訪れし波乱の日(後編)
その日の夜に、ソフィアは急に苦しみだした。ジルヴェストが、すぐに医師を呼びつける。予定より早い出産に、彼女の部屋は上を下への大騒ぎになった。バタバタと人が行き交う足音を耳にして、少女が目を開ける。彼女は側にいる皇帝を見て、安心したような笑みを浮かべた。
「……ジル……ふふ、おかしいの……皆、大変そうにしてるのに……私はこうして、ただ寝ているだけだなんて」
「ソフィア。お前が1番大変だろう。子を産むということは、決して楽なことではない」
それは常に命の危険と隣り合わせになる大仕事だ。彼女とて、察していないわけがない。それでも。
「……大丈夫。私なら、平気よ……?」
そう言って微笑んだ彼女は、ジルヴェストにとって誰よりも美しいと思えた。彼はベッドの側で膝をついて、彼女の手を握ってやる。
「ソフィ……俺の愛しい妻……。俺はここにいる。お前の側に、ずっと。たとえ何があろうとも……」
彼女の息づかいが聞こえてくる。少しずつ荒くなっていくその音を耳にして、彼はその手を握る力を強めた。周囲の喧騒が大きくなる。温かなお湯が用意されて、清潔なタオルがその横に並べられた。その時は、もうすぐそこまで迫っている。
「……う、あ」
ソフィアが苦しみ始める。医師が生まれてくる子を受け止めようとして、その手を差し出した。
「……ああ……っ!」
やがて。彼女が大きく息を吐き出すと同時に、医師は赤子を取り上げた。その体を清めながら、医師が小さな声で告げる。
「おめでとうございます、陛下。ソフィア様も。立派な男の子が、お生まれになりました」
その瞬間の喜びと、それに伴う緊張を、ジルヴェストは生涯忘れないだろうと思った。
「……間違いなく、男か」
「はい。ソフィア様に似た、小麦色の髪の男子でございます」
医師は密やかな声で答えた。室内がしんと静まり返っている。この部屋で忙しく働いていたのは、全てナディアだ。ジルヴェストは愛する女とその子供を守るために、その力を振るっていた。
「分かった。このことは、口外するな。コンドレンとミルワードにもな」
ジルヴェストの命令を聞いて、その場にいた者たちは一斉に頭を下げた。少し落ち着いたソフィアが、不安そうな表情で彼を見る。
「ジル……? どうしたの? 赤ちゃんに、何かあったの……?」
「いいや、何も。何もないとも、可愛いソフィア。元気な男の子が産まれたそうだ。良かったな」
皇帝はそう言って、少女に笑いかけた。彼女が安堵の息を吐く。
「……そう。良かった……」
そうして彼女は目を閉じた。その寸前に。彼が表情を消して、医師に何事かを指示していたことには気づかずに。