あなたと同じだから
沙耶ちゃんが、いや、島野さんがくつくつと笑っている。
わたしは悪夢の中で踊らされているような絶望感を覚えていた。
「ほうら、御覧なさい。あなたは今、誰と話していたのかしら? 今、一瞬でも私を沙耶さんだと思わなかったかしら?」
否定できなかった。わたしはほんの僅かな一瞬、沙耶ちゃんの存在を感じていた。
疑いながら、それでも彼女を重ねたのは事実だ。
「あなたは私を残酷だと言ったけれど、あなた達はどう? 死人を生者に重ねて真実から目を背けて接するあなた達は残酷ではないのかしら? 私は島野真奈。沙耶なんて人は知らないし、何の関係も無い。己を無視されて、他人の情報で上書きされ死者と同一視される私の気持ちが分かって? あなた達のそれがどれだけ残酷なことなのか、考えたことがあるのかしら」
確かに彼女の言う通りだ。個人を無視して故人の記憶を重ね合わせられる側の気持ちなど考えもしなかったのは事実だ。それは確かに残酷な行為であると思える。
わたしは彼女に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません」
「謝って欲しいわけではないの。ただ気づいて欲しいだけ。同じ姿を見ればどこかで同一視してしまうのは仕方の無いことだもの。だけど、私は私、沙耶さんのことを知ったところで何も変わらない。あなたはどう? 例えば、もしもあなたと同じ姿の人間がいたら、あなたはどうするかしら。どうしたいかしら。どう感じるのかしら」
自分と同じ姿の人間。
そんなもの、知ってどうする?
それが善人だったら、嬉しいのか? それとも悔しいのか?
それが悪人だったら、見下すのか? それとも悲しむのか?
自分と同じ姿の他人を知って、自らとを比較しない自信があるか?
自分と同じものを持つ者を、他者として、別物として割り切れるだろうか?
そして、わたしは知ることで自分は何も変わらないと、彼女のように言い切れるのだろうか。
「そんな人がいるのなら、わたしは恐ろしいと感じてしまうでしょう」
そう答えた。
彼女はそうね、と言った。
「だって、知らないものは怖いもの」
でも、と島野さんは真っ直ぐにわたしを見た。
刹那その眼に強い陰りが見えた。
彼女と出会い、初めて本当の彼女を見たような印象だったが、あまりに一瞬で確信はなかった。
「知れば、怖くなくなることもあるかもしれない」
そうかもしれない。知らないからこそそれが安全なものであるか、危険なものであるのかの判断が出来ない。安全ならよし、危険だとしても知ることで限りなく安全に近づけることは可能かもしれない。何れにせよ判断を下すにはまず知ることが必要だというのは道理だろう。しかし。
「そうかも知れませんが人は万能ではない。全てを知ることは出来ない」
人は神ではない。
「だから、やはり分からないことは分からないですよ」
「知ることが出来ないから諦めるの? 恐怖を受け入れるの? それが無意味な恐怖でも?」
「それが現実ですよ」
そう言うと島野さんはその眼を閉じた。
「現実、ね。あなたの言う現実は本当の現実なのかしら」
「そうでないとでも? 少なくともわたしの知る現実とは、出来ることは出来る、不可能は不可能でしかないものです。辛うじてその幾分かは時間が解決はしてくれますが、変わらないものもある。例えば人は、死からは逃れられない」
「そうね、でもあなたの言う現実とは臆病者の理屈でしかないわね」
「臆病者?」
わたしは胸の奥が波立つのを感じた。
「そう、臆病者。何もしないだけなのに、小理屈で武装して何でも分かった振りをしているだけの臆病者。やっぱりあなたは歪んでいるわ。早くそのことに気がつかないと――」
彼女は音も無く歩き出す。
島野さんは、すれ違い様に呟くように言った。
「――あなたは後悔することになるわ」
「何故ですか?」
わたしは彼女の背中に問いかけた。
「何故あなたはわたしにそんな事を訊くんですか」
彼女は森の手前で立ち止まった。
そして一度、虚空を見上げるようにして頭を戻した。
「そうね。きっと私もあなたと同じだから」
それだけ言い残すと彼女は森の中に消えていった。




