第2章 やられたらやり返してもいい 2
あの手この手でようやくヘイゼルに書物の朗読を中断させたジャジャは、なにかしら大きな義務をまっとうした気分で日常の仕事に戻っていた。
彼女の趣味を否定したいわけではないし、そのつもりもないが、それにしたって彼女の読書の趣味は渋すぎる。
ジャジャが月に一度王都へ行くとき、流行りの小説や、見た目も愛らしい装丁の画集などを買って帰ることもあるのだが、ヘイゼルは受け付けようとしないのだ。
『そういうの、私はいやだな』
『……だってほら、すぐ読み終えちゃうでしょう』
きっぱりとした拒絶のあとに形ばかりのフォローを添えて。
そのかわり、彼女のリクエスト通りにぶ厚い文字だらけの書籍を買って帰ると、喜んで毎晩飽きずに熟読している。
(あんなものを喜んで読むのは、どこの宰相、もしくは文官だって話なんだが……)
しかも彼女は書物をただ読んで理解するだけではない。
彼女の凄いところは、この疑問を解決するにはどの本のどのあたりに関連する文章が書いてあったか、それを証明するにはまた別のどの部分を読めばよいか、それらがすべて頭に入っているところだ。
(僕だってけして頭が悪いわけじゃないと思うし、理解力もそこそこある方だと思うけれど……さすがにあれにはついてけない)
「手伝おうか」
「けっこうです」
冷たい声音でジャジャは声をかけてきたアスランに告げると、両手に抱えていた薪をかまどの横に積み上げた。
必要以上に棘のある言い方であることは、ジャジャ自身承知している。だが、止まらない。止める気もない。
アスランは窓の向こうを眺めてなにやら考えていたのを止めて、つくづくとジャジャを見る。まっすぐ並んで立つと、彼のほうが幾分身長が高いのもジャジャにとっては無意味に腹立たしい。
「そんなに追い払いたい?」
「そんなことは決して」
そつのない返し方は身についている。ただ今は、慇懃さがいささか勝っているだけだ。
「ただ、いつご出発なのかが知りたいと思っているだけです」
かまどの横には、こまめに掃除ができるよう、小さな箒とちり取りが立てかけてある。黙ってしゃがみ込み、薪を置いた際に飛び散った灰をはき集めるアスランの手からジャジャはそれを奪い取った。
「あなたは客人なんですから、そんなことはしなくてもけっこうですと何度も申し上げていますのに、お分かりいただけないようで」
「──そりゃ、時が来れば出て行くけどさ」
アスランは無理になにかしようとはせず、手の平を叩いてから立ち上がった。うーんと両手を伸ばして伸びをしながら言う。
「なんでそんなに突っかかるかねえ?」
その呑気な口調にカチンときて、言い返す。
「わかってるはずです。あなたがあの人によくない影響を与えそうだからです」
不思議なことだが、ヘイゼルがサディークと話している時は、そこまで胸はざわつかない。
居ても立っても居られない、二人きりになどとてもできない、ひとことだって話をさせてなるものかという、アスランに対して感じるような焦燥はない。
むしろ、微笑ましいと感じるくらいだ。ヘイゼルの世間知らずな部分をサディークが黙って受け止めてくれている気がして、うちの姫様がすみません、と思う時すらある。
だがアスランは違う。
(なにが違うのか……どう違うのか……)
わからないというよりも、そこは深く考えたくなかった。
別にそれでも構わないとジャジャは思い直す。どうせ彼らはほどなく出て行くのだから。二度とここには現れないのだから。今だけ。今だけだ。
アスランはなにやら考えていたがやがて口をひらいた。
「それ、お前さ」
(──お前、だと?)
かっとジャジャの胸に怒りの火が点火する。だがかろうじて口にはしなかった。アスランが先を続ける。
「自分の主をずいぶん見くびってるね」
「はあっ!?」
これは聞き流すこともできずに大きな声が出た。
「言うに事欠いてなんですかそれは」
だがアスランは至って落ち着いている。
「彼女はたやすく他人に影響を受けるほど馬鹿ではないし、自分の考えもちゃんと持ってる女性だって言ってる」
「あなたに言われなくてもわかっています」
思いきり罵りたいのを我慢してそう言ったら、掠れた低い声が出た。
「わかってますとも」
あの人は聡明だ。こんな育ち方をしたとは思えないくらいに。
世間知らずの部分はあるが、それを補って余りあるほど彼女は賢い。大きく深呼吸して自分を落ち着かせようとしながらジャジャは言う。
「そんなことはあなたに言われなくてもわかっています。物心ついてからずっと一緒にいるんですよ。よくわかってますとも。──それでもどうしてでしょうね、妙に胸騒ぎがするんですよ。あなたと一緒にしておいてはいけないという気がしてならない。さっさと追い払わなくては、あの人はあなたに引きずられる、そしてそれは決して良い結果を生まない、そんな気が」
するとアスランは少し考えてから、
「……ねえそれ、俺、褒められてんの?」
と言ったので、ジャジャは一気に下げていた剣を抜きはなった。普段は家の中で剣を下げることなどないが、先日彼がヘイゼルの部屋に勝手に入りこんだ時以来、ずっと肌身離さずにつけている長剣だ。
「おっとー」
ジャジャが打ち込むのとほとんど同時に、アスランも自分の剣を抜いて顔の前にかざし受ける。剣が抜かれるのを見てから反応したというよりは、ジャジャの肩の動きと目線を見て反応した動きだった。
(おっと、だとう? おっと?)
思いきり打ち込んだのに簡単に受け止められて、ジャジャの目の下が悔しさに歪む。
「あのさあ、脅しで剣を抜くのってよくないぜ」
ジャジャの剣は刃ではなく、腹の部分を向けて打ち下ろされていた。
「──客人を殺すわけにもいかないですからねえ」
だがアスランの剣も同じように腹の部分が向けられている。
ジャジャの悔しさが沸点に達した。
受けられただけではなく、とっさに刃先まで見る余裕が彼にあったなんて。
「いや、殺すのは無理だろう?」
「無理だかどうだかやってみてもよろしいですか?」
いったん剣を引き、今度はまともに刃を向けて切りかかっていく。だがまたしても受けられる。刃と刃がぶつかって小さな火花を散らした。剣はどちらのものも怖いくらいに研ぎあげられている。
「……さすが、ラプラを従えてるだけのことはありますね。あなた自身もいい腕なんだ」
「よく知ってるね。でさ、わかった上でこういうことすんのはなに? ねじ伏せてほしいの? 俺に」
「くそ戯言を」
「あ、割と毒舌。うん、知ってたけど」
「軽口を叩けるような軽い打ち込みはしてないつもりなんですがね」
「前に俺のことを誰だと聞いてたけどさ。君こそ、本当はどこの誰だ」
「なんですって」
ぎりぎりと力を込めていた手はそのままに、ジャジャの顔色が少し変わる。
「ただの少年に、こんなに速くて深い打ち込みはできない。第一こんないい剣も持ってない」
「褒められてるんですか?」
さっきの仕返しのつもりで言ったのに、アスランはしれっと返した。
「褒めてるよ」
「最高にむかつきますよ、あなた」
またしても無言でぎりぎりと剣を挟んだ力比べになった。
そこに、入り口の扉があいて室内にさっと光が差す。
「きゃあっ」
洗濯物を取りこんできたヘイゼルが目を丸くした。
「なにやってるのっ、あなたたち!」
二人とも、体を離して同時に剣を腰に収めた。
「あ、ごめんごめん。大丈夫だよ、ちょっと遊んでただけ。ね」
「はい」
珍しくジャジャもアスランに同調してうなずいたのに、ヘイゼルはきっと二人をにらんで戸口の外を厳しく指さした。
「そういうことを言ったんじゃありません、お外でおやりなさい!」
「……はい」
心もち小さくなった男二人は、小さな声で言い交わした。
割と動じないのね彼女。ええまあ。育ての親が親ですから。




