第1章 砕かれた旋律(2025年2月7日改稿)
※2025年2月7日に改稿を行いました。
こんばんは。ご覧いただきありがとうございます。この物語「砕かれた戦慄」は、ある才能あふれる少女の儚い運命と、その想いを引き継ぐ者たちの物語です。音楽を通じて繋がる心の絆、そして彼女の残した旋律がどのように未来へ紡がれていくのかを描いていきます。
青春とともに刻まれる一つの旋律、その背後に潜む謎が少しずつ明かされていきます。どうか彼らの物語に温かい目でお付き合いください。
数日後。
夕暮れのあかつき学園は、静寂に包まれていた。碧唯ひなたは、水泳部の居残り練習を終え、更衣室で着替えを済ませていた。部員たちはすっかり帰宅し、ひなた一人で着替えをしていた。
「今日は遅くなっちゃったなぁ」
時計を見ると、すでに日が沈みかけている。ひなたは急いで荷物をまとめ、校舎を出た。
霧島山から流れる冷たい風が、彼女の頬をかすめる。霧島橋へと続く道は薄暗く、人影もまばらだ。
ひなたは橋に差し掛かるが、歩道の入り口に看板が立っているのが目に入った。
「歩道整備中?歩道の幅が狭くなってるわ……気をつけないと……」
歩道には工員や警備員はおらず、工事は中断されている様子だった。複数の小さなバリカーが歩道の行き先を示し、わずかな誘導照明だけが橋を照らしていた。
車道の往来はなく、通常通りだった。
そして、足元に注意しながら、狭い歩道を進んでいく。
「早く帰らないと…」
ひなたは足早に歩き始めた。その時、遠くから足音が聞こえてきた。振り向くと、小河佑梨が全速力で走ってくる。
「小河さん?こんな時間にどうしたの?」
ひなたは声をかけようとしたが、佑梨は焦った表情で彼女の前を通り過ぎた。その瞳には、何かに怯えるような色が浮かんでいた。
佑梨は誰にも聞こえないつぶやきを漏らした。
「私…あんな演奏…」
佑梨はバイオリンと弓を持ったまま、車道を全速力で走っていた。
それが歩道を歩いているひなたの気付きを遅らせたのだ。
「待って、小河さん!」
ひなたは後を追おうとしたが、その瞬間、背後からエンジン音が響いた。振り返ると、一台の黒い車が猛スピードで迫ってくる。
「危ない!」
叫び声も虚しく、車は佑梨に向かって突進した。ブレーキ音が響く。そして衝撃音とともに、佑梨の身体は宙を舞い、霧島橋の欄干を越えて川へと転落していった。川面が激しい水しぶきをあげる。
そして、佑梨が手にしていたバイオリンと弓は、橋のアスファルトに叩きつけられ、粉々に砕け散った。
「嘘…そんな…」
ひなたは足がすくみ、その場に立ち尽くした。車は一瞬停まったかと思うと、そのまま闇の中へと消えていった。
「小河さん!」
我に返ったひなたは、橋の欄干に駆け寄り、川を見下ろした。暗い水面には波紋が広がるだけで、佑梨の姿は見えない。
「助けを呼ばなきゃ…」
震える手でスマートフォンを取り出し、警察と救急に連絡した。しかし、言葉が上手く出てこない。震える声で状況を伝えると、パトカーと救助隊が向かっているとの返答があった。
ひなたは呆然と立ち尽くし、砕け散ったバイオリンの破片を見つめた。そして、再び佑梨が転落した川面に目を移す。
佑梨がうつ伏せのまま、赤い染みが広がっていく水面に浮き上がってきた。
パトカーや救急車のサイレンがこだまする中、ひなたは動かなくなった川面に浮かぶ佑梨を見続けていた。
その目には、涙が頬を伝っていた。
―翌朝―
朝の霧島タウンのひなたの自宅は静かだった。
両親と朝食を共にしていたが、ひなたの心は晴れなかった。
ジャムとピーナツバターのトースト5枚、黄身が6つある目玉焼き、特大のサラダボールに山盛りの野菜がひなたの目の前にあったが、それらにひなたは手をつけられずにいた。
ひなたはため息をついてつぶやく。
「小河さん……」
母親は寂しそうな顔で言う。
「食べないの?」
父親は神妙な面持ちで母親に告げる
「奈央子。無理もない、昨日の事がまだ辛いんだよ。」
「博之さん、ひなた休ませる?」
両親が話し合う中、ひなたは立ち上がり、弱々しく宣言する。
「いってきます。大丈夫だから……」
両親はただ、黙ってひなたを見送る。
ひなたは重い足取りで、玄関を出て学園への道を歩き始めた。
少しの時間が経ち、ひなたが到着したあかつき学園は深い静寂に包まれていた。
佑梨の悲劇を伝える校内放送が、スピーカーを通して流れている。
「昨日、一年生の小河佑梨さんが、不慮の事故で亡くなられました……ご家族のご心情に配慮し、葬儀には、私理事長が代表として出席を……」
廊下を歩きながら、ひなたはつぶやく。
「そうだ……渡瀬先生に……」
その足は音楽室へ向かっていた。
その頃の音楽室で、渡瀬は一人、ピアノの前に座っていた。ピアノの鍵盤の上には、2本のUSBメモリが置かれている。
そして、傍の小さなテーブルには、花柄のティーカップ、ティーポットが湯気を漂わせ、甘い紅茶の香りがかすかに部屋を包み込んでいた。
高級紅茶のロゴが印刷されている四角い缶と砂糖壺。2組のスプーンも鎮座している。
「小河さん……どうして……」
渡瀬は涙をこらえきれず、目頭を押さえた。彼女の才能に惚れ込み、未来を共に歩もうとしていた矢先の出来事だった。
「これが……私の……希望だった……」
USBメモリを手に取り、そっと握りしめる。
手に持ったときに、わずかに手が鍵盤を揺らした。
鈍く重いピアノの音が、音楽室に響きすぐに消えた。
「あなたの音楽は、私が守るからね」
その時、ドアが静かに開いた。ひなたが悲しげな表情で立っていた。幾分ふらついているようだった。
「渡瀬先生……」
「碧唯さん……どうしたの?」
「私、昨日……小河さんが事故に遭うところを目撃しました」
ひなたの声は震えていた。渡瀬は驚きの表情を浮かべ、彼女に近づいた。
「それは……辛かったでしょう。大丈夫?」
ひなたは涙をこらえながら頷いた。
渡瀬もうなづくとひなたに微笑んだ。
「とりあえず、落ち着きましょう。紅茶でも……。」
渡瀬はティーポットからカップへ紅茶を注ぎ入れる。
甘い香りがより一層強く感じられる。
ひなたは少しほほ笑んで言った。
「なぜ紅茶を?」
渡瀬は神妙な面持ちで言う。
「小河さんのルーチンだったの。砂糖を5杯も入るのが彼女流だったわ……。」
「へえ……甘党だったんですね。」
二人は紅茶を飲みながら、佑梨の事をやり取りしていた。
穏やかな時が流れる。そして渡瀬が再び口を開く。
「何があったのか、教えてもらえますか?」
「はい……。小河さんは、何かから逃げているようでした。そして、車に……川へ落ちて……バイオリンも……」
ひなたはできる限りの情報を伝えた。渡瀬は深く息をつき、彼女の肩に手を置いた。
「教えてくれてありがとう。警察にも話してくれたのね?」
「はい。でも、小河さんがどうしてあんなに焦っていたのか、わからなくて……それもなぜか車道を……」
渡瀬は一瞬、何かを考えるように視線を落とした。
そして、机の上のUSBメモリの一つを手に取り、ひなたに差し出した。
「これは、小河さんの音楽データを録音したものよ。あなたに受け取ってほしいの」
「私が……ですか?」
「ええ。彼女の音楽を、もっと多くの人に伝えてほしい。あなたなら、きっとそれができると思うの」
渡瀬が更に言葉を続ける。
「小河さんと碧唯さんの出会い。そして最期を見た……」
ひなたは息を飲んで黙り込んだ。
そこに更に渡瀬が付け加える。
「小河さんは、伝えて欲しいと思っていると思うの。きっと……」
ひなたは佑梨との出会いを思い出す
目を閉じ、演奏に没頭する佑梨の姿が脳裏に浮かんだ。
「私が……伝える……」
ひなたは戸惑いながらも、USBメモリを受け取った。
その目には、少しの涙が溢れる。
「わかりました。大切にします」
涙を拭いつつ、力強く答えた。
渡瀬は悲しみ半分の笑顔をひなたに向けた。
「ありがとう、碧唯さん」
「じゃあ、また後で……。」
音楽室を離れるひなた。
そしてひなたは、教室の前にいた京子へ事情を話した。京子は驚きと悲しみで目を見開いた。
「そんな……小河さんが……」
「私、何もできなかった…」
ひなたは涙をこぼした。京子はそっと彼女の手を握り、慰めた。
「ひなたのせいじゃないよ。でも、佑梨さんのために何かできることがあれば、一緒にやろう」
「うん、ありがとう」
―キーンコーンカーンコーン―
次の授業を告げるベルが鳴り響いた。
「じゃあ放課後に……」
「うん。音楽室ね。」
―放課後―
ひなたは京子を連れて、再び音楽室を訪れた。渡瀬はまだピアノの前に座っていた。
傍の小さなテーブルの紅茶セットも鎮座している。
音楽室は甘い香りが漂っていた。
「先生、私たちに何かできることはありませんか?」
京子が尋ねると、渡瀬は静かに微笑んだ。
「そうね……小河さんの音楽を、多くの人に届ける手伝いをしてもらえるかしら」
「もちろんです!」
ひなたと京子は声を揃えた。
三人は佑梨の音楽を広める計画を立てた。
学園内での追悼コンサートや、彼女の演奏を録音したデータを共有することなど、多くのアイデアが出た。
「小河さんの想いを、私たちが繋いでいきましょう」
ひなたは力強く言った。渡瀬はその言葉に深く頷いた。
「ええ、きっと彼女も喜ぶわ」
夕焼けが音楽室を染め上げ、三人の心を一つにしていた。
―その日の夜 ひなたの自宅―
その夜、ひなたは自室で手にUSBメモリを持ち、それを眺めていた。
「小河さんの……音楽……」
そして、意を決してUSBメモリをパソコンに差し込んだ。流れ出る美しい旋律に、彼女の心は癒されていく。
「小河さん、あなたの音楽は生きているよ。私たちが、ずっと繋いでいくから」
ひなたはそう誓い、静かに目を閉じた。
そして、彼女は流れる旋律に身を委ねていたが、不意に脳裏に佑梨の事故の光景がフラッシュバックされた。
「ハッ!」
思わず息を呑み、目を見開く。
「……けど、本当に事故だったのかな?けど……やけに鮮明だわ……」
彼女の胸に湧き上がる疑念。しかし、佑梨の音楽は変わらず穏やかに流れ続けていた。
ひなたはその旋律に耳を澄ませ、静かに目を閉じた。
佑梨の想いは、確かにここにある。そして、ひなたもまた、彼女の音楽を未来へ紡ぐことを心に決めた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この「砕かれた戦慄」では、音楽が繋ぐ絆を通じてキャラクターたちがどのように成長していくのかを表現しました。大切なものを失ったとき、人はどのように前を向くのか、残された人々がそれをどう未来に繋げていくのか。それぞれが背負った過去と未来への葛藤を込めました。
登場人物たちが、どのようにして彼女の音楽を守り、未来へ紡いでいくのか、今後の展開




