蛍光の夜
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
「だって、沙耶ちゃんはそのうち村を出て行くって先生が」
月が大きく見える夜。黄色く照らされた田園風景に小さな蛍の緑の光がふわふわ飛んでいた。とても綺麗な夜に、わたしは彼女と縁側に座っていた。
「先生? あぁ、勝田先生ね。どういう言い方したのかしら、困った人ね先生も」
彼女は可笑しそうに微笑んだ。
「それは私が大学に行くことになったら、寮に入ると思っているからよ。そのことで先生に相談したからだわ」
「寮?」
「そう。大学は村からだとちょっと遠いでしょ。だから寮に入りなさいって先生は言うのよ。その方が楽だし、交通費と比べたら寮に入った方が安いからって。でもそうすると村からは出なければならなくなるでしょ」
「やっぱり沙耶ちゃんいなくなっちゃうんだ」
わたしは泣きべそをかいていた。小学校三年生くらいだったろうか。
「ほらほら男の子でしょ、泣かないの」
沙耶ちゃんはわたしの頭を撫で、白くほっそりとした指で頬を伝う涙を拭ってくれた。
「ずうっと迷っていたんだけどね、大学には行かないことにしたのよ」
わたしは彼女を見上げた。
「今って便利でね、通信教育でも大学生になれるんだから。だったらわざわざ大学に通わなくたっていいじゃない? 家の手伝いも出来るし、それにそのうち何処にいても何でも勉強できちゃう時代が来ると思うの」
この時わたしは彼女が何を言っているのかよく分からなかったのだが、今にして思えば彼女は既に間もなく訪れるであろうIT時代を見据えていたのかもしれない。
当時はまだパソコン普及率も低くインターネットどころではなかった。携帯電話でさえ無かった時代だ。山の中の村ならば尚のことだったはずだが、彼女はそういった意味でも先を見据えることができる聡明な女性だった。そのことに気付いたのは彼女が亡くなってずっと経ってからである。
「それにね、私夢があるんだ」
「なに?」
「んー、どうしよっかなぁ。恥ずかしいから教えてあげない」
彼女は小さく舌を出した。
「えー。なんでー」
「そうねぇ、じゃあ誰にも言わないって約束できる?」
「うん、約束する」
「絶対? お兄さんにも言っちゃ駄目よ」
「兄ちゃんにも?」
わたしは嬉しくなった。
彼女にとって最も近しいはずの兄にも内緒の話を自分にしてくれる。それは自分が彼女にとって特別なのだと感じられたからだ。二人だけの秘密を持つことがこの上なく嬉しかった。
「そ、兄ちゃんにもよ」
悪戯っぽく彼女は笑うと、蛍の舞う田園の暗闇を見つめた。
蛍光が不規則に線を描いて明滅を繰り返す様子は、まるで闇夜の天国のようだとわたしは思った。
「私ね、あなたのお姉さんになりたいの」
彼女は恥ずかしそうにそう言った。わたしは首を傾げる。
物心ついたときから沙耶ちゃんは姉だった。なのにお姉さんになりたいと言う彼女の言葉はよく分からなかった。
「本当のお姉さんになりたいのよ。あなた達と本当の家族になるのが私の夢」
この言葉の意味を当時のわたしが理解など出来ていよう筈が無い。
「じゃあ大丈夫、ぼくたち家族だもの!」
「そう? ありがとう」
そう言って彼女はわたしの頭を撫でてくれた。
「だから私は、何処にも行ったりしないから。誰にも言っちゃだめよ、約束の指きり」
「うん、言わないよ」
指を絡めた彼女の肌はひんやりと冷たかった。
蛍がひらりとやってきて、絡めた指に止まろうとした。




