プロローグ
都の喧騒が聞こえてくる。ソフィアは馬車の中から、外を見た。
(……人が、多い)
彼女は辺境の小国、オルグレンで生まれ育った。王女とは名ばかりで、中身はただの田舎娘だ。ただ、それでも。王女の務めは、果たさなければならない。
(これから私は、帝国に嫁ぐ。顔も知らない男の妻として、後宮で一生を過ごすのね)
供はいない。彼女自身が断った。オルグレンから帝国まで、馬車でも1ヶ月以上はかかる。簡単に往復できるような距離ではない。
『故郷と家族から引き離されるのは、私だけでいいわ。1人でも、自分の世話くらいはできるもの』
彼女はそう言って国を出てきた。その選択は間違っていなかったと思いながら、王宮の裏側に馬車を回す。そこで彼女は、車から下りた。
「何者だ」
「ソフィア・オルグレンです。東の小国から参りました」
彼女はそう言って、門番に王からの手紙を渡した。門番が手紙に目を通す。そして彼は、眉を上げて彼女を見た。
「報告にはあったが、本当に1人で来たのか」
「オルグレンは小国ですもの。身の程は弁えておりますわ」
「そうか。……確認は取れた。通るがいい」
門番とそんなやり取りをして、彼女は王宮の中に通された。広い城内を、大勢の召使いが行き交っている。
「少しいいかしら。後宮まで、案内していただきたいのですけれど……」
彼女は仕事を終えたばかりの召使いを呼び止めて、手紙を見せた。召使いは納得したような様子で頷く。
「分かりました。こちらへどうぞ」
「ありがとう」
召使いに連れられて、彼女は王宮の最奥にある扉の前に立った。
「ええと、ここから先は……」
「私が案内しましょう」
扉の前で戸惑っている召使いに、男が声をかけた。ソフィアは声が聞こえた方向に、視線を向ける。そこにいたのは、柔和な笑みを浮かべた青年だった。長くたなびく銀髪に、透明な碧い瞳。彼の顔を見た召使いが、驚いた様子で声を上げる。
「陛下! お仕事は、よろしいのですか?」
「ええ。ちょうど時間が空きましたので」
ソフィアは彼を見つめた。ジルヴェスト・フィル・エリアス。人格者と名高い皇帝陛下。
(そして、私の夫となる方……)
整った顔立ち。穏やかな物腰。愛のない政略結婚であっても、彼の妻になりたいと願う者が後を絶たない理由が分かる。それほどに、彼は魅力的な人だった。
(……つい、期待してしまいそうになるけれど。私では、彼に見向きもされないでしょうね)
ジルヴェストの横顔を見つめて、ソフィアはため息をついた。彼はソフィアの目を見返して、笑みを深めた。