24.返る時と帰る時
「もうすぐ王都に戻る日ね。そろそろ最終物語を始めようかしら」
シェリーはひっそりと笑った。
アンが貸してくれたカスティル温泉地の物語は、シェリーを歓喜に震わせた。
『いいわ…最高よ!こんな事が現実に起きたら、何て面白いのかしら…!』
『ドッキリ⭐︎湯けむりハプニング
〜カスティル温泉地は恋の始まり〜』
物語のタイトルから心がざわめく。これは自分が作る物語の参考書として、これ以上の物はないだろう。
――温泉での数々のハプニング。
女風呂と間違えて男風呂に入るヒロインのハプニング。
混合風呂では専用服が流されるハプニング。
湯上がりお色気ハプニング。
どれひとつ取っても、最高の仕上がりになるだろう。
実はシェリーは今までも、ぼんやりと領地生活を過ごしていた訳ではない。ケネスとフルーリリの物語を作ろうと、手を抜かずに何度もイベントを仕掛けてきた。
だが、エリックがピッタリとフルーリリに付いていて、イベントが発生する前に終わらせてしまうのだ。
しかし、今こそ本気を出す時がきた。もうすぐこの領地生活も終わってしまう。
――今度こそやり遂げてみせる。
うふふふふふ…
低く暗い笑みを浮かべて、シェリーはこれから起きるイベントを想像してゾクゾクと身を震わせた。
「さあ、仕掛けは完璧ね。あとは獲物を待つだけだわ。うふふ」
にこにこと嬉しそうに温泉脱衣所でシェリーが笑う。
後は最終確認だ。
手元のメモを見ながら、見落としはないかと確認していると、そのメモをスッと引き抜かれた。
ハッとして顔を上がると、冷たい微笑みを浮かべたエリックが、メモを片手に立っている。
「…シェリーさん、ここに書いているメモは何だろう…? ケネスを呼び出した後、男湯と女湯の看板を取り替える事。…ケネスの着替えを露出の高い物に取り替える事。…フルーリリの専用服の一部を切っておく事。
…ねえ。シェリーさん、これってどういう事だろう。僕に分かるように説明してくれるかな…?」
『ヤバいわ。この子の目、完全に正気じゃないわ。ここは引いて逃げるのみね。』
シェリーがサッと身を翻して足を踏み出した時、ガクリと膝から崩れ落ちた。
――身体が動かない。
「…ねえ、シェリーさん。この前のお香、使ってくれました?これ、すごく良いでしょう?身体の神経を少しずつ壊してくれる効果が見られるんですよ。
シェリーさんの治癒魔法を使うのと、身体中の神経が壊れるのと、どちらが早いか知りたいと思いませんか…?フフ…」
紅い眼が、シェリーを見つめて微笑む。シェリーは喜ぶ事も恐怖で震える事も出来ず、ただ身体を床についたまま身動きひとつ取る事ができない。
『これが紅眼の呪いなの…?』
遠のく意識の中、シェリーは紅い眼を見つめ続けるしかなかった。
シェリーが意識を取り戻したのは、王都に帰る前日の事だった。
「もう、びっくりしたわよ。シェリー、こんなに寝込むまで温泉につかるなんて。いくら美容に良いからといっても、本当に無謀過ぎるわよ」
「ごめんね、フルーリリ…」
シェリーはフルーリリに、弱々しい声でひと言謝ることしか出来なかった。
フルーリリの後ろには、冷たい目で自分を見つめるエリックが立っている。今余計な事を言っては、せっかく生きて戻れたのにトドメをさされてしまう。
ここは黙っておくのが正解だろう。
「シェリーさん、本当に心配しましたよ。これからは無謀な事は止めてくださいね」
笑わない目で微笑み、冷たく響くエリックの言葉に、シェリーは今は大人しく素直に頷くしかなかった。
「あ。そうだわ」
王都へ向かう馬車に乗り込む前に、シェリーは思い出したことをケネスに伝えた。
ケネスには同僚のよしみで、大事な情報を教えてあげる事にしたのだ。
「ケネス、あのお香に気をつけなさい。私は意識を失う寸前、全ての魔力を使って自分に治癒魔法を展開させたから生き返れたけど、ケネスだったら確実に戻れなかったわよ」
「………」
どこから戻れないのだ、とは聞けない。
――あの男…やっぱりあの男は正気じゃない。
ケネスの背筋に冷たいものが走る。次はおそらく自分だろう。
「お前…何やったらそんな目に合わされるんだよ…」
「うふふ。ちょっとね」
シェリーは可愛く笑って馬車に乗り込んだ。
馬車の中、フルーリリが楽しげにダランソンに話しかける。
「先生、領地は楽しめましたか?」
「おお、お陰様でしっかり楽しめたぞ。フルーリリ嬢とあまり一緒に遊べなかったが、みんなで楽しく過ごせたかの?」
「はい!リックもシェリーもケネスも、みんなとても仲良くなったのですよ。シェリーが倒れた時は、リックもケネスも心配でずっとついてあげてたんですって。みんな優しい子に育ちましたね」
「ほっほっほ。そうかそうか。それは嬉しいことだのう」
シェリーが深い眠りについていた時。
シェリーが目を覚まして、余計な事を言わないようにエリックは監視していた。
ケネスはシェリーを見ていたわけではなく、エリックの動きをずっと注視していた。
次に狙われるのは自分だということを分かっていたからだ。土気色の顔色で、まるで息をしていないかのように、静かに眠り続けるシェリーの姿は他人事とは思えなかった。
時計の針の音だけが響く沈黙の時間は、地獄のような時間だった。結局師匠はただ飲んだくれていただけで、害虫駆除も魔法素材集めも全て1人でこなした。
『これも修行のうちだ』
そう自分を騙しながら、ケネスはやるせない思いを誤魔化した。
もうすぐエリックが学園に入学する。
生き返る時と、王都へ帰る時。




