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夏の夜のクリスタルレイン  作者: イリ―


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74/78

知ってる

 わたしと兄はどこかも分からない廃墟の町並みに囲まれた広場のようなところにいた。

 噴水が見えるがひび割れ壊れていて水もない。無残な崩壊を見せるビルや道路。割目から雑草が茂り、壁面に(つた)()っているのを見る限り荒廃してからかなりの時間が経っているのが(うかが)われた。


「兄さん。ここは」


 その問いに答えない兄の視線を追った先、そこに人の姿があった。


「あの子は」


 見覚えがあった。御滝への途中にも見かけた少女。

 茶けたフードを被ってわたし達の方をじっと見つめていた。

 その目の力、間違いなく彼女はわたし達を認識していた。

 少女がこちらに近付いてくる。


「……沙耶(さや)、なのか」


 兄の言葉に驚いたわたしはもう一度少女を見た。

 姿かたちはまったく違う。

 兄が出血から茫洋(ぼうよう)とする意識の中で幻覚を見ているのかと疑った。しかし、兄の目は虚ろどころか寧ろ冴え冴えしたものだった。

 兄が起き上がって少女のほうへと向いた。

 少女がフードをとった。黒いウェーブのかかったしなやかな髪、浅黒い肌、黒い瞳、年のころは十前後だろうか。水のような澄んだ印象はあったが、記憶の中にある沙耶の姿とは遠い。


「哀しい目をしているのね。なにがそんなに哀しいの?」


 問うた少女は真っ直ぐに兄を見ている。

 兄もまた真っ直ぐに少女を見つめ、その間にわたしの入る隙はなかった。


「僕は、罪を犯した。大切な人を守ってあげられなかった。全てを奪って、僕は一人生き残ってしまった」

「そう。それは哀しいわね。でも、本当は何が哀しいの? 守れなかったこと? 奪ったこと? 失ったこと? 一人になったこと? それとも――」


 ――私があなたに怒っている、そう思っているから? 


 少女は微笑んでわたしを見た。

 その瞳を見て初めてわたしも彼女が沙耶ちゃんなのだと思った。

 姿は違う、だが、彼女の纏う雰囲気は紛れもなく遠野沙耶のそれだった。

 十歳程度の少女の中にわたし達は沙耶ちゃんの姿を見ていた。


「怒っているか? そう問われたのなら私は怒っている、そう答えるしかないわ。でもそれは今あなたが言ったこととは無関係の苛立ちのようなもの。あなたは何も分かっていない」


 兄は答えなかった。いや、答えられなかった。

 わたしもまた唖然(あぜん)とした。


「私の気持ちが分かるかしら?」


 少女の問いに兄は、すまないと(うつむ)いた。


「僕がしたことは償っても償いきれない。謝って済むことでもない。あの時、君ではなく僕が死んでいればこんなことには――」


 乾いた音が響いた。

 少女が兄の頬を引っ叩いたのだった。

 ほんの僅かな間を置いて少女は呆れたように言った。


「だから何も分かっていないと私は言っているの。どうしてそんな風に思うのかしら、あなたは私のことを信じてくれていないのね」


 痛みとは違う熱にそっと頬を触れた兄が、そんな事はないと首を振った。


「信じていない筈がないじゃないか。僕は君と共に育ち、君と共にいることで安らげた。そんな君を僕が信じていないなんてことはあり得ない」

「だったら何でそんなことを言うの? 私のことを信じているのなら、どうして私があなたを怒り、恨むことがありましょう。私だって今あなたが言ったのと同じなのに。私は誰よりもあなたを理解し、あなたと共にいて安らぎ、あなたを心から愛していた。そんな私があなたを責めるというの? あなたの死を望むというの?」

「沙耶…」

「だから、私を本当に信じてくれているのなら、こう思ってくれなくてはいけないのよ」


 ――私はあなたが生きていて本当に良かったと思っているのだと


 そう言って少女は大粒の涙をこぼした。


「私はこうしてあなたが生きていてくれたことを心から喜んでいる。あなたの言う罪なんてどこにもないの。罰だって必要ないの。だからもうそんなに哀しむのは止めて、自分を責めるのは止めて、もう苦しむ必要はないと分かったのだから」


 少女がそっと兄の顔に触れた。小さな手だった。

 兄はそっと少女を抱きしめて声も出さずに泣いた。

 少女もまた、兄の頭を抱えるように抱きしめていた。


「本当に困った人。だから心配だったのよ。でも、もう大丈夫よね」


 少女が兄からそっと離れた。


「もう時間がないわ。ほら、あなた達消えかかっているもの」


 自分たちの姿を見回したがそんな様子はない。しかし、風景に歪みが生まれているのが分かった。


「沙耶ちゃん、一緒に帰ろう!」


 わたしは手を伸ばした。しかし彼女は首を振った。


「そっちの私は死んでしまっているのでしょう? 戻っても仕方がないわ」

「そんなこと!」

「それにね、こっちの世界の両親。あの人達を哀しませたくない。大丈夫よ、私は生きている。それをあなた達が知っていてくれれば。そして誰よりも、あなたが知っていてくれれば」


 そう言って彼女は兄に手を伸ばした。兄もまたその手を伸ばして握り締めた。


「沙耶! 君を愛してる」


 兄の言葉に彼女は満面の笑みを浮かべた。

 一瞬だがあの頃の沙耶ちゃんが重なって見えた。


「知ってる。私も愛してる」


 景色が歪んで消えた。

 元の世界に戻ったわたしの頬を涙が一筋だけ伝っていた。



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