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第2章 やられたらやり返してもいい 3

 家の前には小さな畑があり、その日の昼前、ヘイゼルは包みレタスの外葉を掻きとって昼食用に収穫していた。これは霜が降りるまで繰り返し収穫できて便利なので植えている。ホースラディッシュも掘りあげ時だったが、ケガ人に刺激物はよくないだろうと思ってやめにした。


 食品や日用品は週に一度、ジャジャが馬で朝市まで行って買いこんでくるが、ハーブ類や毎日使う葉野菜などはここの畑で育てていた。


 ガーヤが朝方編んでくれたので、今日の髪型は凝った三つ編みの編み込みだ。耳の上はぽってりとふくらみを持たせ、残りの髪は後ろでひとまとめにしてある。幾本かに分けて編んだ髪の毛はうなじの上で複雑な形にまとめられて、自分では見えないけれど、手先の器用なガーヤのことだ、きっと絵本のお姫様もかくやという形になっているに違いない。畑仕事をするには正直この髪型は重いし実用的とも思えないのだが、最近ガーヤはヘイゼルの髪を結いたくて仕方ないらしい。


 やっぱりこれはあれなのかしら、若い男性がお客様だからかしら、などとヘイゼルが考えていた時。


「なにやってるの」

「野菜の収穫よ」


 柔らかく草を踏んで近づく足音が聞こえたので、ヘイゼルは振り向くことなく言った。


「ジャジャが気にしてるわ」

「なにを?」

「あなたたちが誰かに追われていて、その追っ手がここに来るんじゃないかと思ってるのよ。私が……巻き添えを食うのじゃないかって」

「そんなのは来ないよ」


 嘘を言っている声ではなかった。


 アスランがすぐ横にしゃがみ込んだのが視界の端にうつる。彼はしばらく野菜の苗を観察していたが、じきに手を動かしてあたりの雑草を抜き始めた。


「手慣れてるのね」


 あえて顔はそちらに向けないままで言うと、彼は少し笑った。


「子供の頃はよくやってた」

「そうなの」

「生まれた村は農村だったからね」


 ただ素直に懐かしんでいるのとは少し違った。その声にはわずかに悲しみに似たものが混じっていた。


 ヘイゼルは、人の顔色を見ることには慣れていない。なにしろガーヤもジャジャも、顔色を読む必要がある人たちではないので。だからわざとアスランの顔を見ずに、横に並んだ格好のままで言った。


「ねえ、アスラン」

「なに?」

「追っ手が来るのじゃないのなら、じゃあなにが来るの?」

「……なにも」


 ほら、また。とヘイゼルは思う。


 嘘はおそらくついていない。だが本当のことをすべて言ってもいない。彼の声はそんなふうだった。


 会って間もない自分がそんなに深くまで突っ込んでいいのかどうかわからない。だが、彼らを世話したことでもしも自分たちにも危険がやってくる可能性があるのなら、そこは、黙っていていい部分ではないはずだった。


「どしたの」


 長いことヘイゼルが黙りこんでいるので、アスランが彼女の顔を覗き込もうとする。

 甘く整った人なつこい笑顔を見たら、言いたいことが全部言えなくなりそうで、ヘイゼルはうつむいたまま言った。


「──私、あなたに少しだけ怒ってるんだと思うわ」

「俺に?」

「多分あなたは嘘はついていない。でも、本当のことをすべて言ってもいないでしょう」


 彼は少しためらったが、ややしてから肯定した。


「そうだね」


「あなたにはあなたの、言いたくないことも伏せておきたいこともあるんでしょう。それはわかるの。詮索したくて聞くのではないのよ。でもあなたたちをお世話したことで、ガーヤたちに危害が及ぶのであれば、それは見過ごしにはできないわ。ジャジャがあなたに敵意をあからさまにしているのもそれが理由よ」


「そうだね。──もっともそれだけではない気もするけど」

「追っ手が来ないなら、じゃあなにが来るの? 時折砂漠の方角を見つめてじっと考え込んでいるわね」

「ばれてたか」


「ガーヤにも同じようなこと聞かれたんじゃない?」

「聞かれたね。初日の、ごく早い時間に」


 いやな物言いになるのは承知の上だがとガーヤは前置きして、あんたらをかくまうことでこの家に危険はないのかいとまっすぐに聞いてきた。もし危険があるのなら、申し訳ないがあんたたちを置くわけにはいかないからと。


「それにはなんて答えたの?」

「大丈夫、危険はないって」


 そう、とヘイゼルは相槌を打った。


「あの人、元は女官かなにかでしょ?」

「ええ」

「普通女官はムチ扱わないよね。あれ、鍛錬して身につけたんだよね」


 そうね、とヘイゼルはうなずく。


 ここで暮らし始めた当初、ジャジャはまだおらず、ヘイゼルを守れるのが自分一人しかいなかったガーヤは、考えた末、ムチの技術を身につけた。訓練のおかげで、元々がっしりしていた体つきは余計に横幅が広くなったが、ガーヤは気にしなかった。


 ずっとガーヤに守られてきたのだとヘイゼルは思った。

 少し大きくなってからは、ジャジャにも。だがもうヘイゼルは十七歳だ。一人前の大人と言ってよい年齢であるし、する気になれば結婚もできる年頃だった。ヘイゼルはそっと深呼吸をしてから改めて口をひらく。


「アスラン、あなたはもう、私がガーヤの娘じゃないって知ってるわね」


 彼が頷く気配。


「あなたがご存じのように、この家の主人は私よ。もっとも身分が高いのも私。──だから私は、彼らに守られているだけじゃなくて、いざという時には、私が彼らを守らなくてはならないって思うの」

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