20. 姉弟の時間
「リック、まだ寝てるの?朝の散歩に行かない?」
領地に着いた翌日の朝、エリックの部屋にフルーリリが尋ねてきた。
昨夜あまりにも腹が立ち過ぎて、明け方まで眠れなかったエリックは、寝不足でぼんやりとした頭で身体を起こした。
「リリ姉さん…?僕を誘いに来たの?」
「ええ。昨日はよく眠れなかった?久しぶりの領地だものね。もう一度眠っておく?」
「いや、起きるよ。一緒に散歩をしよう」
昨日の朝、シェリーがカスティル家に到着した時から2人の時間は皆無だった。せっかく呼びに来てくれたのに、置いて行かれたくはない。
たとえ邪魔な奴らが一緒だとしても。
エリックの寝癖を櫛でとかして治してあげながら、フルーリリがエリックに相談する。
「今日は何をしようかしら?ダランソン先生は昨夜からずっと飲んでいるし、ケネスは葡萄畑の害虫駆除をしてくれるようだし、シェリーはアンに借りた本が面白いから読書したいんだって。2人で街に買い物に行ってみる?それとも屋敷で私達も本を読む?」
「街に行こう。領地の街はのんびりしてるから、お店もゆっくり覗けるしね。街の様子も後で父様に報告しておきたいし」
エリックはフルーリリの誘いに即答し、急に元気になった。
姉が買い物に誘う事は珍しい。王都での人混みが苦手で、外に買い物に出ることはほぼ無いし、領地に来た時も、いつもゆっくりと屋敷の中で過ごす事が多い。
本当に珍しい事なのだ。
手早く外出の準備をして、邪魔が入らないようにすぐに出かけた。食事は街で取ればいい。
馬車の中で機嫌良く窓の外を眺めるエリックの様子を見て、フルーリリは少しホッとしていた。
フルーリリが学園に入ってから、エリックはいつもどこか焦るような様子を見せていた。
14歳という年齢で薬草学教授に就き、遊ぶ間も無くもうすぐ学園に入学する。その前に少しでもゆっくりしてほしいと領地に行く事を提案したのだ。
意図した訳ではないが、シェリーとケネスも同行する事になり、喜ぶかと思っていたが、昨日のエリックはいつも以上に暗かった。
「はい、リック。まだ朝ごはんも食べていないでしょう?このスコーン、私が今朝焼いたのよ。中にジャムが挟んであるわ。私とリックが一番好きな、ピピリーのジャムよ」
ピピリーの実はエリックの瞳と同じ色の、鮮やかな紅い実で、前世のラズベリーに似た味をしている。自分が一番好きなフルーツで、エリックも自分と同じように好物だ。
「リリ姉さんが作ってくれたの?」
「そうよ。昨日眠るのが早かったから、今朝早くに目が覚めちゃって。厨房を借りて焼いたのよ」
優しく笑う姉の顔を見て、エリックの昨夜からの怨念に近い怒りが溶けていった。
あんな魔法使いの男に邪魔されるなら、いっそ全てを呪ってやりたいと、追い詰められるような心地でいたが、フルーリリの手作りのスコーンの味は、そんな邪悪といっていいほどの思いを綺麗に消してくれたのだ。
『こういうところがリリ姉さんのズルいところだ』
そう思いながらも、久しぶりにスッキリとした気持ちで姉にお礼を言った。
「凄く美味しいよ。ありがとう、リリ姉さん」
ケネスと話さないでほしいとか、シェリーを自分に近づけないでほしいとか、言いたい事は沢山あった。
だが、『そんなお願いをするより、あの2人を自分でどうにかした方が早い』と暗い瞳で静かに笑い、フルーリリには思うままでいてほしいと、何も言わない事にした。
そんなエリックの殺意に近い思いを、敏感な魔法使い達が気づかない訳はなく、2人はすでに自身に強力な保護魔法をかけていたが。
そのように久しぶりに穏やかな時間を馬車で過ごし、街に着いた。
小さな街なので、王都ほど洗練された物があるわけではないが、ワイン専門店や可愛い雑貨店などは多い。
フルーリリは特に欲しい物があった訳ではないので、皆んなのお土産でも買おうとお店を回った。
「ダランソン先生と執事のマシューには、ワインじゃなくて葡萄ジュースを買ったし、アンには領地で流行っている物語を買ったし、シェリーとケネスにはお香立てね。お香はエリック特製の物を用意してくれたから、買わなくても良さそうね」
皆んなのお土産を選べて、買い忘れがない事を確認すると、フルーリリ達は満足して帰途に着くことにした。
帰りの馬車の中で、フルーリリはエリックに小さな紙袋を渡す。
「はい、リックにもお土産よ」
「僕にも?」
にこにこと笑うフルーリリの前で紙袋を開けてみる。
中には、領地の名産である葡萄が隅に刺繍されたハンカチだった。
「私もお揃いのハンカチを買ったのよ。もし嫌な事があった時は、このハンカチを見て今日の楽しい日を思い出しましょう」
エリックは心からのお礼を言う。
「ありがとう、リリ姉さん。大事にするよ。いつも身につけてお守りにするよ」
「お守りの効果があると良いわね。私もそうしようかしら」
ふふふとフルーリリは、いつものように優しく笑った。
夕食時。みんなが揃った席で、2人はお土産を渡す。
ダランソン先生も、マシューもお土産を喜んでくれたし、アンも領地で流行る物語に興味を見せていた。
シェリーとケネスはお香立てにはまずまずの反応だったが、お手製のお香をエリックが手渡すと、2人はピシリと固まっていた。
「フフ…ケネスさんも、シェリーさんも、日頃からとてもお世話になってますからね。特別に力を入れてお香を作りましたよ。是非使ってくださいね」
「おお、エリックも優しいのぅ。ケネス、シェリー、お香を焚く時は、自分の部屋で1人で焚くようにな。くれぐれも研究室で焚くんじゃないぞ」
「師匠……」
ヤバい予感しかしないお香の危険から、1人ダランソンは抜け出した。




