第9章 発端と過去 後編(2025年2月8日改稿)
※2025年2月8日に改稿を行いました。
こんにちは。今回のエピソードでは、前回に引き続き、麻倉真緒の家族に関する物語を描きました。
舞台となるのは麻倉家の和装店と自宅。
真緒が語る叔母・妙子との思い出を通じて、彼女の心の内に秘められた家族の絆と謎に迫ります。
幼いながらも、好奇心と家族への思いを糧に成長していく真緒の姿は、どこか懐かしさと温かさを感じさせます。
ぜひ、麻倉家の過去と、それに絡む人物たちのドラマをお楽しみください。
週末の午後、あかつき市の南あかつき通りにある「麻倉和装」には、客がひっきりなしに訪れていた。
店内は和の落ち着いた雰囲気に包まれ、美しい着物が並び、華やかさが漂っている。
店内に設けられた臨時の茶席では、真緒、のぞみ、そして真緒の父・健司がゆったりとお茶を楽しんでいた。
のぞみは真緒に視線を移し、心でつぶやきを漏らした。
(どういうこっちゃねん……)
そして、真緒に尋ねる。
「真緒?叔母さまって……?」
真緒は少し目を伏せ、遠い目をしながら話し始めた。
「それは……私が小さかった頃の話なの」
その言葉をきっかけに、真緒の記憶が過去へとさかのぼる。
―真緒7歳の頃 麻倉邸にて―
真緒がまだ7歳だった頃。ある日の夕暮れ、麻倉家の和室には緊張感が漂っていた。
古風な日本家屋の中で、夕日が障子越しに差し込み、静けさの中に家族のひそひそとした会話が響く。
「帰ってくる?義妹さんが?」
健司が驚きの表情で呟いた。
清美も信じられない様子で口を開く。
「ニューヨークから?」
「妙子姉さんが?」
清太郎も驚きを隠せない。
志津子が眉をひそめ、少し不安そうにため息をつく。
「出ていったきりだったのに……突然」
清も深刻な表情を浮かべ、静かにつぶやく。
「なんのためじゃ……」
真緒は、その会話を見つめながら、全く知らない名前に戸惑いを感じていた。
「お母様?妙子さんって誰なの?」
清美が真緒に穏やかに微笑みかけ、答える。
「私の妹よ。つまり、真緒の叔母さんになるの」
真緒は驚きの表情を浮かべる。
「知らなかった……。どうして?」
健司が少し申し訳なさそうに言葉をかけた。
「真緒が生まれる前に家を出てしまったから、知らなくて当然なんだ」
真緒は少し不満げに尋ねる。
「けど、どうして叔母さまの話を誰もしなかったの?今まで一度も聞いたことなかったのに」
家族たちは一瞬黙り込み、口を閉ざしてしまった。その沈黙に、真緒の小さな胸には説明のつかない不安がじわりと広がっていく。
そのとき、突然外からエンジン音が響き、車が止まる音が続いた。
しばらくして玄関の引き戸が静かに開く音が聞こえ、足音が近づいてきた。
やがて、静まり返った和室の障子が音を立てて開かれ、そこに立っていたのは、洋風の服をまとった堂々とした女性、妙子だった。
背が高く、少し疲れを感じさせながらも、どこか気品ある微笑を浮かべている。
「ただいま。ちょっとだけ戻ったわ。すぐに行かなくちゃいけないけど……」
妙子はさらりと告げたが、その声には余裕と風格が漂っていた。
清美は少し戸惑いながらも答える。
「ええ……もうずいぶん経つわね」
妙子は家族を見渡し、ふと真緒の方に視線を移して言った。
「あら?生まれていたのね」
清美が娘の背中に手を添え、軽く微笑みながら言った。
「ええ、もう7歳になったのよ」
妙子は真緒を見つめ、意味ありげに呟いた。
「そう……でも、名前が違うのね」
真緒はきょとんとし、首を傾げる。
「?」
妙子はそんな真緒に視線を向け、静かに言葉を続けた。
「お父さんも知ってるでしょ。麻倉家では子供には『清』の字をつけるのが慣わしだってね」
清はばつが悪そうに視線を逸らし、志津子も言葉を失った。
妙子は、少し遠い目をして呟くように言った。
「私が女だったから?清美姉さんの次は、男の子が生まれると思っていたんでしょ?でも、私は……」
清が苦しそうな表情を浮かべ、「すまない……妙子。あのとき、私は……」と静かに謝った。
志津子も申し訳なさそうに視線を落とし、「妙子……私たちは、あなたを……」と小さな声で続けようとするが、妙子はそれをさえぎるように微笑んだ。
「微妙な娘とでも思ったのかしら?だから『妙子』……違う?」と、少し皮肉げに呟いた。
清と志津子はそれぞれに言葉を失い、妙子の言葉を受け止めているようだった。
妙子はその反応に、ふと小さなため息をつき、真緒に目を移してから優しく問いかける。
「けど、そこのおチビさんにはなぜ『清』がついていないの?」
健司が静かに答えた。
「それは私の子供だからです、妙子さん」
清美も少し誇らしげに言葉をつなぐ。
「本当はお父さんが『清良』とつけるつもりだったの。でも健司さんが反対して……」
健司は言う。
「けど、お義父さん……これで、わかりました。あなたが、なぜ真緒の名前に……」
清は目を伏せる。
「……。」
妙子は少しだけ驚いた顔を見せてから、柔らかく微笑んだ。
「幸せそうね……おチビさん?」
真緒は何も答えられず、ただ妙子を見上げていた。
妙子は、真緒の目に映る自分を見て何かを感じ取ったかのように一瞬目を細めた。
そして、妙子は再び家族に背を向けた。
「さて……もう行くわ。忘れ物を取りに来ただけだから」
そして、踵を返して静かに部屋を出ていった。
その背中を見つめる家族の誰もが、言葉をかけられず、ただ黙って彼女の姿が遠ざかるのを見送るしかなかった。
突然、真緒がふらりと立ち上がり、妙子の後を追うように歩き出した。
(叔母さま……どんな人だろう……?)
「真緒!」
清美が驚いて声をかけたが、真緒はその声に振り返ることなく、妙子の後を追って、静かに廊下を歩き出す。
廊下を歩く、大きな妙子の背中を見つけると、小さな声で真緒はつぶやいた。
「叔母さま……?」
その言葉が妙子に届いたのか、彼女はふと振り返り、真緒を見つめて鋭い視線を向けた。
真緒は一瞬驚いたが、すぐに妙子に言う。
「忘れ物って……何?」
妙子は無表情のまま、真緒に向かって淡々と告げた。
「本よ」
「本?」
真緒は首をかしげたが、妙子はそれ以上答えず、再び歩き出した。不思議そうな顔をしながらも、真緒は妙子の後を追う。
二人が渡廊下を進んでいくと、やがて古びた離れが見えてきた。
渡廊下の先にある障子の前で、妙子が足を止める。彼女は少し遠い目をしながら、静かに言葉をつぶやいた。
「ここは……私だけが、過ごした場所」
もちろん、続けていきます。
妙子が障子をゆっくりと開け放つと、中には埃が積もった和室が広がっていた。
そこは昔のままの姿で、古い書斎のような一角にびっしりと本が並んでいる本棚があった。
筆記用具もそのまま置かれており、かつての妙子の気配が残る場所だった。
「……あの時のままだわ」
妙子はそうつぶやき、懐かしそうに本棚を見回した。
埃まみれの本棚の中から、妙子はやがて二冊の古い本を引き出した。
並んでいたそれらの本は、表紙がすっかりくすんでおり、長い間手入れされていなかったことがわかる。
真緒は妙子が手にした本を見て、ふと疑問に思い声をかけた。
「同じ本なの?」
妙子は真緒に視線を向け、淡々とした口調で言った。
「おチビさんにはわからないわよ」
そう言いながら、彼女はそっとメガネを直し、手にした本の表紙を指で軽くなぞった。
真緒は妙子のその仕草を見て、妙子のメガネに視線を向けた。
「……」
妙子はその様子を察して告げる。
「珍しいのか?」
「……」
そした、妙子は本の表紙に目を移した。
そこには『真空中における音波伝達』と書かれていた。
著者名はエドワード・ゴールド・スミスと記されている。
真緒は本のタイトルを見て、さらに不思議そうな表情を浮かべた。
「叔母さま?どんな本?」
妙子が少しほくそ笑む。
「そんなに知りたいのかい?おチビちゃん?」
真緒は頷き、妙子をじっと見つめる。
「うん、知りたい……叔母さまのことも、どうして家を出てしまったのかも……」
妙子はしばらく真緒の顔を見つめてから、ふっと微笑んだ。
「そうね……子どもにわかることじゃないわ。でも、その好奇心だけは持ち続けておきなさい。いずれ、そのうち……わかるかもしれないわよ。」
妙子が二冊の本を確認してから、少しほくそ笑みながら、二冊目だけを手にして部屋を出ようとした。
真緒は一冊目の本を見て、妙子の後を追いかけようと立ち上がる。
「叔母さま、それ、置いていくの?」
妙子は振り返りもせず、冷たく言い放った。
「その本はあげるわ。もう私には必要ないものだから」
そうして、静かに歩き出した。
真緒は妙子の背中を見て、一瞬迷ったが、やがて意を決して足を踏み出そうとする。
しかし、突然胸の奥が締め付けられるような痛みを感じて、動きが止まってしまった。
心臓が早鐘を打つように脈打ち、息が苦しくなっていく。
「はぁ……はぁ……」
動きたくても、どうしても体がいうことを聞かない。
その間にも妙子の足音は遠ざかっていき、外でエンジン音が響き、車が走り去る音が耳に入る。
真緒はその場に立ち尽くし、呼吸を整えながら、妙子の言葉や背中を思い返していた。
自分を気にかけず、ただ背を向けて去っていった叔母。
しかし、なぜかその冷たい態度に、余計に妙子への興味が湧いてきた。
真緒の中で、幼い好奇心が別の何かへと変わり始めていた。
叔母の過去、家族の秘密、そして自分の知らない家族の一面——知りたいという気持ちが、真緒の胸の内で静かに燃え上がっていくのを感じた。
―そして、現在。麻倉和装―
真緒はふと、目の前の湯呑みに目を戻し、静かに息を整えた。隣に座るのぞみが優しく問いかける。
「真緒……それで、叔母さまのこと、どない思たん?」
真緒はわずかに微笑みを浮かべ、遠くを見つめるような表情で言葉をつなぐ。
「妙子叔母さまがどんな人なのか、今でも正直わからないの。でも、あの時からずっと気になっているの。どうして出て行ったのか……」
真緒の視線が本棚の片隅にある一冊の古い本に止まる。
今ではすっかり色褪せたその本が、当時の記憶と妙子への気持ちを忘れないようにと、彼女の手元に残されていた。
「好奇心から始まったけれど、今は……知りたいって気持ちが強くなってるの。叔母さまが抱えていたもの、私が知らない家族の一面を」
その言葉に、健司がそっと目を伏せ、穏やかな声で応えた。
「真緒、君がいつかその答えを見つけられるといいな」
店内の静かな空気に包まれ、茶室でのお茶会は再び穏やかさを取り戻していた。
のぞみが真緒と健司の様子を見て、ふと呟きを漏らした。
「難しいねんな……人はわからんもんやわ……」
お読みいただき、誠にありがとうございます。
今回の物語では、麻倉真緒の視点から叔母・妙子という謎めいた存在を描きました。
真緒の子供らしい素直な好奇心と、家族が抱える複雑な思いが交錯する様子を通して、人が大切なものを守ろうとする心の葛藤を表現しました。
妙子というキャラクターは、家族にとって近くて遠い存在であり、彼女の行動や言葉には多くの謎が残されています。
その中で、真緒が幼心に抱いた「知りたい」という感情が、やがてどのような形で実を結ぶのか――それはこの物語の未来に続く重要なテーマの一つです。
また、物語の終盤で触れた「本」という象徴は、妙子が抱えていた過去と現在を繋ぐ鍵のような存在です。
この本が、麻倉家や真緒にどのような影響を与えるのか、今後の展開を楽しみにしていただければ幸いです。
是非、感想や質問をコメントしていただけると、今後の製作の励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




