第2章、米ソの交渉
1984年9月14日 アメリカ合衆国 首都ワシントンD.C. ホワイトハウス 地下指令センター(PEOC)
月面での戦闘から24時間。アメリカ政府は1962年10月26日のキューバ危機以来初となるDEFCON2を発令した。軍はワシントンD.C.のソ連大使館を包囲し、空にはF-15が旋回。
更にはアラスカから北極圏上空には「成層圏の要塞」と名付けられたB-52戦略爆撃機が核爆弾を搭載し交代で上空待機、核ミサイルの発射準備が取られた。
「全ICBM基地及び戦略原潜、戦略爆撃機に通達完了」
統合参謀本部議長が報告する。アメリカ合衆国第40代大統領ロナルド・レーガンは、目を閉じたまま一言だけ答えた。
「それで、モスクワは「関与していない」と言ってるのか」
側近であるジョージ・シュルツ国務長官が答える。
「はい。ルナグラード月面基地の独断であり、政府としては関知していないと公式声明として発表されています」
レーガンは、拳を握りしめた。
数時間後 首都ワシントンD.C. 在米ソ連大使館 会議室
アメリカ側代表団には、シュルツ国務長官、キャスパー・ワインバーガー国防長官、NASA長官ジェームズ・ベッグスが出席していた。
対するソビエト側は、駐米大使アナトリー・ドブルイニン、外務省上級顧問、軍参謀本部からの調査官イワン・ハリトーノフが並んでいた。
お互いの出席者が到着するのを確認するとシュルツが開口一番に詰め寄る。
「我々の火星ロケットは破壊され、兵士が殺されました。最初に引き金を引いたのはそちら側だと確認もできています。これをどう説明するんですか?」
ドブルイニンは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「我が国としても遺憾に思っている。しかし、この行為はモスクワの命令によるものではない。それは断言できる」
ドブルイニンの発言にワインバーガーが噛みつく。
「爆薬を運搬し、発射直前のロケットを狙って突入しておいて、“命令ではない”?!そんな馬鹿な話があるか!まさかソビエトが月面用の爆弾まで作ってるとは思わなかった、アメリカも作るべきだったよ!」
机を叩き声を荒げるワインバーガーとは対照的にハリトーノフは静かに答える。
「その兵士たちは既に月面からソビエト連邦への帰還命令が下っている。本国に到着し次第、軍法会議にかけられ処分される予定だ。現場の暴走であり、中央委員会の意志ではない。そう受け取っていただきたい」
「ふざけるな!発射の前日に爆弾を持って完全武装して、命令なしに兵士がそんな行動を取るか?!お前たちの国は軍の訓練で、勝手に世界大戦を始めろと教えているのか?!」
「兵士の独断については現在我々も調査中だ。それに現段階では政治的判断を誤るべきではない。第三次世界大戦を招く愚行は、あなた方も本意ではあるまいだろう?」
フロンティア1号の開発に携わったベッグスが口を開く。
「あなた方の愚行が我々の、人類の、火星飛行を台無しにした。これは単に約250億ドルの一大国家プロジェクトの失敗を意味するのではない。人類史に残るはずだった偉業と夢が無に帰したことを意味する。月面で散っていった彼らには家族と火星への夢があった」
ドブルイニンはその言葉を聞き俯く。
「…...我が国は、私は、このような結果を望んではいなかった。ソビエトの代表として深く謝罪する」
席を立って深く頭を下げるドブルイニンに席に着くようハリトーフは指示する。
「謝罪する必要はない。あれは現地の独断だ。我々も被害者なのだから」
ワインバーガーは背もたれに体を預けぶっきらぼうに聞く。
「じゃあ、今後も我々が火星に向かおうとするたびにお前たちはそう言って邪魔をしに来るのか?」
"フッ"と鼻で笑うとハリトーノフは答える。
「それは、お互い様では?」
「なんだと...?」
会議室の空気が張り詰めたまま、数秒の沈黙が流れる。
その緊張を切り裂いたのは、シュルツの落ち着いた声だった。
「今日のところはここまでにしましょう。貴国の考えは十分に理解しました。今回の件はソビエトの意思ではないと伝えましょう」
「ご理解に感謝する」
ハリトーノフは浅く頭を下げるとすぐに部屋を退出しようとする。
「最後に、」
その背中にシュルツは言葉をぶつける。
「もし、もしも次に何かあれば、我々も月面での戦力を再検討せざるを得なくなります。次に火星を目指すのは、ただの科学者ではないでしょう」
「肝に銘じよう」
ハリトーノフは振り返らず退出する。
「デフコン2を解除します」
ホワイトハウスPEOCのオペレーターがそういうと同時に室内の全ての人間が安堵の溜息を漏らした。
その日、世界は第三次世界大戦の淵から、かろうじて踏みとどまったのだ。
だが、人類の宇宙開発史は、すでに探査や技術ではなく“力”によって塗り替えられ始めていた。