実家
古びた玄関の右手には縁側が伸びている。
廊下の雨戸は開け放たれ、そこにはザルに乗せられた梅干が日干しにされているのが三つほど見える。
家の隣にある倉庫から祖母が出てくるのが見えた。
腰は曲がりつつあるが八十を越え未だに矍鑠としている。祖母はわたしに気がつくと嬉しそうに笑った。
「ただいま、ばあちゃん」
「よく来たの、あっついから中にへぇってお茶っこでも飲みなさい。正美ちゃんもよく来たの、遠くて疲れたべ」
わたし達は促されるまま裏口から入った。
表玄関はあるのだが主に客用で、家の者は大体台所に直結する裏口から出入りする。裏口とは言っても土間があるから十分広く、昭和になって改築され表玄関ができるまではこちらが玄関として使われていた。竈もあるが年末年始の賑わい時くらいにしか使ってはいない。框に腰掛けたところへ母がやってきた。
「いらっしゃい。正美ちゃん疲れたでしょう、ゆっくりしていってね」
「ご無沙汰しています。あの、これお土産に皆さんにと思って」
「あらあら、立派なお干物。夕食に焼きましょ。ありがとうね」
土産は正美の実家から送られてきた魚の干物だ。昨日たまたま送られてきたので持ってきたのだが、肉厚で確りしたものだ。沼津にいる知り合いの繋がりということだった。
「おいしそうね、この鯵。そうそう、二人が来るからって西瓜を冷やしておいたのよ。裏で冷やしてあるから、あんたちょっと取ってきてよ。御母さんは休んでいてくださいな。正美ちゃんはほらほらこっちに来てお座りなさい、扇風機あるから」
言われた通りわたしは外に出て裏側に回る。
家の裏には杉林があるのだが、その手前に小さな川がある。
川幅は一メートル程度の浅い川で、渡るための小さな橋がかかっている。その脇の辺りに黄色い買い物籠が沈んでいて、その中に西瓜が見えた。西瓜以外にトマトと胡瓜も浮かんでいる。
わたしは西瓜を取り上げて軽く叩いた。ぼんぼんとよく身が詰まった音が聞こえた。
「ところであなた、この後どうするの。何か予定でもあるの」
「予定って程じゃないけど、ちょっと行こうと思っているとこがある」
西瓜を頬張りながら、庭から先に伸びる田圃の緑を眺めていた。祖母はお腹をこわすからと一切れでやめた。よく冷えてはいるが味は例年より薄い気がする。正美はおいしいと言って時々塩を振りかけている。
沙耶ちゃんの話を訊くには、家族はうってつけではあるのだが訊くつもりは無かった。彼女の話をするということは、結果として兄の話をすることになってしまうからだ。
兄の話は暗黙のうちに禁句となっている。母と祖母は悲しみ、父は怒る。
本当は父こそが誰より悲しんでいることを皆知っていた。父は長男である兄に対して並々ならぬ愛情を注いでいた。それは傍から見ると過剰に厳しく見えたかもしれないが、兄を一人前にしようという父なりの愛情であったし、それは兄自身もよく分かっていたから文句一つ言わなかった。二人の間には見えない絆が間違いなくあったはずだった。
だが、兄は居なくなってしまった。何故なのか、どうしているのか誰も知らない。
苦しんでいたのなら、悩んでいたのなら、せめて話して欲しかったと父は思っていたのだろう。だが、あると思った絆が不確かになり想いが歪むと父は兄を拒絶した。それから父は兄の話をすると怒り出すようになった。それが分かっているから家族は誰も何も言わなくなった。悲しみにしかならないならば話すことは止めよう、そう考えるようになった。
「お父さんも夜には農協の集まりから戻ると思うから。あと朝子義姉さんと夏子ちゃんもあんた達が来るって言ったら顔を出すって。多分康介さんも来るわね」
「康介さんも……」
康介さんは夏子叔母さんの旦那さんだが、酒が入るとやたらと説教臭くなる。一昨年の盆だが、親戚のそろった中で捕まり延々二時間も説教をされた。
祖母が倉庫から大きなブルーシートを引っ張り出してくるのが見えた。これを外に敷いて騒ぐのが伝統の宴会スタイルだった。あとで自家発電用のモーターを引っ張り出すのは多分わたしの仕事になる。
西瓜を食べ終えたわたしは出かける準備をした。
目的地は噂の出た御滝である。
一人で行ってくると告げると正美は了解した。元々そのつもりだったのだろう。
正美は母の手伝いで畑に出るのだと言って借りた農作業用の服に着替えて出て行った。
都会的な風貌にはやはり着慣れぬぎこちなさがあったが、それはそれで当人は楽しそうだった。




