第一章 三話 太陽の招待状
部屋に戻った柊はそのままベットに倒れ込む。頭の中では母親の責め立てる声がまだ聞こえる。冷たい手を抱えむ。荒くなった呼吸はおさまらない。猫みたく丸まって布団を深く被った。
少し前に感じていた柊の心地よい居場所は、ボロボロと崩れ去った。
布団の中で今までの楽しかった記憶が流れてくる。
記憶を見るたびに柊の目に涙が浮かんだ。どうにかして嘘だと信じたかったが、あれが嘘だと証明しようがない。ただ喧嘩しただけで謝ればすぐに済む。なんて幸せな考え方ができるほど柊のメンタルは強くなかった。
たった一つの心の支えがなくなったのだ。そんな状況にあってすぐに立ち直ることができることに狂気さえ感じた。
霧みたいな触れられない虚無感に苛まれながらひたすらに手のひらを温め続けた。
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被った布団越しに窓の光を感じた。布団とシーツの間から顔だけを覗かせて時計を見た。正午前くらい。今日は土曜日だ。父がいる。起こしにくる。
いつもならドタバタと起き出してクローゼットに隠れたり、机の下に隠れたりする。 けれど今の私にそこまでの気力はない。起き上がる気にもならない。
起き上がれたら褒めてほしい。今の柊を褒める人なんか世界中を探してもいないだろうが。
ドアが激しくノックされた。父親だろうなとしか思わない。逃げたいけれど体が起き上がることはなかった。
「お前、おい降りてこい!」
父親の怒号がとぶ。扉が開けられた。ドカドカと入る人間B。
「いつまで寝てる!出てこい!」
胸ぐらを掴まれる。持ち上げられる。首が力無く後ろに倒れる。
「そろそろ目を覚まさんか!」
ぼんやりと開きっぱなしの扉を見た。
「母さんもつk____
扉からゆっくりと誰かが。
「________________」
目元がはれて、焦点の合わない目で、
母親が睨みつけている。
身の毛がよだつ。昨日の出来事がフラッシュバック。鼓動も呼吸も早まった。
気づけば人間Bを押しのけ人間Aを突き飛ばした。
階段を滑り降り、玄関に向かって必死に走る。
低い男の叫び声が聞こえる。
ドアノブをひねる。そのまま外へ。
息ができないほどになってようやく我に帰った。
足が酷く痛い。 見れば裸足になって、何ヶ所か切れていた。
膝にも擦り傷ができている。 息が全く整わない。苦しくって膝をついた。
逃げ出した。あまりに怖いものだから。
また人間Aの死んだような顔が浮かんだ。
青白くなった肌。光のなく、焦点の合わない目。
「ウグっ…」
思い浮かんで、喉の奥から異物が上がり込んで来る。
口元を抑えた。 ここは住宅街のど真ん中だ。こんなところにいては__
背後からドアの開く音がした。
居心地の悪い恐怖に駆り立てられてまた走り出す。
遠くに逃げなければ。_________
逃げ出しただけだ。
居心地の悪くなった場所から。
ずっとそうしてきたんだから、成功してきたんだから。
これが正しいはずだったの。
逃げてきた外の世界。太陽の光の下で。走る足の下で。
違和感を感じた。
「今度はなに…」
泣き出しながら訴えた。
地面が暴れ出した。
踏ん張りきれずに尻餅をつく。心臓がキュッとする。
バクバクと鳴り響いた。地面は揺れる。揺れている。
体が動かせない。体と心が離れてる。
(どうしよう、避難訓練なんて何年もしていない)
道路。コンクリート。真ん中。 置いて行かれた。
特に誰かがそばにいたわけでもないのに。
手をついた。四つん這いでどうにか地面にしがみつこうとした。
整備されたコンクリートにはしがみつく凹凸なんてないのに。
柊は泣いていた。
そばで石の砕ける音がした。
音の方を見る。
砕けた塀の瓦礫が襲いかかってきた。
一瞬だけ目に映った太陽の光。
瓦礫に塞がれて、見えなくなった。