第3章、航宙艦
月面有事から約1年。米ソはそれぞれ月面基地と地球でお互いを監視し合い、相手よりも優位に立つ方法を模索していた。
アームストロング月面基地への襲撃とフロンティア1号の破壊。それはアメリカ合衆国が目指した火星有人探査計画の挫折であり、米ソ宇宙開発競争が武力による干渉に突入した瞬間でもあった。
外交の場では、ソ連側は「現場の独断による行動」と主張し、アメリカはかろうじて報復を控えた。
世界は第三次世界大戦の縁から一歩退いた。だがその代償は、宇宙の軍事化を公然と容認する空気だった。
そして、ソビエトではアメリカの火星進出を阻止したことで軍部の発言力が更に増し、ブレジネフの死後に成立した対米強硬派政権は、外交よりも成果を求めた。
そして成果とは、いつの時代も「先に旗を立てた者」が得るものである。
ソビエトが次に目を向けた対象はアメリカと同じ太陽系第四の惑星"火星"。
だが新天地へ行くよりも先に、宇宙に力を配置する必要があった。
1985年10月8日 カザフ・ソビエト社会主義共和国 バイコヌール宇宙基地
「три、два、один。発射」
轟音がステップ気候の乾燥した大地に響き渡った。
まばゆい白光とともに、大地を抉るような噴射炎が3000℃を越える温度で昼の大地を焼きながら、それは天へと昇っていった。
ソビエト連邦が開発した世界初の宇宙船、ボストーク級航宙戦闘艦ガガーリン。
その姿はSF映画に登場する船の形ではなく、巨大なロケットそのものだった。
全長118メートル、外観はソユーズに似た姿をしていた。その大きさに反して内部は最低限の居住区と管制室を一体にした狭い部屋とトイレのみであり、それ以外の部分には推進剤の貯蔵タンク、酸素生成装置などの設備、そして宇宙空間での戦闘を目的としたガスダイナミックレーザー方式の炭酸ガスレーザー4基のメインシステムで満たされていた。
航宙艦ガガーリンは地球の重力圏を脱した後、自国の宇宙ステーションで物資や推進剤の補給、人員の入れ替えや帰還が行える。しかし航宙艦ガガーリン自体は二度と地球に帰還することはなく、補給される推進剤は、軌道維持と最低限の戦術機動に用いられる。
ソビエトの科学の結晶であるこの航宙艦の開発経緯は米ソの外交交渉後、ハリトーノフの提言から始まった。
「宇宙における作戦能力を有する有人兵器の開発」たった1行。それだけで、数千人の技術者と途方もない資源が動き出し、開発は急ピッチで進められた。
ソ連の宇宙開発の要であるコロリョフ設計局では、既存のソユーズ・サリュート構造を基盤に、レーザー兵装と機体制御ユニットを組み込んだ新しい艦体設計が行われた。ソ連共産党中央委員会はこの計画の成功後に携わった全ての科学者への報酬と失敗時の"然るべき処置"を約束。
これによりソビエトはわずか1年で航宙艦ガガーリンの建造を達成したのだ。
一方、アメリカでも外交交渉直後、緊急協議を重ねていた。
レーガン政権はデフコン2の発令に踏み切る一方で、戦争を避けつつ、次の一手を用意する必要があった。
ベッグスが口を開く。
「彼らは、宇宙で引き金を引いたのです大統領。奴らが暴力で訴えるなら我々は、その上を行く暴力で自分たちのやった事の意味を理解させねばなりません」
レーガンは静かに口を開く。
「CIAの報告は事実なのか?」
「はい、奴らは既に新たな兵器開発に着手しており、先を越される前にこちらも行動すべきです」
レーガンの答えは明白だった。
そこからのアメリカの行動は早く、設計局をロッキード社、グラマン社、NASAに指名。
大型ロケット技術を基盤とした宇宙戦用兵器の開発に着手。
宇宙ステーションとの連携。軌道上での補給体制の構築。
そして、月面のソ連基地、衛星への攻撃を可能にする兵器搭載。
それは、火星有人探査を妨害された国の“返礼”である。
アームストロング級航宙巡洋艦USSF Neil Armstrong AC-1。
サターンV型に酷似したシルエット。だが、その胴体にはフッカ重水素レーザー3基とソビエトがフロンティア1号破壊に用いたものと同じ作動方式を持った短距離自爆ドローンの展開コンテナが組み込まれていた。
機体はフロリダ州ケープカナベラル、ケネディ宇宙センター第39発射施設の一角で建造された。
1985年11月17日 アメリカ某所
ケビン・リードは、月面の戦闘から数ヶ月、治療と地球の重力に慣れるリハビリの後、地球に立っていた。
無機質な白い壁にはプロジェクターとスクリーン、そして2つのパイプ椅子が置かれている。
「傷の調子はどうだ?」
部屋に入ってきたのはNASA長官のべッグスだった。
「もう何ともありません、健康そのものです長官」
「それは良かった」
ベッグスは椅子に腰かけるとプロジェクターの傍に置かれたリモコンを掴む。
「これを見て欲しい」
モニターに映し出されたのは、ロケット発射台に設置されたアメリカの航宙艦ニール・アームストロングだった。
「これはロケットですか...?」
「これは、先日完成した航宙巡洋艦ニール・アームストロングだ」
"航宙巡洋艦"という聞きなれない単語にケビンは首を傾げる。
「その反応が正しい。まだ一般に公開されていないのだからな。これがソビエトに対する我々の答えだ」
「なぜ私に伝えたのですか?」
「月に最初に立った人間の名を冠する船に、月で戦った男を乗せる。それがホワイトハウスの意志だ」
そう語ったベッグスにケビンは一言も返さなかった。ただ、スクリーンに映し出される巨大な航宙艦を眺めるだけだった。
1985年11月21日 フロリダ州ケネディ宇宙センター
「Tマイナス30、最終冷却系統、良好」
「スラスター補助点火装置、スタンバイ完了」
「オールグリーン」
乗員は5名。全員、NASAと軍により選抜されていた。
艦長に任命されたケビンは再び宇宙に向かうこの日、額を流れる汗に嫌悪感を示しながら管制室が読み上げるカウントダウンを真剣に聞いていた。
「Three、Two、One。発射」
昼の青空に、一筋の白煙が走り、ケビン他4名の搭乗員を乗せた航宙巡洋艦ニール・アームストロングは天高く舞い上がった。