなに緊張しなくてもいいよ。後野さんは電車通学なんだって?」

「あ、はい」

 前部座席――運転手の横に座った英司は気さくそうに話しかけてきた。

「大変だね。朝なんかラッシュだろ」

「あ……そうですね、けっこう込みます」

 茉理は、体の緊張がほぐれていくのを感じながら返事をした。

 どうもこの英司には人を気楽にさせるというか、そんな雰囲気がある。

(生徒会長とも副会長とも会計の先輩とも、まったく違うなあ)

 こういうの、庶民派、とでもいうのだろうか。

 3人はそれぞれ容姿も口調も特徴も違うが、なんとなく警戒して背筋を堅くさせる何かがあった。

(やっぱ一つだけ上なのと、二つ上なのって違うのかな。あ、でも会長は一つ上か)

 なんとなく考えていると、また前から声がかかった。

「そうそう、雅人先輩があやまっといてって――こないだ、からかってごめんって言ってたよ。あの先輩、滅多にこういうこと言わないから、きっとものすごく反省したんだろうね。悪く思わないでやってよ」

「……」

「後野さんは、雅人先輩が苦手?」

 さっくり聞かれて、茉理はうなずいた。

「そっかあ。たいていの女の子って雅人先輩にあこがれるんだけど、君は違うみたいだね」

「わたしって変わってるんです」

 ぶすっとそう言うと、英司はくすくす笑った。

「膨れないでよ。別に悪い意味で言ったんじゃないんだ」

 そしてふっと口調を変える。

「でもほんとに後野さんはすごいって俺は思うけど。あの斎と話が出来るんだから」

「……」

「斎って生まれたときから姿が見えなかっただろ? 俺たちもいるのかいないのか、よくわからなくて――けっこういろいろ言ったりしたんだ、あいつが傷つくこととか。子どもだったし、呪いなんてなんかこう薄気味悪いじゃん?」

「そうだったんですか」

「だからかなあ、俺たちと口利いてくれないの」

「……」

「俺たちはまだあいつには口を利く――思念会話とか出来る力はないと思ってたんだ。その方が考え方として都合よかったのかもな。まさか嫌われてるなんて思いたくなかったし」

 寂しそうに英司はつぶやいた。

「でもやっぱりあいつは俺たちの仲間さ。みんなそう思ってる。俺も雅人先輩も、帝も直樹先輩も」

「……手をつないでみるとか」

 茉理の口から漏れた言葉に、英司はきょとんとした。

「え、何だって?」

(え、今、わたしって、何を言ったんだっけ)

 聞き返され、一瞬呆けた茉理だったが、少し考えて顔を赤くした。

「たいしたことじゃないんです。あの、こないだ先輩が教えてくれたじゃないですか。遠野君がわたしにだけ声を送っているって」

「そうだね」

「で、先輩、嫌われてるのかもってその時、言いましたよね。とっても寂しそうだったから、あれから気になってて」

「……」

「遠野君、そんなに悪い人じゃないと思うんです。その――いつまでも過去のこと根に持ってるとかそう言うんじゃないと思う。なんか別な理由があるんじゃないかなって思うんです、わたし」

「そうなのかなあ」

 英司は気が乗らなさそうに返す。

「ちょっとした誤解なんだと思うんです。だから先輩たちと遠野君、直接なんらかの方法できちんと話せたらいのになって、ずっと思ってて――家にね、おばあちゃんがいるんです、わたし。もうぼけちゃってるんですけど」

 茉理は、自分でもどうしてこんなこと言ってるのかわからなくなったが続けた。

「よくおばあちゃんに学校であったこととか話すんです。もちろんぼけちゃってるから返事だってとんちんかんなことばかり言ってくるんですけど――先輩たちのこと話したら、おばあちゃんがぼそっと言ったんです。『手を結んであげたらいいのに』って」

「ふうん」

「それでそれを思い出しちゃって、つい変なこと言ったみたい。すみません」

 赤くなって俯く茉理に、英司は優しい瞳を向けた。

「いいんだって。それより何か嬉しいなあ。俺たちのこと心配しててくれたんだね」

「あ、いえ、その……」

「斎のこともさ、気にかけてくれる人がいるっていいもんだね。ありがとう」

 素直に礼を言われ、茉理はますます赤くなった。

(余計なおせっかいのはずなのに……山下先輩って優しいんだな)



 赤レンガの洋館に、洋風の庭。

(可愛い家――広いけど)

 茉理は車から降りて、目の前に広がる屋敷を見る。

 洋画にでも出てくるかのような煙突までついた趣のある館は、少女らしいあこがれを抱かせるには十分だ。

 英司は玄関に出て、出迎えるメイド風の家政婦に微笑んで挨拶する。

「やあ、メグさん、今日は小母さんは?」

「英司様、ようこそいらっしゃいました。奥様はただいま外出中でして」

「そっか。ああ、紹介するよ、こちらは後野茉理さん。斎の友達なんだ」

「こんにちは」

 少々緊張しながら――メイド付きなんて雰囲気に慣れていなくて――お辞儀をする彼女に無表情でメグは頭を下げた。

「こちらへ」

 気持ちの良いテラスに案内される。

 そこには白木のテーブルと椅子があり、見慣れた背中が椅子に深く腰掛けて本を読んでいた。

「斎様、英司様と後野茉理さんです」

 茉理の姿を見た瞬間、斎の目が驚きで見開かれる。

『どうして、君が?』

 頭の中に響く声は、直接彼の思いを茉理につきつけた。

 彼女は斎の姿を見て、胸が熱くなる。

 英司の口ぶりから彼は大丈夫なのだとわかってたいたけれど――。

 本当に目の前にしっかりと姿を見せている斎を見て、彼女は心底ほっとした。

(良かったあ。無事だったんだ)

 目頭が熱くなり、あわてて茉理は下を向く。

 そんな彼女を見て、英司は言った。

「じゃ、俺、ビリーと遊んでくるよ。後野さん、あとでね」

 え? と聞き返す間もなく英司は出て行ってしまう。

『……気を使ってくれたのかな』

「うん、そうかも」

 茉理は裏庭に向かう英司の背中を見ながら、あいづちを打った。

『座ってよ。今、お茶が来ると思うし』

「あ、うん」

 茉理は斎の向かい側にある椅子に腰掛ける。

「でも良かったあ。遠野君、消えちゃったままだったら、どうしようって思ってたんだ」

『ごめん。突然だったしね。力も使い果たして説明する余裕がなかった』

 軽く息をついたのが、茉理に伝わった。

『あの魔獣は書庫を守る番犬みたいなものでね。帝先輩の魔力で償還され、あそこに配置されてたんだ』

「そうなの?」

『おそらく不審人物が現れたら、すぐに襲うように命令されてたんだろうね。帝先輩が僕たちにあれをけしかけたわけじゃない。もともとあれはそういう命を受けてたんだ』

「そうだったんだ」

 茉理はうなずいた。

『きっと帝先輩は、僕たちを襲う前にあの魔獣を止めるつもりだったんじゃないかな』

「え?」

 思いもかけないことを言われ、茉理は首をかしげた。

『後野さんには信じられないかもしれないけど、帝先輩って本当は繊細でとても優しいんだよ』

「ええーっ、あの会長があっ」

 思わず大声をあげてしまい、茉理はあわてて口を押さえた。

 広くしーんとした館に、自分の声が響いたのを感じてますます顔を赤くする。

「ご、ごめんなさい、突然で驚いた」

『意外って顔してる。でもそうなんだよ』

 斎は庭の花壇に目を向けながら、そう言葉を送ってきた。

『帝先輩は本家に生まれただろ? 小さい頃からそういう弱そうに見える態度って、すごく否定されてきたんだ。こう何でも上から見下ろさないといけないような、おかしな帝王学もどきを仕込まれちゃってね』

「……」

『だから普段からプライド高く、誰にも行く手を阻ませない高圧的な態度を取らざるを得なくって、それが板についちゃってるだけなんだ。きっと帝先輩自身もすごく苦しいと思うよ。本当の自分とはかけはなれた人格を演じ続けないといけないんだから』

 茉理は、初めて聞く帝の事情に目を瞬かせた。

『みんな、わかってると思う。特に雅人先輩と直樹先輩はね。今日だって君をここに連れてくるようにしたの、帝先輩じゃないかな』

「え……」

『僕はこんな体だろ? 学校以外では誰ともあえて接触しないんだ。家族も僕の姿をおおっぴらに他人に見せたくないと思ってるし――本当は学校も止められてたんだよ。それを帝先輩が』

「もしかしてお父さんとお母さんに言ってくれたの?」

『正解。帝先輩が学校だけは出てくるようにって言ってくれてね。父も母も本家の帝先輩の言葉を無視することは出来ないんだ。小学校のときは体がほとんど見えない状態だったから、学校側も僕の入学には戸惑ってたけど、帝先輩が強引に手続きしてくれたんだ』

「そうだったの」

 にこりと斎は微笑んだ。

『だから僕は帝先輩にはとても感謝してるんだ。でも』

 声のトーンが落ちる。

 頭の中で力なさげに言葉が響いた。

『僕が帝先輩たちを傷つけてしまったみたいだ。そんなつもりはなかったんだけど』

 茉理ははっとした。

「ねえ、あの、聞いてもいいかな。どうしてわたしにだけ言葉を送ってくれてるの?」

『僕も不思議なんだ。どうして君には僕の言葉が届くのか』

 真っ直ぐに見つめられ、茉理は戸惑った。

『僕がどんなに言葉を送っても、誰にも伝わらなかった。両親も帝先輩も雅人先輩も、直樹先輩も英司先輩だって魔力はかなりのものなのに、誰も僕の言葉を聞くことは出来なかったんだ』

「そうなの?」

『今だって何度も言葉を送ってる。話しかけられたらすぐにね。でも』

 斎は俯いた。

『誰にも届かないみたいだ。なのにどうして君には届くんだろう。失礼だけど、君からは魔力らしい物は何も感じられない。本当に不思議だよ』

 茉理は目を瞬かせた。

(どういうことなの? どうしてわたしにだけ遠野君の言葉がわかるんだろう)

 考えてもわからない。

 茉理は何も答えられず、黙ってしまった。




「そろそろ行こうか」

 庭から声がして、茉理は顔をあげる。

 テラスの向こう側、英司がにこにこ笑いながら立っていた。

 足元には大きなコリー犬がじゃれついている。

(あれがビリーかあ)

 茉理は犬をなだめる英司を見ながら思う。

 犬を足から離すと、英司は弾みをつけて飛び上がり、テラスの中に入ってきた。

 優しい目で斎を見つめる。

「大分いいようだな。まったく無茶するなよ」

『ありがとうございます』

 斎の言葉が茉理の頭に響く。でも英司は何も反応しなかった。

(やっぱり届いてないんだ)

 茉理は胸の奥が痛くなった。

 そっと斎の方を見ると、彼の瞳にも悲しげな色が浮かんでいる。

(なんとかしてあげたい――でも)

 自分には何の力もない。

 何も出来ないのだ。

 茉理は心が締め付けられそうになる。

(でも、でも……このままじゃ駄目だよ!)

「明日は学校に来るだろ? 大丈夫なら一度生徒会室に顔を出せよ。みんな待ってるから」

 英司はそうつぶやくと、茉理の方を見た。

「そろそろ行こうか。後野さんも遅くなったら、お家の人が心配するし」

 自分でも何がどうしたのかわからないが、茉理は自然に英司の手を握った。

「え?」

 驚く英司にかまわず、今度は反対の手で斎の手を取る。

 斎のあっけに取られる表情にも気づかず、ただもう夢中で茉理は二人の手を重ね合わせた。

 ――手を結んであげたらいいのに……。

 おばあちゃんの言葉が、何故が頭の中にこだまする。

 重ねた二人の手に自分の両手を沿え、彼女は強く念じた。

(お願い! つながって!)



 それは一瞬の出来事だった。

 彼女が念じた瞬間。

 不思議な光が、重ね合わせた手から発生したのだ。

「うわっ!」

『な……何?』

 両脇の二人は同時に叫ぶ。

 何かが茉理の手を通じて、自分たちの手を、腕を、肩を伝わり、体中に満ちてくる。

 それは強いて言えばエネルギーのようなものであり、壁のような膜のような二人の間にある何かを、確実に消していった。

「……」

 3人は同時にそれを感じ、その感覚が過ぎ去ったあともしばらくは無言だった。

(え?わたし、今、何をしたの?)

 当人の茉理ははっと気づき、自分で驚いた。

 下を向くと、二人の手の上にしっかり自分の両手を重ねている。

「きゃあああーっ」

 彼女は真っ赤になって飛び退った。

「あ、あ、あの、その」

 うろたえながら彼女は言葉を捜す。

「ご、ごめんなさいっ。わたし、何してるんだろ、もうほんとに……」

 二人は手を引っ込めながら、茉理を凝視した。

「後野さん、覚えてないの?」

『そんな……あの力は君が?』

「そうだよ、ほんとに驚いた。あれは一体なんだったんだろう」

 英司は考え込むようにつぶやいて、それからふと顔をあげた。

「ちょっと待て! 斎、お前、今何か言ってたか」

『え? 僕が?』

 斎は英司の方を見返す。

「お、お前、言葉が!」

 もう一度なんか言ってみろと英司は詰め寄り、斎は後ずさる。

『せ、先輩、僕の言葉がわかるんですか』

「ああ、こう言ったろ? 『僕の言葉がわかるんですか』って」

『……信じられない』

 斎は驚きで体を震わせる。

 茉理もあっけにとられてしまった。

(何? 英司先輩と遠野君、言葉が通じているの?)

 一体どうしたというのだろう。

 突然、二人は思念の送受信が可能になったのだ。

(なんだかよくわからないけど……)

 茉理は首をかしげながらも、嬉しくなった。

「あ、あの、良かったですね。その、お互いに会話できるようになって」

「ああ、そうだね」

 英司は衝撃の事実に驚きを隠せない。

「でもどうして……後野さん、君が俺たちに何かをしたようだ」

「え?」

『僕にもわからない。でも君には何か不思議な力があるようだね』

 斎がにっこり微笑んだ。

『とにかくお礼を言うよ。ありがとう』

「あ……そんな」

 茉理は顔を赤くする。

「わたし、何にもしてないですよ。ていうか、わたしにもよくわからない――何がどうなったのか」

『僕にはもっとわからない。でも君はやっぱり魔力がないように見えても、何かがあるようだね』

「斎もそう思うか。この件は帝に報告させてもらうよ。直樹先輩なら何か情報を調べだせるかもしれない」

『そうですね』

「あ……あとさ、斎」

 気まずそうに、英司はもぞもぞした。

「俺たちのこと……」

『先輩たちのことですか』

「その、子どものときはさ、いろいろ知らなくて悪かったよ。もしお前が気にしてるならあやまる。だから」

 英司の目を見て、斎は微笑した。

『そんなの全然気にしてないですよ。こんな体だし、みんなに気味悪がられて当然だ』

「……斎」

『僕の方こそ先輩たちに嫌われてると思ってました。だから礼儀上届けられる招待状――食事会にも出席しなかった』

「そうだったのか」

『でも最近――中学に上がってから、時々先輩たちは僕と学校ですれ違うたび、声をかけてくれたでしょう? それでもしかして本当は嫌われてるんじゃないのかなって思うようになって』

「……」

『言葉を返せないのに、それでも先輩たちは話しかけてくれたからすごく嬉しかった。本当にありがとうございます』

「そうか。良かった」

 英司は嬉しそうに笑った。

「でもお前、どうして今まで言葉を送らなかったんだ?」

『送っても届かなかったんです。でも』

 斎は茉理を見た。

『彼女が突然僕の言葉を受信して――正直驚きました。今までどんなに言葉を発信しても、受け止めてくれる人なんていなかったのに』

「そうかあ。やっぱり後野さんには未知なる力ありってことだな」

 にやっと英司に笑われ、茉理はあせって叫ぶ。

「もう、からかわないでください、先輩。わたし、ほんとに何もしてません。偶然ですよ、偶然」

「偶然ねえ」

『偶然かあ』

 二人に思いっきり不信の目を向けられ、茉理は頬を膨らませた。

「ひどーいっ、二人とも。信じてないですね、わたし、ほんとに何の力もないんですから。ほら、魔力だってゼロだし」

「ゼロねえ」

『ゼロかあ』

 くすくす笑う斎と、いたずらっぽいまなざしの英司。

 茉理は二人に見つめられ、なおさら決まりが悪くなった。

(もう! どうしてこうなっちゃうの?)

 非現実的な世界には関わりたくなかったのに。

 茉理は天を仰ぎ、あーあ、と一人つぶやいた。


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