25.辿り着いたそれぞれの立ち位置
フルーリリは学園の中庭のベンチに1人座っていたが、ケネスが帰って来ることを感じ、思わず立ち上がった。
以前ケネスが自分を助けに来てくれた時から、研究室ではシェリーが死に物狂いで回復液を作り続けている。
ワロア王国の王子と、国外逃亡を図った事がバレたのに加え、仕事を放り出してフルーリリを助けに来たケネスへのダリルの怒りが、ついでにシェリーにも向けられたからだ。
尋常じゃない量の回復液をひたすら作り続けるシェリーを、研究室のソファーに座って静かに眺める日々だった。
今日もいつものように研究室にいたのだが、シェリーがいきなり瞬間移動で消えてしまった。
今日もまたきっと、ケネスやダランソンの治療に呼ばれたのだろう。
1人で研究室にいると、会えないケネスの事を考えて寂しくなるので、庭園のベンチに移動して座っていた。
そんな時にネックレスの石から、ケネスの帰還が自然と感じられたのだ。
誰もいなかった、少し離れた場所にケネスが現れる。
フルーリリはその姿を見た瞬間、ケネスの元へ駆け出した。
「ケネス、お帰りなさい!やっと帰って来れたのね。ずっと待ってたわ」
ケネスは駆け寄るフルーリリを眩しそうに見つめていたが、目の前に来た彼女に手を伸ばし、まるで壊れものを扱うかのように優しく抱きしめた。
「…やっと会えた。本当にお前に会いたかったんだ」
ケネスが囁く素直な言葉に、フルーリリは驚きながらも胸が高鳴る。
「私もすごく会いたかったわ。ずっと貴方を待っていたのよ」
フルーリリもそう囁いてケネスの背中に手を回した。
「リリ姉さん…?」
エリックの戸惑うような声で名前を呼ばれ、フルーリリはケネスの背に回した手をそっと下ろした。そしてエリックに向き直り、コホンと照れたように小さく咳払いする。
「リック、なんだか久しぶりね。あのね、リックに話したかった事があるの。私、ケネスと両想いだったの。早く話したかったけど、なかなか会えなかったわね。
リックもミリアム様とお付き合いしている事、私実は知っていたのよ。だからリックに時間が出来た時、一緒に恋バナしようって決めてたのよ」
赤くなって笑うフルーリリを見て、エリックの顔色が変わる。
「リリ姉さん、何言ってるの…?僕がミリアム嬢なんかと付き合ってるはずがないだろう?」
「そうなの?だけど朝も夜も休み時間も休日も一緒にいるでしょう?リック、素直にならなきゃ駄目よ」
「………」
エリックは言葉も出なかった。
あまりに酷い現実に、頭の中が真っ白になる。
ケネスは、そんな会話を交わすフルーリリと、呆然と立ち尽くすエリックを見ていた。
『相変わらず残酷な女だ。自分を想う相手に他の女を勝手に当てがった上に、自分は他の者を選び、それを目の前で告げるとは。
…だけどそれはこの男自身が生んだ油断だ。
この女は目を離すと、多くの誰かに望まれてしまう。
それを知っていながら油断した方が悪い。油断は絶望を生むものなのに』
小さく嗤うケネスに、エリックが鋭い眼を向ける。
自分に向けられる、暗く底光りする紅眼を見た時。
あれだけ恐怖した紅眼に、ケネスは今は何も感じなくなっている事に気が付いた。
あの過酷な日々の中で何度も死にかけている内に、紅眼への恐れなど無くなったようだ。
師匠はかつて紅眼を恐れる自分に、『歳を重ねていく長い年月の中で、惑わされる事のない精神が生まれるものだ』と話していたが、師匠もあのサイコパスの元で築き上げるものがあったのだろう。
本当の恐怖は、躊躇して何もしないままに終わってしまう事だ。
この女は多くの男達を魅力する。ここらでちゃんと示しておいた方がいいだろう。
油断は絶望を生むのだ。――以前の自分とは違う。
フルーリリの腰を抱き寄せて、ケネスが不敵に笑う
「悪いな。コイツは俺のもんだ。手を出す奴は容赦はしねえ」
そう言って、エリックとその後ろにいたフレドリックとスヴィンに視線を送った。
そんなケネスの振る舞いを見て、エリックは状況が変化してしまった事を感じた。
以前のケネスならば、自分の睨みに怯んでいた。
この短期間に何があったのかは知らないが、以前には無かった、ダランソンのような人を圧倒させる威圧感を感じる。
姉への態度にしてもそうだ。以前とは確実に違う。
少し自分が目を話した隙に、状況は完全に変わってしまったのだ。
――目を覚ますのが遅すぎた。
エリックは自分が目を離し過ぎていた間に、もう取り返しのつかない所にきている事を瞬時に悟った。
そしてそれは、エリックの後ろに立っていたフレドリックとスヴィンも同じだった。
エリックに付いて自分達もフルーリリの元へ向かうと、フルーリリと魔法使いの男の姿が見えた。
しっかりと魔法使いの背に手を回すフルーリリに、もう彼女の気持ちが自分達へ向く事などないと気づく。
魔法使いの男も自分達を牽制するように不敵に笑っていた。あんな目で自分達を見る魔法使いが、彼女を手放す事はないだろう。
フルーリリが、エリックとミリアムの関係をあの噂で誤解しているなら、自分達とミリアムの関係もそうだと思っているだろう。
――自分達はもっと早くに目を覚ますべきだったのだ。
驚愕の表情で呆然と立ち尽くす男達を置いて、ケネスはフルーリリに回した手に力を込めると、研究室へ瞬間移動した。
突然変わった目の前の風景に驚くフルーリリに、ケネスが不満そうに話す。
「お前の周りには男が多すぎる」
「男?シェリーは女の子よ」
「………」
黙り込んだケネスに、フルーリリが話しかける。
「ケネス、お願いがあるの。お前じゃなくて、ケネスには名前で読んでほしいわ。……リリって呼んでくれるかしら?特別な人だけに許す呼び方なの」
ケネスの不機嫌な思いが瞬時に消え、小さな声でフルーリリの名前を呼んだ。
「……リリ」
フルーリリは自分でお願いしておきながら、顔が熱くなる。きっと赤くなっているだろう。
――石も今までにないくらいに熱い。
『ケネスも恥ずかしいのかしら?』
フルーリリはケネスが戻ってきたら、自分の秘密を打ち明けようと決めていた。
簡単には信じてもらえない話だが、ケネスにはちゃんと話しておきたい。多分ケネスなら本当の事を話しても、自分を拒絶する事は無いだろうと信じられる。
「ケネス、私ね、別の世界で一度死んで生まれ変わっているのよ」
ケネスがじっとフルーリリを見つめる。
フルーリリの緊張した顔に、冗談を言っているようには見えない。
フルーリリは普通とは違う。どこにもいない女だ。その話を不思議に思えない。
それに、そんな事で自分の気持ちが変わる事もない。
「そうなのか?俺もあの任務地で何度も死にかけたぞ。同じだな」
「……ふふ。そうね、同じね」
フルーリリは、ケネスの言葉に少し驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔になる。
胸元の石は変わらず温かい。やっぱり自分の秘密でケネスの気持ちが変わることは無かった。
それに何度も死にかけたのなら、私が精神年齢100を越えるとしても、彼の方が遥かに人生の経験者だ。一度しか経験していない自分とは違う。
『ケネスは、私より経験を積んだ頼れる恋人だったのね』
それはフルーリリをとても安心させた。そんな経験者ならば、まだ話していない自分の全てを自然に受け入れてくれるだろう。
「貴方への気持ちに気づけて本当に良かったわ。ケネス、愛しているわ」
ケネスはフルーリリを引き寄せてそっと包み込み、あの任務地で祈るように思っていた言葉を伝える。
「自分の気持ちを認めるのが遅すぎて、この気持ちを伝えなかった事をずっと後悔してたんだ。俺はもう絶対に自分を誤魔化したりはしない」
そこで言葉を切って、想いを噛み締めるように囁いた。
「リリ、愛してる。これからは言葉を伝えるよ。ずっと側にいて、ずっとお前を愛する事を誓う」
フルーリリの胸は震え、胸元の石も熱く大きく震えていた。
ここで完結です。
最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます!