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夏の夜のクリスタルレイン  作者: イリ―


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伝わっていた想い

 虹のような光が広がる空間、空中と言うべきでしょうか、とにかく沢山の波紋が生まれていました。水面ではない空間に広がる波紋は不規則に生まれては消えていきます。生まれた波紋の中には一瞬ですがどこかの風景が浮かんで見えました。

 ほんの僅かな時間、周囲の異変に目を奪われ、気が付いた時には真奈さんの姿は近くにありませんでした。

 現実感の乏しい見たこともない世界の広がる中に、義兄(あに)が立っているのが見えます。そして、その側に立つ真奈(まな)さんが見えたのです。

 いけない。

 ほんの一瞬ですが、その手に冷たく光を反射するものが見えたのです。


「真奈さんっ!」


 あたしは茂みから飛び出しました。

 真奈さんが倒れこみ、義兄が抱きとめます。

 次の瞬間には義兄は地面に倒れ、真奈さんは泣きながら(わら)っていました。


「真奈さんっ、なんていうことをっ」


 彼女の手からナイフを取上げました。暖かくぬめりのある血糊(ちのり)があたしの手にも広がります。あたしは無我夢中でナイフを投げ捨て真奈さんの両手を握りしめました。


「真奈さん、しっかりして! 真奈さんっ!」

丈二(じょうじ)のところに行くの。私は丈二のところに行くのよ」


 真奈さんの瞳は虚空を見たまま焦点も合わず。ただひたすらに丈二さんの名前を繰り返すのです。


「兄さん!」


 声がした方に振り向くと、こちらへ向って走ってくる彼の姿が見えました。

 彼がここにいたことに驚きましたが、それよりも怪我をしたと聞いていたので、元気そうな姿に安心しました。しかし、その一瞬の油断の隙に真奈さんがあたしの手を振りほどいて駆け出したのです。


「丈二! 丈二! じょうじぃ!」


 真奈さんは叫びながら深く落ち(くぼ)んだ坂を駆け下ります。その先には地面に埋まっている大きな水晶の塊が顔を出しているのが見えました。

 本で見たことがあります。確かカテドラル型というドーム状の形をした水晶。それのものすごく大きなものが埋まっているようでした。

 真奈さんはまるで囚われの恋人を救わんとする物語の主人公ように坂を下りていきます。

 水晶から発せられる強力な何かを感じました。目に見えない何かは大きな力を持っているのだと分かります。しかし、それはきっと真奈さんを救ってはくれません。連れ戻さなければいけない、あたしは迷い無くそう思ったのです。

 義兄は彼がきっと何とかしてくれます。ちらと彼と目をあわせると、あたしもまた真奈さんを追って砂礫の坂を駆け下りました。

 聞いていた話が正しければここは滝壷(たきつぼ)だったはずです。今はどういう訳か水がありません。それはきっとこの石が発する力のせいなのだと思いました。

 真奈さんを連れて一刻も早くここから離れるべきだと直感が訴えます。水晶に近付くほどに圧力を感じます。まるであたしたちを拒否するような圧力。必死に駆け下りて真奈さんの肩を掴みました。


「真奈さん! お願いしっかりして!」

「丈二がここにいるの、ここにいるのよぉ、いやぁぁ」


 泣きじゃくる真奈さんは、本当はとうに理解しているのだと思いました。

 その上でどうにもできない痛みに囚われ、もがき苦しんでいるのです。


「真奈さん! 丈二さんはもう…」

「そんなこと分かってるっ!」


 振り返り手を払った真奈さんの瞳には大粒の涙と敵意が浮かんでいました。


「正美ちゃん、あなたはいいわよね。大切な人が生きているのだから。結婚するんでしょ? でもね、私にはいないの、本当に大切な人はこの世にはいないの、みんな死んでしまったのよ!」


 ずるいじゃない、とあたしの胸ぐらを両手で掴みました。


「私の両親はハワイで事故にあって亡くなってしまった。だから日本に戻ってきたの! 私を引き取って育ててくれた祖父母も大学に入ってすぐに亡くなって家族は誰もいなくなった! それでも残された僅かな遺産と幼馴染みの丈二が側にいてくれたから辛くても頑張れた。

 だけど丈二がいなくなって、私は本当に一人になってしまった! 

 周りは皆大切な人が側にいて幸せそうで輝いていて、だけど私は真っ暗。真っ暗な色の無い世界で身体の中身も空っぽの張りぼてになった気分だった。

 知っている? 丈二は乗客の母子を助けたせいで死んだんだって。お葬式の時にもその母親が何度も何度も頭を下げるのを見たわ、本当にごめんなさい、ありがとうございましたって。

 でもそれが何? そんなこと言われたって丈二は戻ってこないのよ、丈二は生き返らないのよ。それでも喜べば良かったって言うの? 誇りに思えば良かったって言うの? 立派だった、あなたは素晴らしかったって! それが一体なんだって言うのよ、何をしたって丈二は帰ってこない! そんな全てを失った私の気持ちの何がどれほどあなたに分かるって言うのよっ!」


 あたしは何も言えませんでした。

 真奈さんのことなんて本当は何も知らなかったのです。ご両親が亡くなっていたことも、育ての祖父母さえ失っていたことも。

 どれ程の苦しみだったでしょう。その中で丈二さんに支えられていたことが真奈さんにとって如何(いか)に大きかったことか。その唯一の救いも失ってしまったのです。


「何度もね、死のうと思ったの。だけど出来なかった。

 滑稽(こっけい)よね。辛くて苦しくて世界が綺麗であるほど自分が薄汚れて(けが)れて見える。そんな世界に取り残されているのに私は生きているの。死ぬ勇気も無くて、ただ抜け殻のように生きていたの。この国から離れれば変わるかもしれないと海外に逃げた。

 でも結局何も変わらなかった。私の世界は真っ暗なまま。そんなときに彼に出会った」


 そう言って真奈さんは震える鮮赤の手を見つめた。


「彼は言った。この研究が成功すれば丈二に会えるって。だから今まで協力してきたのよ。なのに、なんでよっ! 今更になって扉が開かないって! もうちょっとでしょう? ほらこんなに世界は近付いているのよ。あとほんの少しで丈二に会えるのに! 丈二! 応えてよ丈二っ!」


 見ていられないほどにその姿は痛々しく、(はかな)(もろ)く砕け散ってしまいそうで涙が止まりませんでした。あたしは真奈さんの腕を掴みました。

 しかし真奈さんは必死に抗おうとします。振り払おうと暴れる彼女をあたしは渾身(こんしん)の力でぐっと引き寄せて抱きしめました。そしてゆっくりと深呼吸しました。


「真奈さん……丈二さんきっと今の真奈さん見たら哀しくなっちゃうよ」


 真奈さんの動きが止まりました。


「丈二が……哀しい…」

「だって、自分のせいで真奈さんがこんなに悲しんでいるんだって、悲しませてしまっているんだって、苦しんでいるんだって、そう思っちゃうでしょ」

「…って」


 真奈さんがあたしを振り返りました。


「私だって、私だってそんなの分かってる! でも、でも、それでも私っ!」

「分かってる。分かってるよ真奈さん。大好きだったんだよね」


 あたしは真奈さんを強く、強く抱きしめました。


「丈二と一緒にいたかったの! 一緒に出かけて、ときどき喧嘩して、一緒に泣いて、笑いたかったの! 好きだったの! 大好きだったの! 愛していたの! 私には丈二が全てだったのよ! でも、私、丈二に何にも、何にも伝えられなかった!」


 伝えられなかった。

 真奈さんはずっと後悔してきたのだろうと思います。

 別れ際に喧嘩をしてしまった後悔、彼への本当の気持ちを伝えきれなかった後悔、そして取戻せない時間と現実が心を(むしば)み続けていたのでしょう。

 その苦痛がどれほどのものだったか、あたしには分かってあげることはできません。

 それでも、このことだけは間違いないと思うのです。


「真奈さん。きっとね、丈二さんには伝わってたよ」

「正美…ちゃん」

「だってずっと一緒にいたんでしょ? ずっと好きだったんでしょ?」


 涙をたくさん溜めたまま、真奈さんは小さく頷きます。


「だったら大丈夫。丈二さんにはちゃんと伝わってたよ。思い出して、一緒にいた時のこと。丈二さんの態度や仕草、言葉や真奈さんを見ている笑顔。どれもきっと優しかったでしょう?」


 真奈さんはくしゃくしゃになって小さく頷きます。


「だから真奈さん。丈二さんを信じてあげて。そうじゃないと丈二さん可哀相だよ」


 それに応えるように真奈さんの瞳に光が差して見えました。


「あたしじゃあ丈二さんの代わりにはなれないかもしれないけれど、でも真奈さんは一人じゃないから。あたし真奈さんの側にいるから。だから、悲しいこと言わないで。がんばろう? お願い真奈さん。

 あたしじゃ、ダメ…かな?」

「正美ちゃん…」


 直後、顔を伏せると真奈さんは大きな声を出して泣きました。

 これまでとは違う真っ直ぐな涙でした。

 ようやく本当の真奈さんがあたしの腕の中で帰ってきたのです。


「さぁ真奈さん、ここから離れましょう」


 二人で立ち上がり振り返った時でした。

 目の前が急に明るくなって目が(くら)みました。

 真奈さんがあたしを指差しました。

 いえ、正しくはあたしの額を指差したのです。

 石が光を放っていました。額にあった水晶が青白い光を強く放っていたのです。

 光は次第に強く大きくなっていきました。


「なに? これ…」


 次の瞬間、あたしと真奈さんは膨張した光に呑みこまれたのです。


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