16. 王子不在だけれども
お茶会会場から少し離れた、小ぢんまりとした庭園。
そこへエリックはフルーリリを連れてきてくれた。
隙間なく植えられた木々が、大人の背丈ほどに綺麗に刈りそろえられ、季節の花々が計算されたように上品に配置されている、隠れ家のような囲まれた空間。
子供がかくれんぼ出来そうな場所でもある。
前のお茶会時にエリックが見つけた場所のようだ。
少し人酔いして、ここで休んでいたらしい。
「何か飲み物を持ってくればよかったね。ジュースとお菓子を取ってくるから、リリ姉さんはここにいて。すぐ戻るから絶対に動いちゃダメだよ」
「ありがとう、リック。分かったわ。ここで待ってるわね」
大人しく頷いて、ジュースを待つことにする。
少し急ぎ足で歩くエリックの背中を見てフフフと笑う。
王宮庭園の中でも人けのない、隠れる事が出来る場所――ここは恋人同士の密会場所に使われる、ピンクな場所なのだ。
ヒッヒッヒッヒ
最大限にいやらしく笑ってみる。
教育に悪いのでエリックに教える気はないが、前人生を全うした精神年齢高位の私には分かる。ここがオトナな場所だと。全てがお見通しなのだ。
さぁここで罠にかかる恋人達を待とう。
フルーリリは、誰が忍び込んできてもいいように、花々の間に体を隠して気配を消す。
しばらくすると、忍ぶような足音が聞こえた。足音を極力立てないよう注意をしているような足音。
―来た!
息をひそめて獲物を待つ。
身を屈めてじっとしていると、同じく身を屈めて隠れようとする子供と目があった。
この子の足音だったようだ。まさかこんな幼い子も、このピンク場所を知っていたのか…!
貴族社会の子ども達の乱れる風紀に、舌を打ちそうになる。そんなに急いで大人の階段を上ることはない。私のようにじっくりと歳を重ねていくべきだ。
ここは注意すべきか否か。
悩みながらやって来た子どもを見ると、その子も驚いたような顔でこちらを見ている。
え?私?私は大人越えなのよ。決して覗きが趣味の、マセたガキではないわ。欲が抜けきったおばあちゃんなのよ!私がここにいても、なんの害もないわ。
そう無言の圧で説明する。言葉にせずとも伝わるように。
我にかえったように、目の前の少年が挨拶をする。
『こんにちは。貴方もお茶会に来たのですか?』
…このシノヴァ国の言葉ではない。この言葉は、隣国―海を挟んではいるが―南の小国ワロアの言葉だ。
国外追放運命だった私は、近隣国の地理と生活レベルの言語は習得済みだ。
『こんにちは。ワロア国の方ですね。道に迷ったのですか?』
ワロア語でそう答えると、彼は驚愕の表情を見せた。
『驚いた。このシノヴァ国でワロア語を話す子供がいるなんて。シノヴァ国人は、我が国と我が国民の事をあまり注視しないでしょう?』
この子、我が国民って言った。…まさかの王子様!?
褐色の肌、挑むように鋭く光る鮮やかなオレン色の瞳。通った鼻筋。薄く引き結んだ唇。
南国らしく、少し肌が透ける薄手の涼しげな服。このシノヴァ国の衣装に比べて露出度が高く、大人の南国男子の逞しい身体つきであれば、それはもう色気溢れる格好になるだろう。
目の前の子供はまだ幼い少年といえど、乙女ゲームの攻略対象者レベルの美しい容姿だ。
――乙女ゲーム疑惑は払拭されているが。
『この肌の色や、この格好を下品だと見下してるのに、言葉を話せるとは素晴らしいですね』
そう皮肉げに口元を歪めて言葉を続ける。
どうやら隣国王子は性格が悪いらしい。
性格が悪いものには、性格の悪さを返す。―淑女の基本だ。
『どこに下品と見下す要素があるというのでしょうか?
その薄手の涼しげな格好は、ワロアの気候に合わせた伝統衣装ですよね?その布の刺繍は、ワロアでしか取れないキーム貝の貝殻から作られる希少な糸で彩られたものですし。その価値も分からず下品と言うなんて、そう言う者の方がよっぽど下品ですわ。
そんな無知下衆野郎は、簀巻きにしてワロアの海底に沈めてやればいいのですよ』
私の返しに呆然とした顔をする。
――勝ったわ!
フッと勝ち誇るように笑う。
ブハッと目の前の少年が吹き出した。
『何それ?ここから海って遠いだろ?簀巻きって何だよ。』
腹を抱えて笑い出す。
笑い上戸らしい王子に教えてあげる。
『簀巻きにして海に沈めたろか?って言うのは、ワロアの海の男なら誰もが口にする悪口ですよ。貴方様も将来ワロア国を治める立場に立つならば、知っておくべき言葉です』
こんな言葉も知らないなんて、とんだ箱入りのお坊ちゃまね、とぬるい視線を送る。
笑い過ぎて涙目になった少年が言う。
『君みたいな子がいるなら、この国を好きになれそうだ。ありがとう』
涙の滲む瞳が、陽の光にキラキラと光る。その輝く眼は、南国フルーツのオレン色だ。
オレンとは、前世のオレンジと同じ味がする。じゃあもうオレンジでいいんじゃない?とも思うが、この世界での呼び名はオレンなのだ。
ちなみにオレンとチョコレートの相性はバッチリだ。オレンピール入りのチョコレートタルトは、それはもう絶品なのだ。
『私はワロア国に行っても困ることがないように、ワロアの言葉と生活を勉強していたのです。悪口だってひと通り言えますよ』
どの国に追放されるか分からないから、近隣国の平民の生活についての情報は押さえていた。断罪の心配が消えた今は必要なものではないが、悪口が言える程度の外国語の習得は無駄ではないだろう。現に今、ワロア王子に自国の知識を伝える事ができた。
『我が国に興味を持っていただけるとは光栄です。ワロアへお越しの際はぜひご連絡ください。ご案内しますよ』
先ほどの態度とは打って変わって、優しい声で応え、丁寧に礼を取られる。
そんな彼のオレン色の瞳を見つめる。
…オレンジュースが飲みたいな。
迷子王子の案内ついでにオレンジュースを調達しよう。
『もし道に迷っているならご案内しますよ。会場に戻りませんか?』
そう声をかけたけれど、もう少しゆっくりしてから戻ると丁寧にお断りされた。
私はオレンジュースを求めて会場に戻ることにしよう。義弟にも途中で会うだろう。
淑女らしい完璧な礼をして、会場に戻るために背中を向けて歩き出す。
そんな私の背中をワロア国の王子が見つめていた事には気づかずに。
フルーリリは会場に入る手前で、エリックと出会う。
ジュースとお菓子を手に持ったエリックは、会場前にいたフルーリリに驚く。
帰りの馬車の中。勝手に場所を1人で移動していたことを叱るエリックの言葉を聞き流し、フルーリリはポツリと呟く。
「オレンとチョコのタルトが食べたいわ…」