17. 王子、ただし隣国
妖精みたいな子だった。
名前も知らない、とても綺麗で賢くて口の悪い女の子。――彼女は誰なんだろう。
シノヴァ国が春と秋に開くお茶会は、王都中の貴族の子供が集まる会だ。
外交活動のためにワロア国から来ていた俺は、子供同士なんだからとその茶会に参加させられていた。
ワロア国は、シノヴァ国より小国だ。
シノヴァ人は、肌の色と格好が自国と異なるワロア国を下にみている。野蛮で品がないと。
国にはそれぞれ培われてきた文化がある。
違いがあって当然なのに、それを理解しようともせず、一方的に詰るような行為は愚かとしか言いようがない。
プライドだけが高く気取ったシノヴァ人の方が、よほど愚かだと思うし、俺もシノヴァ人なんて嫌いだった。
こうして交友を深めるために駆り出されなければ、こんな国になど来たくもなかったのに。
そんな鬱屈とした思いで参加したお茶会は、思った以上に最悪だった。俺の肌とワロア衣装を見て、ヒソヒソと噂しながら、遠巻きにこちらを見てくる。
居た堪れなくなった俺は会場をこっそりと抜け出し、時間をつぶす場所を探した。
少し離れた場所に、隠れるのにちょうどよさそうな小さな庭園を見つける。
―俺の従者に見つかるまではここに隠れておこう。
足を忍ばせて身を隠そうと屈んだ時、同じく身をかがめて隠れている女の子と目が合った。
陽の光にキラキラと輝く淡い金髪。
こちらを見つめている、アクアマリンのような澄んだ水色の瞳。
ミルク色をした白い肌。薄く化粧をしているのか、淡く色の乗った頬、ツヤツヤな小さな唇。
着ているドレスは、瞳の色と同じだ。
ワロア国の秘境とされる場所にある、クルー湖のような澄んだ水色。
――正直見惚れた。ワロア伝説のクルー湖の妖精そのものの姿だったからだ。
だがすぐに我に返って挨拶をする。
『こんにちは。貴方もお茶会に来たのですか?』
あ、驚いたせいでワロア語で話してしまった。
このシノヴァ国で、ワロア語を理解するものは少ない。
すぐにシノヴァ語で挨拶し直そうとする前に、彼女の口から出てきた言葉に驚愕する。
『こんにちは。ワロア国の方ですね。道に迷ったのですか?』
――ワロア語だ!
驚いたが、所詮挨拶程度の言葉だ。
少し試してやろうという意地の悪い気持ちが湧き、あえてワロア語で話しかける。
『驚いたよ。このシノヴァ国でワロア語を話す子供がいるなんて。シノヴァ国人は、我が国と我が国民の事をあまり注視しないでしょう?』
『この肌の色や、この格好を下品だと見下してるのに、言葉を話せるとは素晴らしいですね』
こんな美しい見た目をしていても、所詮シノヴァ人に変わりなく。嫌味を込めて話しかける。
――そして少女からの返しに、さらに驚くことになる。
『どこに下品と見下す要素があるというのでしょうか?
その薄手の涼しげな格好は、ワロアの気候に合わせた伝統衣装ですよね?その布の刺繍は、ワロアでしか取れないキーム貝の貝殻から作られる希少な糸で彩られたものですし。その価値も分からず下品と言うなんて、そう言う者の方がよっぽど下品ですわ。
そんな無知下衆野郎は、簀巻きにしてワロアの海底に沈めてやればいいのですよ』
流暢に話すワロア語にも驚かされるが、その思ってもいなかった言葉に呆然となる。
え?何その言葉。そんな妖精のような見た目で話す言葉じゃないだろう?
混乱する俺に、少女は言葉を続ける。
『簀巻きにして海に沈めたろか?って言うのは、ワロアの海の男なら誰もが口にする悪口ですよ。貴方様も将来ワロア国を治める立場に立つならば、知っておくべき言葉です』
我慢できずに吹き出してしまう。
なんだこの子。めちゃくちゃ面白い!
『私はワロア国に行っても困ることがないように、ワロアの言葉と生活を勉強していたのです。悪口だってひと通り言えますよ』
自慢げに続ける彼女。
ワロアに興味を持って学び、話せるようになったのか。
ワロアを理解し、シノヴァ人の愚かな部分を罵倒する、その振る舞いにも好感を持つ。
こんな子となら仲良くしてもいい。
『我が国に興味を持っていただけるとは光栄です。ワロアへお越しの際はぜひご連絡ください。ご案内しますよ』
先ほどの非礼を詫びるように、最大限の礼を取る。
そんな私をしばらく見つめていた少女が口を開く。
『もし道に迷っているならご案内しますよ。会場に戻りませんか?』
そう誘われたけど、丁寧に断った。
この子ともっと話したい気がしたが、あの会場に戻るのは憂鬱だ。
去っていく彼女の背中を見て、名乗りあってさえいなかった事に気づき、苦い思いがはしる。
ーあの子とまた会えるといいな。
その夜、俺の従者に今日の話をした。
あの子の特徴を話し、調べてもらう事にした。あの子は誰だったんだろう。
すぐに素性は分かった。
シノヴァ貴族の社交界では、かなり有名人のようだ。
カスティル伯爵家のご令嬢、フルーリリ・カスティル。12歳…俺と同じ歳だ。
カスティル家の秘宝とも呼ばれる深窓令嬢で、先日の茶会が初めての社交界デビューだったらしい。
頭脳明晰で神童とも噂される。
…確かに流暢なワロア語を話していた。
ふうんと少し嬉しげに答えた俺に、釘を刺すように従者が言葉を続ける。
「カスティル嬢は、バージェント伯爵家嫡男のカール様と、幼い頃から婚約を結ばれているようです。関係は良好のようですよ」
従者は、観察するような目で俺を見る。
コイツが何を思っているかは見え見えだ。
「そういうつもりで聞いたんじゃない」
そう言いながらも、彼女の婚約者の存在に苦々しい気持ちになる。
あんな魅力的な子を手放す馬鹿はいないだろう。
――だけどもし。
もしその婚約者が彼女を手放す事があれば。
その時はまた会ってみたいと思っている自分がいた。
そしてもし次に出会う時は名前を名乗ろう、そう思いながら小さくため息をついた。