2. 僕の残念な姉
「とんだボンクラ野郎だわ!なにが真実の愛よ!流行り本かぶれの軟弱浮気クソ野郎のくせに!!」
姉の部屋の扉をノックしようと手をあげた瞬間、重厚な扉の奥から小さく響いてきた声に手が止まる。
フルーリリの義弟のエリックは、小さくため息をついたあと、扉の取手に手をかけた。
図書室で1人本を読んでいる時だった。
視界の隅で何かが動いたような気がして、義弟のエリックは本から目をあげ、窓の外に視線を向けた。
遠くに姉のフルーリリが、1人で足早に庭を抜けて行く姿が見える。
それを見たエリックは、訝しげに眉をひそめた。
今日は姉の婚約者カールの訪問日だ。カールとの茶会が始まったのは、つい先ほどだったはず。
いつもはエリックも一緒にお茶をするのだが、
「今日はフルーリリ嬢と2人でゆっくり話したい事があるんだ。ごめんね、エリック。また今度一緒にお茶を飲もう」
と将来義兄となるカールに、エリックの参加を優しく断られていた。
カール義兄も学園に通い出し、姉に話したい事がたくさんあるのだろう、そう思っていた。
エリックは2人がお茶を楽しむ間、本でも読んでおこうと図書室で手に取った本を読み始めたところだったのだ。
こんなにも早い時間に姉が1人で歩いているのはおかしい。何かあったに違いないと確信に近い予感がする。
本を置いて、姉の部屋へと急いだ。
取手を引きエリックが静かに扉を開けると、更なる姉の言葉が今度はハッキリと聞こえてくる。
「あの煩悩野郎!アイツの(ピー)を一生使えないよう(ピー)してやるわ!(ピー)から手ェ突っ込まれて(ピー)されちゃえばいいのよ!!とんだ浮気クソ野郎だわ!地獄行き確定よ!」
…いやもう罵倒がすごい。
下町ですら使うことがないだろうそんな言葉を、どこで覚えてきたのか。
いやそれよりも家同士の繋がりである婚約の破棄を、当主である親も通さず勝手に受け付けてしまったのか。
―姉らしいと言えばそうなのだが。
色々問い詰めたい気持ちはあるが、細く開けた扉に身体を滑り込ませた。声が廊下に響かないよう、急いで閉じた扉に力なくもたれながら荒ぶる姉を呼ぶ。
「リリ姉さん」
その呼びかけに振り向いた姉は、興奮でキラリと光る瞳をこちらへ向ける。
垂れ目がちな瞳は怒りのために少し潤み、潤んだ瞳は窓から差し込む日の光にキラキラと輝いている。
興奮して上気した頬はミルク色の肌を染め上げ、小さな瑞々しい桜色の唇を尖らせている、庇護欲そそる顔立ちの可愛い少女。
その少女の口から紡ぎ出す言葉は。
「リック、あんたも綺麗な顔立ち利用して、たくさんの女の子達侍らせようってゲスな事考えてちゃダメよ!」
――今日の姉も暴言がひどい。
まるで弟が将来、当然のように女の子達を侍らせようとする設定を設けてくる。
「いつ僕が女の子達を侍らせようとしたって言うんだよ。リリ姉さん見てたら、いくら可愛い顔してても、笑顔の裏で『このクソ野郎』って罵倒されてる気がしてさ。女の子になんて怖くて迂闊に近寄れないよ」
エリックはため息を吐きながら、もたれた扉から背を起こし、部屋の隅にあるサイドテーブルに近づいた。そしてテーブルの上に置いてある水差しから、グラスに水を注ぎ姉に渡す。
水を受け取った姉は、渡されたグラスの水をコクリと飲み、ふうと息をつく。大きな声を出すと喉が渇くのだ。
そのままゴクゴクとグラスの水を飲み干した後、義弟の言葉に満足そうに頷いた。
「そうよ。女の子はみんなそうなのよ。分かっているようで安心したわ」
『そんなはずはないだろう』
色々言いたいことはあるが、軽く頷いておく。
幼い頃から見てきた姉だ。受け入れるしかない。
見た目可愛い残念な姉を。