第58章「あかつきの束の間」
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第58章「あかつきの束の間」――喧騒の中に浮かぶ、静かな記憶。
命を賭けた闘い、巨大な陰謀、信じる者との絆。
それらすべてが過去と未来を結びつける中、今日は一日限りの休息日。
舞台は夢と歓声が渦巻く遊園地「二階堂ランド」。
絶叫マシンに興奮する者、穏やかな乗り物で癒される者、そして思わぬ再会で心揺れる者――
ただ「楽しい」だけでは終わらない、それぞれの視点と記憶が交差する物語が、静かに進行していく。
―二階堂ランド―
遊園地の入り口から程なく、絶叫マシンエリアに入ったひなたたち。
そこには、そびえ立つ巨大なジェットコースターが目の前に広がっていた。
「うおーっ!見ろよ、あの高さ!」
大海が大きく声を上げる。
香菜子もそれに応じ、興奮したように手を叩いた。
「サイコーじゃん!ねえ、みんなで乗ろうよ!」
しかし、その言葉にひなたは顔を青ざめさせ、そっと後ずさる。
「む、無理無理無理……あんな高いの、怖すぎるよ……」
香菜子がひなたを振り返りながら笑った。
「えー、ひなたちゃん、ここまで来て乗らないなんて、もったいないよー!」
「絶対無理……」
ひなたはきっぱりと首を振る。
「それなら、あっちの方が良いわ……」
彼女の視線の先には、レンガで作られた巨大な花壇があった。
美しい季節の花々が咲き乱れ、人々を癒しの笑顔をもたらしていた。
その様子を見ていた亮が、ひなたの隣に立ち、軽く肩に手を置いた。
「じゃあ、無理しなくていいよ。ひなたが乗れるものにしよう。」
「亮……」
ひなたは亮の言葉に安堵の表情を浮かべる。
「じゃ、ジェットコースターはパス組と楽しむ組に分かれるってことで!」
大海が手を挙げた。
「カナは行くよ!トーゼンじゃん!」
香菜子が即答する。
冴姫も静かに頷きながら、香菜子に続いた。
「せっかくだし、試してみるわ。見てるだけのつもりだったけど……」
柑奈は腕を組み、ジェットコースターを見上げると、小さく笑った。
「ふむ……高所からなら、何か見えるかもしれないしね。それに、たまには楽しむのも悪くないわ……」
こうして、ジェットコースター組は大海、香菜子、冴姫、柑奈の4人に決まり、意気揚々とそちらへ向かっていった。
ひなた、亮、京子、のぞみ、真緒、恭二がその場に残った。
亮がひなたに尋ねる。
「さて、ひなたは何に乗りたい?」
「えっと……そんな激しいのじゃなくて……」
ひなたが少し考え込みながら答える。
「じゃあ、あれはどうだ?」
亮が指差したのはコーヒーカップだった。
「うん、それなら……」
ひなたはようやく微笑み、頷いた。
「なら、私も行きますわ。」
真緒がひなたに続き、穏やかに言う。
「ウチも!なんかリラックスできそうやしな!」
のぞみも手を挙げた。
しかし、京子が腕を組みながら溜息をつく。
「……私も行くけど、奇数人だと余るわよね……」
その言葉に、少し離れていた恭二が歩み寄る。
「仕方ない、俺が付き合ってやる。」
京子が目を見開く。
「……え?土師さん、乗るんですか?」
「何か……あるのか?」
「べ、別に……」
少し不満げな京子だったが、結局二人はペアを組むことになった。
コーヒーカップエリアでは、それぞれが分乗していく。
「私たちはここね!」
ひなたと亮が一つのカップに座り込む。
亮が笑顔で言う。
「ゆっくり回すか、少しスピードを上げるか、どっちにする?」
「ゆっくりでお願い……!」
ひなたは慎重に答えた。
隣では、真緒とのぞみがカップに乗り込む。
「こんなの、普段乗る機会ないわよね!」
のぞみが楽しげにカップを回し始める。
「うりゃーっ!おりゃおりゃー!」
「のぞみ!そんなに強く回さなくても……」
真緒はそんなのぞみを見て微笑みながら、メガネを右手で押さえながら静かに座っていた。
そしてもう一組、京子と恭二が黙ってカップに腰掛けた。
京子は少し気まずそうに話しかける。
「……土師さん、本当に乗るんですね。」
「成り行き……という奴だ」
恭二は短く答えたが、視線はどこか遠くを見ていた。
(……似ている……恵美子に……)
恭二の脳裏に浮かぶのは、かつての妻・恵美子の顔だった。
目の前の京子の横顔が、その記憶と重なる。
(けど、本当に……京子なのか……?)
内心で葛藤を抱えつつ、恭二はカップを軽く回し始めた。
京子が少し訝しげに彼を見上げる。
「土師さん……?」
「なんでもない。」
恭二は短く答えた。
やがてコーヒーカップが回り出し、それぞれのカップから楽しげな笑い声が響き始めた。
ひなたと亮のカップでは、亮がペースを合わせながら慎重に回し、ひなたを楽しませている。
真緒とのぞみのカップでは、のぞみが無邪気に笑いながらカップを高速回転させていた。
一方、京子と恭二のカップだけは、どこか静けさが漂っている。
回り続けるコーヒーカップ。
その中で、京子と恭二が言葉を交わしていた。
恭二はハンドルを軽く回しながら、静かに尋ねた。
「いつも皆でこうやって?」
京子は少し間を置きながら答える。
「……たまに、ですね。」
「たまに?」
「……前にも話しましたけど、私、孤児院の出身なんです。友達もいなかったし……こんなふうに皆と出かけるなんて、考えたこともなかった。」
恭二はハンドルを回す手を止め、しばらく沈黙した後、ぽつりと呟いた。
「けど、今はたくさん友達がいるんじゃないのか?」
その言葉に、京子は少しだけ笑みを浮かべた。
「……付き合いです。ひなたと知り合ってから、こうやってるけど……やっぱり、まだ慣れない。」
「ひなたって……あの娘か?」
恭二は別のコーヒーカップに目をやる。
そこには、ひなたと亮が楽しそうに話しながら、慎重にカップを回している姿があった。
ひなたの笑顔には、どこかぎこちなさが残るものの、亮の優しさに支えられているのが見て取れた。
「……私の最初の友達。」
京子は視線を伏せ、呟いた。
恭二はその言葉に少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷いた。
「そうか……友達ってのは、大切だな。」
京子がちらりと恭二の顔を見上げる。
「恭二さんは?ご家族は?」
恭二はハンドルを回す手を一瞬止め、どこか遠くを見るような目をした。
「……一人だ。誰もいない。」
「……奥さんとかいないの?」
京子が慎重に問いかけると、恭二は短く息を吐き、少し硬い声で答えた。
「……亡くなったんだ……若い頃に……。」
その言葉に、京子は一瞬目を見開き、何か言おうと口を開いたが、言葉が見つからなかった。
代わりに、そっと視線を落とし、小さな声で言った。
「……ごめんなさい。私は最初から両親はいないから……気持ちわかるような気がします。」
恭二はしばらく沈黙していたが、やがてハンドルを軽く回しながら、低い声で答えた。
「ありがとう。」
するとふと、京子から笑みが漏れた。
「けど……なんか懐かしい……」
回り続けるコーヒーカップの中、恭二は京子の言葉に眉をひそめた。
「懐かしい、か……」
恭二が低く問いかけると、京子は視線を落としながら、どこか遠い記憶を思い起こすように答えた。
「私のいた孤児院……この近くなんです。」
その声には、懐かしさとほんの少しの寂しさが混ざり合っていた。
「孤児院……二階堂町のか?」
恭二が慎重に尋ねると、京子は小さく頷いた。
「そうです。そこからあかつき市に引っ越して、今は一人暮らしをしています。」
恭二はその言葉を聞きながら、胸の奥に何かが引っかかるのを感じた。
「二階堂町……この町の孤児院……」
思いを巡らせる恭二の表情が曇り、彼はためらいながらもさらに問いかけた。
「もしかして、それは『新生の家』じゃないか?礼拝堂もあるだろう?」
その言葉に、京子は驚いたように目を見開いた。
「ご存じなんですか?」
「……そこに、俺の妻の墓があるんだ……」
恭二は言葉を絞り出すように答えた。
「もう、何年も行ってないが……」
京子は驚きの色を隠せず、口元に手を当てた。
「偶然ですね……恭二さんって、クリスチャンなんですか?」
その問いに、恭二は少しだけ苦笑し、ハンドルを軽く回した。
「いや、違う。たまたまそこの牧師が顔見知りなんだ。」
「もしかして……丹羽牧師?」
京子が勢い込んで尋ねると、恭二は頷き、目を細めた。
「そうだ。お前も知ってるのか?」
「はい……!本当に世話になりました。丹羽牧師がいなかったら、私はここにいないかもしれません。」
京子の表情が和らぎ、目尻にはどこか懐かしむような光が浮かんでいた。
「……そうか。」
恭二の低い声には、抑えきれない感情が混ざっていた。
「奇妙な巡り合わせだな……」
京子も静かに頷きながら言葉を続けた。
「こんなことってあるんですね……それに、名前とかいろいろ……」
その時、京子の表情に微かな笑みが浮かんだ。
どこか幼さの残るその笑顔が、恭二の胸を強く締め付ける。
(やはり……京子……)
恭二は心の中でその名を繰り返しながら、カップのハンドルを握る手に力が入った。
彼の中に蘇る記憶の断片が、次第に1つの形を成そうとしていた。
目の前の少女が、かつての自分の失われた家族と深く繋がっているのではないか――。
恭二は目を閉じ、静かに心の中で呟いた。
(京子……お前は……)
その瞬間、カップが止まり、回想の扉が静かに開こうとしていた――。
お読みいただきありがとうございました!
本章は、アクションとサスペンスの狭間にある、束の間の“日常”を描いた章。
物語が一気に深まりを見せたのは、京子と恭二の会話にあったといえるでしょう。
それはただの他愛もない遊園地のひとときではなく――
「孤児院」「丹羽牧師」「新生の家」「失われた家族」
といった断片が、再び繋がりはじめる瞬間でもありました。
一方で、香菜子&大海の"チャラ兄妹"の明るさや、真緒とのぞみの「コーヒーカップ爆走」など、キャラクターの温度差が作品に緩急をもたらしています。
登場人物たちがふと「自分自身」を見つめ直すような、
"静かな物語の核心"に触れる章となりました。
次章からは、束の間の微笑みを断ち切るように、再び現実と非情が牙を剥きはじめます――




