4.脳内乙女ゲームの始まり③
ヒーローはいつでも颯爽と現れるものだ。
隣席のスヴィン様と話していると、フルーリリの机の前に1人の男子生徒が立った。
式の会場まで案内してくれた、タイロン公爵子息だった。キラキラと輝くはちみつ色の金髪イケメンが眩しい。
「やはり同じクラスだったな」
そう爽やかに話しかけるタイロン公爵子息に、フルーリリは席を立って、会場まで案内してくれたお礼を改めて伝える。
「タイロン様、先ほどはお世話になりました。同じクラスでしたわね」
「挨拶をまだしてなかったな。私はフレドリック・タイロンだ。フレドリックと呼んでもらえるだろうか」
まさかの名前呼びの許可。
フルーリリはまたも驚いたが、自身より高位の貴族の言葉には従うのみ。
精神年齢高い私は、長いものには巻かれまくる派なのだ。権力には簡単に屈服するのが、年長者の知恵というものだ。
「勿論ですわ。お名前呼びを許していただいてありがとうございます。フレドリック様、私はフルーリリ・カスティルと申します。私のこともフルーリリとお呼びください」
「ありがとう。フルーリリ嬢と呼ばせてもらうよ。」
通常であれば、高位貴族が出会ったばかりで名前呼びを提案するなんて、傲慢だと取られるだろう。
だけど彼の爽やかさに、傲慢さは皆無だ。さすが脳内乙女ゲームの第一ヒーローだ。他の皆とは格が違う。
思いがけずヒーローは2人になってしまったが、そこは問題ないとしよう。
あとはヒロインと悪役令嬢が加われば、最低限のメンバーも揃うし、乙女ゲームが展開されていくはずだ。
同じクラスならば、近くで皆を見守っていけるはず。
――楽しみだわ。帰ったらエリックに報告ね。
にこにこと嬉しそうな顔をするフルーリリに、2人の男子生徒は見惚れた。
確かに噂通りの可憐な少女だ。
ゆるくカールする淡い色の金髪、少し垂れ目がちな瞳、白い肌、桜色の頬と唇。どれを取っても見惚れるほどの美しさだ。
容姿の美しさだけではなく、入学試験トップという頭脳を持つ。なのに式の代表者挨拶という名誉を辞退するような謙虚さを持ち、貴族でありながら制服を着用する控えめさを合わせ持つ。
深窓令嬢として表に出たのは、数年前の王宮お茶会一度だけであり、その時も挨拶さえする間なく帰ってしまっていた。
更に昨年、長年の婚約が解消されたとの事で、相手のいない貴族子息達の間で特に注目されている少女だ。
フルーリリは2人にとっても興味を引く存在だった。
タイロン公爵子息―フレドリック・タイロンは今朝、門の前で佇むフルーリリに早くから気づいていた。
賑やかな新入生溢れる中で、ひとり静かに門を見つめる姿が、どこか儚くて危なげに見える少女。
周りの皆がフルーリリを気にしていたが、声をかけることを躊躇させるようなオーラを持つ彼女に、誰も話しかけられないでいるようだった。
なんとなく気になって見ていると、周りが集会所に移動して誰もいなくなっても動く様子を見せない。流石に式の遅刻になると声をかけたのだ。
同じクラスになることは容易に想像がついたので、挨拶は後でも出来ると思い、会場ではアッサリ別れた。
式が終わりクラスに入ると、友人のスヴィンが彼女に名前呼びを許しているところを見た。
人との近すぎる距離を厭う彼が、こんなに早々に自ら名前呼びを許すとは珍しい。『面白いものを見たな』と、自分も再度声をかけようと2人に近づいたというわけだった。
名前呼びを許したことに特に意味はない。悪意ある者でなければ、呼び方にこだわる事はないと日頃から思っている。多くの貴族の子息令嬢達は、自身を名前で呼んでいた。
――彼はその寛大さで、勘違いする令嬢を生み出していることに気付かない。
「フルーリリ嬢は3年前の王家主催のお茶会でお見かけした事がありますよ。挨拶は出来ませんでしたが」
スヴィンの話題にフルーリリは焦る。
危ないところだった。
『共通話題を』と、この3人が参加していた王家主催のお茶会の話をするところだった。
あの時は2人共が大勢のご令嬢に囲まれていたし、昔の話だから私も挨拶したことにしても気づかないだろうと思っていた。
『あのお茶会のご挨拶ぶりですから、本当にお久しぶりになりますわね』と、今口に出すところだった。そこから『お二人とも皆様にとても慕われていますから、覚えておられないと思いますが、本当は一度お会いしているのですよ』と話を続けていくつもりだったのだ。
黙った2人に気を利かせて、大人の余裕を見せつけるように会話を振ろうとするのは間違いだった。気を回した先は、破滅の入り口だったのだ。
本当にギリギリセーフで助かった。
フルーリリは、バクバクと鳴る心臓を抑え、嘘をつきそうになった自分を誤魔化すように饒舌に話し出した。
『すぐバレるような嘘は危険だわ』そう反省して、すぐにバレないような嘘をつく事にする。
「あの時は、お二人とも多くの人に囲まれていたので、お声かけをする勇気が出ませんでした。幼かったとはいえ、挨拶もせず失礼致しました。
あのあと、お母様の『もう少し人見知りが治ってから』との言葉に甘えてしまい、今まで社交界に出ずに来てしまっていたのです」
――フルーリリが、あの後社交会に出ていなかった本当の理由は。
王宮主催のお茶会の後、母がエリックに当日のフルーリリの言動に危ない点は本当に無かったか確認したようだ。目を逸らしたエリックに色々と察したらしい母が、社交場へ出ることを固く禁止し、それをフルーリリは喜んで受け入れたというわけだった。
もちろん口外出来る話ではないが。
ふふふと恥ずかしそうに笑うフルーリリに、『なるほど、確かにこれだけ世間に擦れていない少女ならば、カスティル夫人も心配されるだろう』と深く納得した。
社交界で人気のある子息2人と噂の令嬢が、3人で楽しげに話している。
クラスの皆が、その麗しい3人に注目していた。
羨望の眼差しを送る者もいれば、苦々しい思いで見つめる者もいる。
中でも厳しい目を送る令嬢がいる事を、今はまだ誰も気がつかない。
そうして学園最初の日は過ぎていった。
学園初日は、乙女ゲームの始まりの日――フルーリリの脳内乙女ゲームの設定の日だ。




