王宮の歪みとその結果(後編)
アーサーはソフィアの言葉を聞いた後も不安そうにしていたが、アドレイドとシェリルは笑いを収めて、心の中で彼女に同意していた。ジルヴェストが盛大に道を踏み外したことで、帝国の両輪は警戒心を強めている。アーサーは賢い子供だし、彼らが付いているのなら厄介なことにはならないはずだ。そんなことを考えながら、アドレイドは彼に近づいて声をかけた。
「さ、アーサー。そろそろお部屋に戻りましょう。もう遅くなってしまったけれど、少しでも眠っておかなくてはね。貴方には、明日の予定もあるのですから」
少年が、母を見上げて無言で頷く。そして2人が手を繋いだ瞬間に、少し離れた場所から掠れた声が聞こえてきた。
「……待て。待ってくれ。……その。俺も一緒に、行っていいか」
その言葉は、流石に予想外だったのか。2人の動きが止まる。アドレイドは振り返らずに、淡々とした声で答えた。
「別に、無理に来ていただかなくとも構いません。それにアーサーはともかく、アリスは先に寝ていますわ。貴方が本当に、本気で子供たちと向き合う気があるのでしたら……子どもたちが起きている時に、会ってやってくださいませ」
その言葉を残して、彼女はアーサーと共に後宮の奥に消えていく。その背を見送ってから、シェリルはソフィアに向かって丁寧に一礼した。
「では、ソフィア様。私もこれで、失礼します。……あなたの言葉は正しいけれど、あまりジルヴェストを追い詰めないでやってね。この人がこうなった責任は、私達にもあるのですから」
そうして彼女も去っていき、その場にはソフィアとジルヴェストだけが残される。ソフィアは黙って、後ろを見た。彼は俯いていて、その表情は分からない。
「……ねえ、ジル。あなたもとっくに、気づいているんでしょう? アドレイド様とシェリル様は、ずっと前から……あなたのことを、考えてくれていたんだって」
「…………ああ」
ひび割れた声で彼が答える。ソフィアは立ち上がって、彼の前まで歩いていった。その間にも、彼の言葉は止まらない。
「分かっている。……それでも、どうしても。ダメなんだ。満たされない。お前がいい。お前とクリスさえいれば、他はいらないとさえ思ってしまう」
「でも、それじゃあ」
「それも、分かっている。……お前の言うとおりだ。アーサーもアリスも、クレアもリリーも。間違いなく、俺の子だ。クリスと同じ。……大切だとは、思っているんだ。愛おしいとも。それでも……」
パタリと、床に水滴が落ちる。それはジルヴェストの涙だった。どうにもできない感情に突き動かされて、彼は静かに泣き続けている。
「それでもクリスが、1番可愛い……。その子の髪も、瞳も、笑ったときの顔も。お前に、とてもよく似ているんだ。どうしようもない。俺はその子を見ているだけで、お前を相手にしているような気がしてしまう。……どうすればいいんだ。どうすれば俺は、割り切れる。お前のことも、その子のことも……本当に、心の底から愛してしまっているのに……」