保持者たちの記録
第一話 その『運命』は、彼らを何処へ導くのか
暗闇の中…彼方なのか近くなのか、それすらわからない場所で、声が…懐かしいのか、そうでないのか判別できないが、自分を呼ぶ女性の…声が響く……
…ゴメンね、みや、ゴメンね……
…必ず、必ず…『守護る』からね……
…みや、みや……私の、可愛いみや……
…さん、おかあさん……どこ、どこにいるの…?
おかあさん、おかあさん……!?
「…おかあさ~んっっ……!?」
…悲鳴とも呻きとも取れる声を上げ、手を伸ばした形で、少女…『流 美弥』は目を覚ました。
荒い息をつきながら、周囲を見渡す…ここは自室の、ベッドの上だ。羽織っていた薄手の蒲団は、あらぬかたにはね飛ばされている。
「また…あの夢……なんで、今になって……」
ベッドの上で上半身を起こしながら、美弥は呻くように呟く。彼女が自分の両親の事を夢に見るようになったのは、ここ最近の事である。
考古学者であった彼女の父と母は、美弥が赤ん坊の頃に事故に巻き込まれて死亡…他に身寄りのなかった彼女を、父の親友であった歴史学者『有藤 修己』氏が引き取り、氏の実の息子である『有藤 理』と共に育てられてきた。
その時から14年が過ぎて…今年から二人揃って同じ高校へ通い始めたのだが、それ以前から世間に漂っていた不穏な気配が、何故だかその色を濃く、重くなっていくのを彼女は感じていた……。
「…て、まだこんな時間かぁ……でもしょうがない、か。」
枕の傍にある時計に目をやると、いつもよりだいぶ速い時間…まだ、朝日が昇り始めたぐらいの時間を示している。とは言うものの、もう一度寝ようとするには心が落ち着かない。ため息を一つつくと、美弥はゆっくりとベッドから起き出した。
(シャワー浴びて、朝ごはん作ろ……理も、しばらくすれば起きるでしょ……)
そんな事を考えながら、美弥は伸びをしつつ、クローゼットの扉に手を伸ばした……。
シャワーを浴びて着替え、台所へ向かう途中、美弥は食欲を刺激するいい匂いが台所から漂って来るのに気づいた。
「おはよー、理…」台所へ通じる扉を開けながら、挨拶をする。
軽く鼻歌を歌いながら、コンロの前に立ってフライパンを操っていた長髪の人物…『有藤 理』がその声に反応し、軽く振り向きながら挨拶を返してくる。
「おはよー、みーちゃん…今日は速いね?」
「おはよう…けど、みーちゃん言うな…」
「あ、ゴメン…けど、どうしたの?目…真っ赤だよ?」
軽いやり取りの中で、理の言葉に自分を心配するものを感じたが、敢えてそこには気付かないふりをしながら言葉を返す。
「ん~…寝不足……」
「…また、夢見た?最近ちょくちょくうなされてるみたいだし…本当に大丈夫?」
「だぁ~い丈夫よ、美弥ちゃんはつよいのだ♪…って、大丈夫、フライパンの方?」
「…って、うぎゃあ~~!?」
…話に夢中というより、美弥の体調を心配していた様子の理の意識がフライパンから離れたせいか、フライパンから焦げた匂いと黒い煙が漂い始めている。
それに気付いた理は悲鳴を上げながら、慌てて火を止めてフライパンをコンロから持ち上げて離し…中を覗き込んで悲嘆の声をあげた。
「あちゃあ…焦げた……勿体ない……。」
「…理こそ珍しいわね、料理で失敗なんて、久々じゃない。あなたこそ、大丈夫なの?」
「ん…その……お父さんから連絡ないのが、ちょっと心配かな…。」
理の父であり、美弥の育ての親である修己氏からの連絡が途絶えて二ヶ月…月に一度は必ず連絡をしてきた修己氏の安否は、今も全くもって分からない。その事で理も美弥も、口には出さないが心を痛めていた。
「そうね…おじ様、研究にのめり過ぎて連絡忘れてるのかしら……前にも確か……。」
「うん…寝食忘れて研究にのめり込んで、現地の病院に入院したしね、父さん……二年前だっけ……。」
苦い記憶を思い出しながら二人は顔を見合せ、ため息をついた。修己はこうした『ポカ』をたまにやらかすのだが、それにしては今回ばかりは様子が違う…修己は基本は手紙を、それが間に合わないような状況にある時は電話をかけてくる程にマメな一面のある人物なのだが、今回はそれすらもない。
「ねぇ理、おじ様のいるところって…確か…?」
「うん…『モンゴル共和国』と『ロシア』の国境辺り…そこで遺跡が見つかって…それの調査、だったかな。」
焦げたフライパンの中身…「ベーコンエッグらしきモノ」を皿に移しながら、理は美弥の問いに答える。
テーブルの上には、既に二人分の朝食…『ベーコンエッグ』に『サラダ』、2つ並んだマグカップの中身は『ストレートティー』が湯気を立てている。
戸棚に近づいて、理と自分の分の食パンをトースターに入れながら、美弥は理に声をかける。
「ねぇ理、今日…学校、あるかな?」
「え…と、分からないよね、なんか。最近…妙な事件多いし……。」
「ホントに…どうなっちゃったんだろうね……。」
「みゃーちゃんの方には連絡、回って来てないよね。僕の方に、ついさっき連絡が来たんだけど…まだ見てないんだ。」
「え、そうなの…見ていい?」
「うん…ロックは外してあるから、お願い。」
理の問いに答え、美弥はテーブルの隅に置いてあるスマホに手を伸ばし、操作して連絡内容を確認しながら、理に声をかけた。
「えっとね…学校は…やるみたいだけど、午前中で終わりだって。しかも…なんか『また』あったみたいよ……。」
「え?本当に……?」
「うん、なんか…嫌だね、こういうの……。」
二人は顔を見合せながら、ため息をついた。理は椅子に座り、マグカップに手を伸ばしつつ呟く。
「…とりあえず、ご飯食べようか。まぁ、余裕できたから、ゆっくりできるし…。」
「ん、そうね。」
美弥はトースターから焼けたパンを取り出して、理と自分の皿に置く。
『いただきます』と、二人の声と手を合わせる音がキッチンに響く……少し気分は重たいが、彼らの日常的な朝の情景が、始まった。
しかし…二人の運命は、今日を境に激変することになろうとは……『神』ならぬ理と美弥には、全くもって理解できないことであった……。
朝、学校へ向かう途中の人々のなかに、理と美弥の姿があった。二人とも制服を普通に着て、鞄を手に校門へ向けて歩いている。
「…?」
「どうしたの、理?」
校門まであと僅かというところで、突然に理が足を止めた。美弥はそれに気付いて足を止め、理の顔を覗き込みながら声をかける。
「…ううん、今、誰かに見られたような感じがして……。」
「大丈夫、なんか変に敏感になってない?」
「それが…なんか「ただ見てる」というより、「睨まれてる」みたいな感じがしたからさ…。」
「…ホントに大丈夫?この間も、なんかそんな事言ってたから…心配になるわよ。」
「…多分、大丈夫とは思うけど…みゃーちゃんの方だって、心配だよ。」
「大丈夫よ、いざとなったら走って逃げるから。私の足、知ってるでしょ?」
心配そうな理の問いに、美弥は微笑みながら答える。
「それはそうかもしれないけど…でも……。」
「心配してくれてありがと、でも…私は理の方が心配よ。それに…そろそろマズイかも……。」
美弥の言葉に若干の焦りが混じったのは、学校の始業ベルが鳴り始めたからである。それに気付いた理は、慌てた様子で美弥に声をかける。
「う、うわわ…ごめん、急ごう!」
「週開けそうそうに遅刻なんて嫌よ…!」
慌てて校門へとダッシュする二人……その後ろ姿を、物陰から見つめる影が、一つ……
“ターゲットは、あの二人…と。まぁ、手早く片付けるか。しかし…人選間違えるたぁ……オレも焼きが回ったか……“
物陰の人物は、独り呟きながら踵を返して校門の見える位置から離れ…そして、一瞬で気配も、姿も、消え去った……。
「一年三組」…理と美弥の在籍している高校の教室は、かなり重い空気に包まれていた。いや…正確には「学校全体が」というべきだろうか。
その理由は、先刻の全体朝礼で告げられた事実…『学校関係者の訃報』、それも「教頭」と「生徒4人」が一度に亡くなるという、異常事態を告げられたからである。
この件は事件の可能性が高いらしく、その調査の為に、本日は最低限の連絡を伝えたら終了となる旨を伝えられたが…生徒達にしても、気分の良いものではない。何故なら、学校が「新学期」を迎えて今日まで一月余りが過ぎたのだが、学校関係者が今日の件を含めて「10人」を超える犠牲者が出ているためだ。
その中には、この教室で学ぶはずだったクラスメイトも含まれており、正直、気分の良い話ではない。
「冗談だろ…マジかよ…。」
「ホント、どうなってるの…。」
「野球部の加藤先輩、サッカー部の矢部先輩に続いて、テニス部の浜口先輩まで…運動部、ほぼ壊滅状態じゃねぇ…?」
「岡村先生…可哀想……。」
教室のあちこちで、こんな会話が聞こえてくる。犠牲者は「この学校の生徒か教員」程度の関連しかないので、犯人像がまるで見えていないのが恐怖と憶測に拍車をかけている…。
「なぁ、理…」
自分の席に座り、ぼんやりと外を眺めていた理に、斜向かいにいる男子生徒…中学からの友人である『大久保 真也』が声をかけてきた。
「…なに?」
「お前、知ってるか?この事件の犯人…『保持者』だって噂…。」
「ほ、『保持者』…って、なんだっけ…?」
理の言葉を聞いて、大久保はずっこけそうになりながら、呆れた口調で言葉を続けた。
「…だいぶ前から噂になってんだろ…『昔の中国から逃げてきた人間兵器』だの、『超能力に目覚めた快楽殺人鬼』…って噂の、アレだよ。」
「…それが、どうして分かるの?」
「それがよ…兄貴から聞いたんだが、死んだ奴らな…皆、『異常な殺され方』してたんだと。場所はバラバラ、関係なんて学校の教師か生徒くらいだってのに…『死体の状態』に、一つだけ共通した点があったらしいわ。」
声を潜めて話す大久保を見ながら…大久保のお兄さんは警官、というか刑事だったのを、理は思い出した。そして、理も声を潜めて話しを続ける。
「お兄さん…守秘義務とか、大丈夫なの?そんな話したら…マズイんじゃ?」
「俺もそう思ったけどさ…どうやら新聞にスッパ抜かれたらしくてな、ちょっと自粛なり規制かけにゃならん…って愚痴ってたんだよ。」
「うわぁ……大変だね。…で、その…共通点、って?」
理の問いに、大久保は顔を近づけ、重苦しい口調で話を続ける。
「…全員、潰されれてたんだと…『丸いもの』に。ボールだとか地球儀にパチンコ玉、終いにゃ機械に入ってる…えっと……なんだっけ…。」
「『ベアリング』?」
「そう、それだ。…それが全身に当たってて、ミンチより酷い事になってたんだと、全員。」
「………」
思わず光景を想像してしまい、理は血の気が引くのを感じていた。それと同時に…疑問も浮かぶ。若干の気分の悪さをこらえつつ、理は口を開いた。
「そ、それが、何で…『保持者』の仕業に繋がるの?」
理の問いかけに、大久保は静かに、もったいぶった感じで口を開く。
「あのだな…「運動部の先輩」達はともかく、『教頭』と『岡本先生』は球技になんて縁ないだろ。それに…『中島』なんて、死体のそばにボーリングの玉が十個もあったらしいぜ。」
『中島 日菜子』…このクラスに在籍し、先週亡くなった女生徒の名前である。
「え?び、『美術部』だった、よね…確か、彼女って。」
「おう…「実はプロボウラー目指してました」にしても、あり得ねぇだろうよ…流石に。」
玉の大きさも重さも、全部バラバラだったらしいしよ…と呟きながら、大久保は言葉を続ける。
「それに…事件の起こる直前に、『変なピエロ』みたいなのを目撃した、って話まで挙がってんだと。」
「ぴ、ピエロ……?」
大久保の言葉に、理は唖然とする。確か…昔の映画に、そんな題材だかキャラのモノがあったような…と思いながら、少し考えを巡らせ…そして、口を開いた。
「そこまで分かってるのに…なんで警察は、犯人を捕まえられないんだろうね…?」
「わかんね。」
理の問いに、大久保は軽く肩を竦めながら呟いた。
「兄貴も、他の人らも探してんだけど…それ以上のネタが見つからんらしいわ。…てか、痕跡がガチに見つからんのだと。」
大久保は「辛うじて、犠牲者以外の足跡が見つかったらしいが…それが一人分のモノ、かつ突然消えたりしてるらしいわ…。」と続けた。
「……」
(確かに、異常にも程がある…けど…?)
「…おい、理、どした?」
自分を呼ぶ大久保の声で、理は我に返る。
「あ、ごめん。ちょっと…考えこんじゃってた。」
「そうか…ま、考えすぎんなよ…っと。」
次の瞬間、教室の扉が開き…担任教師が入ってきたことで、大久保を始めとする席を離れていた生徒達は、少し慌てた様子で自分の席に戻った。
「…え~、今日は朝礼での話の通り、このまま終了となる。ただ、明後日には通常の日程に戻る予定なので、皆、気を抜かないように。あと、不用意な外出は控えるように……」
教壇の前に立ち、この後の予定を説明し始めた教師の声を聞きながら、理はふと考え込んでいた。
(確かに『保持者』の線は濃厚…あまりにも見境ないし、状況が異常過ぎる。けど…本当にそうなのかな、マンガとかゲームじゃあるまいし…それ以上に「犯人の偽装」とかもあり得るし、恐すぎるよ……)
「…きり~つ…」考え込んでいた理の耳に、日直の声が聞こえてくる。椅子を引いて立ち上がる周囲の気配を感じ、慌てて理も起立の動作を取る。
挨拶が終わり、下校の準備を始める生徒達…理は手早く教科書を鞄に詰めると、静かに教室を出ようと動き出した。
「あ、理…ちょっと待って。」
「あ、みゃーちゃん、どしたの?」
「この後、買い物に行こうよ。…冷蔵庫の中身、そろそろ補充しないとまずいんじゃなかった?」
美弥の言葉に、理は記憶を捻り出す。…確か、牛乳と野菜がだいぶ怪しくなってきてたし、肉類も欲しいなぁ……という記憶を引っ張り出す。
「ん、分かった…先に校門で待ってるよ。」
「私もすぐに行くから、待ってて…。」
美弥に声をかけて、下駄箱へ急ぐ。理は先刻の事を考えながら、早足で移動していた。
(『保持者』か…。)
『保持者』…それはこの現代において、突如その存在を明らかにされた『異能力を持った人間』の事を指している。
今からおよそ20年前、『旧中国』の「共産党」が一方的に全世界に宣言した「共産党による世界統一宣言」、その『力』の証拠として示された、『超常の能力を持った人間兵器』の『軍団』…それが『神人部隊』と呼ばれる存在であり、『保持者』が世界にその姿を現した瞬間でもあった。
だが、その次の瞬間…『神人部隊』の反乱が勃発、共産党上層部の大半は惨殺され、中国は二週間も経ずに『神人部隊』の手に落ちた。
その騒動と連動して、世界各地で『神人部隊』と中国人達によるテロが勃発、世界は大混乱に陥った。
日本もその例外ではなく、更には『在日韓国人』や『朝鮮総連』といった連中までもがこの騒ぎを広げる側に回った結果…「大阪」と「福岡」が一時的に暴徒達に占拠され、罪のない一般人の多くが犠牲になった…という。
…ところが、この騒乱は思いがけない方向から鎮圧された。日本を例に取ると……北海道に現れた『神人部隊』の一団を、「警察」や「自衛隊」と共に『もう一つの』勢力…「国連」の特殊機関を称する、『保持者』達の組織『ライブラ』…その『極東支部』のメンバー達が協力して、ほとんど犠牲を出すことなく鎮圧してしまったのである。
更に『極東支部』の面々は南下して「大阪」と「福岡」を解放、『神人部隊』を撃破しつつ、『神人部隊』の残党と暴徒化した『在日』集団を朝鮮半島へ追放することに成功した。
これに似たような動きが世界中で起こり、その結果追い詰められた『神人部隊』は、共産党が隠していた「核ミサイル」を無差別に、標的も定める事なく全弾発射するという暴挙を敢行した…。
この暴挙により、旧中国は首都だった『北京』と『西安』は壊滅、更には当時の国土の半分近くが放射能汚染され、朝鮮半島も『平壌』『ソウル』が核の炎に消え、半島はその大半が放射能汚染されてしまうという、とんでもない事態となってしまった…。が、驚くべき事にそれ以外の「核ミサイル」は悉く無力化され、ほとんど被害を出すことがなかったのである。
何故か…それは、『ライブラ』とは違う『保持者』達の集団、『万魔殿』と名乗る者達の協力があったからだが、『万魔殿』はその直後に『万魔殿による世界制圧』を宣言、世界へ挑戦状を叩きつけて闇へと消えていった。
そして、この一連の騒ぎを鎮圧した『ライブラ』は、国連の下でとある宣言を世界中に発信する。
「自分たち『保持者』も、世界の何処にでもいる、あなた方と同じ『人間』である」ということを…そして、「我々を、恐れずに受け入れて欲しい」ということを。
が、それを受け入れるには、人類は『保持者』を知らなかった…いや、知らなさ過ぎた。
『保持者』の、普通の人間を超越した『異能力』を見せつけられた結果…世界各国で[魔女狩り]…いや、[『保持者』狩り]とでもいう事件が頻発してしまったのだ。
これを受けた国連は、世界各国へ『保持者の保護』を要請、各国政府もこれを了承したものの、そう簡単に治まるようなものではなかった為か、20年が経過した現在でも、『保持者』を忌み嫌い、差別する動きは収まる気配を見せていないという…悲しい現実がある。
とは言うものの、「日本」はその流れに大きく逆行している。無論、良い意味で…だ。
言葉が悪いのだが、日本人の多くが「アニメ」や「漫画」、「ゲーム」で下地というか耐性ができていた為なのか、それとも別の要因だったのかは未だに説明が出来ないのだが、時の日本政府は国連の要請より早く「『保持者』保護法」を制定、これをとんでもない速度で施行したのである。
その結果、世界で起きた[『保持者』狩り]らしき事件は日本ではほとんど起こらず(一部の地域では発生したらしいが…)、かなり早い段階で『保持者』と普通の人類との共生が成功しているという、世界に誇るモデルケースとなっている。
そのせいかは分からないが、日本では『保持者』は「少しだけ変わった人達」という認識が浸透しつつあるため、世界中から『保持者』が帰化申請をしに来るという、別の意味で「騒がしい」現状となっている。
その為「『保持者』に対する偏見の薄い」人が大半を占めつつある現状で、大久保のように「『犯罪者』イコール『保持者』」というのは、実はかなり珍しいとも言えるのだ。
実際、理も『保持者』に対しては偏見は薄い方だとの自覚がある(近所の獣医師が『保持者』であり、結構普通にご近所付き合いをしてきた…というのが、その理由である)。
(大久保くんは、お兄さんとかの話から疑ってるみたいだけど…全部が全部『保持者』のせいじゃないとは思う…それを上手く言えない僕も、少し情けないけど…。)
軽くため息をつきながら下駄箱にたどり着き、靴を履き替えて校門へ向かう……その直後、理は妙な視線を感じて振り返った。
「……?」
きょろきょろと周囲を見渡してみたが、もう視線は感じない。だが、今朝に感じた視線とはどこか違う…強いて言えば、その視線からは『懐かしいものを見ている』ようなものを、理は感じていた。
「…なんだったんだろう、今の…ナーバスになりすぎてるのかな、僕も…。」
ふと、理がそんな事を呟くと、校舎の出入口から美弥が小走りに駆け寄って来るのが見えた。
「ごめんごめん…遅くなっちゃった。…って、どしたの?」
「ん…何でもない、行こうか。」
美弥に心配をかけまいと、理は言葉を飲み込み、美弥と並んで歩き始める。
「さて、この時間だと…何処かな?」
「[ひらたやスーパー]行く?あそこだと、結構楽に揃うわよ。」
「[ひらたや]かぁ…あそこ、野菜が良いの少なくて…」
「う、確かにね…とすると、時間あるし…」
そんな他愛ない話をしながら、二人は校門を出て、街へと向かって歩きだして行く……その背中を、少し離れた物陰から、見つめる者がいた。
“…まさか、再び『有藤』と『流』…彼らの…あの子達に関わることになろうとは。「運命」の一言で片付けるには、少し残酷ですねぇ…“と、物陰の人物は静かに、僅かに後悔の念を滲ませて呟き…そして、その姿と気配を消した……。
しばし時は流れ……買い物袋を複数持った学生が二人、商店街の外れを歩いていた。理と美弥である。
「案外、人…少なかったね…。」
「時間が早かったからかな、人が少なくて楽に買い物できたわ♪」
理の問いに、美弥は少し浮かれ気味に応える。…買い物袋の中身が予想より重いのは、美弥の「買い物の目利き」故だろうか…などと、理は妙な事を考えながら歩いていた。
時間は昼前、商店街を抜けて住宅街へと続く道を歩いていた二人の側に、一台の車…所謂『大型のワゴン車』が近づいて来た。外国製のものだろうか、住宅街の狭い道幅ギリギリのところを、ゆっくりと反対側からこちらに近づいて来るのを見つけ、二人は壁際に身を寄せながら呟いた。
「うわ、何アレ……?」
「こんな狭い所に、あんなので入って来ちゃダメでしょ…迷惑ね…。」
車はそのまま、ゆっくりと通り抜けて…行かなかった。中程で突然、車が停まったのだ。ちょうど、二人の目の前に車の「スライドドア」が来るような状態である。そして、この状態は…周囲からも二人の姿が見えなくなる、そんな状態となるのだ。
「「…え?」」
次の瞬間、戸惑う二人の目前で突如スライドドアが開き、車内から複数の手が伸び、二人の襟なり腕を掴んで車に引きずり込もうとする!
「キャアァァっ!?」
「う、うわぁっ!?」
襟やら腕をいきなり掴まれ、引きずり込まれそうになった二人は悲鳴を上げ、全力で抵抗する。
…偶然だが、美弥の持っていた買物袋が掴んでいた腕の主に当たり、中身をぶちまける形となったため、掴んだ力が緩む。その隙に美弥は掴まれた腕を振りほどき、理の身体を引っ張って拘束から助けようとする。
「離して、離してよ!」
「…!?……!」
理を掴んでいた男が何か叫んでいたが、その言葉はまるで分からない…が、抵抗された事が予想外だったらしく、理の方も拘束から逃れる事ができた。
拘束から解放されて尻餅をついた理を助け起こしながら、美弥は「走るよ、理!」と叫び、理と共に車から離れようとした……が、そこで驚くような事態が起こった。二人の目前に、頭上を飛び越えて男が立ち塞がったのである。
その男は全身「黒づくめ」で、顔もご丁寧に黒い目出し帽で覆われており、素顔が見えない。が、見えている目から、明確にこの男が怒っているのだけはよく分かった。
「…このガキ共が、暴れるな!大人しくしろ!」
男が苛立ち混じりに叫び、その刹那、車からも三人の「黒づくめ」が飛び出し、二人を取り囲んでしまう。
「な、何ですか、あなた達は!?」
「うるさい…さっさと捕まえろ!」
理の問いには応えず、最初の「黒づくめ」が周りに命令し、取り囲んで間隔を狭めてくる…その圧により、二人はじりじりと壁際に追い込まれてしまい…逃げ場を失ってしまった。
「…う、うぅ……。」
「た、助けて、助けて~!誰かぁ~!?」
パニックに陥り、硬直してしまった理と、助けを求めて叫ぶ美弥を眺めながら、「黒づくめ」の一人が嘲るような口調で話しかけてきた。
「無駄なことすんな、諦めろや…なぁ?」
「…おい、テメエら…」
「!?」
突如、横合いから声をかけられ、「黒づくめ」達の間に動揺が走る。「黒づくめ」の一人がそちらを見やると、一人の大きな男が立っていた。
横合いから声を発したその大男は、2メートル近くあるであろう、パッと見ただけでも分かる程に鍛え上げた肉体を、無地のシャツと程よくくたびれた革製のライダースジャケット、アーミーパンツと編み上げのブーツで固めて、そこに立っていた。
その表情はサングラスのためにイマイチ判別しづらいが、明らかに全身から嫌悪感を滲ませて、黒づくめ達に向けて声を発してきた。
「誰に断って…ソイツらに手ぇ出してんだよ、あぁ?」
「…なんだ、貴様は。見逃してやるからさっさと……!?」
「黒づくめ」の一人が、その大男に声をかけた瞬間…言い終わらぬうちに、一瞬で間合いを詰めた大男の、横殴りに振るわれた裏拳の一撃で吹き飛ばされていた。
“ドガッシャァ…ン“という、車の後部ドアに「黒づくめ」が叩きつけられ、ガラスの砕ける音とドアのひしゃげる音が辺りに響いた刹那、残った「黒づくめ」達は声も上げずに一糸乱れぬ動きで、大男に襲いかかっていく。
「遅ぇよ…!」
が、大男はそれを見てもなお、余裕綽々といった感じで声をあげる。その言葉通り、大男は一瞬で「黒づくめ」の一人の背後を取り、左上段の回し蹴りを側頭部へ叩き込む!
“ガゴォォッ!!“という大きな音が響くと同時に蹴られた「黒づくめ」は吹き飛ばされ、最初に吹き飛ばされた「黒づくめ」と重なるように、車の後部ドアに叩きつけられてしまう。
「…な……!?」
「どこのモンだ、貴様ら…?オレの仕事の邪魔すんな、面倒臭ぇからよ…。」
一瞬で二人を倒された「黒づくめ」達の間に、再び動揺が走る。が、数瞬の沈黙の後に「黒づくめ」の一人が驚きの声を上げた。
「お、おい…コイツ……!?」
「…な、何…!?何故、貴様がここに…!?」
どうやら大男の正体に気づいたらしく、「黒づくめ」達の動揺が、いや…『恐怖』が大きくなっていく。
「…オレが誰だか分かったんなら、さっさと消えろ。雑魚の相手なんざ、してるほど暇じゃねぇんだよ。」
大男がうんざりした様子で声をかけると、「黒づくめ」達は僅かに目を合わせ、一瞬で壁を飛び越えてそのまま屋根に飛び上がると、そのまま姿を消した。間をおかず、車のエンジンがかかる音がしたかと思うと、狭い住宅街では出したらまずい速度で、後部ドアの壊れたワゴン車は離れて行く。…どうやら、叩きつけられた仲間は回収したようだが。
その様子を確認し、ワゴン車と「黒づくめ」達が視界から消えたのを確認すると、大男はゆっくりと理達の方に向き直りながら、二人に声をかけた。
「…さて、質問だ。お前さん達…『有藤 理』と『流 美弥』で、間違いないよな?」
お礼を言おうとして、二人はほぼ同時に硬直した。
自分たちの名前を、なんでこの大男は知ってるのか、と。
「…あ、貴方は、一体……?」
恐る恐る、といった様子で理は大男に話しかける。が、大男は理の問いを無視し、もう一度、二人に確認を取ってきた。
「悪いが、お前らの質問には答えられねぇ…こっちの質問には答えてもらうが。という訳で…お前ら二人は『有藤 理』と『流 美弥』で…間違いないな?」
大男は物静かな、しかし凄まじいプレッシャーを感じさせる口調で確認してきた。
「そ…そうだとしても、わ、私たちに、一体…何の用があるんですか?」
プレッシャーに耐えかねたのか、若干震える声で美弥が大男に答えると、大男は「お前らを連れて来いっていう『仕事』だ。だから…付いてきて貰うぜ。」と言葉を返してきた。
「な、何を勝手な事を言って…」と、反抗しようとした美弥の眼前にあり得ない速度で大男が一瞬で現れると、その鳩尾めがけて『中指一本拳』を軽く突き入れる。
「……ごフッ!?」
「み、みゃーちゃん!?」
大男の突きを食らわされ、悶絶しながらうずくまる美弥を支えようと近づく理の眼前に、大男が立ちはだかる。そして、大男は理に対して声をかけてきた。
「悪いが、言うこと聞かないとか、うるさいようなら…死なない程度に痛め付けてもOKって言われててな。要は、お前ら二人を「生かして連れてくこと」だけが条件なんだよ。あんまりうるさいようなら、骨の二・三本はへし折っても良いんだが…面倒だからやらせんでくれ。」
「……!?」
大男の言葉に、理は戦慄する。“この人は本気だ“と、理屈抜きの直感で、理は状況を理解した…いや、理解してしまった。
「お、理……逃げ、て……」
大男の背後でうずくまっていた美弥が、苦しげにお腹を押さえたままで理に声をかける。が、理はそれに対して震えながら、しかしはっきりと、「嫌だ!」と答えた。
「み、みゃーちゃんを置いて…に、逃げる、なんて…で、できるもんか!」
「…男だな、その根性は誉めてやる。だがよ…「助けを呼ぶ為に逃げる」って選択肢もあったんだぜ、一応は…。」
理の叫びを聞いて、大男は素直に感心した後、理に対して口を開いた。
「なら…次はお前だ。痛いだろうが…我慢しろ。」
((誰か…誰か、助けて…誰か…!!))
二人の声にならない祈りも空しく、大男が美弥に対して使った『中指一本拳』を、理めがけて放つ。
「…っ!?」
思わず目を閉じてしまった理だったが、いつまでも痛みが来ない事に気づいて目を開くと……中指を伸ばした状態の大男の拳が、途中で止まっていた。そして…「そこまでです。」という、別の声が聞こえてきた。
「…!?」
大男が驚いた様子で、自身の拳を…正確には自身の右手首を掴んでいる人物の方を見る。
そこには、中肉中背で銀色の金属フレームの眼鏡をかけ、群青色の作業服の上下に身を包んだ、「工場で働いている男の人」としか形容できない人物が、大男の手首を掴んで立っていた。
「そこまでにしなさい、『雷帝』…。」
『雷帝』…そう呼ばれた大男は、一瞬でその拘束を振りほどくと、飛び下がって間合いを取る。
その側で事態の急変について行けず、呆然としていた理の耳に、静かな、落ち着いた調子の声で「彼女の、美弥さんの側へ行きなさい…。」という言葉が聞こえ、反射的に理は動いていた。
突き飛ばされたかのように美弥の元へ駆け寄ると、痛みでうずくまっていた美弥の背中に手を当てながら声をかける。
「だ、大丈夫…みゃーちゃん!?」
「…な、なんとか…。け、けど…一体、何がどうなってるの…?」
まだ衝撃が残っているせいか、何度か咳き込みながら美弥は理に答える。
すると、眼鏡の男が『雷帝』と理達の間に…二人を『雷帝』の視線から隠すような位置に動きながら…『雷帝』に再び声をかける。
「貴方のこれ以上の狼藉、見逃す訳にはいきません。ここから先は、私がお相手しましょう。」
「…」
その様子を見ながら、理は不思議な感覚に捕らわれていた。ぱっと見、どう見ても『雷帝』という男の方が圧倒的に有利なハズである。「体格」「威圧感」などの要素で、相対している眼鏡の男の方に勝っているモノはない、そうとしか見えないし、思えないからだ。
それに…あの『雷帝』という大男は「巨体なのに異様な速度で動く」という、理屈の分からない、いわゆるチートとしか思えない事ができるのだ。
どう見ても、勝負になるとは思えないし、自殺行為でしかない…そのハズなのに、この「背中」の、いや…この人から感じる『頼もしさ』や『安心感』は、一体なんだろう……そう、理は思っていた。
しばしにらみ合う、二人の男…だが、沈黙を破ったのは、意外にも『雷帝』の方だった。
「!…な、何で…何でアンタがここにいる!?アンタは、今日本にいないハズだ…!?」
「…そちらの理屈なんて知りませんよ。私は、いま、ここに居るのですから。」
己の眼前にいる男の素性に気づいたらしい『雷帝』の声と気配に、明らかな驚愕と動揺…いや、恐怖が混じる。それも、ついさっきの「黒づくめ」達の比ではないレベルのそれが、だ。
「…クソ、って事は…『水晶』達は…アンタ1人にやられたってのか!?…なんてこった…。」
『雷帝』が驚きの声を上げるが、男は素知らぬ様子で言葉を続ける。
「貴方の思惑なぞどうでもよろしい…が、『闘う力』を、爪や牙を持たぬが…明日の平和を祈り、そして願う人々がいる限り…その祈りと願いが尽きない限り、私は…私達『ライブラ』は現れるのです。明日の平和と、笑顔の礎となる為に、そして…貴様ら『人間の心を棄てた天魔外道を討つ』…その為に。」
男の口から、静かな…そして断固たる決意のこもった言葉を聞き、『雷帝』は口許を歪めながら毒づく。
「ハ、そのお題目は聞き飽きてんだよ、そんな下らねぇ「理想」で、人が救える訳ねぇだろうが…。その「理想」とやらで救えるってなら…今すぐ、この世の総てを救ってみせな…。」
「…『今』が駄目なら…『次の代』にやって貰いますよ。その為の『地ならし』をするのが、今を生きる私達の勤めでもあるのですが…その事を知りませんでしたか、貴方は。」
『雷帝』の皮肉混じりの言葉を、男は真正面から受け止め、こう返してみせた。
この間、お互いにほとんど動いてはいない…が、『雷帝』は己の圧倒的不利を思い知らされ、内心では冷や汗を流していた。
(冗談じゃねぇ…ただでさえ人選ミスっちまって仕事が増えてるってのに、まさか…まさか「コイツ」が出て来るなんて…最悪なんてモノじゃねぇぞ…)
『雷帝』が思考を巡らせたその瞬間、“ピシッ“という小さな音がした途端、『雷帝』のサングラスが真っ二つに割れ、地面に落ちて乾いた音を立てる。
「……!?」
サングラスが地面に落ちてから間を置かず、『雷帝』の頭から一筋の血が流れ落ちてきた。その様子を見ながら、男は静かな口調で物騒な言葉を紡ぐ。
「次は…目玉でも抉りましょうか?それとも…耳か、はたまた心臓か…望みを、聞きましょう。」
「「え…!?」」
男の口から放たれた物騒極まりない言葉に、後ろの二人は驚愕の声を漏らしたが、言われた当人である『雷帝』は、黙ってその言葉を受け止め…そして、口を開いた。
「…流石に、オレでも現状がとんでもなく不利だってのは分かってるぜ、『石川』の旦那…。悪いが、ここは退かせて貰うわ。」
『雷帝』の突然の「退却宣言」に、眼鏡の男…石川は不審げな様子で『雷帝』に声をかける。
「私が…貴方を、目の前の敵を逃がすとでも?」
「ああ。旦那の『本気』で、ガチにブチかまされた日にゃ…確かにオレなんざひとたまりもねぇかもな。だがよ…仮にそれをココでやったなら、この辺り一帯は確実に焦土となるはずだからなぁ…心のお優しい旦那には、それは出来ない相談だろ?その「優しさ」に付け込んで、逃げさせて貰おうと思ってな…。」
「……」
その『雷帝』の言葉を聞いた石川の表情が、初めて歪んだ。それも、悔しげに。その石川の顔を見た瞬間…『雷帝』は目にも止まらぬ速さで電柱の上へと飛び上がり、屋根から屋根へと飛び移って逃げながら、石川へ声をかけた。
「とは言うものの、こっちも旦那のせいで仕事をミスったんだ。だからよ、今回は『痛み分け』って事にしといてくれや…旦那ぁ!」
「…仕方がありません……今回だけは見逃してあげましょう、『雷帝』。ただし…次はありません。」
「オレは『雷帝』じゃない…オレの名は『モルドフ・リニーチェラ』ってのさ。次に会ったら…存分にやろうや、旦那ぁ!」
この言葉を残し、『雷帝』の姿は見えなくなった…が、油断なく周囲を探るように視線を巡らせた後、石川は静かに…決意を込めて、呟いた。
「…覚えておきましょう、『雷帝』モルドフ…。」
「黒づくめ」の集団と、モルドフという謎の巨漢が姿を消して少しした頃、この現場には三人…理と美弥、そして…「石川」と呼ばれた謎の眼鏡の男が残っていた。
「…大丈夫ですか、二人とも?」
振り返った石川は、静かな口調で二人に話しかけてきたが、理と美弥は固まったまま、呆然と石川を見つめることしかできなかった。
「「………」」
恐怖と不信の眼差しを向ける二人に対し、石川は静かに二人に近づき、片膝をついて二人に目線を合わせ、落ち着いた口調で…ゆっくりと話しかける。
「お二人が私を疑うのはよく分かります…が、とりあえず、話を聞いては貰えませんか?」
「…な、何なの、あなた、なんで…何で私達を……!?」
美弥が錯乱した叫びを上げる…が、それは当然だろう。いきなり誘拐されかかるわ、殴られるわ…助かったとは言うものの、突然の『非日常』を味あわされてなお、平気でいられるはずはない。何より…その「非日常の化身」が1人、まだ目の前にいるわけだ。錯乱するのも当然か…。
「ふむ、困りましたね、コレは。…君は大丈夫ですか、理君?」
このままでは美弥を落ち着かせるのは難しいと判断したからなのか、石川は理の方を向き、彼に声をかける。
「…あ、は、はい。おかげさまで…。」
「それは良かった、では、少し美弥さんとそこで待ってて下さい…すぐに終わりますので。」
理の反応を確認し、石川は立ち上がって歩き始め…散らばった『買物袋』の中身や、二人の学生鞄などを拾い集め始めた。それらを集めると…そのまま、二人の傍らに置き、改めて頭を下げてから話しかけてきた。
「これで全部でしょうかね…もったいないかもしれませんが、卵は全滅…色々と汚れるわ、潰れるわ。本当に申し訳ありませんでした、出遅れたので、あなた方をこんな面倒に巻き込んでしまいました事を、改めてお詫び致します。」
「…?え、あ、いや、その…」
「まさか、何か奪われましたか?それとも…どこか痛むとか、でしょうか?」
上手く言葉が出て来ない理を見て、石川が慌てた様子で声をかけてくる。その石川の様子を見た二人は…毒気が抜けたような表情でしばし固まり…そして、笑い始めた。
「「ふ、くく…あ、あはははは…!」」
「……はい?」
突然笑い始めた二人を見ながら、石川は困惑した様子で二人を見つめる。ひとしきり笑った後、笑い終わったのか、理より先に美弥が石川に声をかけた。
「あ、その…ごめんなさい。助けてもらったのに、急に笑いだしたりして。それに…さっき、怒鳴ったりしちゃって…。」
「いいえ、それは気にはしてませんのでお気遣いなく。普通…あんな事になれば、錯乱するのもやむを得ないでしょうから。」
「あ、あの…本当に、助けてくれてありがとうございました。」
「いえ、改めてお聞きしますが…二人とも、どこか怪我はありませんか?」
「わたしは大丈夫です…。」
「僕も…。」
「それは良かった…。では、改めて自己紹介させていただきましょう。…私、こういう者です。」
石川は腰の後ろに付けていた小型のケースから二枚の名刺を取り出し、二人に差し出す。その名刺には、簡素な字体でこう書かれていた。
【国連保持者関連特務機構 ライブラ『極東支部長』 石川 】…と。
裏には『極東支部』の電話番号とファックスの番号、更にはメールアドレスが併記されている。
名刺を受け取ってそれを見た二人は…名刺とそれを差し出して来た男、『石川』の顔を交互に見やり、困惑の声をあげた。
「「こ、『国連』の…と、特務機構?そ、それに…き、『極東支部長』って…?」」
「…珍しい反応ですねぇ、なんか。名刺出してこんな反応されたの、ほとんど記憶にないのですが……。」
二人の反応に、石川は苦笑しながら頭を掻いていた。大概の場合、相手は無表情で名刺を受け取り、そのまま腹に一物ありそうな状態で会話を始める…というのに慣れてしまっていたためであるのだが。
「あ、ご、ごめんなさい。」その様子に気付いた理が、慌てて石川に頭を下げる。が…石川は気にした風もなく、二人に声をかける。
「なんか新鮮ですねぇ…こんな反応されるの。」
下手すると名刺破られたり、投げ返されたりしますしねぇ…と呟きながら、言葉を続ける。
「お気になさらず…さて、改めてお尋ねしますが…『有藤 理』君と、『流 美弥』さんで、間違いないですね?」
「「はい」」
石川の質問に、二人の返事がシンクロする。それを受けた石川は、そのまま言葉を続ける。
「ご丁寧にどうも…さて、お二人には改めてお話しなくてはならない事があるのですが、こんな場所では流石に無茶過ぎる内容でして…よろしければ、お昼でも食べながら、というのは…どうでしょうか?」
石川の提案に、二人は顔を見合わせ…小声で相談を始めた。
(ど、どうしようか…みゃーちゃん…?)
(…この人、訳分かんないけど、悪い人じゃなさそうだしね…ついてってみる?)
(…う、うん……。)
「わ、分かりました。え、えぇと…い、石川さん?」
「はい?」
「つ、ついてくのはいいんですけど…ど、何処に行くんですか?」
「そうですねぇ…二人は、何かメニューに関してリクエストは有りますか?」
「……僕、中華がいいかな、なんて…。」
「あ、私も…。」
二人の提案を受け、石川はしばし考え込むと…「よし」と呟き、二人に向き直ると「付いてきて下さい。」と言って、歩きだした。
「え、あ、あの…?」
困惑した様子の美弥を見ながら、石川は静かに声をかける。
「こちらに車を停めていますので、荷物を持って着いてきて下さい。」
「「は、はい…。」」
石川に言われるまま、二人は荷物を持ち、石川の後ろに付いていく。少し歩くと、石川は『コインパーキング』に入って行き、街で良く見かける『灰色のミニバン』のドアを開けて乗り込もうとしながら、二人に声をかけた。
「さ、この車に乗って下さい…いま、二列目の扉を開けますので、しばしお待ちを。」
「石川さん…こ、国連の人って言ってたから…外車かなと思ったんですけど…違うんですね。」
「あぁ、なるほど…でもね、それは簡単な理由ですよ。『目立つのは危険』ですから。日本の街中なら、日本車が一番目立ちませんしね。」
唖然、というか拍子抜けした感じの美弥の言葉に、石川は平然とした様子で答える。
「あ、そっか…。」
「それこそ、ドラマや映画辺りの主人公とかならそうもなるでしょうけど…現実では、それは「悪目立ち」というモノなんですよ。先刻のような連中に、マークされるのは避けないとなりませんからね。」
「…やっぱり、そういうものなんですか…。」
「ええ」と答えながら、二人が車に乗り込んだのを確認し、ドアを閉めながら、石川は答える。
「この仕事では、下手に目立とうものなら…いわゆる『暗殺者』がリアルに仕掛けて来ますので…自分だけならまだしも、他の方々を巻き込む事を全く気にしないですからね…基本的に、奴らは。」
「「う…うわぁ……」」
石川のあっさりした解答に『現実の凄み』を感じ、二人はうめき声をあげてしまう。
「あ、そういえば…石川さん。」
「はい?」
「確か…『ライブラ』って、確か…『保持者関連特務機構』でしたよね。という事は…その…」
「はい、私は『保持者』ですよ。…最も、『ライブラ』には『保持者』以外の人間の方が多いんですけどもね。」
「…!」
石川はこれまたあっさりと理の質問に答えるが、むしろ驚いたのは美弥の方だった。
「え?そ、そうなんだ……」
シートベルトを締めて車のエンジンを始動し、パーキングから車を出しながら…石川はごくあっさりとした口調で美弥に答える。
「『保持者』は確認されてるだけなら、今の地球上の全人口のおおよそ【2割から3割】程度はいるはずですけどもねぇ…、その総てを我々も把握できてる訳ではないのですよ、残念ながら…。」
「なんでですか…?」
「…人間、色んな人がいるのと同じ理由ですよ。我々との考え方の違いで、我々に協力しないというだけならまだ分かるのですが…『我々が世界を統一する』とか言って、あちこちでテロリストみたいな真似するバカ共が居るんですよ…。」
美弥の問いかけに、石川は苦虫を噛み潰したような声色で答える。
「…それって……?」
「先刻の『雷帝』が所属している組織…『万魔殿』が、それです。奴以外にも、かなりえげつないのがてんこ盛りで所属してましてねぇ…対応が大変です、本当に……。」
車を運転しながら、石川は静かに質問に答える。
「後で少しお話しますが…『万魔殿』以外にも、世界には頭のネジがまとめてぶっ飛んだような奴らがたくさんいましてねぇ…先日、上海特別区で『保持者は神に選ばれし新人類、能力を持たない旧人類は、我等の奴隷としてのみ存在を許される』なんて妄言抜かす連中をド突き倒してきたら…よりによって『奴』が日本の街中にいる、との連絡を受けてすっ飛んで来た訳ですよ、はい…。」
「あ…あの人、そんなとんでもない人なんですか…!?」
理は、その石川の言葉に仰天した。
「『とんでもない』…確かに、そうですね。彼は『万魔殿』に所属している『保持者』の中でも、かなり上位の能力者です。その気になれば…彼1人でこの街を廃墟と化す事すら、簡単に出来るでしょう。」
理には、石川の言葉から嘘を含まない『凄み』を感じられた。あの時…向き合っただけでも、足どころか全身が震え、一目散に逃げ出してしまいたくなるような『威圧感』とか『恐怖』は…、簡単に忘れられるような類のモノではない。
「で…でも、石川さん、あの人に『本気でやられたらひとたまりもない』って…言われてました、よね?」
「……どうでしょうね…強いて言うなら、挑発でしょうか、奴なりの。」
理の問いかけに、石川は静かに答える…が、理も、隣で聞いていた美弥も、石川の言葉に「僅かな嘘」を感じ取っていた。
(ね、理…この人…、私達を怯えさせないように気を使ってくれてるのかな…)
(僕もそんな気がする…石川さん、多分だけど…モルドフだっけ、あの人より間違いなく『強い』んだと思う。だから…あの人は素直に逃げたんじゃないかな)
(けど、だとしたらなんで石川さん、あの人を逃がしちゃったのかな…?)
(石川さんの方に、なんか理由があるんだとは思うけど…なんでだろうね…)
「二人とも、そろそろ到着しますので、降りる支度をお願いします…。」
こそこそと小声で話していた二人に、運転席の石川が声をかける。
「「あ、はい…。」」
二人は慌ててシートベルトを外しながら、石川に従って降りる準備を始める…。
車の窓から外を余り見ていなかった二人は、車から降りても、自分たちがどこに連れて来られたのか、皆目見当がつかなかった。
取り敢えず、どこかの「地下の駐車場」らしい事だけは分かるのだが……。
「あの、石川さん…ここ、何処ですか?」
「はい、落ち着いて食事の取れる場所ですから…ご安心を。さて…付いてきて下さい。」
二人の方を見やり、石川は歩きだす。
その石川を小走りで追いかけながら…二人は困惑の色を隠せなかった。
石川にくっついて地下から上へ上がるエレベーターに乗り、ドアが開いてフロアに降り立ってから、二人は声にならない驚きを表していた。
二人とも、この空間の空気の違いは敏感に分かった。多分…ここは高級ホテルのロビーだ。
高級そうな内装で構成された空間と、落ち着いた雰囲気のBGMが辺りに流れているこの場所に…学生服の自分たちと作業服の石川は、かなり浮いているのでは…とすら思えて仕方ない。と、1人の若い男性がこちらへ慌てて近づいてきた。
「…申し訳ありません。ご予約もなく来訪されましても困るのですが…。」
「見ない顔ですが…支配人を呼んで下さい、『ライブラの石川』…そう言えば分かりますので。」
不審げにこちらを見ながら声をかけてきた若い男に、石川はあっさりと答えるが、石川のその反応が癇に触ったらしく、男は声を僅かに荒らげた。
「…そんな薄汚い格好で、いきなり現れて…しかも「支配人を呼べ」だと?何様のつも……!?」
次の瞬間、“バキッ“という音がしたかと思うと、男の横っ面に見事な左正拳突きが突き刺さった。
「な…!?!?」
そのまま男は床に転がったのだが、自分を殴った人物の顔を見て愕然とした。
…なかなかに渋い雰囲気をした、スーツをきっちりと身に纏った壮年の男性が、肩を揺らし、拳を突き出した体勢のまま、若い男を睨み付けている。
「このバカ者が、なんという失礼を…!この方は『国連』の石川様だ!ここに来た時に最初に教えておいただろう、なんというふざけた対応をするのだ、お前は!?」
「し、支配人…!?し、しかし……!?」
殴られた男は、反論しようとして…何かを思い出したのか、そのまま硬直した。
…あんな速さで目まぐるしく人間の顔色が変わっていくのを見たのは、この時が初めてだった…と、後に二人は述べている…。
「…し、失礼いたしました……!?」
明らかに狼狽した様子の若い男を尻目に、石川は支配人と呼ばれた壮年の男性に向き直ると、静かに話し始める。
「いつも突然で申し訳ありませんね。…部屋を一つ、それから…中華料理のメニューをお願いいたします。」
「承知致しました、石川様。しばし、お待ち下さいませ…。」
支配人と石川の一連の会話を聞きながら…二人は呆然としてしまった。ほとんど映画かドラマ並のベタな展開を、リアルに眼前で目撃するなんて事が起ころうとは、流石に思わなかったからだ。
…硬直したまま立ち上がることが出来ない様子の若い男を(どうしたらいいんだろう、と思いつつ)無視して、美弥は石川に話しかける。
「石川さん…本当に偉い人だったんですね、なんか…実感が湧かなくて…その…。」
「はっはっは…お気になさらず、良く言われますから、それ。おかげですっかり慣れましたよ。」
申し訳なさそうな美弥の言葉に、石川は心なしか乾いた笑いを上げながら答える。…なんか、大概言われ続けて反応するのが面倒になってるようにも思えたので、美弥は気にしないことにした。
「で、でも…石川さん、何で…こんな凄そうなところを?」
「それは簡単です…『話をする際に、他人の邪魔が入らない』事と『料理が美味しい』からです。」
理の質問に、本当にあっさりと石川は答える。
(そんなややこしい話をするのかな…なんだろ…?)
唖然とした理の表情から何かを察したのか、石川は静かに話し始める。
「お二人には本当に申し訳ないのですが…、かなりキツい話をしなくてはなりませんからね、邪魔されたくはないんですよ。」
「「え?」」
石川の言葉にほぼ同じタイミングで、二人が驚いた声をあげる。
「…準備が整ったようですね、行きましょうか。」
少し奥から先刻の支配人が現れたのを確認し、石川は二人に声をかけて支配人へ近づいていく。その後を慌てて追いかけながら、二人は…ずっと抱いていた不安が大きくなっていくのを、改めて感じていた。
…支配人が直々に案内してくれたのは、一階の奥にある『個室』だった。ただ、『個室』といっても…学校の教室程度の広さがあり、その中央に置かれた円形のテーブルと数脚の椅子、そして内装の雰囲気も…今まで見たことがないような高級感が溢れていながら、それが嫌みなり圧迫感を感じさせない、本当に見事な装飾で飾られていた。
「「…………。」」
「さ…適当に座って、メニューを頼んでしまいましょうかね。」
「…あの、石川さん…?」
「なんでしょう?」
「さっき言ってた…『キツいこと』って、何ですか…?」
「…それを話す前に、腹ごしらえをしましょう。人間…空腹だと、気持ちも頭もロクに回らなくて、いい答えなんて出せませんから。」
理の不安げな問いかけに、石川は静かに答える。
「…でも……。」
「少し、長くなるからですよ。あなた方二人に深く関わるお話ですからね、これから話すことは。故に…心身を強く持って貰わないとなりませんから。」
「「…?」」
「…さ、座って下さい。」
石川に促されるまま、二人は席に着き、置いてあるメニューに目を通し始める…。
あの時、「中華」とは言ったが…よもやこうまで『本格的』な料理が出てくる場所だとは思いもよらず、二人はひたすら困惑しながらメニューを頼むハメになった。
…美弥が『炒飯』頼んだら「高級海鮮の餡掛け炒飯」なるものが出てくるわ、理が『エビチリ』頼んだら『伊勢海老のチリソース包み雲龍揚げ』なんて代物が現れるわ…驚いて石川の方を見たら、『高級な食材てんこ盛りの餡掛け拉麺』に『見たことない魚の揚げ物』に『五目炒飯らしきもの』と『餃子』をがっつり食べ始めるわ、視線に気付いた石川に、「コレ…美味しいですよ」「デザートどうします?」と聞かれ、二人はだいぶ焦ってしまっていたが…とにかく、食べた料理の悉くは『間違いなく美味』であったことは確実であったという…。
腹ごしらえも済み、デザートの『杏仁豆腐』と『中国茶』を味わいつつ、石川は二人に話を切り出し始める。
「…さて、そろそろ話を始めましょうか。あ、そのまま聞いてくだされば良いです。」
お茶を飲んでいた理は、カップを置いて石川の方を見やる。
「…お願い、します。」
「長ったらしい話は私も嫌いなので…本題を言います。理君…あなたのお父さん、「修己」さんが…誘拐されました。」
「「…!?!!」」
突然の凶報に、二人は驚いて息を飲むが、その様子にかまわず、石川は話を続ける…。
「3ヶ月程前、とある遺跡の調査に訪れた修己さんとその一行を…その地域を根城とするゲリラが襲撃、博士以外のメンバーは全員が殺され、修己さんのみ連れ去られてしまったのです…。」
「…な、何で、なんでそんな落ち着いてるんですか、と、父さんは…父さんは無事なんですか!?」
理は驚きと焦りで混乱し、石川に向かって叫ぶが…石川は静かに理を嗜め、話を続ける。
「落ち着いて下さい…というのも難しいでしょうが、修己さんは間違いなく「生きて」います。それを確信できる情報が入ってきてますから。」
「ど、どうして…おじ様が生きてるなんて決めつけられるんですか!?」
「その理由は一つ…修己さんをさらったのがゲリラではなく、『万魔殿』だと確定したからですよ。」
「ぱ、『万魔殿』って…さっきの!?」
「はい、ただし…『万魔殿』の中でも『雷帝』とは別ルートの連中です。奴が動いたのは、陽動を兼ねた別の作戦のためだというのが、先ほどの接触で分かりましたので…。」
『万魔殿』は複数の作戦を連携、連動させる事が多いから、こういう事になると面倒が増える…と石川は呟きながら、二人に話を続ける。
「『万魔殿』もだいぶ焦っているのかも知れませんが、修己さんから情報を引き出す為に…彼の…命よりも大事な『子供たち』を、即ち…あなた方を狙ってきたのです。仮に『雷帝』が主導していれば、あなた方二人を…修己さんを拐う前に、有無を言わさず誘拐にかかります。」
「…で、でも…!?」
「我々『ライブラ』も全力を尽くして捜索していますが…未だに彼の居場所を特定できていないのです。そこが分かれば…私と『極東支部』の総力を上げ、直接乗り込んで助けますよ…全力で、ね…。」
二人は…石川の静かな、しかし凄まじいまでの気迫に気圧される。
「石川さん…。」
その様子を見て、理は安堵すると同時に疑問が浮かんできた。そのため、その答えを知るために恐る恐る口を開く。
「石川さんは…父さんと、その…どんな関係なんですか…?」
「『旧い親友』ですよ…彼と、私は。そして…あなたの母親の『理恵』さんも…美弥さん、あなたのご両親のことも、私は深く存じています。」
「!?…わ、私のお父さんとお母さんのこと、知ってるんですか…石川さん!?教えて、教えてください…お父さんと、お母さんのこと……!!」
石川の言葉に予想外の反応を見せたのは、理より美弥の方だった。美弥はそのままの勢いで、石川に疑問をぶつける。
「はい…美弥さんのお父様、「流 一弥」さんと、その妻である『美咲』さんも…私の、親友でした…。」
「「…!?!?」」
驚きの余り言葉を失ってしまった二人に、石川はゆっくりと言葉をかける。
「…修己さんと一弥さんは…それぞれ「歴史」と「考古学」の若き研究者であり、学界においてその才能を認められていたのです。その研究のさなか…二人は『人類史の影』とでも言うべき事実…我々『保持者』の存在に、それぞれ別方向からのアプローチの末に辿り着いてしまいました。当時、表に出ていなかった『ライブラ』でも…二人の処遇は揉めに揉めたのですが、二人は我々に協力する事を快く約束してくれました。その時に、私は彼らと出会ったのです。それ以来の付き合いですよ…はい。」
「…え、だとしたら、石川さん…おいくつ…?」
「…その研究成果を『然るべき時までは表に出さない』と約束してくれた二人を、様々な障害から守護るべく、私が護衛を兼ねて同行していたのですが…よもや私の目の届かないところで、あんな可愛い嫁さんを見つけて結婚までするとは、本当に驚きましたよ、私。」
「「………」」
懐かしさと軽い嫉妬を滲ませながら、石川は話を続ける。
「しかし…14年前のあの日、私が別の任務の為に彼らから離れてしまったあの時、別の遺跡調査のために東南アジアに赴いていた彼らのキャンプを…『万魔殿』のグループが襲撃、その結果…理恵さんと…一弥さんと美咲さんは、亡くなりました。」
「……!」
「そ、そんな…父さんは、『遺跡の崩落事故』だったって…言ってたのに…!?」
「『ライブラ』の…『保持者』の秘密を守護り通す為の修己さんの方便でしょう。その現場には、あなた方もいたのですが…流石に幼すぎて覚えてはいないでしょう…。」
「「えっ…!?」」
石川の言葉に、二人は驚いて硬直してしまったが、石川はそれに気付かないふりをして話を続ける。
「…理君、君の首から背中にある傷痕…それは、その時に付けられたものです。…本当に、申し訳ありませんでした。彼らを…修己さんや一弥さん達を…友を『必ず守護る』などと偉そうに言っておきながら…何一つ、私は…守護ることが、できなかったのだから……!」
「「………」」
淡々と話す石川の声に、深い悲しみと後悔が混じる…その表情も、口調もほとんど変えずに喋ろうとして…『理と美弥に必要以上のショックを与えない』為の気遣いをしようとして、無意識で失敗してしまっているということに気付いていないのが、尚更に石川の無念の深さを表しているように、二人には思えた。
…そして、しばらく黙っていた石川が、再び口を開いた。
「…あの事件の後、私と修己さんはとある相談をしました。修己さんとあなた方の身を守護るため、敢えて『ライブラと喧嘩別れしたように装う』事を…そして、『然るべき時に、研究成果を公表する』ということを。…そのため、修己さんとあなた方への接触はできる限り最小限に留めていたのですが、今回、それが裏目に出ました。かつての襲撃者達が、再び動き始めたのです。その目的が『修己さんと一弥さんの研究成果』なのか、それとも他に有るのか…それは分かりません……。」
「…お、おじ様…」
「父さん……」
それだけ話すと、石川は静かに席を立ち、二人の傍らへ近づき、土下座をしながら言葉を発した。
「こんな真似は、単なる自己満足と謗られても仕方ないことですが…それでも、あなた方の家族を死なせてしまい、ましてや再びこんな目に遇わせてしまったのは、私にも責任があります。どうか…どうか許して下さい、そして…修己さんを助け出すまで、私に…いえ、私達『ライブラ』に協力してください…どうか、お願いします……。」
「……!?」
「い、石川さん…!?」
二人は慌てて席を立って石川に近づくが、石川は顔を上げず、ひたすらに土下座をしたままの体勢で、そこを動かずにいた。
「……」
「…い、石川さん、お願いですから顔を上げてください…!」
「そ、そうです…その…上手く言えないんですけど、石川さん、僕らのことを知ってる…そう、仰いましたよね?」
「…はい……。」
「…後悔、なされてるんですよね…僕の母さんや、みゃーちゃんのお父さんやお母さん達を、助けられなかったこと…。」
「…はい……」
「な、なら…次、いえ…『今回』こそ、守護ってください…父さんと、僕らを。僕らには…『保持者』の力は、ないです。だから…石川さんに、お願いするしか、ないんです…。」
「…わ、私からもお願いします、おじ様を…取り返してください。そして…私達を…守護ってください…お願いします…!」
二人の言葉に…石川は顔をあげ、静かに、二人の顔を…目を見て、言葉を紡ぎだす。
「…すみません、そして…ありがとうございます。その約束は…私の総てをかけて果たしましょう、今度こそ、必ず…!」
二人の『願い』を受け、石川は静かに立ち上がる。その瞳の奥に『決意の炎』を宿して。
「…さて、私の話しはまだ少しあります。お二人は最近、変な事件の噂を聞いてはいませんか?」
「「変な事件?」」
少しの沈黙を経て、石川は話を切り替える。
…その言葉を聞き、二人は顔を見合せ…そして、理が思い出したように口を開いた。
「あ…そ、そういえば、この1ヶ月の間に、僕らの通う学校の人たちが…その…10人ぐらい連続で殺されたっていう事件が起きてますけど、何か関係が…?」
「それ、私も噂を聞いたけど…なんか、関係がまるで分からないし、状況が異様すぎて…警察も苦労してるとかなんとか…。」
二人の言葉に、石川は微かに顔をしかめた。そして…理の方を見て、問いかける。
「理君…他に何か、知ってますか?」
「え、えと…『現場にボールみたいなモノが散らばってた』とか、『ピエロみたいな人を見かけた』って話を聞いたんですけど…。」
「…美弥さんは、いかがでしょうか…?」
「私も…理と同じような話を聞いたんですけど……あ、そういえば…!」
話しながら美弥は何かを思い出したのか、声をあげる。
「その…あくまでも噂なんですけど、「違う」「コイツらじゃない」って…声を、聞いたって…。」
二人は、石川が話を聞きながら…その表情が僅かにだが動いたのに気付いた。
(まさか…『奴』か?だとすると…色々と辻褄が合うな。なら…応援を呼ばねばならん、か…。)
「二人とも、ありがとうございます。おかげでこの件の犯人の見当が付きました…かなりめんどくさい奴が動いているようです。」
「「え?」」
石川の言葉に、二人は唖然としながら声をあげるが、それに気付かない様子で、石川は独り言を
呟く。
「『奴』が動いてるのなら…何とかしないと犠牲者が増える一方になる、それに…「警察」への連絡と、「報道」を今より抑えないと不味いな…間に合うか…?」
「あの…石川さん?」
「…おや、失礼しました。お二人の情報のおかげで、動いてる相手の見当が付きましたので。…しかし『奴』め、なんて奴を投入してきたんだ…どうする…。」
僅かに怒気の籠ったような石川の言葉に、二人は不穏どころではないモノを感じ取る。どうやら…この事件も色々と関係が有るのだろうが、それを聞くのはなんとなく躊躇われるものがある。
と…少しの間ぶつぶつと呟いていた石川が、二人を見ながら申し訳なさそうに声をかける。
「申し訳ありません…二人を護衛しなくてはなりませんが、この相手に対する対策の準備を急遽行わなくてはならないようです…。私の代わりに、見えないように護衛を付けますので…このまま家にお帰り下さいますか?」
「…そ、そんなに危ない相手なんですか…?」
「…はい、これ以上の犠牲を出さないようにするには、警察と協力をした上で、嗅ぎ回ってるマスコミを抑え込む必要があります。現状、私が警察とマスコミに直接乗り込んで話を付けないとならない状況になってしまってますので…本当に申し訳ありません…。」
「石川さん…その、大丈夫なんでしょうか……?」
「大丈夫です、何とかします…それに、護衛は『極東支部』の精鋭をお付けしますので。それと…明日の朝、お二人を支部の方へご案内しますから、その準備をしておいて欲しいのですよ。」
不安げな美弥に、石川は信じて欲しい…と美弥の目を見ながらはっきりとした口調で言った。
「…分かりました、石川さん…色々と、その…お願いします。」
しばらく考えた末、理は石川に頭を下げる。状況が分からないことだらけの上、父のこともだが…彼に頼ると決めた以上、任せるしかない。それに…理は石川の事を信用できると、自分でも不思議なほどにそう確信していた。
その石川は、顎に手を当てて思案しているようだ…漏れ聞こえてくる言葉に、若干の焦りが垣間見える…。
「となると…現状で動かせるのは『大鷲』と、『舞狐』か…奴が相手となると、『舞狐』に…って、いかん…舞狐は今、北海道で任務中だ…このままだと『大鷲』1人になる…時間差で『舞狐』を投入するしかない、か?『舞狐』もそろそろ休ませてやりたいが、今回は無理を頼むしかないな…。」
(な、なんか…凄い難しいことになってそうだね…)
(石川さん…大丈夫かしら…?)
考え込んでしまった様子の石川を見ながら、二人は小声で話し合う。
「…でも、なんか不思議だね…僕もだけど、まさかみゃーちゃんのお父さん達の事まで分かるなんて、さ…。」
「…うん…、も少し落ち着いたら、石川さんに聞かせてもらわないと…お父さんと、お母さんのこと……。」
ぶつぶつと呟きながら策を練り始めた様子の石川を見ながら、二人はどこかほっとした気分を感じていた…。
ホテルでの昼食から、しばしの時が流れ…石川と理、美弥の姿は、住宅街の『有藤家』の前にあった。
あの後、幾つかの事柄を決めた様子の石川から「買い物が有りましたら、このまま済ませて下さい」と言われ、ホテルを出てから大型ショッピングモールへ向かい、食料品などを買い直して帰ってきた形になったのである。
「すいません、石川さん…送ってもらっただけじゃなく、お昼に買い物の分まで出してもらってしまって…。」
「お気に為さらずとも大丈夫です、予算でガッツリ計上しときますから…というのは冗談ですが、給料はかなり高いのですけど…使ってる暇がないのですよ、この仕事…。」
そう答えた石川の目が遠くを見ていたので、二人はこれ以上の詮索は止めておくことにした。
「本当にありがとうございました、石川さん…あ、あの…!?」
お礼を言いながら、次の言葉を…「両親のこと」を聞こうとした美弥の言葉を、静かに石川は遮って言った。
「時間を見つけて、お話はさせて頂きますから…安心して下さい。約束は、必ず守ります。」
「…はい、お願い、します…。」
石川は再び頭を下げた美弥の頭に掌を置き、軽く撫でると…理に向き直り、真剣な口調で話し始める。
「理君、美弥さん共々明日の朝に迎えに来ます…それまで、面倒でしょうがこの家から一歩たりとも外へは出ないで下さい。それから…護衛はこの後、近くに潜ませて置くので、気にしないで下さい。夜半過ぎには護衛は二人になりますから…ご安心を。」
「は、はい…でも、どんな人達なんですか、その…『護衛』の人って…?」
「『大鷲』はアメリカ人の青年で、彼が先に来ます。後から合流する予定の『舞狐』は…私の遠縁に当たる美女です、後で二人を紹介しましょう。」
「「は、はぁ…。」」
石川の言葉に、戸惑いを覚えつつ頷く二人。
「…さて、今夜が勝負時ですね。二人とも、気を付けて…私も交渉をさっさと片付けて合流するつもりですが…何とも言いづらいですからね、こればかりは。」
「はい…石川さんも、その…頑張ってください。」
理の言葉を受け、石川は静かに、しかし力強く頷き、車に乗って去って行った。
「…行っちゃったね、石川さん。」
「うん…けど、大丈夫だよね、きっと。」
石川の乗った車を見送り、二人は話しながら家の中に入る。
「でも…何だろう、お父さんの事もだけど、みゃーちゃんのお父さん達の事まで分かるなんて、色んな事が起こり過ぎて…なんか疲れちゃったよ。」
「私も…夕御飯、どうする?」
「…出前でも頼もうか?明日の準備もあるし…。」
「そうだね、そうしよっか……。」
そして夜は更けて行く…表向きは静かに、しかし…『狂気』と『殺意』を、ゆっくりと、少しずつ…濃くしながら……。
その日の夜遅く、日付が変わるか否かの頃合いの『有藤家』のリビングに、寝間着姿の理の姿があった。…昼間の件のせいか、まるで寝付けないのだ。
「…困ったなぁ…全然眠くならないよ…どうしよう…。」
…と、リビングの扉が開き、美弥が明かりを付けながら入って来た。
「理…眠れないの?」
「うん…みゃーちゃんも…?」
美弥はソファに腰掛けると…二人は顔を見合せながら…どちらからともなく話をする。
「…おじ様…無事よね、きっと。」
「うん…父さんは、きっと大丈夫。何せ、父さんの
悪運の強さは伊達じゃないから……。」
「…そうだね、おじ様、凄いもんね…。」
「けど、まさかみゃーちゃんのお父さん達の事、こんな形で分かる時が来るなんて…全然思わなかったよ…。」
「お父さん達やおじ様が…『保持者』の人たちと協力してたなんて、全然知らなかった…。」
「うん…僕も、まさか父さんがそんな事に首を突っ込んでたなんて…さ、気付きもしなかったよ…。」
「…石川さん、どんな事を知ってるのかな、お父さん達のこと……。」
「そうだね、僕らの知らない事、たくさん教えてもらわないと………ん?」
他愛ないお喋りの途中、理は変な音を聞いたように思って黙り込み、耳を立てる。
「…どうしたの、理…?」
突然様子の変わった理に、美弥は戸惑って声をかけるが…理はそれを手で制する。
「…?」
二人の耳に、“てん…てん……てん…ててん……“という、廊下でボールらしきモノが跳ねるような音が聞こえてきた。…が、この時間、自分たち以外にこの家に人がいるはずもなく…ましてや、「廊下」で「ボール」を「バウンドする」なんて…意味が分からない。
「…ぼ、ボール?理…ボールなんて家にあったかしら…。」
「庭になら、確か父さんとキャッチボールしてた時のがあるはずだけど…家の中には置かないよ…?」
釈然としないものを感じながら、二人は扉を開けて廊下を覗き見る。
…廊下の真ん中、二人が開けた『リビングの扉』と『玄関』の中間辺りに何故か、ボールが…真っ赤な『ゴムボール』が1つ転がっている。
「「は…?」」
それを見て、思わず間抜けな感じの声が出る二人…だが、次の瞬間、それは驚愕へと変わった!
廊下には誰もいない…いないのに、『ゴムボール』が突然宙に浮かんだのだ、それも…ゆっくりと、フラフラと揺れながらだが、確実に。
「「え…えぇ!?」」
唖然とした様子の二人をからかうように、宙に浮かんだボールは左右に揺れる。
そして…理の目線ぐらいの高さまで来ると、ピタリと『空中で』その動きを止めたのである。
「…な、何、あれ……!?」
「わ、分かんない…分かんないけど、なにが一体どうなって…!?」
混乱した様子の二人を嘲笑うかのように、ボールは空中で細かく揺れ始めた。まるで「挑発」でもしているかの如く、フラフラと不規則に揺れ始めている。
その様子を見て、気味の悪いモノを感じながらも、二人はリビングから出てボールへと近づいていく。
「「………」」
ボールは空中に浮かんだまま、不規則に揺れ続けている…が、二人が近づくと、静かにその揺れが収まり、そのまま停止してしまった。
そして、何故かボールが止まった事に注目し、まじまじとボールを見つめる二人の背後で、突然ドアが大きな音を立て、乱暴に閉じられる!
その音に驚いて、後ろを…ドアの方へと振り向いた美弥の目に写ったのは…多数の『球状の物体』が廊下を、空間そのものを埋め尽くしているという、異様な光景だった。
驚きの余り声すら出せずに硬直した美弥の目前に広がっているのは…多数の『バスケットボール』や『テニスボール』に、『地球儀』やら『野球のボール』…さらには『ピンポン球』に混じって『ボーリングの球』や『サッカーボール』もが浮かんでいるという、パッと見ただけなら「自分は変な夢でも見ているのか?」としか思えない不思議な光景そのものだった。
…と、その『多数のボール』が動きだすなり、みるみる「歪な人の形」に集まっていく。
そんな目の前で起こった奇怪な現象を、美弥の脳と精神が認識して理解するのを拒んでいる間に、その「歪なヒトガタ」は、サーカスの『道化師』のような大袈裟な動きで、美弥に対して一礼してきたのである。
「…って、えぇ…な、何コレ!?」
息を飲んだ美弥の気配に気付いた理が後ろを振り向き、「ヒトガタ」を見て驚きの叫びをあげる。
が、その声に反応したのか…「ヒトガタ」が人間でいう「左腕」を振り上げ、拳に当たる部分の「ボーリングの球」を美弥めがけて振り下ろしてきた!
「「…!?」」
間一髪、理が美弥の肩を掴んで後ろへ引っ張ったことでボーリング球は美弥の頭に当たらず、そのまま廊下の床に当たると、床をかなりの勢いで粉砕する。
「な、なな…何、なんなの!?なんなのよ、あなた!?」
理のおかげで難を逃れた美弥が悲鳴じみた叫びをあげるも、「ヒトガタ」は反応らしきものを見せず…むしろ、当たらなかった事が不満な様子で腕を持ち上げ、次こそ当てるとでも言いたげな様子で腕を構え直している。
(ま、まさか…噂の「変な殺人犯」…でも、なんで!?)
眼前の「ヒトガタ」を見た理は、美弥を助け起こしながら唖然としてしまった。こんな夢とも現実ともつかぬ異様な光景を見てしまったせいか、逆にはっきりと頭が冴えてくるのを感じながら…美弥に声をかける。
「大丈夫、みゃーちゃん?…とにかく逃げよう、外に出て、石川さんが手配してくれてる護衛の人に助けを求めるんだ!」
「…え、あ、う、うん!」
理の声に我を取り戻した美弥は理の言葉に頷き、玄関へ一目散に駆け出そうとして…途中でその足を止めた。何故なら『玄関』の扉のすぐ前に、人の形をした『モノ』があり、道を塞いでいるからだ。
そう思った瞬間、玄関前の「それ」が動き、なおかつ喋るなどとは、予想外にも程があり過ぎただろう。
〔けケけ…ドヲ~こへ行クんダァい、ヲ二人さ~ン?〕と、明らかに【機械変換された声】で、バカにしたような口調で話しかけてきた「それ」を、初見で人間と認識するのは…少し難しいかもしれない。
「それ」は…パッと見は人間の形をしてるが、頭の上では『地球儀』がくるくると回っており、顔は白い笑顔の仮面で隠されていて、表情を窺い知ることはできない。
良く見ると、所謂『道化師の衣装』を着ているのだが…服の下で常に何かがゴゾゴソと蠢いているため、異常に太ってるように見えながらそのシルエットが分かりにくく、更に『色違いのソフトボール』の上に片足をそれぞれ乗せて、直立しているのだ。
コレを初見で「人間」とは看破できるものとは思えないが、耳障りな機械音声で喋ったり笑ったりしているのだから、一応『人間』ではあるらしい…驚くべきことだが。
「「…な、え、えぇ…!?」」
〔やット見ツけタ…『有藤 理』だロ…をマえ?〕
「それ」…いや、『道化師』は美弥を見ながら話しかけてきたが、自分と美弥とを見間違えてるらしいと気付いた理が反応する。
「『有藤 理』は…僕は、こっちだ、ば、化物!」
〔…ヲをォ、ソッちカァぁ…じャあ、ヲ前はシんでヨし…死ね。〕
『道化師』は理の言葉を受け、あっさり美弥にそう言い放つ。その瞬間…音もなく背後に迫っていた「ヒトガタ」が、美弥にめがけて再度『ボーリング球の拳』を振り下ろさんとしたその刹那…
『風撃弾・連射!!』
という叫びと共に、『見えない無数の何か』が横合いの壁ごと凄まじい勢いで「ヒトガタ」を貫き、そのまま打ち砕いていく!!
「「!?」」
〔石川ニシては来るノガ早イ…誰だ、邪魔スるのハ?〕
壁と「ヒトガタ」の破片が舞い上がり、周りが見えづらくなっているのにそれを気にした様子もなく、『道化師』は不審げに言葉を漏らすが、「その言葉に対する解答はコレだ!」と言わんばかりの勢いで、『ウオオォォ!!』という雄叫びと共に誰かが飛び込んで来たかと思うと、『道化師』めがけて両手を突き出し、もう一度叫んだ。
『突風掌!!』
その刹那、“ゴゥッッ!!“という大きな音がしたかと思うと、『道化師』めがけて強烈な突風が吹き付け…そのまま壁を突き破って『道化師』を外へ叩き出してしまう!
〔…ぬ、ぬヲをヲヲ~!?〕
突風の勢いは凄まじく、壁を突き破って『道化師』は吹き飛ばされ、姿を消したが…飛び込んで来た人物は警戒を解かず、己の背中越しに二人をチラりと見ながら声をかけてきた。
「…Sorry、二人とも大丈夫か!?」
「は、はい!…って、えっと…どなた様ですか?」
声をかけてきた人物…『青年』は理の答に軽くズっこけた様子でツッコんできた。
「ちょっと待てオイ!?この状況でボケるたぁ…大物にも程があるぜ、お前!」
『青年』…一見すると金髪碧眼と180センチを超える長身に、濃い青色のフライトジャケットと無地のシャツ、洗いざらしのジーンズとバッシュという、『典型的アメリカ人の若い男性』のような感じの人物ではあるが、『ボケとツッコミ』が解る辺り、日本暮らしはそれなりに長いのかもしれない…と、何故か理は思った。
「え、あ…ごめんなさい、その…い、石川さんの…?」
「Yes…遅くなって済まん、家の周りを囲んでた奴等を掃除してたらこの有り様だ、『万魔殿』も形振り構ってるつもりはない、って感じになりやがったな…こりゃ…。」
美弥の問いかけに、『青年』は美弥の方を見ながらはっきりと答える。
「え…『家の周り』って、そんな、まさか…?」
「脅かすつもりはないけどよ、『保持者』と『特殊部隊』の混成チームってのを甘く見ない方が良いぜ、こういうことは基本中の基本でやれるからな。」
理の言葉に『青年』はあっさりと答えるが、それを平然と答える彼もまた、とんでもない人なんだと気付かされる。
「さて、悪いがオレに掴まってくれ、このままだとマズイんで場所を変える…急いでな。」
「「え…?」」
「奴が…さっきの『道化師』モドキがリベンジに来るのは確実だしな、それに…こうも大騒ぎしてんのに周りが誰も反応しないってのは、現状がヤバいなんてモノじゃないんだよ…OK?」
真剣な口調の『青年』の言葉に、唖然とした反応をしてしまった二人だったが、続けて『青年』の発言を聞いて納得した。確かに、家の壁やら壊したり大騒ぎしているのに、ご近所が静か過ぎるのは…変どころの騒ぎではない。
慌てて『青年』に二人が近づいたその瞬間…『道化師』が吹き飛ばされて空いた穴から、多数の『ボール』が飛び込んで来た!
それも「野球」「サッカー」「バスケ」に加えて「ボーリング」の球が入り乱れて飛んで来たのだ…しかも、その全てが異様な高速で、明らかな目的…「理達の殺傷」の為に!!
「そう好き勝手されてたまるか…『風刃結界』!」
二人が近づいたのを確認するや否や、『青年』が
叫ぶ…すると、『青年』を中心にして、二人をも覆う形の竜巻が…いや、『渦を巻く透明なボールの中』に三人が収まってしまったのである。更に凄まじいのは、その表面にボールが幾つも当たるのだが、当たったボールの悉くが切り裂かれ、力なく床に落ちていくのだ。
「す、凄い…!」
「大した事じゃないぜ…二人とも、しっかり掴まりな…We can fly…go!!」
その様を見ながら理は感嘆の声を漏らす…すると『青年』は二人の腰に手を回してがっちり掴みながら雄叫びを上げた。
次の瞬間…『青年』と二人の足が床から浮き上がり、そのままボールの飛び込んで来た穴めがけて「三人」まとめてすっ飛んで行く!!
「う、うわぁぁぁっ!!?」
「きゃあぁぁぁ!?!?」
二人は産まれて初めての経験…『翼もなしに空を飛ぶ』ことと『穴の空いた壁に高速で突撃する』ことへの衝撃に悲鳴を上げたが、『青年』は敢えてそれを無視し、そのまま速度を上げて穴から飛び出し、一瞬でかなりの高さまで舞い上がると、素早く周囲を確認、そのまま高速で移動を開始した。
「「……!?!?」」
「ちょっとキツイだろうけど、もう少しだけ我慢してくれ…あの野郎が追いかけて来てやがるんで、な!!」
「え…?って!?」
高速で動いて…いや、飛んでいるのにさほどの風圧を感じない事に内心驚いていた理は、『青年』の言葉に驚いて振り返り…その事を後悔した。
なにせ「自分の周囲を無数の『ボール』で取り囲んだ状態の『道化師』が、かなりの速度で空を飛んで後ろから追いかけて来ている」などという光景は…流石に「現実」とは思えない代物だ。
余りの衝撃に言葉を失って硬直した理の代わり…という訳ではなかろうが、美弥は『青年』に今更ながら訪ねる。
「あ、あの…そういえば、お名前を聞いてませんでした…よね?」
「あり?名乗ってなかったか…そういや。なら、改めて名乗っておくよ。俺は『大鷲』、ライブラ極東支部所属の『保持者』…コードネーム『大鷲』だ、よろしくな、お二人サン!」
『青年』…いや大鷲は明るく名乗りを挙げたが、なかなかに状況は凄いものがある。
「えと、その…大鷲さん、なんでこんな事になっちゃったんですか?」
「あ~、石川サンからどの辺りまで聞いてるかによるけど…『万魔殿』は君らの身柄を押さえたいハズなんだよな~、それなのにあの野郎を…『ラ・リーガ』を投入してくるってのは…一体どうなってやがんだか…。」
「『ラ・リーガ』って…あの『道化師』みたいな人ですか?」
「Yes…アイツは『保持者』としては有名なんだよ、悪い方でな。…こういう事で出てくる性格なり能力じゃないハズなんだけど…よし、ここらでやるか。」
空を移動しながら何かを探していたのか、大鷲は降下を始める…その事に気付いた二人は、大鷲に疑問をぶつける。
「え…このまま、何処かへ逃げるんじゃないんですか…?」
「そうしたいのは有るんだけどなぁ…三人で飛ぶの、結構疲れんのよ。それに…奴の不得意な場所が見つかったんでな、ここいらで決着を着けさせてもらうことにするわ…!」
「…河原、ですよね…ここ?それに、得意とかって…?」
「…Oh、そんないっぺんには答えきれねぇよ!?…まぁ、奴の能力は『球状の物体をとにかく操る』みたいな感じなんだがな、街中ならともかく、河原にはそんな物はそうそうありゃしない…要は手数が減るのさ。」
河原に着地して、大きな橋脚の陰に二人を匿いながら、大鷲は二人の問いに答えていく。すると…
〔…ヲやをや、『鬼ごっコ』は終ワリかネ~?〕
という声と共に『道化師』…いや『ラ・リーガ』が、近くにゆっくりと着地してくる。
〔手間ヲカけさセナイでくレなイカね、ワタしモ忙シぃ身体ナノだヨ…ん~?〕
「…黙れ、『天魔外道』の分際で偉そうに抜かすな。お前の好き勝手は…ここで終わらせてやるよ。」
この大鷲の言葉に対してラ・リーガから返って来たのは…嘲笑だった。
〔…は、はぁはハひハハハぁ~っ!?ヲマえ…を前ミタいな…『雑魚』ダか『馬ノ骨』だカがァ~?ワたシヲ~?…なら死ね。〕
ラ・リーガが呟いた瞬間、奴の背後から無数の「ボール」が出現し、そのまま不規則な軌道を描きながら、異様な速度で大鷲めがけて殺到する。
が、大鷲は微動だにせず…それを迎え撃つ!
「…『旋風壁』…」
大鷲の呟きと同時に、大鷲の前面に『竜巻』が何本も出現し、壁のように立ったかと思った刹那…
“ガギギギギィィィィィッ!!“という、甲高い音が幾重にも周囲に響き渡った!!
「「……ッッ!?」」
凄まじい音に驚いて、思わず耳を塞いでしまう理と美弥の目に映ったのは…大鷲の周囲で無数に現れた『閃光』の輝きと、竜巻に巻き上げられた「切り裂かれた無数のボールの破片」であった。
〔ホ~!?ワタしの『赤い暴風』を…コうも簡単にシのグのか、ヲマえ…!?〕
その様子を見て、ラ・リーガは感嘆の声を上げ、わざとらしく拍手までしてみせたが…一瞬で間合いを詰めた大鷲の『左裏拳』の一撃をかわして距離を取ろうとするも、その動きを大鷲に肉薄されてしまい、若干驚きの混じった声を漏らす。
〔しツコい奴ダね…ヲまえ…!?〕
「戦いにおいて…目前の相手を舐めるような奴は、真の意味で『Fighter』ではなく…ただの『Garbage』でしかない、覚えとけ!!」
肉薄した大鷲は、咆哮と共に拳足による凄まじい連続攻撃を繰り出すが、ラ・リーガは命中しそうになる度に『ボール』をその拳足にぶつけることで軌道を反らし、自身への直撃を避けていく…が、ボールの防御速度より大鷲の攻撃速度が上回った刹那、大鷲の繰り出した回し蹴りがラ・リーガの服を右袖辺りから引き裂き、裂かれた箇所から大量の『ボール』がボトボトとこぼれ落ちていく!
〔…ヌぅっ!〕
「…もらったぁ!!」
ラ・リーガが驚きの声を上げたその一瞬の隙を突き、大鷲はラ・リーガの腕を取ると流れるような動きで肘を逆に曲げ、そのまま右肘の関節を粉砕する!!
〔ぐ、グぎゃぁぁァ!?〕
「ウオオォォ!!」
大鷲はそのまま極めた右腕を離さず、渾身の力を込めた「右拳」をラ・リーガの顔面…『仮面』へと叩き込んだ!!
「Bust you up…『爆風破砕拳』!!」という大鷲の咆哮と同時に、仮面に叩き込んだ右拳が、いや…拳だけではなく、ラ・リーガの仮面もが歪んでいく。それは拳の周囲の空気がかなりの速度で回転し始め、歪んで見えているためだ…!
〔ぐ、グをヲ…ッ、フザけるな、雑魚が!!〕
が、ラ・リーガも苦悶の声を上げつつ、ただではやられんとばかりに叫ぶ。
〔わタシに触レタ事ヲ後悔しロ…『爆発椰子ァァぁ!!!〕
ラ・リーガがそう叫んだ刹那…ラ・リーガの身体が『爆裂した』…ように見えた。
「!!!?」
理屈抜きで危険を察知し、間一髪で離脱しようとした大鷲だったが、その爆裂に巻き込まれ、大きく吹き飛ばされてしまう!
爆裂の勢いで吹き飛ばされた大鷲だったが、そのまま地面を転がって間合いを取りながら、「…Sit!危なかったぜ…」と呟きつつ立ちあがるが、胸から腹にかけてかなりの裂傷や打撲を負ってしまったようだ。
そして、立ち上がる大鷲の足下に“パラパラ“と音を立てて落ちたのは、『パチンコ玉』や『ベアリング』だ。
「い、大鷲さん!?」
「だ…大丈夫ですか!?」
その様子を見ていた二人が思わず悲鳴じみた声をあげるが、大鷲はそちらを見ずに右手の拳を握り、親指を立てる…『サムズアップ』をしながらはっきりとした声と口調で二人に応えてみせる。
「No problem…大丈夫さ、Heroってのはここから逆転するんだぜ!」
しかし、その声に、言葉に対し…反発と呪詛のこもった声と口調でラ・リーガが吐き捨てる。なんと…折れ曲がった右腕を無理やり元の位置に直しつつ、大鷲にゆっくりと近づきながら、だ。
〔だレガ…『英雄』だ?笑ワせルナ…。貴様ゴトきが、英雄でアッてタマるか…。〕
「少なくとも、俺は…『あの人』のように、手の届くところにいて、助けを求める誰かの為の『英雄』ではありたいさ、お前らみたいな奴らに…誰かを傷つけて嗤ってるような『天魔外道』には、絶対なりたくないんでね…。」
〔つクヅく…むカつク奴ダね、貴様。ナラ…念ヲいレテ潰しテヤろう…!!〕
「OK…Round 2の開始だ!いくぜ!!」
お互い上半身の服はズタズタになっているが、大鷲はかなりの裂傷を負っているのに…ボトボトと『ベアリング』等が落ちる度に出血が止まり、傷が塞がっていき、対するラ・リーガは…折れたはずの右腕を二、三度振ると…元通りに治癒してしまったのを遠間で見ながら、理と美弥は震えが止まらなかった。
目の前で映画の撮影なり何なりをしてる訳ではない、しかし…この光景は、紛れもない『現実』である。が、どうしても頭と精神が、これを現実と認める事を拒んでしまっている。
何をどうすればいいのか、まるで分からない…混乱と恐怖で固まってしまっていた二人の目に、少し離れたところから走り寄ってくる数人の人影が見えた…が、その手に銃らしきものを構えているのに気付き、咄嗟に大鷲に向けて叫んでいた。
「大鷲さん…危ないッ!?」
「む、向こうの方から…誰かが来てます!?」
二人の叫びに大鷲は焦りを見せ、ラ・リーガは不服そうな声を漏らす。
〔今ゴろ着イタか…ま、イぃ。さっサトアの『目的』を持ッていケ…私ハ、コいつを潰ス…邪魔は許さン…。〕
『了解しました…!』
離れた所からやって来たのは四人、全員が銃を所持し、濃紺の軍服と変なヘルメットらしいものを装備していた…そいつらがラ・リーガの命令一下、理達へ殺到しようとするが、その進行を止めたのは、大鷲の咆哮だった。
「Don't move…その二人に触るなよ、ブッ飛ばすぜ…『竜巻柱』!!」
「「「!?!?」」」
大鷲の叫びと同時に、増援達の中心に竜巻が発生し、彼らをまとめて薙ぎ倒してしまった…ように見えたが、一人がなんとか竜巻の影響範囲から逃れると同時に、大鷲目掛けて発砲してきた!が…
「…舐めるなぁ!!」という叫びと同時に、大鷲を囲むかのように「竜巻」が出現、銃弾を切り裂く!
しかしその刹那、〔…ワたシヲ無視しタネ、ヤはり『雑魚』ダッたな…。〕という声がしたかと思うと、ラ・リーガは一瞬で理達の目の前に迫り、『ボーリングの球』を振り上げていた!?
〔サて…一人ハ殺すトシようか…ねェ!!〕
「!!!」
その言葉が聞こえた刹那…理は頭で考えるよりも速く、身体が動いていた。なんと…ものすごい速さで美弥に覆い被さったのだ。
「…!!」
〔死ィィィねェェ…!?〕
ラ・リーガが球を振り下ろさんとした刹那…“バオォォォン“という爆音が轟いたかと思うと、1台のバイクが猛スピードで、明確にラ・リーガを撥ね飛ばさんと突っ込んで来た!!
〔ナ…!?〕
「Wow…、間に合ってくれたか、『舞狐』サン!!」
慌てた様子でバイクを避けたラ・リーガだが、なんと『ライダー』はバイクから飛び降り、そのままバイクを突撃させて轢き潰さんとしてきた!
〔ちィィィッ!?〕という叫びと共に、ラ・リーガは『ボーリング球』を叩きつけて迫り来るバイクの軌道を反らし…そのため、バイクは明後日の方向へ吹き飛び、倒れた拍子にガソリンに引火、爆発炎上してしまう。
一方、バイクから飛び降りた『ライダー』は理達とラ・リーガの間に着地し、ヘルメットを脱ぐや否や『両手で挟み潰して』変形させ、それを全力でラ・リーガ目掛けて投げつけながら、大鷲へ答えてみせた。
「おうさ、北の大地から全速力で戻ったぞ…こ奴は妾が仕留める、大鷲…二人を全力で守護ってくれぃ!!」
「イエス、マム…!」
ヘルメットを脱いだ『ライダー』を見た瞬間、「「え…?」」と二人の声が見事にハモる。
身長は女性にしてはやや低めで、肩の辺りまで伸ばした黒髪は夜空の月と炎の光に照らされて美しく輝いており…やや細身だが生命力に溢れ、アスリートじみたスタイルと、モデルばりに整った容貌と併せ、見るものを惹き付ける『溌剌とした美女』が、鋭い目線をラ・リーガに向けつつ、そこに立っていた。
「頼んます、舞狐サン…奴が来るまでに何とかしないと…ガチにマズイっすよ!」
「で、あろうな…よもや『従兄様』がこうまで足止めを食ろうておるとは、妾も予想外じゃて…。」
大鷲の叫びに、ライダー…いや『舞狐』は静かな、そして古風な口調で答えるが、その言葉には若干の焦りと驚きが混じっていた。
〔…誰ダ、オマえ?〕
「『天魔外道』に名乗るつもりはない…黄泉路へ送ってやろう、早々にの…!!」
舞狐は不審げに問うて来たラ・リーガの言葉に素っ気なく返答するや、稲妻もかくやの速さで間合いを詰めると、胴体へ肘を叩き込む!
〔…!〕
間一髪でこれをかわし、間合いを取ると同時に複数のボールを叩きつけんと放つラ・リーガだが、
“斬ッ“
…という音がしたかと思うと、放たれたボールの悉くが切り裂かれて地面に落ちたのを見るや、声に焦りの色を滲ませて呻いた。
〔思イダしタぞ、を前…『らいぶら』ノ『影狐』…!?〕
「ほぉ…妾は貴様らからそう呼ばれておるのか、それは結構なこと。なれば…汝が『運命』も、知れておろう…?」
舞狐はラ・リーガの呻きを聞き、ニヤリと嗤う…その気配に『血臭』を漂わせながら。
「汝も愚かよの…妾の前に『大鷲』を相手にして、ただで済むはずはなかろう…そら、持ち球は尽きてきておるのじゃから、素直に黄泉路へ逝けぃ!!」と叫びながら舞狐は姿勢を低くし、一気にラ・リーガ目掛けて走り出した…が、ラ・リーガは突如狂ったような哄笑をあげつつ吠える!
〔く、カハはハはぁ…『球切レ』?寝ぼケルナ…『球』ナらアルぞ、そコラになァ~!!〕
そう叫びを挙げると同時に、ラ・リーガの全身から輝く何か…よく見たら、それは『パチンコ玉』や『ベアリング』だ…が、大量に飛び出したかと思った瞬間…予想外の光景にラ・リーガ以外全員が驚愕した!!
「ガッ…!?」「ギャア~!?」「な、何でだ~!?」「ヒギィ~!?」という四つの悲鳴が響いた…即ち、ラ・リーガは『味方を殺した』のだが…その死体から複数の『手榴弾』だけではなく、『死者の頭部』がちぎれて空中に浮かび上がるのは、流石に予想外のさらに外であろう…。
「キャァァァ!?!?」
「う、うわぁァァ!?!?」
理と美弥は目前で起きた惨劇に悲鳴を挙げたが…二人の視線を遮り損ねた大鷲と、直前で足を止めた舞狐は顔を僅かにしかめただけで、即座に行動を起こす。
「大鷲、二人を全力で守護れぃ…仕掛ける!!」
「了解!!」
舞狐と大鷲は、それぞれの『為すべきこと』を果たすため…動く!
そして…狂ったような勢いで笑いながら、ラ・リーガはそれを迎え撃つ!!
〔きィィィヒぃあァァ……しね死ネシネ死ぃ~ネェ~!!どいツもこイつも、ミィんな死ねェェ!!〕
狂気に満ち満ちた哄笑…いや、咆哮と共にラ・リーガは『ちぎった頭部』や『ベアリング』、『手榴弾』などを暴風雨の勢いで叩きつけてくる…が、その狂気の嵐の中を、舞狐は一直線に突き進んでいくのだ!
更に驚くべき事に、舞狐の姿がラ・リーガに近づいていくにつれて薄らいで行き、完全に消えてしまった刹那…虚空から舞狐の声が響き渡る…!!
“冥土の土産に見せてやろう…『影業ノ惨』…『深淵桜・乱吹雪』…!“
…そんな声が聞こえたと同時に、四方八方…ラ・リーガを全方位で取り囲むように舞狐の姿が現れ、一斉に襲いかかっていく!
〔!?〕ラ・リーガは驚いて自分の周囲を薙ぎ払うように球を動かすが、一発たりとも手応えがなく、そのまますり抜けてしまう…まるで、風に舞う桜の花びらには簡単には触れる事ができないのに、花びらの方が自身に纏わり付いてくるかのように…そして、『無数の舞狐』はラ・リーガを囲んで舞うかのように…その身体に拳足による無数の打撃を叩き込む!
〔ゴ、ごガガガッ…!?〕
「破ぁぁっ!!」
連打を浴びて仰け反ったラ・リーガの顔面目掛けて舞狐の掌底が炸裂し、ラ・リーガの被っていた仮面が乾いた音を立てて砕け散り…ラ・リーガは地面に倒れ伏した!
「や…やっつけちゃった…!?」
「す、凄い…!」
その様子を見ていた理と美弥は驚きと称賛の声を挙げるが…舞狐と大鷲は全く警戒を解かず、二人に注意を飛ばす。
「…いや、まだまだじゃな。死んだフリするのは時間の無駄ぞ、さっさと起きよ…道化。」
「そんな殺気丸出しで騙そうなんて…舐めてるのか、それとも…Give upでもするつもりか?」
「…く、ククク…クハハハ…!この『愚者』どもが…ワタシを舐めるのも大概にしろ!」
地面にうつ伏せに倒れていたラ・リーガがそのままの状態で叫ぶや否や…地面に落ちていた『パチンコ玉』や『ベアリング』…先刻の『手榴弾』に『死体の頭部』が再び浮かび上がり、ラ・リーガの周囲に集っていくが…何か様子がおかしい。集まった『球体』はラ・リーガと舞狐達の間に固まり、さながら『壁』のような状態で固定されてしまったのだ…そう、まるでラ・リーガの姿を隠すかのように。
その様子から、ラ・リーガにとっては具合が悪い何らかの異変を敏感に感じた大鷲は、ラ・リーガ本人ではなく、『壁』目掛けて自身の最大火力を叩き込む!!
「吹き飛べ…『超級竜巻砲』!!」
大鷲の雄叫びと共に放たれた『大型の竜巻』は天を翔る竜のごとき軌道を取りながら『壁』に激突、周囲に凄まじい轟音と閃光を撒き散らしながら『壁』を削り取っていく!
「な、何ィィィッ!?」
「Intervalなんてやらねぇよ…覚悟しな!!」
『壁』が削られていくことに思った以上の動揺を感じ取った舞狐は、その間隙を縫ってラ・リーガへ接近を試みるが…ラ・リーガはその挙動を読むや否や、『壁』の一部をそのまま舞狐へ叩きつけて接近を阻もうとしてくる。その様を見て、二人は確信した…
“絶好の機会“…と。
故に…そのまま連携を取りつつ猛攻撃へと移った刹那…炎上していたバイクの炎と月明かりに照らし出された『モノ』を直視してしまったふたりと、少し離れたところから戦いを見つめていた理と美弥の二人も…等しく驚き、息をのみ、美弥に至っては大きな悲鳴を上げてしまったのは、やむを得ないだろう…。
そこに立っていたラ・リーガ…と思われるのは、やや色の薄い金髪を肩の辺りでおかっぱのように切り揃えた、見えている肌や顔の血色が悪く、異常なまでに痩せこけた…さながら『ゾンビ』か『ミイラ』のような姿の人間であった。それだけでも異様ではあるが、それ以上に問題なのは…その顔、正確には「両目」の部分である。
普通なら「瞼」と「眼球」が有るはずの部分に…炎と月明かりを反射してギラギラと輝く『歪なガラス玉』のようなものがはまっており、視線が定まっているのかも怪しく思えるのだが、どうやら普通に見えてはいるようだ…こちらを、正確には悲鳴を上げてしまった美弥の方を睨み付けながら、ラ・リーガは凄まじい怒りと憎しみに染まった叫びを挙げる!!
「よくも…よくも見たな…蔑んだな…ワタシを、この目を、この姿を!誰も望みも頼みもした訳でもないのに…『化物』と侮辱したなァァ!?殺す…コロス…全部殺してやるゥゥゥゥ~!!!」
ラ・リーガがそう叫んだ瞬間、残っていた『球』に異変が生じた…なんと、球に水分が付着して巨大化し、その全てが周囲へ飛びかかって来たのだ!
その飛び来る『水の球』の一つ一つは『バスケットボール』程の大きさであり、不規則な軌道を取りながら地面に着弾して多量の土砂を撒き散らす…しかし、そのうちの幾つかが明確な殺意を持って周囲の生ける存在、理と美弥、大鷲と舞狐に目掛けてとんでもない速度で襲いかかっていく!
「ぬう…!?」
「Sit…!?」
舞狐と大鷲は飛来する『球』を弾くか切り裂くなどして凌ぐも、その場に足止めを食らってしまう。が、こんな無差別爆撃そのものな事態を経験したことのない二人…理と美弥はパニックを起こして硬直してしまう。そして、近くに着弾した衝撃で美弥が転倒し…その美弥目掛けて『球』が迫り来る刹那……その間に理が我が身を盾にするように飛び込んだ!!
「お、おさむ~!!?」
「バカ野郎、無茶すんな!?」
“ズド…ォン“という、重い物を叩き付ける音と美弥の悲鳴、大鷲の絶叫が立て続けに響き、理の身体は巨人に横から殴りつけられたような勢いで宙を舞い、地面に数回バウンドして…ピクリとも動かなくなった。
「いや、いや…嫌ぁぁぁ…理!?!?」
「貴様…!!!」
その光景を見て狂乱したかのように悲鳴を挙げる美弥と、憤怒の呻きを漏らして突進する舞狐だったが…その先にラ・リーガの姿はなく、虚空に怨嗟と呪詛にまみれた声のみが響き渡った。
“お前らの顔は覚えた…次に会ったら必ず殺してやる…楽しみに待っていろ……“
「やだ…やだ…理、おさむ…いやぁ~!!」
ラ・リーガが逃走した直後、倒れた理にすがり付いて泣き叫ぶ美弥に近づいた大鷲と舞狐は…その様子を見るなり言葉を失った…。
胴体に『球』が直撃したのか…肺と肋骨が砕け潰れて無惨な姿となってしまっていた。更に叩きつけられた際に足の骨も折れており、左足が明後日の方向を向いてしまっている。
見開いたままの瞳には生気の欠片もない…理は完全に『即死』していた。
「………」
「…畜生…畜生!!」
最悪の結果に言葉を失う舞狐と、守護れなかった事を悔やんで荒れる大鷲…そして、現実を認められずに泣き叫ぶ美弥。…と、その三人に向けて近づいて来る、2台の車両。そして…三人の近くに停車した2台のうち、先頭の車から降りて来たのは…石川だった。
「…皆、無事ですか……!?」
「「「……!?」」」
その声に驚いた様子の三人を見、そして美弥の傍らに倒れている理を見つけた石川は、一瞬で総てを察したような表情を浮かべたものの…何かに気付いたらしくすぐさま表情を引き締め、後続の救急隊員に指示を飛ばす。
「倒れている少年を、大至急『R処置棟』へ搬送しなさい、私達も後から行きます…!!」
「は、はい…!?」
石川の怒号めいた指示を受け、慌てた様子で救急隊員たちは理に近づき、その身体をストレッチャーに乗せ、サイレンを鳴らして猛スピードで走り去って行った。
「……まさか、とは思いましたが…まぁ、考えるのは後回しです。皆、車に乗りなさい…後を追いながら説明します。」
「…待ってくれ、石川サン。俺の、俺のせいで…」
「従兄様…大鷲は悪くない。妾が…」
「いいえ…この件の全ては私の責任です。舞狐…美弥さんを頼みます。それから大鷲…よく支えてくれました。」
「…………」
二人の謝罪を途中で止め、ショックで呆然としている美弥へ近づくと、石川ははっきりと、確信を持って宣言するように口を開いた。
「はっきり言いますが…理君、まだ生きていますので。速やかに追いかけますよ。」
「「「は…?」」」
唐突過ぎる石川の発言を理解できず、三人は間抜けな声を上げてしまった。直後、美弥は怒りの声を挙げかけるも、舞狐に一瞬で抑えられてしまう。
「悪い冗談に聞こえるのはわかりますが…私も久方ぶりなんですよ、この事態に遭遇するのは…それも、まさかという感じですので…。」
「え…ほ、本当に…本当に理は…!?」
若干焦りを感じる石川の口調から、美弥は石川に詰め寄るが、石川はそんな美弥を見ながら頷くと、言葉を続ける。
「はい…問題は、この後がかなりややこしい…ということですね。」
「え?」「…Why??」「は?」
「とにかく、みんな車に乗りなさい…移動中に説明しますから。」
少し焦れたような口調で石川が乗車を促し、慌てた様子で全員乗車すると…車は動き出した。
「簡単に言いますと…現時点において、理君は『保持者に覚醒しかけている』のです。」
「「「!?!?」」」
移動中の車内、ハンドルを握りながらの石川の発言に、三人は仰天してしまう。
「マジかよ…!?」という大鷲の呻きは、石川以外の三人の心境を正確に表現しているものだった。
「で、でたらめじゃ…ないですよね、石川さん?」
「そういう類の冗談は私も大嫌いなので、ご安心を。…そうか、そう言えば二人も『人が覚醒する瞬間』について、直接立ち会うのは初めてでしたか。」
震えながら口を開く美弥に答えながら…石川は大鷲と舞狐に問いかける。
「うぅむ…だいぶ前に座学で聞いたような…。」と首を傾げつつ答える舞狐と、「Sorry…覚えてないっス…。」と呻く大鷲の気配を察した石川は、軽くため息をついて二人に言葉をかける。
「…無理もない話ですが、『覚醒』云々については、二人は後でファイルを見ておきなさい。」
「…?」
話の内容が分からず首をかしげる美弥に対し、石川は静かに話し始める。
「『保持者への覚醒』と言いましたが…要するに、『人間の体内にある、とある『因子』が活性化して肉体と精神を強化、それらに対応できる状態に心身を作り替えた結果、様々な特殊能力を行使できるようになる』ことですかね、噛み砕いた言い方をすると…。」
「そして…この『因子』は、実は人類は皆がみんな持ってます。常人と『保持者』の違いとは…要はこの因子が目覚めているか否か、それだけなんですよ。」
「え…で、でも、それなら…そんな『因子』が有るなら…なんでみんな『保持者』になっちゃわないんですか?」
美弥の疑問に、石川ははっきりとした口調で答える。
「その疑問はもっともです。ところが…この『因子』は凄まじい程に怠け者、かつ寝起きがとことん悪くて…そのため、産まれてから死ぬまでの間、『覚醒しない』ことの方が多いのですよ。」
「それも有るけど…よしんば覚醒したとしても、どんな能力を持ってるのかは『覚醒してからでないと分からない』し、能力と引き換えに何かしらの『肉体とか精神の変化』だとか『何かの病気みたいな症状』みたいなモンが一生付きまとう事になっちまう、と。」
石川の説明に大鷲が口を挟むが、石川はそれを咎めることはしなかった。
「いま、大鷲の言った通り…『覚醒』するとそういう事態が起こりますし、そもそもショックに耐えきれずに亡くなる事の方が多いから、世界中を見渡しても『保持者が少ない』というのは、そういう訳です。」
「そ…そんなこと、全然、知りませんでした…。」
石川と大鷲の説明を聞いて、美弥は改めて衝撃を受けたらしく、困惑した様子で呟いた。
そんな美弥を見やり、舞狐は優しい口調で声をかける。
「それはそうじゃろ…こんな事をいきなり言われても、理解なり納得なぞ…簡単にはできるものではないからのぅ…。」
「That's right…俺も、こんな事いきなり言われても無理だわ…納得なんてできねぇよ、多分。」
「…は、はい…。」
「あと…理君のあの様子だと…私の見立てでは長くて『2日』もあれば意識を取り戻すかと思います。彼は、きっと大丈夫です…美弥さん。」
「ほ、本当に…本当に理は……!?」
と、ちょうど赤信号で停車したタイミングで、石川の側から微かな電子音が聞こえて来た…石川は素早く襟元を触り、どこかと通話を始めた。
「…はい、なるほど……それは本当ですか、…分かりました。すぐに向かいます……。」
「従兄様…何やらあったのかや?」
「先ほどの救急隊からです……『R処置棟』への搬送は完了したのですが、想定以上の『活性反応』が起きたので、『R3処置室』の方へ移したそうです。」
「『R3』って、かなりデカい反応じゃないスか!?…大丈夫なのかよ、あいつ…。」
大鷲の言葉に不安を覚えた美弥は、救いを求めるように石川を見つめる…その視線を感じた石川は、静かに話し始める。
「今、大鷲が驚いた『反応』の大きさですが、現状としては慎重を期した、というところです。『保持者』の中には、意識を失うと無差別に能力の作用を撒き散らすタイプの人がいましてね…『覚醒』の際は基本的には『R1』処置になるのですが…理君はよほど強いか、若しくは珍しいタイプのようですね、それでも…迅速な処置をしてくれて助かります。」
美弥の不安を和らげる為か、石川はしれっとした口調で答える。すると、若干焦りを含んだ様子で舞狐が口を開いた。
「しかし『万魔殿』どもめ…『雷帝』に加えて『ラ・リーガ』まで動かしよるとは、従兄様…こうなると、本格的に増員を図らねばならぬのでは…?」
「以前から申し入れはしてますが、こうなると本部へ『直談判』しに行くしかありませんねぇ…。」
…美弥は、石川の『直談判』という言葉を聞いた瞬間、大鷲と舞狐の二人が何故だか緊張…いや、恐怖で硬直したような気がしたが、何故かは分からないので黙っておくことにした。
「…着きました、地下へ行きますよ。」
話しているうちに病院に到着した一行は病院の駐車場に隠されている特殊なルートを辿り、病院の地下へ急いで進んで行った…。
「お疲れ様です、皆様。こちらへ…」
「お疲れ様です、院長…で、彼の容体は?」一行を地下で出迎えた初老の男性…『院長』の挨拶を受けつつ、石川が若干焦りを含んだ様子で問いかけると、院長は静かに返答を返してきた。
「肉体の「変異」が進んでおります…、あと、意識は未だ戻ってはいませんが、損傷していた部位は8割がた再生してしまっておりますな。」
「え…嘘!?だって…理…お腹とか、その…」
院長の言葉を聞いた美弥は驚きの声を挙げるが、その声を半ば意図的に無視して、院長は説明を続ける。
「彼を『R3処置』するように命じた理由ですが…彼は、無差別に他者の五感を『撹乱』、いえ『暴走』させたからです。…これは予想外でした。」
「…何ですって?それは、何かの間違いでは?」
「…全ての救急隊員が証言していますので、信憑性は高いかと。その為、彼のことは『本部』にも連絡致しました。」
「…分かりました。感謝します……あと、彼らにも適切な治療をお願いいたします。」
石川が院長に話をすると、彼らの後ろから複数の人の気配が近づいて来た…医師と看護士だ。
「舞狐、大鷲…二人も治療を受けてきなさい、後は私がやっておきますから。」
「「了解…」」
二人はそのまま医師達について行き、この場にいるのは石川と美弥、院長だけになった。
「で、院長…『暴走』の状況は?」
「長くて10秒ほど…それが断続的に数回、視界や聴覚、神経等に意図しない加速や鋭敏化したような異常を感じた、との報告を受けております。…私は、彼の診療に戻ります、それでは…。」
「……」
「あの…石川さん…?」
「…はい?」
院長の説明を聞いて押し黙ってしまった石川の様子に不安を感じた美弥が、院長が踵を返したあと、恐る恐るという感じで石川に声をかける。
「お、理は…どうなっちゃったんですか…?」
「身体そのものは治癒しつつあって、意識が戻るのを待つだけ…ただ、彼の覚醒しつつある『能力』が…イマイチ分からない為に隔離して観察中、ということになりますね。」
「ほ、本当ですか…何か、その…」
「この状況で『嘘』はつきたくないですねぇ…ただ…。」
「ただ…なんですか…!?」
「彼が周囲の人間の『感覚を撹乱、若しくは暴走させた』というのが少し引っ掛かります…『ライブラ』の活動そのものはそこそこ長いのですが、それでも彼のような反応の記録は、私が覚えてる限り片手で足りるぐらいのハズなんですけどね…。」
「…理は、大丈夫ですよね、大丈夫ですよね!?」
美弥が焦りを隠しきれない口調で石川に迫るが、石川は美弥の目を見て、静かに…はっきりとした口調で返答する。
「大丈夫ですよ…貴女が彼を信じてあげなくてどうするのですか?」と。
「貴女が不安なのはよく分かります…でも、彼を信じてあげてください…『貴女』が。それが一番大事なことですから、ね。」
「…石川さん……」
「…『保持者』の多くは、その異能故に差別や迫害を受けた事がある者たちが大半を占めます。それでも…同じ「人間同士」として…『いつか訪れる、皆で笑える明日』のため、心の痛みに耐え、歯を食い縛って今を生きて、戦っているのです。全てを分かってやって欲しい…とは言いませんし、言えませんが…ただ、これからの貴女のように…身近にいる人たちだけでも、怖がらないで、普通に接してあげてください…それだけでいいんです…。」
少しだけ寂しげな石川の言葉は、なぜだか深く…深く…美弥の心に沁みていく。自分も、理屈ではなく心のどこかで「理は戻って来る」のを確信しているが…その有り様は今までとは全く変わってしまうとしても、『理』は『理』なんだから、そんなに心配することはない、と…納得したかったし、誰かにそう言って欲しかったのかもしれない…故に、彼の言葉は不思議と納得できるのだ。
「…はい…!」
小さな声だったが、しっかりとした口調で返事をした美弥を見ながら、石川は力強く頷く。
「…しかし、修己さんにはどう説明しましょうかねぇ…あの人、キレるとおっかないんですよね、困ったことに……。」
「え?お、おじ様…そんなに『怖い』んですか、石川さん?」
心なしか顔色を青くした石川は「はっきり言いますが、キレた修己さんは『保持者』でもないのに、『ヒトの形をした猛獣』と化します…対処がひたすら面倒なんですよ…」と呟く。
「石川さん…嘘でしょ、それは流石に…?」
「…私は『嘘』は苦手ですし、嫌いです…理君、どのくらい「修己」さんに似てますかねぇ…場合によっては、かなり恐いことになりそうなんですが……」
要するに『修己がキレると、石川とは相性がとことん悪くなる』ので、理が下手に修己の性質に似てたりするとガチに困る、との事だが…そんな風に言われても、想像力が全く追い付かない美弥であった。
「…あの、石川さん、少し…教えて欲しい事があるんですけど…」
「何なりと、どうぞ。」
「しつこいようですけど、理は…どうなっちゃうんですか?」
「…正直に言うと、意識が戻ってから考えるしかないんです。『覚醒』した影響で、性格が激変した例も少なからずありますから…ただ、パリの『ライブラ本部』から誰かが様子見に来るのは確実ですねぇ…。」
若干苦いものを含んだ石川の言葉に、美弥は不安げな表情を浮かべるが…それを見て石川は微笑みつつ言葉を続ける。
「大丈夫です、彼を『本部』には渡しません。彼はこのまま『極東支部』預かりにしますから、その辺りは安心してください。」
「でも、どうやって……?」
「それは簡単です、『本部』は我々に下手な口出しは出来ませんし、させませんから…“文句あるなら人員を寄越せ、ただでさえ人手不足なんだからこっちでやり繰りさせろ“…これで済みます。仮にあちらが済まさないようなら…『直談判』するだけです、私が。」
……目が据わった石川の言葉に、理屈ではない戦慄を覚える美弥だった。
「その…『本部』の人たちと、仲…悪いんですか?」
「いえ…『頭の固いバカが権力持つと、ロクな事にならない』の典型なんですよね、本部の現状は。そのせいで色々と滞ってるし、今回だって…いや、これは美弥さんに言っても仕方ない愚痴ですね、失礼。」
「…?」
「まぁ、理君の身柄は私が全力で保護します。ついでに『保持者』としてバリバリに鍛えてあげますから、ご安心を。」
「…Hey、石川サン。石川サンが『鍛える』のは少し待ってくんね?下手すりゃ死んじまうぜ…石川サンのTrainingはさぁ…その、ハイレベル過ぎるから~。」
「それには同意じゃの…『従兄様』は笑顔で、地獄の鬼や悪魔ですら泣いて許しを乞うレベルの訓練を平然と課してくるからのぅ…先ずは、我々で見極めてからの方が良いと思うぞ、妾は。」
石川の言葉に被せるように、『大鷲』と『舞狐』が戻って来ながら口を挟んでくる。二人とも体のあちこちに絆創膏やら包帯をしているが、元気そうである。
その様子を眺め、安堵の表情を見せた石川ではあったものの、二人に静かな口調で質問を返してきた。
「治療は終わりましたか…軽症なようで何よりです。しかし二人とも、私の訓練はそこまでキツい事をしてるつもりはないのですが…そんなキツいですか?」
「「いや、キツいよ…!?」」
真面目な顔をした二人の返答がガッチリとハモってしまい、石川は唖然としてしまった。
「…………」
「あ、あの…お二人とも、大丈夫なんですか?」
呆然とした様子の石川を横目で見ながら、美弥は『大鷲』と『舞狐』に声をかける。
「ああ、No problemさ!」とサムズアップしながら『大鷲』は答え、『舞狐』も同じように「妾も、『頑丈さ』は自慢できるからの♪」と答える。
「ミヤ、石川サンは大概のことはこなせるから心配は要らないよ。ただなぁ…Trainingだけは『見てるレベルの高さが明らかに違う』んだよ、この人…。」
「従兄様曰く『昔の自分が出来たから、今のあなたであればいけます、大丈夫』みたいなノリで課してくるのじゃが…洒落では済まんほどにキツいぞ、本当に…。」
「そ…そうなんですか?」
大鷲と舞狐の二人が真顔で答えるのを聞き、恐る恐るといった感じで美弥は二人に聞き直すと…ため息混じりに舞狐が言葉を返してきた。
「そりゃのう…『本部』の自称『精鋭部隊』20人共が、全員半日と保たなんだのを目の当たりにしてしまえば、そう答えるよりあるまいて…。」
「俺…『死屍累々』って言葉の意味する光景をリアルに見たよ、あの時…。」
「………」
舞狐に続いて、遠い目をして語る大鷲の様子を見て、美弥は呆然としてしまった。あの時、本当に凄まじい事をしていたこの二人が、こうまで畏れを含むように言うような事を…石川はやってるのだろうか、と。その為、美弥は思い切って二人に質問をしてみることにした。
「あ、あの…お二人は、石川さんに勝てますか…その、まっすぐに勝負したら…?」
「「無理」」
その質問を聞いた刹那、美弥の目を見て二人は同時に、はっきり答えた。
「従兄様と『戦う』なぞ、自然災害に喧嘩を売るに等しきこと。美弥、お主…津波や地震にどうやって立ち向かうつもりじゃ?」
「間違いなく一分間で60回、いや…120回は殺されるな、今の俺らだと…全力でこっちが挑んでも、結果は変わらんよ…マジで。」
「そ…そんなに、凄いんですか…石川さんって…?」
「うむ。正面からでは『億に一つ』の勝ち目もない…だからこそ、戦うなら『搦め手』を用いて挑むより他ないのじゃが、『万魔殿』も、それを重々理解しとるからの…面倒事をあちこちで起こしてくれよるわ…そのせいで、従兄様に無理をさせねばならぬ己の非力が情けない…。」
「今『本部』はアジア嫌いが主流でよ…ンな事やってる暇なんぞないってのに足の引っ張り合いばっかしやがって…そのせいで石川サン、休み無しで1年近く連戦だぜ…どうにかしないと、本当に『極東』だけじゃない、すべての戦線が崩壊しちまう…何より、理や君までこんな目に遭わせちまったんだ…もっと、俺も強くならにゃ…。」
二人の言葉を聞き、美弥はなんとなくだが現状を知ることができた…同時に、石川はこの二人にも『信頼』されているのだ、ということも。
「皆さんも…石川さんも、凄い人たちなんですね…なんか、びっくりすることが多過ぎて…その……」
「そりゃ混乱するのも無理はあるまいて…いきなりこんな嵐の中に放り込まれた挙げ句、まともに事態を理解しろというのは無謀じゃからの…。」
「むしろ、良く保ってるよ…ミヤは。俺だったら間違いなくパニック起こして暴れてらぁ…。」
納得したように話す舞狐と、ため息交じりに呟く大鷲の様子をみて、美弥は微かに笑みをこぼしていた。
「理も、大丈夫ですよね、きっと…。」
「うむ、そうじゃの…。」
「…そういえば、落ち着いたんかな、理…?エラい静かなんだけど…。」
ふと漏らした大鷲の言葉に、美弥は辺りを見渡す。
確かに…静か過ぎる。それに、石川の姿がいつの間にやら消えている。不安げに周囲を見渡していると、離れたところから手を拭きながら石川が歩いて来るのが見えた。
「おや…どうしました?」
「石川サン…理の容態は?」
大鷲の問いかけに対して、石川は「身体の再生は完了したそうです…後は、彼が目覚めるのを待つのみですか。」と返してきた。
「のぅ、従兄様…彼を『極東』に組み入れるというのは、大丈夫かの?パリの連中が口を挟んで来たら、ちと面倒じゃろ…。」
「舞狐、心配なのは分かりますが…私が『直談判』する手筈を整えておきますから、そこは心配無用ですよ。」
不安の拭えない様子の舞狐に、微笑を浮かべつつ返答する石川だったが…ふと、表情を引き締めて美弥に声をかけた。
「…動きがありましたね、理君が意識を取り戻したようです。皆、行きましょうか…」
……痛い…痛い…寒い……
……恐い…見えない…聞こえない……
……暗い…眠い…溶ける……
『…オキロ……』
……誰?…眠いんだ…寝かせてよ……
『…オキロ……』
……だから、僕を呼ぶのは、誰……?
『オキナイナラ…キエルゾ…ゼンブ…』
…い!?いやだ…嫌だ…これは、僕の…僕のだ……!
『…ソレデイイ…オキタナ……』
…え?ま、待って……君は、誰?
『ダレ…ッテ…オレハ…オマエダ…『おさむ』ダ…』
…!?な、なんで…なんで「僕」が…!?
『…「オマエ」ハ「オレ」ニ…「オレ」ハ…「オマエ」ニナル…ソレダケダ…キニスルナ…マタ…アオウカ…』
ま、待って…待ってよ…!?
『みやガ…マッテルダロ…サッサト…モドレ…』
え…!?
『アト…いしかわヲ…シンジロ…アイツハ…ミカタ…ダ……』
ち、ちょっ……!?
『…オマえハ…おレニ…オれハ…「僕」に…なるから、心配しなくてもいい…さぁ、起きて、行こうか…』
「…さむ、おさむ、理ぅ!!」
…珍しいなぁ、僕を起こしに来るなんて…なんか、みゃーちゃんと約束、あったかな……?
「…もう、ちょっとだけ……」
「おさむぅ!!!!」
絶叫とともに、美弥はシーツを力任せに引き剥がしにかかるが、周りにいた看護士達に止められた。
「そんな乱暴にしてはダメですよ、落ち着いて!?」
「患者さんが落ちますから、落ち着いて!!」
「お、オイオイ…!?」
理の呑気な寝言を聞いてキレたらしい美弥の様子を眺めながら、大鷲は唖然とした様子でツッコんでいた。
「…色々有りすぎて突き抜けたんでしょう、ま…もう少ししたら止めますか…。」
「そうじゃの…暴れる獣は、弱らせてからどうにかするのが知恵よ。妾がやるから、従兄様はそこで見ておってくれれば良い。」
「『恋する乙女』を『獣』扱いかよ…二人とも、も少しデリカシーって奴を学んどいた方が……」
石川と舞狐の会話にひきつった表情で大鷲がツッコんだが、「妾も、乙女じゃぞ…ん?」という舞狐のイイ笑顔付きの台詞(殺気マシマシ)で沈黙せざるを得なくなった大鷲であった…。
(しかし…随分と快復が早い。コレは…「嵐」の前触れでしょうか…それとも……)
「…あれ、みゃーちゃん?って…ここ、どこ?」
シーツを引き剥がされ、少し呆然としながら理は美弥の方に向き直りながら声をかけた…と同時に、「おさむぅ!!」と泣きながら抱きついてきた美弥の勢いに押され、そのままもう一度ベッドに倒れ込むことになった。
「おさむ、おさむ…おさむぅ!?良かった、良かった……!!!!」
もう最後辺りはまともな言葉にすらなってなかったが、理を抱きしめて泣きじゃくる美弥を…呆然としながら受け止めていた理は、徐々に自分の状況を認識し始めていた。
(…そうだ、僕は…確か、あの時…みゃーちゃんを庇って…ボールが直撃…した……?)
「…あ~、お二人とも…少し宜しいでしょうか?」
その時、軽く、しかしそれと分かるように咳払いしながら石川が(主に)理に声をかけてきた。
「…って、い、石川…さん?…………!?!?」
ようやく頭が回り始めたのか、周囲の状況を見渡し…看護士の顔を見て、石川と大鷲、舞狐を見て、そして泣きじゃくる美弥の顔を見て……理は一瞬で赤面しながらバタバタし始めたが、微かに笑いを浮かべながらその様子を眺め、石川は苦笑しつつ理に声をかけた。
「あ、そのままで結構です。…さんざん美弥さんを心配させたのですから、そのくらいはしてあげなさい…舞狐、カメラはそのまま回してても良いですよ。私が許可します。」
背後でいつの間にやらスマホを取り出していた舞狐に顔を向けずに声をかけ(当然の如く、黙ってサムズアップしてる舞狐がいたりする)、石川は話を戻す。
「まぁ起きたようですし、結論からいきましょう…理君、君は『保持者』に『覚醒』しました。理由は…分かりますね?」
「…え?ぼ、僕が……『保持者』に?な、なんで……!?」
「ぐす…だって、だってあの時…理、いっぱい、ボール、当たって…死んじゃったって、思ったんだよ……。」
石川の言葉に唖然とする理だったが、美弥の泣きながらの言葉で…全てを思い出した。
(そうだ…あの時、僕は……)美弥が身体を離したので、理は己の身体を触ったりしながら改めて確認するが…、特に変わってはいないように感じた。頭が重いが、これはたぶん起き抜けのせいだろう…程度に思っていたら、石川は静かに言葉を紡ぐ。
「理由はどうあれ…君は、死の淵から戻って来ました。そして、『保持者』として生まれ変わったのです。これから、君が何を見て、聞いて、感じて、考えるのか…そして、それを元にどんな行動を取るのか、見せていただきます。」
「……その…よく、分かりません……。」
「そりゃそうです、いきなり『分かりました』なんて言えるのは、それこそ『お釈迦様』とか『キリスト様』くらいなものですよ。安心なさい…それに、あなたが迷ったなら、『私達』がいます。あなたより先に『保持者』となった私達が…何より、あなたの傍には『美弥さん』がいます。だから…安心して己の生きる方向を、為すべき事を、自分の頭と心で感じて考えて、自分の足で探して、自分の手で掴みなさい。」
…じわじわと見えない現実を感じて、不安に襲われかけた理の耳に、精神に…石川の言葉が染み込んでいく。辺りを見渡せば…『大鷲』が笑顔でサムズアップをしていた。その隣で、スマホを構えた『舞狐』が穏やかに微笑んでいた。
そして…泣きながら無理やり笑顔を作りながら自分にしがみついたままの『美弥』が、いた。
そして…自分を真正面から、静かに見つめる『石川』と目があった。
「…あの、その…ま、まだ、まだ良くは分かりません。けど…色々と教えてください。そして…僕と、美弥を……よろしく、お願いします…。」
ところどころつっかえながら、理は自分の意思で、自分の想いを、言葉にした。その言葉を受け取り、石川は静かに…理に右手を差し出した。
「宜しい…ならば、我々は君と共に在りましょう。『いつか来る、笑える明日』を…みんなで、一緒に迎えにいきましょう。…これからよろしく、『有藤 理』、我らが同胞よ。」
「……はい!」
石川の差し出した手を、理は握り返す。
…この日、この瞬間…『世界』は動き始めた。その動き出した方向も、早さも…誰にもわからない。
しかし、間違いなく…『世界』は、確実に動き始めた。
それを識る者は、まだ誰もいない。
(第一話・了)