15. お疲れエリック
「リック、今日は珍しく帰宅が早いのね」
「ああ、リリ姉さん。…なんだか久しぶりに会った気がする」
確かに久しぶりに顔を合わせたエリックが、眩しそうにフルーリリを見る。
その目元には濃い隈ができていた。
「朝早くから夜遅くまで、生徒会のお仕事は大変ね。あのフリーマーケットフェスティバルが企画されてから、ずっと帰りも遅かったでしょう?やっと落ち着いたの?」
フルーリリは心配そうにエリックの顔を覗き込む。
「今日早く帰れたのは特別だよ。ミリアム嬢が、生徒会に何の連絡もなく急に帰宅してね。今取り組んでる行事のほとんどの資料は彼女が持ってるから、不在で分からない事が多いし、今日は解散したんだ」
「…そう。どうしたのかしら」
そう応えながら、おそらく魔法をかけられた髪のせいだろうなと見当が付いたが、知らない事にしておいた。生徒会役員達は、ミリアム嬢にゾッコンなのだ。下手なことを口に出すべきではない。
「リリ姉さん、話したい事がたくさんあるんだ。色んな事があったしね。リリ姉さんの話も聞きたいし、一緒にお茶を飲もう」
「そうね。久しぶりにゆっくりお茶を飲みましょう。
生徒会が忙しいから、以前のように研究室のティータイムにも来れないし、リックにお茶を淹れる事もなくなっていたわね。今日は私がエリックにお茶を入れてあげるわね」
フルーリリの言葉に、エリックは嬉しそうに頷いた。
フルーリリがお茶の準備をしている間、エリックはソファーに深く座り込んで、大きく息をついた。
ずっと走り続けているような感覚がしている。やるべき事が多すぎて、終わりさえ見えない。
最近は生徒会役員の顔しか見ていないような気がする。――実際にそうなのだろう。
次から次へと企画された学園行事の準備に、早朝から昼休憩、放課後から休日まで追われ続けている。
自分もそうだが、他の皆も疲れすぎて『こんな事はおかしい』と声をあげる者さえいない。
自分は何か他に考えなくてはいけない、大切な事があるような気がする。
いつもなら気づけていた何か。――それが何なのか、今は思考がまとまらない。
『疲れた…』
取り止めのない事をボンヤリと考えているうちに、エリックはいつの間にか眠ってしまっていた。
お茶の準備を終えたフルーリリが眠り込んだエリックに気づくと、わざわざ起こす事はせず、毛布を掛けてゆっくり休ませてあげることにした。
ハッと意識が戻る。
自分はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
確か姉がお茶を淹れてくれてるはず。
カバッと身を起こすと、向かいのソファーで本を読んでいたフルーリリが顔をあげた。
「リック、目が覚めた?」
「…リリ姉さん、ごめん。眠ってしまったみたいだね」
「生徒会で疲れているのだもの。せっかく早く帰って来れたのだから、今日はもうゆっくり休んでね」
『僕は大丈夫―』と言いかけて時計を見ると、もう休む準備をする時間だった。
「色々話がしたかったのに…」
残念そうに声を落とすエリックに、フルーリリが微笑む。
「生徒会のお仕事が落ち着いたら、またゆっくり話しましょう。その時を楽しみにしているわ」
自室へ戻る別れ際。
エリックはフルーリリに尋ねる。
「何か変わった事はない?僕の知らない事はない?…ケネスさんはどうしてる?」
――自分がいないところで、自分が知らない事が起きていてほしくない。
「リックは本当にケネスの事が大好きね。ケネスは今、お仕事で学園には来ていないの。遠い外国でのお仕事らしいわよ。ダランソン先生とシェリーの三人一緒のお仕事だから、寂しくしてないと思うわ」
姉のその答えにエリックは安堵する。
みんな国外ならば、姉が研究室に行くこともないだろう。
姉を気にかけているタイロン公爵子息も、クリスフォード宰相子息も、いつも自分と共にいる。
自分が不在の場所で、姉に関わろうとする者がいないと知り、エリックの顔が明るくなる。
『あの男もシェリーも、そのまま帰って来なければいいのに』
そんな事を思いながら、エリックは機嫌良く姉にお休みの挨拶をした。
「お休み、リリ姉さん。またゆっくり話せる日を楽しみにしているよ」
「そうね、早くお仕事が落ち着くといいわね。お休みなさい、リック」
フルーリリは自室の扉を閉めて1人になると、エリックの事を考えた。
帰宅したエリックの顔色は、相当に悪かった。
隈も目立つし、寝不足なのか、少しボーッとしているようにも見えた。疲れ切った様子のエリックには、今は身体を休めることが必要だろう。
エリックの知らない事は、また落ち着いた時に話せばいい。
『ケネスが寂しくしていないか、心配だったのね。ケネスが1人じゃないと聞いて、とても安心していたもの。
本当に2人は仲良しね。今度新しいお友達の事も話してあげなくちゃ」
フルーリリはそう考えて、アンを呼んで休むのための準備を始めた。
寝不足で頭が回らないエリックが、気付く事ができなかった何か。――それは、いつもならば気付いていたはずの変化の兆しだった。
生徒会で忙殺された日々を過ごしている間に、少しずつ研究室での関係は変化していっている。
エリックの知らない、研究室の客人も増えた。
いつもならば鋭く勘を働かせ、何かが起こる前に叩き潰してきた事が、エリック不在の間に色々と起こっている。
そしてそれは時間が経つごとに、止めることが出来なくなるくらい大きく変化して行く可能性を持つ事にも、今の疲れ果てたエリックには気づく事が出来なかったのだ。
翌日。生徒会の会長に、ミリアム嬢からしばらく生徒会を欠席する旨の連絡が入る。
学園には来ているようだが、どうしても生徒会に今は顔を出せないらしい。
中途半端な提案を残したままの突然のミリアム不在は、生徒会役員に更なる忙しさを生んだ。皆はもう、目の前の事をこなすことだけを考えている。
そうしてまたエリックは更に忙しい日々を送る事になっていった。