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夏の夜のクリスタルレイン  作者: イリ―


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新たな地動説

「今夜、起動実験を行う」

 応接室を出て施設の深部へとつながる廊下を進みながら桐崎(きりさき)はそう言った。


 廊下はシンプル且つ近未来的である。消火栓などの類は壁面に一体化されていて凹凸が無く、一定間隔でランプが赤く見えるだけだ。全体的に薄いグリーンの配色はどこかの医療機関のようでもある。時折通過する透明な素材のセキュリティロックされた自動扉さえフィクション染みていて現実感に乏しい。未来の宇宙船はこんな感じだろうかと思うばかりである。


「今夜といってももう間もなくだがね。君には是非それに立ち会ってもらいたいのだ」

「スパイを同席させていいんですか?」


 わたしは少し厭味(いやみ)を込めてそう言った。桐崎はつまらない冗談を聞かされたような笑みを浮かべる。


「先にも言ったが私は君自身に脅威があるとは思っていない。彼の存在は気がかりではあるが何でもない可能性もある。だとすれば、彼の研究を発端とする歴史的瞬間を血縁の君が見届けるのもまた一興(いっきょう)だろう?」


 一興と言ってしまう神経はわたしには理解できなかった。死んだかもしれないと思っていた兄が生きていたことを知って間もない。驚きもあったがやっと落ち着き、生きていることに安堵を感じ始めたところだ。だからと言ってこの十年が無かったことになる訳でもなく、様々な疑問や葛藤(かっとう)が残っているのにそれをまるで遊戯(ゆうぎ)(ごと)く言われて笑えるものでもない。


「兄とはどこで?」

「あれは七年ほど前になる。メタンハイドレートの利用法について研究を行っていたハーバード大学のロバート・ケネス教授に面会に行ったときのことだ」

「アメリカ?」

「そうだ。その日、教授との会談のあとに夕食に招待されてね、その席で紹介されたのが彼だった。彼はケネス氏に気に入られてはいたが、その研究については非現実的だと一蹴(いっしゅう)されている状態だった。程度はあれ多くの研究者から同じような扱いを受けていたよ」


 兄がアメリカに渡って研究を行っていたとは意外だったが、それ以上にあの兄が他者から一蹴されるような状況が思い浮かばなかった。


「とはいえ彼はそれを気にする様子もなくてね、私はそれで彼に興味を持った。誰もが見向きもしない理論を絶対的に信じて突き進む姿は狂人と紙一重だったが、いつだって偉大な成功はそういう人間が作り上げてきた。普通という価値観に迎合(げいごう)した人間に壁を打ち破る力は無い、君もそう思うだろう?

 私は彼と幾日も語り明かした。彼は(まご)うことなき奇人の類だよ、彼と話していて自分が如何(いか)凡庸(ぼんよう)か思い知らされた。だからこそ彼とその理論は我々の遥か先にいると確信をしたのだがね。それから二年の間、彼の研究に資金援助を行い、我が社の幹部も反対する中この研究を推し進めてきたのだが……」


 桐崎は鼻で溜息をついた。


「五年前、彼は急に姿を消した。それからどうしているのかは知らない。これが私と彼の出会いと別れさ」


 君のほうはどうだった、と桐崎は振り返り、島野さんに視線を送った。


「確か君は私よりも彼との付き合いは長かったろう?」

「半年ほどしか違わないのではなくて」


 島野さんは億劫(おっくう)そうに話し始めた。


「私が彼に出会ったのは南米。私はそこで土着(どちゃく)のアニミズム、つまり精霊信仰(せいれいしんこう)と鉱石の関係を調べていたわ。純粋な精霊信仰というものは、今はほぼ絶えてしまっているけれど、それでもまだ原初の信仰が残っている場所もあるの。私はそういった部族の伝説を収集して、その中から鉱石に関連するものを研究していた。

 そんな時に彼に出会ったの。彼はアニミズムに非常に興味を持っていたわね。この世とあの世、魂のあり方に興味があるようだった。でもそれ以上に――」


 島野さんは何かを口にしようとして止めた。そして、私が知っているのはそれだけと言った。彼女はそれきり何も話すことはなかった。


「アニミズムといえば、幽霊や精霊が居ると言う者達がいる。君はどう思う」


 桐崎の意外な問いにわたしは少々面食らった。桐崎洋二という人は非科学的なものに一切の興味を持っていない人物だと思っていたからだ。新聞か何かだったと思うが彼の過去の記事を読んだことがある。彼は科学的な論拠(ろんきょ)に基づくもの以外を一切信用しないというガチガチな思考を持っている人物だ。また合理的な経営手腕の持ち主でもあり、時に発する心無い苛烈(かれつ)な言動も相まって資本主義の犬、守銭奴(しゅせんど)などと揶揄(やゆ)する者も少なくない。

 そんな彼の理論武装の前に返り討ちにあった専門家は数知れず、メディア側も警戒しているとの噂もある。だから少なくとも幽霊などの無根拠なものを無闇に信じるようなタイプではないはずだった。

 わたしは桐崎の意図も読めないまま正直な意見を返す。


「さぁ、科学的な見方では、いないと言うのが正しいかと。しかし人は思い込み次第で見えないものが見え、無いものをあると感じることがあります。そういう心的作用(しんてきさよう)も含めるのであれば科学的見地に措いてもその存在は認められる。

 ただし、それは物理的なものではないから『個人』という極めて狭い範囲でのみという前提がつきますかね」

「同感だな。もしも個人の見ているそれが複数名に同時に確認されれば証明にもなろうが、それでも集団催眠の可能性を排除せねばそれはただの集団幻覚だ。かつて狐狗狸(こっくり)さんなどという遊びがあったがそれらと大差無い。だが、催眠を受けない状態の人間を集めても霊などというものは都合よく現れはしない。ならば証明など不可能に近い」

「共有時間が長くなれば集団催眠状態の可能性が拭えなくなるから、ですか」

「その通りだ。やはり物理的な現象としての証明が出来ぬ限りその存在は認められない。とは言え、存在しないという証明も同様の理由からできていないのが現状だがね」


 廊下を進む三人の足音だけが響く。咳払いをしたら脇が酷く痛んだ。


「だが、もしも証明できるとした場合、世界はどうなると思う? あくまで仮定の話だ。その世界を君はどう見る」


 想像も出来ないというのが正直なところだった。

 幽霊というものの物理化学的な証明が為された世界の在り方などどう考えればいいと言うのか。


「これまで常識とされていたものが全て崩壊する、のでしょうか。法則が変わってしまう。死生観(しせいかん)が変わってしまう。そうなると世界がどうなるのか想像も出来ませんね」

「そうかい? 死生観が変わったとしてそれが何の意味を持つかな? 所詮、多くの生死感など世界に複数存在する宗教という刷り込みによって構築されてきたものばかりだ。それが故に多くの宗教は崩壊するだろうな。だがそれが崩壊したからといって不都合はあるまい。コペルニクスやガリレオが地動説を唱え天動説を否定したことと大差は無いのではないかね? 人はそれほど愚かでもないのだよ、そして残酷なほどに柔軟でもある。新たな真実を突きつけられた世界は一時混乱するかも知れないが、あっという間にそれらをも享受していくことだろう。

 実際に今、情報に触れられるほぼ全ての人間は地動説を享受し、何ら不都合など感じてはいないのだから」

「あなたは新たな地動説を唱えようとでも言うのですか?」


 桐崎は笑った。


「面白い言い方をする。極めて科学的且つ論理的な話だと思うがな。そう気にするな、あくまで単なる仮定の話だよ。まぁ、新たな技術による革新も似たようなものだということさ。我々の研究はそれ程の可能性を秘めているという話だ」


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