15
16日の月曜日。
気合を入れて登校した茉理は、すぐさま職員室に行った。
「失礼します」
白い木箱に向かうと、かばんから大きい茶封筒を引っ張り出す。
中身は全部メモ用紙だった。
一体何枚あるのか本人にも定かではないが、とにかく大量のメモを彼女は木箱いっぱいに押し込む。
「これでよしっと」
先生達があきれた顔で見守る中、意気揚々と茉理は職員室を出て行った。
「朝っぱらから厄介ごと発生ってね」
雅人は生徒会室、会長の机にうず高く積まれたメモを見て、くすくす笑った。
「何がおかしい」
「いや、だってさあ、久しぶりに朝、君が生徒会打ち合わせにやってきた日に限ってこれだもん。ほんと彼女ってタイミングよすぎだね」
帝は憮然としてメモ用紙を睨んだ。
「貴様のせいだぞ」
「おや、僕は何にもしてないよ」
しれっと薔薇を手に雅人は言った。
「しらばってくれるな。お前があの女をエントリーなんかするからこんなことになるんだぞ。先週は最悪だ。美奈子には泣きつかれるし付きまとわれるし、うっとおしいことこのうえない。今日は今日でこの有様。さっさとあの女のエントリーを取り消せ!」
「いやだね。こんな面白いこと、めったにないし。逃しちゃつまらないでしょ」
「雅人、いつも冗談が通じると思ってるのか。いい加減にしろ」
激昂する帝を、まあまあと雅人はなだめた。
「何興奮してんだか。彼女が嫌なら、去年の美奈子姫で決めちゃえばいいじゃない」
「それは……」
「可愛いし、君のこと一途に思ってくれている。魔力も成績も悪くない。一応クリスティの傍系に当たる家の出だし、文句のつけようがない彼女じゃん」
「お前、もしかして俺への嫌がらせか」
帝がぎろりと雅人を睨んだ。
「美奈子で決めてしまえと言うのか。そのためにあの女を」
「それは帝の大誤解。僕はちゃんと考えてスカウトしてるんだよ。君のためにね」
「……」
「わかってるくせに。帝、君には彼女が必要だ。後野茉理がね」
「そんなことは」
「ない、と言い切れないだろう? 本当の君は」
ずばりとつかれ、帝の眉間が少し寄る。
「本当はないぞ、そんなもの、と言いたいんだろうけどね。あーあ、君もつくづく気の毒に。本心がわからないなんて苦しいものだ」
帝は黙ってメモ用紙に目をやった。
『生徒会長 伊集院帝様
お話したいことがあります。4時間目が終わったら、屋上に来てください。
もし来なかったら、思いを踏みにじられた女の子の呪いがあなたに降りかかります。
後野 茉理』
「しかし彼女もやるな」
直樹は帝の机に寄ると、メモ用紙を一枚取り上げる。
「これ全部書くのに、どれだけかかったんだろう」
「生徒会専用投書箱、いっぱいでしたもんね」
英司もためいき交じりに言った。
「これは行かないと本当に呪われるぞ、帝」
黒眼鏡がきらりと光る。
「女と食い物の恨みは恐ろしいからな。その辺の攻撃魔法より手ごわいだろう」
「そうなんですか?」
「英司君、そこで素朴につっこまないように」
雅人は英司ににっこり笑った。
「どうする、帝。付き添いに英司君をつけようか」
「いらん! 俺を誰だと思ってる」
「そう、残念だったね、英司君。君、振られちゃったよ」
「いや、その方が嬉しいっす」
「どうしてだい。ちゃんとついていかないと、きびだんごもらえないぞ」
「いりませんっ。てかなんですか、そのきびだんごって」
「あれ、知らないの? 英司君。この国の由緒正しき伝承で、可愛い犬君がいたいけな少年をナンパするんだ。甘えた声で、つきあってあげるからきびだんごを頂戴ねって」
「そんな話は知りません。大体俺が犬なら先輩はなんです、雉ですか?」
「お、いいねえ」
「俺はさしずめ猿ってとこか」
重々しく話をあわせる直樹に、英司は叫ぶ。
「猿でいいんですか! 直樹先輩。猿ですよ!」
「猿は動物の中でも人間に近く、かなりの知能がある。犬や雉よりは人間扱いされるだろう。文句なくO・Kだ」
(もう嫌だ、こんな人たち)
絶句する英司に、先輩たちはにっと大人の笑みを漏らした。
ダンッ。
完全に顔色の変わった帝が、こぶしで机を叩く。
その余波でメモ用紙がはらはらと飛んだ。
「英司、そのごみを始末しておけ!」
「あ、はい」
「直樹、イベントコースをいくつか見積もっておけ。それから」
きっと帝は雅人を睨む。
「雅人、お前が俺の代わりにあいつに会って、用件を聞いて来い」
「おや、これは意外な展開だね」
「もともとあいつを引っ張り込んだのはお前だろう。自分で火をつけといて今更何を言う」
「これは心外だな。元はといえば原因は君なのに」
すねた口調でつぶやく雅人に、帝は飛びかかり、胸倉を掴んだ。
「わっ、タンマ、暴力反対」
「これ以上、俺を怒らすな」
凄みをきかせてじっと睨むと、雅人はためいきをつき両手をあげた。
「はいはい、降参。わかりましたよ」
でも僕じゃ用件は言わないと思うけどね、と雅人は帝の耳にささやいた。
「かまわん」
聞きたくもない、と叫び、帝は雅人を離す。
「俺は午後忙しい。適当に処理しておけ」
「いってらっしゃい」
雅人の憎らしくも優雅な笑顔に、帝はこぶしを壁に一発叩きつけて生徒会室を出て行った。
茉理は四時間目が終わると、すぐ屋上に走っていった。
まだ彼の姿はなく、少しほっとする。
そのまま倉庫の壁にもたれて、青い空を見上げた。
(来るかしら)
言ってやりたいことは沢山ある。
どこまで言わせてくれるかが問題だが――。
(いいもん。また暴力とか魔法攻撃とかで中断させたら、こっちにも考えがあるからね)
茉理はかばんを胸にぎゅっと抱きしめた。
彼女の最大の武器は、この中に入っている。
待つことしばし、屋上の扉がギイッと開いた。
「待たせたな」
憮然とした顔で、帝がやってきた。
双方にらみ合うこと、数分。
(なんか、変……)
茉理は首をかしげた。
確かに目の前の人間は帝だ。
両手をズボンのポケットにつっこみ、えらそうに立っている。
黒髪も黒い瞳も同じだ。
だが――。
(なんかこう違うのよね。雰囲気っていうか、なんていうか)
茉理は戸惑った。
このぬぐえない違和感はなんだろう。
目の前の彼は、まさしく本人のごとく高圧的な態度でいるというのに。
「用件を言え。俺は忙しい」
「あの、確認しますけど」
茉理は恐る恐る聞いた。
「あなた、会長ですよね。伊集院帝先輩」
「……」
目の前の帝は顔をゆがめた。
「お前は馬鹿か」
「え?」
「この俺本人に向かって、伊集院帝か、とはどういう質問だ! お前の目は突然おかしくなったのか。 俺以外に伊集院帝がいるとでも言うのか」
(そうよね、わたしの思い違いか)
口を開いて怒鳴る彼は、まさしくあの帝そのものだ。
「用件がそれだけなら俺は帰るぞ、馬鹿馬鹿しい」
踵を返す帝に、あわてて茉理は声をあげた。
「待ってよ。いくらわたしが馬鹿そうに見えても、これだけのことであなたを呼び出すわけないでしょう」
「じゃ、なんだ」
振り向き、睨む帝に、負け時と茉理は対峙した。
「イベントのことよ。わたしをエントリーしたんですって? あなたの彼女候補として」
「そのようだな」
「冗談でしょ。伊集院先輩、何考えてるんですか」
茉理はこぶしを握り締め、震わせながら叫んだ。
「こないだまで、わたしのこと散々嫌って嫌がらせしてたのに、どういうつもりよ。それともこれも、新手の嫌がらせ?」
「……」
「そうなのね、わたしを勝てない勝負に引っ張り出し、いたぶって楽しもうって魂胆でしょ」
茉理の顔が怒りで燃え上がる。
「わたし、絶対に出ませんから。イベント参加はお断りします」
「逃げるのか」
「そっちが勝手にに決めたことに、わたしがなんでつきあわなきゃいけないのよ……って、あれ?」
答えながら、茉理は奇妙な感覚に捕らわれた。
(似たような質問に似たような返事をしたような気がする――誰にだっけ)
一瞬、言葉に詰まった茉理に、帝は静かに言った。
「一つ言っておく。このイベントの候補者は俺が決めるわけじゃない。俺にはその権利がない」
「……」
「分家の代表が推薦した女と、俺が去年まで可愛がっていた奴とで今年の女を決める。決められた奴と俺は付き合う。一年だけだが本気でな」
「何よ、それ。おかしいじゃない」
「それが俺の義務だからだ。事情を知らない奴に、どうのこうの言われる筋合いはない」
「じゃ、何? もし選ばれた子が先輩の一番大嫌いな子だったとしたら? それでもつきあうの?」
「ああ。一年の間、どんな奴だろうが、決まった女は俺の女だ。彼女として俺もきちんと対応する。一緒に帰ってやり、時々は二人で遊びに行き、手紙やTELもな。本気で好きだという万全の対応をしてやる」
「それ、本気なの?」
「ああ、今年で2回目だな。去年はうまくやったつもりだ。美奈子は満足していただろう」
新たな怒りが茉理の身のうちから燃え上がった。
(この人って――)
「もしお前が選ばれたら、俺はなんでもお前の言うことを聞いてやるぜ。俺の好きな女だからな」
(もう我慢出来ない!)
茉理は鞄を開け、中に入っていた手紙の束を取り出した。
「これ、なんだかわかる? 先輩が去年一年、円城寺先輩に書いて出した手紙よ! 自分で読み返してみたら? どれだけすごいこと書いてたか」
「……」
「伝統とか義務とか習慣とか、そんなので好きになんてなれるわけないじゃない。本当に本気で探さなきゃ運命の人なんて見つからないわよ」
帝の目がすっと細められる。
「先輩はそれでいいわけ? 好きでもない女の子に好きだって言って、一年そういう振りするの嫌じゃないの?」
「俺の好悪の問題じゃない。義務だといってるだろう」
「ますます最低! それで先輩が良いっていうんだったら、あなたは世界で一番最悪の男だわ」
「何?」
「義務で習慣で期限付きで、そんなので好きだって言われて女の子が喜ぶと思う? わたしだったら絶対に嫌! 本気じゃない言葉なんか、気持ちなんか、もらったって嬉しくなんかないよ。悲しいだけなんだから……」
いつの間にか茉理の目から熱いものが流れていた。
「円城寺先輩、本気であなたのこと好きだったんだよ。あなたに喜んでもらえる女の子になろうって、毎日必死に努力して――あなたにつりあう女の子になるために、どれだけがんばってたかわかる? 一年の間一生懸命だったんだよ。そんな円城寺先輩に何度も好きだって言ってたんでしょ。可愛いって、俺の理想の彼女だって」
「……」
帝は無言で茉理の傍に寄った。
そっと指で濡れた瞼にふれ、しぐさだけやさしく涙をぬぐう。
「なんでそんなことするの。だから最低っていうのよ」
茉理は激昂し、帝を突き飛ばした。
「期限が切れたら態度を変えちゃって、もういらないなんてひどいよ。円城寺先輩をその気にさせた責任取りなさいよ。きちんとお付き合いしてあげて、お願い」
「それは出来ない」
苦しげに彼はつぶやいた。
「あいつは俺の相手ではない。その気になれない奴と一緒にはなれない」
「じゃ、せめてこの馬鹿馬鹿しいイベントやめてください。先輩の将来をこんなので決めちゃっていいわけ?」
「それも出来ない」
茉理から目をそらし、帝は返事した。
「ひどい……会長ってそんなひどい人だったんだ。魔力は人一倍あるくせにいくじなし! 最低! あなたなんかだいっ嫌い!」
「……」
「言っときますけど、わたし、絶対参加しないし、あなたの女になんかならないからね。だってわたしにはもう好きな人がいるんだから」
帝の顔が変わった。
まじまじと茉理を見つめる。
「じゃ、お話はそれだけです。失礼しましたっ」
叫ぶと、だっと茉理は階段に駆けていった。
そのまま一気に駆け下りる。
悔し涙があふれて止まらない。
(やだよ、本当にもう……)
どうしてあんな我侭唯我独尊男のために、涙なんか流さなきゃならないんだろう。
(最低……わたし……)
茉理は一番下まで駆け下りると、手すりにもたれてしばらく動けなかった。
(やれやれ、参ったね)
屋上に一人佇み、帝は空を仰いでいた。
やわらかな春の午後にふさわしい五月晴れの空。
いつもの彼にまったくふさわしくないしぐさで、帝は薔薇を取り出した。
そっと口元に当て、香りを吸い込む。
薔薇は彼にとって一種の精神安定剤のようなものであった。
(いや、どうしよう。あんな子だったなんて)
帝の顔は完全に困惑していた。
もしクラスメイトが見たら、驚いて眼科に直行するだろう。
薔薇を片手に物思いにふける生徒会会長の姿に――。
彼の脳裏に、さきほど涙を見せた少女が浮かぶ。
(思ったより優しい子なんだな。ああっ、どうすればいいんだ)
ため息をつき、先ほど彼女の涙をぬぐった指に唇をよせた。
まだわずかながら湿り気がある。
(暖かい涙だったよな。あんなの見せられちゃ)
ふっと唇が優雅に微笑む。
「僕が欲しくなっちゃうじゃないか……君を」




