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夏の夜のクリスタルレイン  作者: イリ―


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姿なき少女の声

「どいつもこいつもグルだった、と言うわけか。本当に不愉快な連中だ!」


 兄を一瞥(いちべつ)桐崎(きりさき)は一瞬だけこちらにも視線を投げた。

 先の見えない霧の中を手足引く亡者のように、茂みや枝葉をかき分け必死に駆け上がってきたのだろう。髪も乱れ、その顔も汗と泥で汚れてしまっていて本来のスマートな印象も今は見る影もなく薄汚れている。

 滝壷が川へと変わる(ほとり)に立って桐崎は兄を(にら)みつけた。

 乱れた髪を無理矢理掻き上げて撫でつける。


「貴様が消えてからの五年、俺は研究を重ねてついに水晶共振発電(クリステゾネーション)の実現化にこぎつけた。この満月の夜、この時の為に全てを注いできたのだ。だが、結局俺は、貴様の掌で踊らされていただけだと言うのか!」


 桐崎の叫びは妙な悲痛さを(はら)んでいた。

 兄はゆっくりとした動きで振り向き、溜息(ためいき)()くように桐崎を見た。


「僕は別に君を踊らせたつもりは無いよ。嘘も言わなかった。だからこそ君はこの実験を成功させることが出来たのだろう? この結果から得られる利益は莫大なものだ。これは決して君にとって不利益になるようなことではないはずだが」

「だったらそれは何だ! そんなもの俺は知らない!」


 桐崎は滝壷の底にあるドーム状の水晶塊を(あご)で示した。


「カテドラル型のこれだけの質量を持つ水晶などそうそう簡単に見つけられるはずもない。貴様はこの存在を知っていたはずだ。だからこそ施設の建造場所として赤海山麓(あかみさんろく)を指定した。違うか!」


 兄は何も答えなかった。


「そらみろ、貴様は全て知っていた。こうなることが分かっていたんだ。それが俺への裏切り以外のなんだ! この実験のために俺がどれだけの莫大な資金を投じたと思っている。それを横から(かす)め獲ろうなど漁夫(ぎょふ)()よろしく烏滸(おこ)がましいにも程がある」


 桐崎は兄を睨んだまま胸元から携帯を取り出した。しかし、使用できないと分かるとそれを放り捨て、兄を警戒したまま周囲を見回した。

 周囲には複数の空間波紋(くうかんはもん)が浮かび上がり、次第に大きくなっていた。

 波紋の内部には向こう側の景色なのだろうか、見慣れぬ風景が映りこんでいる。

 空間に弾ける波紋と共に景色は消え、周囲の『彼ら』の姿もまた掻き消える。


「時空間の干渉も始まっているじゃないか。この様子なら扉が開くのも間近か」


 桐崎はくつくつと笑い出した。卑屈(ひくつ)さを帯びた笑いだった。


「独り占めは止めようじゃないか。これは偉業なのだ。貴様がなにを企んでいたのかは知らんが我らは一蓮托生(いちれんたくしょう)。あの日、貴様と俺が出会ったあの日からな。そうだろう?」


 兄はその問いには答えなかった。

 桐崎は『扉』と言った。恐らく、兄も、桐崎も、狙いは同じなのだろう。

 予想が正しければ、彼らのやろうとしているのはこの世界と、先の世界、あの世であり、未来である二つの世界をつなぐことだ。

 きっと――そうすることで、兄は沙耶ちゃんを取り戻そうとしている。

 世界の理を覆して、価値観を崩壊させて、世界のあり方を否定して、すべてを犠牲にして兄はきっと過去を取り返そうとしているのだ。


 一体どこで何が狂ったのだろう。

 わたし達が望んでいたことは一体なんだった?

 この世とかあの世とか、死後とか前世とか、偉大な発明とか、歴史的な偉業とか、多世界解釈とか、伝承とか、そんなものに何の意味があるというのだ。

 そんなもの何一つとして望んではいなかったのではないか。


 始まりは単純なことであったはずだ。

 誰もがただ沙耶ちゃんの死が悲しかったのではないか。

 そして兄がいなくなったのが悲しかったのではないのか。

 それが全てだったのではないのだろうか。

 わたしはただ、兄と沙耶ちゃんと笑っていたかっただけなのに。


 しかし、兄はそんな過去の苦しみを乗り越えるのではなく、全てを無かったこととして消し去ろうとしているのだ。それがどれだけ悲しく虚しいことなのか、兄がそんな選択をしたという事実がわたしには何よりも哀しいことのように思えた。


 ――大丈夫だよ


 どこからか女の子の声がした。しかし周囲のどこを見回してもその姿など見当たりはしなかった。


「誰だ? なにが大丈夫なんだ!」


 ――だって、二人は違うでしょう?


 違う?


 ――だから


「違うってなんなんだよ!」


 ――あの人を信じてあげて


 姿の無い少女は小さく笑ったようだった。

 それきり声は聞こえなくなった。


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