境界を見る力
「あなたには本当の事を話すべきでしょうね」
泥濘の霧の中を登り進みながら真奈さんが言いました。
「あなたにも見えている――いた、と言うべきかしら? そうなのだとして『彼ら』が一体なんなのか、正美ちゃんにはそれが分かっているかしら?」
義兄と同じ問いです。しかし『彼ら』はこの世に存在するものではなく、それでいて幽霊などというものとも違う何か、としか答えられません。
「それが何かは単純に考えれば答えは出るわ。でも、それは常識を超えた考えであることを受け入れなければ、いつまでも見つけることは出来ないものでもあるの」
「常識を超えた考え?」
「『彼ら』はね、死者であり生者。死後の世界の住人であり、遠い未来の、もしくは過去の生者とも言える者たちよ」
真奈さんの言葉がよく分かりませんでした。
死んでいて生きていて、死後の世界で遠い未来、過去、相反するものの混在はひどくバランスの欠落したものにしか思えません。死後の魂が未来に生まれる輪廻のようなものだとでも言いたいのでしょうか?
「正美ちゃん。死んだ人の魂はどこへいくと思う? 天国、地獄、それとも只消えてしまうのかしら。それとも現世に漂い幽霊のようなものになるのかしら?」
最後のだけは違います。
幽霊なんて見たことが無い。死者があたしの前に現われたことなど只の一度もありません。
それが本当に死者ではないのかどうか証明は出来ないのも事実でしたが、それでもやはり違うと思います。
「それを理解をするには、この世界のあり方をこれまでとは別の解釈を持って見直さなければならないの」
道の脇から伸びる木の枝を掴み、坂を登る真奈さんの後ろ姿を必死で追います。
「この世界は本のようなもの。ある人の言葉だけれど」
「本?」
「私たちの世界とはその本の中の一ページに過ぎない。読み進めることでページは終わり、次のページへと移行する。そしてそれを繰り返すことで本は完結へと向い、一つの壮大な物語が終わる」
「あたし達の人生がその一ページだって言うんですか?」
「そうとも言えるけど少し違う。ページとはこの世界、そして私たちの人生はそのページを構成する一行にも満たない瑣末な文字のようなもの。その小さな文字が交錯し交わり関わり運命が文章となって世界は構成される。
そして、次のページとは次の世界、魂の行く先、死後の世界とも言えるし、遥か未来の世界とも言える。私たちの魂はこの世界で磨かれ、死というタイミングで次のページへと進む。その膨大な時間と繰り返しの中で研磨された私たちの魂はより強く、美しく輝きを増していく」
「つまり、あたし達の見ている『彼ら』とは次のページの住人だと言いたいのですか?」
確かに幽霊でない彼らは、単にそれぞれの生活を送っているように見えなくもありません。泣き、笑い、普通の暮らしを謳歌しているだけに見えます。しかし、それだって証拠があるとも言えず、仮定でしかないのです。仮定だけで言ってしまえば、彼らは蜃気楼のようなもので同じ世界のどこかが映し出されているだけとも考えられます。
「『彼ら』は次のページの住人ではないわ、きっとね」
この世界が始まりじゃない、と真奈さんは言いました。
「摂理というものに敢えて従うのなら、見えている『彼ら』はきっと前のページの住人。こっちは未来の世界だからこそ、過去とも言える世界を微かにでも感じることが出来る。そして『彼ら』は過去であるが故にこちらを感じることが出来ない。同じように、私たちもまた、過去を見ることは出来ても未来を見ることは出来ない。
でもそれは、例え次のページが見えなくともそれが存在する証拠となり得る。本のページが光に透けて見えるように、その境界を見ることが出来る力、それが貴女の力、貴女の見ているものなのよ」
真奈さんは笑っているようでした。あたしはその笑いになにか薄ら寒いものを感じたのです。
あたしは立ち止まりました。
「ちょっと待ってください。その話を信じるとして、別の世界を垣間見ているのだとして、真奈さんは、一体何をしようとしているんですか?」
真奈さんも立ち止まりました。
周囲に増えてきた岩石の上に立ちあたしを見下ろしています。
「このおかしな状況は真奈さんが関係しているの? これってもしかしてその境目が曖昧になってきているってことなんですか? だからあたし以外の人にも見えているんですか?」
もしも真奈さんの話が本当ならば、この状況の先には。
「もしかして、真奈さんはページを強引に捲ろうとしているんですか? そんなことをしたら」
岩の上で真奈さんは、木々の闇に隠れて見えない空を眺めました。
「そんな大袈裟な話ではないのよ。ただ、私は次のページに行きたいだけなの。だって、次のページには――」
――丈二が待っているのだもの。
真奈さんは嬉しそうに笑ったのです。




