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放課後の屋上。
「よく来たわね」
「それはこっちの台詞だ」
茉理は、目の前の相手をはったと睨んでみせた。
(負けるもんですか)
ここでどうしても誤解をとかないと。
そうしなければ、お兄ちゃんに会いにもいけない。
彼女は必死に心を燃え上がらせた。
「で、会長一人なの? 付き添いは?」
「ふざけるな」
ざわっと周囲の風がざわめき立つ。
茉理はじっと相手を見つめた。
その目だけが彼女の最大の武器。
強い意志だけが、彼女の力となるものだったから。
茉理の並々ならぬ気配を感じ取ったのか、帝は周囲の風を納めた。
「で、今更俺に何を弁解する気だ。言い逃れなどできないぞ」
「そんなことする気もないわ。わたし、あなたに何もしてないもの」
茉理は受けて立つ。
「何もしてないだと?」
「そうよ、わたしがあの黒板消しを落としたんじゃないわ。そんなこともわからないなんて、あなた、本当に魔力あるの?」
挑発すると、帝は毛を逆立てた猫のようにいきり立った。
「貴様、この俺を侮辱するとはいい度胸だ」
「じゃ、あなたの魔力を使って真実を突き止めてみせなさいよ。本当にわたしが落としたという証拠を、わたしの前に出してみなさい。そしたらわたしも潔くあなたの魔法攻撃を受けようじゃないの。そうじゃなきゃ、絶対に絶対に認めないからねっ」
「……」
「そのぐらい出来るんでしょ。会長は一番魔力があるんでしょ。それとも出来ない? ふーん、あなたってその程度の魔法使いなんだ」
「ふざけるな」
「怒鳴ることしか出来ないなんて最低ね」
「貴様……」
「あーら、本当のこと言われて悔しい? 悔しかったら、さっさと証拠を出してちょうだい」
悔しいが彼女に何も言い返せず、彼は煮え立つ心を歯を食いしばって耐えた。
(この女……)
「ふーん、やっぱり出来ないんだ。その程度なんだ~」
あからさまな挑発に、帝の感情が爆発する。
「いいか、俺様に出来ないことはない。見てろ、すぐさま証拠を掴んできてやる。そのときには覚えておけ」
「いいわよ。でもそれまで魔法攻撃はおあずけってことよね」
「……」
「だってそうでしょ。悪いかどうかわからない相手に対して攻撃するって最悪よねえ。そういうの、なんて言うか知ってる? 無差別攻撃っていうのよ。うわあっ、会長って見境なく攻撃する悪い魔法使いさんだったのね。クリスティってそんな人だったんだ」
最後の言葉に、風が突風に代わった。
「きゃあっ」
茉理は竜巻の中に巻き込まれる。
上に放り投げられ、どすんと屋上に落とされた。
「ったーいっ、何すんのよ」
目の前に、怒り狂った帝の顔がある。
さすがの茉理も体が震えた。
「いいか、クリスティを侮辱することは許さん。貴様の言うとおり、証拠を出してやろうじゃないか。だが覚えておけ。証拠があがったその時には貴様の命はないものと思え」
帝は恐ろしい一睨みをくれ、すたすた屋上から去っていった。
(もう、乱暴なんだから)
穏やかな話し合いなんて不可能とわかってはいたが。
茉理は、痛むお尻をさすりながら起き上がった。
(ま、でもいいか)
ほぼ予定通りに事は運んだし。
(あの会長さん、一応負けず嫌いと見たわね)
茉理は微笑んだ。
魔力もある程度はあることだし、あそこまで挑発されたら乗らざるを得ないだろう。
なんとしても証拠を掴もうと必死になるはず。
(でもどうがんばってもわたしじゃないもんね。結果を見たら、どうするのかな)
いくらなんでも謝りには来ないだろう。
(この魔法攻撃だけでもおさまってくれればいいんだけどな)
茉理は、ふう、と息を吐き、未来に当てのない期待をかけた。
茉理が帝に挑戦したことは、3日もしないうちに全校生徒に広まっていた。
当然、皆驚きで目を瞬かせる。
こんなことは、今までの学校生活で一度もなかったのだ。
(おい、帝様に挑むなんてさあ)
(ちょっとすごいぞ、あいつ)
皆の茉理を見る目が少し変わった。
クラスメイトは興味津々だ。
何しろほとんどみんなが、茉理が潔白なことを知っている。
(帝様のことだもん。きっとすぐに真実は明らかになるわよ)
(でも、そしたらどうなるのかなあ、川本さん)
皆のざわめきが、茉理の心に一抹の影を落とした。
そうなのだ。
自分の潔白は証明されるが、その分、親友と思ってきた彼女のことがわかってしまう。
そうしたら帝は、奈々に矛先を変えて攻撃するのだろうか。
毎朝、登校するたびに奈々の顔が青ざめていく。
廊下でそれを見るたび、茉理は胸が痛かった。
正直自業自得とも思う。
黒板消しを落としてしまい、そのことを茉理のせいにしてしまったのは他ならぬ彼女だ。
もはやお互い親友とは呼び合えない間柄になってしまい、心苦しいものがある。
(それもこれも、みんなあんたのせいよ)
茉理は心の奥で生徒会長に毒づいた。
(あんたさえ変なことで怒ったりしなければ、こんなことにはならなかったんですからね。まったくプライドが変に高い人間って嫌になっちゃう)
ためいきをつきながら、彼女は授業の準備をした。
廊下でためいきをついている人間が、茉理の他にもう一人いた。
生徒会書記 山下英司。
「参ったなあ」
「やるせないためいきだねえ、英司君」
いきなり耳元でささやかれ、彼は飛び上がった。
「ちょっ、ちょっとっ、先輩っ、おどかさないでください」
「リアクションがよろしいね、英司君」
満足そうに笑う雅人を、英司がぎろっと睨んだ。
「もう、ふざけるのも対外にしてください」
こっちの気も知らないで、とぶつぶつ言う英司に、雅人は笑ってみせた。
「君は本当に可愛いね。今度お兄ちゃんとデートしない?」
「はあ? 馬鹿な事言ってないで、とっとと消えてください」
でないと本当に消しますよ、といつにもなく凄みのある声で怒鳴られ、雅人は眉を吊り上げた。
「ふーん、そんなに機嫌が悪いなんて、英司君らしくないね。さては例の一件かな」
「……」
「図星か。まあ、そうだろうと思ってたけど」
雅人の言葉に、英司は神妙にあいづちを打った。
「どうすりゃいいんですかね」
「どうすりゃって、そりゃ帝に報告しないと」
「そうなんですけど……」
英司の悩みがどこにあるのか、雅人にはよくわかっていた。
つい3日ほど前、帝から命が下ったのだ。
『過去に飛んで、俺に黒板消しを投げつけたのが、あの女だと確認してこい』
英司はクリスティ分家の出で、風系統の魔力を操るのに長けている。
『風』は移動、速度などに関係する魔法にすぐれ、時を渡ることも術によっては可能だ。
彼は早速指示通り、過去に行ってきたに違いない。
そして結果は思わしくなかったのだ。
「でも雅人先輩。結果が思わしくないってよくわかりましたね」
「それはそうでしょ。だって帝相手に普通あそこまでタンカきる? 何もしてなかったからこそ出来ることだよ」
ふっと笑みを漏らしながら、雅人はつぶやいた。
「驚いたよね、正直あんなレディだとは思わなかった」
「俺もです。普通、転校しますよ、あれだけやられれば」
「単なるいじっぱり? いいや、それだけじゃないね」
雅人は薔薇をいじりながら考える。
「何かあるね、彼女。そうまでしてこの学園にいたい理由が」
「え?」
「僕の考えでは、それは愛のためだと思うよ。いたいけな少女が命をかけて学園に残る。それはもう『あい』という二文字のためでしかない!」
(……どこでどうすればそんな考えが)
ついていけない英司だったが、自分の置かれた立場を考え、また深いため息を漏らした。
「やっぱ、報告するしかないんすかね」
「安心したまえ。いつも身代わりに役立ってくれてる君を、僕が見捨てると思うかい?」
ぽん、と肩に手を置かれ、意外そうに英司は目を丸くした。
「先輩?」
「帝には僕が報告しといてあげるよ」
「ええっ、いいんですか」
「いいとも。もちろん借りは今度返してくれよ」
怪しく微笑む先輩に、英司はそれでも喜んだ。
帝に報告して、怒りを爆発させられるより数倍ましだからだ。
(それに俺より雅人先輩の方が帝をあしらうの、うまいしなあ)
(ふふっ、僕が報告した方がおもしろいしねえ。帝をからかって遊ぶのも、また一興)
二人はそれぞれの思惑を胸に秘め、じゃあ、と片手を上げて別れていった。




