臨界の先
試験運転が本格的に始まったのは午後四時半過ぎのことだった。
わたしは、桐崎と島野さんと共に例の制御室からその様子を眺めていた。
運転開始直後の感想を言ってしまえば、至極地味であったと言う他無い。
特別何か電流がバチバチと電光を迸らせる訳でもなく、傍目には特別な変化も無いようにさえ見えた。そんな様子とは裏腹に発電量は増していたようで、報告を上げる研究員の様子は興奮の熱を帯びたものだった。
だが、発電量が上がっても桐崎は冷静なままで、寧ろ難しい顔で装置を睨んでいた。
「この位のことは当然だ。まだ運転も六十パーセントにも至っていない。実験は百パーセントになって初めて成功と言えるレベルに達する。ここからが正念場だよ」
なるほど、桐崎の言うことは尤もだった。低速での運転はこれまでも行ってきたようだからこれは想定内なのだろう。少し離れて様子を見ている島野さんも同様に喜んでいる様子は無い。
「これより臨界までレベルを上昇させます」
その言葉が聞こえると室内には俄かに緊張が走り出した。
ここから先は未知の領域だということなのだろう。その緊張に中てられてわたしも喉が渇いてきた。ごくりと唾を飲む。
「現在七十パーセント」
「八十パーセント突破。発電量なおも上昇中」
「九十。九十五」
カウントが進むにつれて妙な圧迫感を感じるようになってきた。耳鳴りのような、気圧が変化するような圧力だ。耳抜きをしてみたがその不快感はなくならなかった。
私の様子に気がついた桐崎が言った。
「共振の影響だ。それが周囲に伝播している。万全の対策はとったがそれでも多少は漏れてきているようだな。あまり辛ければ少し離れるといい。そっちの部屋はロックすれば影響は無いはずだ」
併設されている部屋は、万が一の退避用に更に厚い素材で覆ってあると事前に聞かされてはいた。逃げ込まねばならないほどでもないので、そのまま実験を見届けることにした。
「百パーセント! 臨界に達します!」
桐崎は乗り出すように窓に張り付いた。
静電気のようなものだろうか、水晶柱をはじめ室内のあちこちに電気が這っている。電気のミミズのようだとわたしは思った。照明を消せばもっと凄まじい光景が見えるのかも知れない。
暫くの間、室内は沈黙が支配した。
この歴史的実験の成り行きをその場の全員が固唾を飲んで見守っていた。
誰も何も言わない。わたしが見る限りでは特に異常が起きる様子は見られない。今度こそ実験は成功のように思われた。
しかし、桐崎は先程よりももっと険しい表情になったかと思うと、突如研究員のほうに向かって怒声を上げた。
「一体どうなっている!」
桐崎の怒声とは無関係に研究員達にも動揺が広がっていた。
「現在、稼動率百五パーセント、臨界を突破しています。しかし……」
「しかしなんだ!」
「発電量の数値が臨界突破後から下がり始めました。現在もなお下降中」
「なんだと? 原因はなんだ!」
「分かりません。現在確認中です」
こんな馬鹿な、と桐崎はコンソールを殴りつけた。
「島野! どういうことだ!」
突然矛先が向けられた彼女も動揺の色は隠せないでいた。
「私だって知らない。それは貴方だって同じでしょう?」
くそ、と今度は壁を蹴った。
恐らく失敗だったのだろう。
途中までは問題なく進んでいたのだからこれはある意味で成功とも言えるのではないかと思った。間違いなく臨界までは膨大な量の電気を生み出していたのだ。今回の失敗の理由さえ分かれば、それこそ完全なシステムが完成する。これは偉大な失敗の一つなのではないかとわたしには思えた。
だが、彼の焦燥は酷いものだった。
何故今日この実験にこれほどまでに固執しなければならないのか、わたしにはその理由が分からない。
研究員の声が響いた。
「原因が判明しました!」
桐崎が乱れた髪を撫で付けた。主任の凪良が桐崎を呼んだ。凪良はコンソールを指し示した。
「エネルギー値が下がっているのです」
「どういうことだ?」
「つまり、本来電流を流し、双方の間でのみ共振することで増幅を行うわけですが、臨界を突破してから共振が外部に流出し始めたのです」
「流出だと?」
凪良は紙を取り出してペンでざざざと図を描き始めた。
「つまり、こことここで共振が行われているわけですが、そこから離れた別の場所で全く別の共振が行われ始めた。ということです。そしてどういう訳かこちらのものがそちらへと流れてしまっているのです。正しくは流出と言うよりも、共振の中心点がずれたというほうが正しいです」
二箇所の円を描いた別の場所に、凪良はごりごりと何度も円を描いた。
「それはどこだ!」
「現在確認しています」
つまり、二点間でバランスを取っていたものが三点ないし四点に変わったと言うことなのだろうか。
だが外部へと波及する状態。それはとんでもない失敗になるのではないだろうか?
わたしはその後に起こる想像も出来ない惨事に背筋が凍った。もしかしたら桐崎の焦燥はそれに起因するのかもしれない。
「再計算終了しました。現在の中心ポイントはここです」
液晶パネルに周辺の地図が浮かび上がった。現在地に赤い点が二つ。そこから波紋のように赤い波がソナーのように撃ち出されている。そしてそこから南に下がった場所にもう一つの赤い点がより大きく、より強く波紋を投げていた。
「なんだこれは」
桐崎が絶句する。
表示を見る限り、離れた位置にある第三点の方がより強いエネルギーを放出しているように見える。実際にそうなのだろう。研究者達も一様に信じられないといった表情で画面を見ていた。
「ここはどこだ。誰か分かるか!」
桐崎が叫ぶ。
この位置、この地形の様子、まさかここは。
「御滝です。ここ」
そう呟いたわたしに桐崎が詰め寄ってきた。
「御滝? 御滝と言ったのか。間違いないんだな!」
わたしは画面を呆然と見ていた。赤い第三点のある場所はあの御滝の位置で間違いない。
わかったぞ、と桐崎が呟いた。
「奴だ。奴の仕業だ。おのれ、おのれ、おのれ!」
桐崎の様子は異常だった。これまでの彼とは別人のような豹変振りにわたしは寒気さえ覚えた。
「島野! 行くぞ」
島野さんは小さく頷き、二人は形振り構わない様子で部屋を後にしようとした。
「社長、実験は?」
「続けろっ! 何があっても止めるんじゃない! 早くしろっ」
桐崎は島野さんの腕をひったくるように掴むとそのまま駆け出した。
わたしは呆然とその様子を見ていたが、はたと気がついて後を追うように管制室の閉まりかけた扉をすり抜けた。
桐崎は先ほど「奴だ」と言った。それはきっと兄のことだ。だとしたら彼らに付いて行かねばならない。わたしは一歩踏み出すたびに響く衝撃で奔る怪我の痛みに耐えながら、彼らの抜けて行った扉をぎりぎりで通り抜け続けた。
外へ通じる扉も最後の一枚というところまで来たところだった。
打撲を負った足に限界が来たのか、もう少しのところで足が縺れて転倒してしまった。二人の後ろ姿は通路の先を曲がって見えなくなった。
身体のあちこちが痛い。わたしは大きな溜息を一つ吐き、立ち上がった。
それにしても、桐崎の態度の豹変はあまりに異常だった。
それこそ一歩間違えれば人でも殺しそうな勢いだ。確かに実験としては失敗なのかも知れないが、彼の様子は明らかに切羽詰ったものだった。まるでこの実験の失敗が全ての終わりであるかのように。
もしかしたら桐崎には別の目的があったのだろうか?
その何かが外部からの妨害で今この瞬間にも終わってしまう可能性があるのだとしたら、多少は納得のいく反応と言えるのかもしれない。
廊下の角から人が飛び出し、危うくぶつかりそうになった。財前医師だった。
「こんなところで何をしてるんだ、お前さんは?」
「すみません、ちょっと急いでいて。また後で!」
それだけ告げて廊下を曲がり廊下を駆ける。
そして、
正面口から外へと出ようとした瞬間、目の前に広がる光景にぴたりと足が止まった。




