初めての失恋
沙耶ちゃんが家族になりたい、と口にした言葉の意味は歳を経て理解できるようになった。
だが、それに気付いたときに抱いた感情は喜びでもなんでもなかった。
彼女も好きだったし、兄も好きだった。
好きなもの同士が好き合うのならこんなに素晴らしいことは無い筈なのに、その時のわたしは正体の分からぬ、うぞうぞとしたものを腹中に抱えたまま、吐き気を覚えるほどの酷い感情に蹂躙された。恐らくこれがわたしにとって初めての失恋であり、嫉妬だったろうと思う。中学二年の時のことだ。
反抗期とも重なったのだろう、その頃のわたしは兄とも沙耶ちゃんともあまり話さなくなった。もちろん他の家族ともだが、二人には特に露骨だった。
そういう年頃だからと皆が言うのが聞こえていたから、なら文句もないだろうと余計に意固地になっていた部分もある。
その年の夏祭りのことだ。
わたしは年回りのお囃子役を終えてすぐに家に帰ろうとした。役回りだからやるにはやったが、祭りを楽しむ気分ではなかったのだ。
会場になっている学校では多くの村人が集まり、出店なども出ている。出店は外からこの時の為にやってくるから子供達にとっても珍しく、村にとっても大きなイベントである。
毎年それとなく楽しみにしていたのは自分もなのだが、その時ばかりは一刻も早く家に帰りたかった。人と関わることが面倒だったのだ。だが、それを目ざとく見つけた人がいた。沙耶ちゃんである。
「もう帰っちゃうの? 折角なんだからもっと遊んでいきましょうよ」
浴衣姿の彼女は言葉に出来ないくらい綺麗だった。その時はその綺麗さに余計腹が立った。今にして思えば照れなのだが、それが怒りに結び付く不安定さがこの年頃の難しい所なのだろうと我がことながらに思う。
「ほら、型抜きしない? 好きだったよね? どっちが早いか勝負しよう」
そう言って彼女がわたしの手を掴んだ。
「いかないっ」
わたしは彼女の手を振り払った。今でもその驚いた顔を覚えている。その顔を見ないように背を向けて「好きなんかじゃない」それだけ言ってわたしは駆け出した。
その時わたしに見えない彼女の顔がどんなだったか知らない。
しかし、わたしの脳裏に浮かんだのは振り払われた手に触れ、悲しそうにする彼女の姿だった。
もしかしたらとんでもないことをしたのかも知れない、そう思う恐れと怒りの震えが広がった。それを掻き消そうと必死で駆けた。どこをどう走ったのか覚えてはいない。
気がつくと真っ暗な森の中にいた。
どこにいるのか分からず周囲を見たが、黒く染まった森の中では何も目印になるものが見つけられない。光源の無い森は想像を遥かに超える暗闇である。都会に住み慣れた者達には信じがたいほどの暗闇であろう。ほんの数メートル先もまったく見えない闇は都会には存在しない。動物か何かが動く音、鳴き声、風が木々を揺らす音、それらの音は何も見えないことでありもしない気配を生み出す。そのうち自分が誰かに見られているような錯覚さえも感じるようになる。寒気が肌を粟立たせる。
怖い。
夜目に慣れてはくるが、薄らと見える木陰や草陰にありもしない気配を感じると余計にダメだった。暑さではない恐怖の汗に濡れながら感じる気配から逃げ出した。わたしはあまりの恐怖に叫びそうになった。
そんな時、視界に光が映った。小さかったが明るいオレンジの光だ。
その灯りの見える方へとわたしは必死で向かった。
そこは墓所だった。
山を切り開き作られた墓地は斜面に沿って規律正しく墓石を並べている。神社の裏手奥にある村の墓所だ。
本来、墓地管理はかつての戸籍管理の名残もあって寺が行うのが一般的だ。ここの場合は墓地在りきでの神社なので少し他とは気色が違う。墓所自体も神社が管理しているのでもなく村営である。
わたしは恐る恐る墓所に足を踏み入れた。
村民の墓石以外にも誰のものかも知れない時代がかった古い墓石や地蔵もあって、夜に入り込んで楽しい場所ではないが、この時ばかりは明かりの元の誰かに会いたいという気持ちが先んじた。
案の定、明かりの傍には人がいた。
墓の前でしゃがみこみ、じっと対話でもするように墓石に向かっている。
蝋燭の明かりが二つ、ゆらゆらと揺れる。その明かりに浮き上がって見えたのは、兄の横顔だった。
そして、その時になってようやくその場所が自分の家の墓所だと気がついた。




