夏祭りの霧
あちこちから悲鳴が上がっています。
深く漂う霧、霧と共に現われた『彼ら』の姿。
これまでと大きく違っていたのは、あたし以外にもその姿が見えているということでした。
重く立ち込めた霧はほんの数メートル先も見えないほどに濃く、混乱を助長させています。
その光景は正にあの屏風に描かれたものと酷似していました。
先刻から酷く痛む頭を押さえながら、一体何が起きているのかを確かめようとしました。目の前を誰かが通ります。村人ではありません。
彼女には頭部がありませんでした。
腕のない人、足のない人、下半身だけ、上半身だけ、首だけ、そんなものが周囲に溢れ出しているのです。
地獄の蓋が開いたような異様さでした。目の前で起きている光景が現実のものとは誰の目にも到底思えないことでしょう。
『彼ら』を知らなければ、それは正に百鬼夜行を思わせる様相を呈しているのです。
――今夜、すべての答えが明らかになる。
そう言った義兄の言葉が脳裏に浮かびました。
ぎんぎんと頭に何かが響きます。嘗てこれ程までの痛みを感じたことはありません。だからこそ、痛みを与えてくる何かの方向は明確に分かりました。あたしは痛みを堪えてその『何か』へと向かって走り出したのです。
きっと、そこには義兄がいるはずなのです。
異変が起きたのは午後五時を回った頃でした。
あたしは義兄に会った後、義母らと一度家に戻りました。まだ彼も戻ってはおらず連絡もないので心配していたのですが、昨日彼の言った心配ないという言葉を信じて待つことにしました。それからは夕飯の仕込みや支度を手伝って、準備が終わると盆踊りの行われる小学校へと出かけることになりました。義父が設営の手伝いであちらにいるので、幾つかの差入れを持って家を出ました。それが午後三時のことです。
盆踊りは外からやってきた的屋の出店も多く出ていて、昨日来たときよりもずっと賑やかになっていました。村人も徐々に集まり始め、午後四時にはお囃子の演奏も始まって夏祭りの気配が一気に広がります。村の人たちはお囃子がひと段落すると、盆踊りの音楽と共に櫓を中心にして踊り始めました。
それまでは夏の情緒の溢れる平和なお祭りであったのです。
穏やかな夏休みの思い出の一ページのはずでした。
櫓の組まれた賑わう校庭を歩いていた次の瞬間、激しい頭痛が衝撃のようにあたしを襲いました。
あまりに突然のことで何が起きたのか分からず、地面に座り込みました。
激しい痛みに視界も揺らぎます。
その直後、周囲が騒々としだしました。
誰かが指さした方を見ると、川の上流から真っ白い何かが広がってくるのが見えます。
それが霧であると気付くと同時に、周囲はあっという間に濃霧に呑まれたのです。
辺りは一気に何も見えなくなり、真っ白な世界になりました。
突然の事態に両親や子供の名前を叫ぶ声が行き交います。泣き出す子供の声も聞こえます。
白い霧の中を探して歩く影が見えました。視界を奪われ混乱する人々、しかし異変はこれで終わらなかったのです。
あたしは波のように押し寄せる頭痛に耐えていました。
これまでに経験したことのない程の痛みから、丸まって地面にうずくまっていたのです。首に掛けていた石が胸元からこぼれて額に触れました。不思議なことですがその瞬間痛みが薄らぎました。まさかと思ってペンダントを外し、額に当てます。すると、やはり痛みが和らいだのです。
その石はあの時、真奈さんに初めて貰ったあの水晶です。
あたしは石を額にぶら下がるように下げました。
立ち上がろうとすると目の前を通る子供の足が見えました。この状況で迷子になった子だと思ったのです。
「坊や、大丈夫?」
あたしは顔を上げました。
しかし、そこにいたのは下半身しかない半ズボンの少年だったのです。
息を呑みました。
でも、それが『彼ら』だと気付くのにそう時間はかかりませんでした。下半身だけだというのにその子は迷いなく歩いていたのです。あたしは辺りを見回し、周囲に多数の『彼ら』がいることに気がついたのです。
悲鳴があちこちで上がり始めました。恐怖に怯えた叫びです。
「もしかして、皆にも見えている?」
この悲鳴の数はそうとしか思えませんでした。自動でかかっている盆踊りの音楽を背景に折り重なる悲鳴は異質な不協和音を奏でています。あまりに異様でした。
義母たちを探しましたがどこにもいません。
いたとしてもこの状況では余程近くなければ分からないほどの霧です。でもきっと大丈夫。『彼ら』は害を与えてはこないことを知っています。そう思い至り、あたしは呼ぶように鳴り続ける『何か』の正体を見極めることにしたのです。
道の先が見えないながらも通路を通り抜けます。この時、首のない女性とすれ違いました。
途中には怯えて座り込む村人の姿が見られました。小学校の外に出ても状況は変わりません。霧によって先は見えず、また絶え間なく過ぎ去っていく彼らの姿もどこまでも続いています。
これが義兄の求めたものなのでしょうか。『彼ら』の存在を証明する為?
しかしそんな事をしたところで、それにどんな意味があるというのでしょうか。精々あたし達が嘘吐きではないという証明が出来るくらいのことでしょう。
――あなたは自分の見ているものが一体なんなのか分かっているのですか?
義兄はそう言っていました。
『彼ら』とは一体何なのかということです。それが世に言う幽霊などというものとは違うことはあたし自身よく分かっています。幽霊であるならば死者であることが大前提だからです。
ですが、あたしはこれまで多くの死に立ち会うことがありましたが、只の一度でさえ死者の霊と邂逅を果たしたことはない。
それはただの偶然であったのでしょうか?
死のプロセスには手順があって、それを経なければ『彼ら』としてあたしたちは認識できないのでしょうか? それに『彼ら』はあたし達を認識していないのです。今もそう、通り過ぎる『彼ら』は誰一人としてあたし達人間に関与してこないのです。ホラー映画のように襲い掛かることは一切ありません。『彼ら』もまたこちらの存在に気付いていないのです。
あたしは霧の中を走りました。救いだったのは田舎道が複雑では無い事でした。おかげで道に迷うこともなく進むことが出来ます。この状況下では走っている車もありません。あたしは痛む頭を押さえながら必死に走ります。
蝉の鳴き声が止んでいるな、と思った直後、目の前に男性が現われました。
危ない!
あたしは勢いを止められずに彼に突っ込んでしまいました。
しかし、目を開けるとあたしはただその場に立っていました。振り向くと男性もまた何事もなかったように歩いていきます。
「すり抜けた?」
幽霊なら当たり前だと思うかもしれませんが、そういうことではありません。『彼ら』は幽霊ではないのです。
その後ろ姿を見送って、あたしは一つの仮説に辿り着きました。
もしそうならば、これまで疑問だったことにも納得が出来ます。
とにかく、今はあたしを呼ぶものの所に行かなければなりません。そうすることで確信が得られる、そう思ったのです。




