第一章 二話 崩壊
スマートフォンを眺めながらご飯を待つ。 画面に映された数々の映像たちは柊の目を射止めることなくスワイプされていく。
今日は面白い動画はないみたいだ。 先ほど見ていたテレビは、もうリアルタイムでは見れないだろう。録画していてよかった。
足元に落ちていたリモコンを拾い上げ、例のクッションに体を埋めた。
大学生の兄は、友達と飲みにいくらしい。高校生の兄は塾で遅くなる。父親は残業。我が家の夕飯はいつも七時に始まる。こういう時は、ご飯が冷めてしまうので家にいる人が先に食べる決まりだ。
柊にとって父親と兄は、この安泰の居場所を壊しかねない。父親は私が学校に行かないことに不満を持っているし、兄たちは柊を腫れ物扱いする。自分と違ってこれといった長所のない柊に対してどう接すればいいのかわからないのか、それとも父親が何か吹き込んだのか。
なんにしろ居場所を構成するのは、柊と母親のみだ。滅多にない2人だけのこの時間は大切にしなければ。
「柊ー 出来たー 持って行ってー」
母親が呼ぶ。 素早く食卓に向かって丁寧に布巾でふいて、自分の分の夕飯を取りに行く。
ハンバーグの盛り付けられたお皿をお盆に乗せて持って行った。 ふと皿を見やる。 いつもよりも盛り付け方が雑に感じた。文句を言ったわけではない。
(疲れているのかな…)
母のフォローが足りなかったのかもしれない。
悔やみつつ、自分の増やせる仕事を考えた。 洗濯物とリビングの掃除、インコの世話。 他には何ができるだろうか。
柊が席につき、母親も柊の向かいに腰を下ろす。
「「いただきます」」
母親の様子がおかしい気がする。
確証はないが微かな違和感を、柊は感じていた。いつもにこやかな母親の口角が上がっていない。纏う雰囲気もどんよりとしている。母親を見ているうちに、違和感が確信に変わっていった。空気感に耐えかねて下を向いた。
「具合が悪いなら無理しないでねお母さん」
体調が悪いのなら残りの家事は柊が引き受けられる。これは母親とこの居場所を守るための行動だ。苦なことはない。
母親はゆっくりゆっくり料理を口に運ぶ。
普段の食卓は、柊たち家族の雑談の時間である。家族全体が集まるのがこの時間しかなかったためだ。夕飯の時間になると、兄たちは学校の話を聞かせだす。その話が特別魅力的なわけじゃないのに、母親と父親は楽しそうに聞き入るのだ。 父親は兄たちばっかり贔屓目で見るのに比べ、母親は柊を気にかけてくれている。
やはり母親が一番の居場所だ。
無性に母に感謝したくなって口を開く。だが目線をあげて、はっと息をのんだ。
母の目に輝きがなくなっていた。 無気力に伏せてしまっている
「お母さ____」
「柊」
呼びかけを遮られた。 喋ってはいけない。柊の心がストッパーになって口を開くことができなかった。
「___ 大通りに住んでる漆戸さん 引っ越したそうよ」
「え?」
母親はボソボソと言った。 急になんの話をしているの?
「__ あなたのクラスメイトの子は 引きこもりから回復した」
「待って お母さん…」
母親はやめない。
「_ お兄さんたちは学校の生徒会に入って苦手を克服してる」
「いいよその話は!!!!」
苛立って机を思いきり叩いた。コップの水がこぼれる。
「お母さんどうしたの?! なんで関係ない話ばっかりするの!!」
母親がおかしい。 今まで何も言わないでいてくれたのに、これまでが嘘のように話し続ける。
「あなたの周りは常に変化してるの」
母親が口を閉じることはしない。
父だ。父親が何か言ったに違いない。母親がこんなこと言うわけない。
柊は受け止められなかった。母親がおかしくなった。本気でそう思っていた。いつも何も言わずに、変化しない柊を認めていてくれたあの優しい母が。あんな死んだ顔で柊を失望させることを言うはずがなかった。
「今まで散々、休んだんだから、 ちょっとくらい変わろうとしなさいよ!!!」
母親が声を荒げた。
目の前がぐらつく。 体の中でドクドクと鼓動が響いて気持ちが悪い。 そこにいるのは本当に母親なのか。
母親ではなく悪魔でも立っているんじゃないか。そうだ母親じゃない。絶対に違う。
突然両肩にガッと衝撃が走る。 揺らいだ視界が視界が一点に集中する。
そこにいたのは、母親だった。
母親は我に帰ったのだろう。 柊の肩から手を離し、後退りした。両手を口に当ててこちらを見ている。
脳が母と認知した。柊は受け止められなかった。だが母だ。母親が今の今まで悪魔のように柊を襲ったのだ。掴まれた肩がゾワッとして耐えられない。気持ち悪い。冷や汗が出る。
母親が手を伸ばしてきた。 咄嗟に弾きかえす。 肩の感触が戻って体を抱えた。
「柊」
人間Aが、名前を呼んだ。恐怖が体を突き動かす。
その瞬間、柊は 居場所と幸せな時間を残して部屋へ駆け出した。