16
茉理がエントリーされたことは、瞬く間に学園中に広まった。
ただでさえいろいろ目を付けられていたというのに、今や学園中で茉理の名を知らない生徒はいない。
(どうして、どうしてこうなっちゃうの)
茉理は毎朝起きるたびにためいきが出た。
学校に行きたくないという思いが渦巻く。
それというのも――。
「茉理っ、こないだはごめんね」
「え? 奈々?」
あきれるほどすばやく奈々が態度を変えてきたのだ。
前よりも馴れ馴れしく腕なんか組んじゃって、彼女に引っ付く。
「わたし、とっても怖くて――だからつい茉理のこと遠ざけちゃったけど、本当にごめん。許してね」
「……」
「ね、茉理、わたしたち親友だよね、そうだよね」
鼻にかかった甘い声でささやかれ、茉理はどうしたものか戸惑った。
(わたしが帝先輩の彼女になるかもしれないから……)
奈々の豹変した態度は、あきらかにエントリーのせいだ。
もしこんなことにならなかったら、彼女は今でも自分を嫌っていることだろう。
そう思ったら、とても悲しくなった。
(それでも親友って言えるの?)
誰でも自分に都合の良い者を親友扱いすることぐらい、茉理だって知っている。
でもそれは本当の意味で親友ではない、ということも――。
「ごめん、ちょっと考えさせて」
茉理は奈々の腕をさりげなくはずし、そう言うしかなかった。
奈々に限らず今まで冷たい視線を送ってきたクラスメイト、先生などあまりにも接する態度が違うことに、茉理は心痛くてしょうがない。
以前とは違った意味で彼女は一人になるたがるようになった。
(もう、誰を信じたらいいの)
昼休み、お弁当を抱えて誰も来ない場所を探す。
「そうだ」
思わず声をあげながら茉理は駆け出した。
(あそこにしよう)
体育館の隣にある古風な建物――特館。
赤レンガの洋館にところどころ蔦がからみ、不思議な雰囲気をかもし出していた。
裏手に回ると、小さな庭とベンチが見える。
なんでも由緒ある洋館を取り壊すのはもったいないと、ここに移して特別教室にしたというのがこの建物の由来らしい。
(不思議な場所よね)
茉理はそっと特館の壁に触れてみた。
古風で赴きのある香りがし、彼女は目を閉じる。
(あれ?)
一瞬、目の前に何かが見えた。
(え……何?)
それは俊足の速さで、彼女の脳裏を掠めて消えた。
(変なの。何かが一瞬浮かんだんだけど)
茉理は首を振ると、裏庭に入っていった。
意外にも、そこは小さな庭園になっていた。
(なんか洋画に出てくるロマンチックな庭だわ)
学校の隅にある館だから、裏なんて草ぼうぼうだと思っていたのに。
整った花壇と白いベンチ。
白く塗られたアーチには薔薇が美しく咲き誇っていた。
ガラスばりの小さな温室まである。
茉理は、しばらくこの和やかな光景を楽しんだ。
(今度は紅茶でも持ってこようかな)
そう思いながらベンチに腰掛ける。
小鳥が数羽、近くの木に止まって啼いた。
『……おいで』
「え?」
『おいで……僕の側に』
茉理は突然頭に響いた声に驚いた。
広げていた弁当箱が膝から落ちる。
反射的に声のしたような気がする方――左を向き、彼女は絶句した。
(嘘、さっきまで誰もいなかったのに、どうして遠野君が!?)
彼女の心の叫びに、手を伸ばして小鳥を受け止めていた遠野斎は目を見開く。
『どうしてここに彼女が』
「……」
茉理を見つめる彼の瞳は、驚きで揺れる。
二人は互いに硬直し、しばらく見詰め合っていた。
「あの……遠野君」
茉理はおずおずと声をかけた。
「鳥、好きなの?」
斎は黙って彼女を凝視したままだ。
(あ、そうか。しゃべれないんだっけ)
茉理は思い出し、彼に笑いかけた。
「ごめんね。気にしないで」
白く、非健康的に見える肌。
生気のない顔。
でも瞳には強い意志が見えていて、そのアンバランスさに彼女は首をかしげた。
『どうしてここにいるんだ?』
頭の中に強い声が響く。
唇を動かしていないのに、まるで目の前の彼がしゃべった声のようだ。
茉理は思わず答えていた。
「あ、わたし、お昼を一人で食べようと思って。だって校舎は今、ほら、いろいろ面倒なことになってるし」
斎の顔が今度は驚愕に包まれた。
『もしかして、僕の思念が通じている!?』
「え、思念って何?」
茉理は首を傾けた。
すると斎はつっと彼女の前に歩み寄り、更にじっと見つめてきた。
『君は、僕の思っていることがわかるんだね』
「えーと……なんかわかんないけど、頭の中に声が響くっていうか――通じてるみたいだね、あはは」
最後は笑うしかなくて、茉理は声をあげた。
『君は、すごい魔力を持ってるんだね』
「は? 魔力?」
茉理はきょとんとする。
「わたし、魔力なんてないんだけど」
『でも僕の思いを読み取るじゃないか』
「て言われても、なんか自然にしゃべってるのと変わらないように聞こえるんだよね。わたしにもわかんない」
斎は微笑んだ。
『面白い人だね、僕の思念を感知出来る人なんて初めてだよ』
「そうなの?」
『生まれたときに呪いをかけられてしまってね。僕の存在というものに』
「呪い?」
『ふふ……わからないだろうね。いいよ、そんなの君には関係ないし』
寂しげに斎の声が響くと、茉理の中で何かがぎゅっと胸をしめつけた。
『お昼、まだだろう。早く食べないと5時間目始まるよ。じゃ』
彼は踵を返し、庭から出て行く。
その後ろ姿を見送りながら、茉理のお腹はむなしい音を立てた。
(ああっ、お昼、食べそこねちゃった)
茉理は力なく教室に戻った。
結局ベンチに戻ったものの、弁当箱はひっくり返って無残にも地面におかずが散らばっていた。
あわてて掃除道具を探し出し、彼女は綺麗に片付ける。
やっと終わったところで授業開始のチャイムが鳴った。
(えーっ、そんなあ)
茉理の嘆きに時が止まってくれるはずもなく――購買でパンを買うひまもなく――とぼとぼ教室に戻るはめになったのだ。
すきっ腹を抱えての勉強はきつい。
更に5、6時間とも家庭科だというのが追い討ちだ。
「では栄養素について――」
先生の声が遠くに感じられる。
目の前に置いた教科書には野菜や果物、肉や魚の絵が描いてあって、いっそう空腹感をまねいてしまった。
(あ……ハンバーガーって、けっこうカロリーあるんだ。でも美味しそう)
なんてことばかり思いながら、彼女は2時間をなんとか乗り切った。
事件が起こったのは放課後だった。
クラブに所属していない茉理は、さっさと帰ろうと昇降口を出る。
校門まであと一歩のところで――。
「!?」
茉理の体が、突然宙に浮いたのだ。
「きゃあーっ、何よこれっ」
彼女は声をあげ、まわりを見る。
でもどこにもあの生徒会長の存在はなかった。
(また遠隔操作かしら。最近おとなしいから油断してたわ)
あれから――茉理の潔白を知ったせいなのか、帝はちょっかいを出して来なくなった。
それどころか自分の彼女候補にまで茉理をあげてしまっている。
なのでつい安心していたうかつさを、茉理は唇をかみ締めながら感じていた。
10メートルぐらい空中に上昇し、突然その力がふっと消えた。
「わあああーっ」
茉理は勢いよく地面に墜落する。
(ああっ、落ちるーっ)
心の中でそう叫んだそのとき――。
ザシャアッ。
突然、歩道から土が飛び出し、先端は砂となって彼女の体を受け止める。
気が付けば茉理は砂の上に倒れていた。
砂が彼女を受け止めて、衝撃から救ってくれたのだ。
「あいたた……何なの、一体」
砂まみれになった体を起こす。
通りがかりの生徒たちが遠巻きに見ていた。
「おい、また帝様か」
「まさか。だってあいつ、エントリーされてんだぜ」
「じゃ別口?」
「そんな馬鹿な。校内は、生徒会以外魔術禁止だぜ」
ひそひそささやく声を耳にし、茉理は震えた。
(また生徒会長なの? 何考えてんのよ!)
自分に今こんないたずらをするなんて、彼以外考えられない。
でも、だとしたらこの砂は――。
起き上がり、砂を払って茉理は考える。
(どうみてもここって砂場じゃないし、変よね)
道は固いアスファルトで舗装されており、砂が出現するなんて絶対ありえない。
(やっぱり魔法? 誰かがわたしのこと守ってくれたとか――まさかね)
考えてもしょうがないと茉理は首を振り、そっと砂を一掴みすくい取った。
小声で砂につぶやく。
「ありがと」
そして砂を手のひらから落とすと鞄を持ち、また歩き出した。
アスファルトの両脇に、綺麗に植えられたいちょうの木。
その影から冷たい目線が注がれていた。
(どういうこと? どうしてあんな子を――)
何事もなかったかのように通り過ぎる茉理を、じっと追いかける瞳。
整えられた髪が風に翻り、木の幹からわずかに見える。
険しい目をした美少女が一人、去っていく茉理をいつまでも睨み続けていた。




