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第2章 やられたらやり返してもいい 1

 彼らがきて丸二日が過ぎた頃、ケガ人は峠を越したようで、ガーヤもヘイゼルもほっと息をついた。


「まあ結果よければすべてよしってことで、いいことにしましょう。正直あたしは二度とあんなハラハラするのはごめんですけどね」


 そうガーヤは言った。

 誰ひとり医学の高度な知識もないなかで、ああまで重症のケガ人を無事に助けられただけでも奇跡に近いと。


「姫様にも、ご不便おかけしましたね。もういつも通りになりますからね」


 あの本棚を見られたことで、ガーヤもヘイゼルの身分を隠す気はなくなったようで、あれからずっと呼び方は『姫様』に戻っている。それはヘイゼルにとって少しだけ惜しまれることだった。ガーヤが自分のことを本当の娘のように扱ってくれることは、いつでも嬉しかったから。


 良かったことといえば、ヘイゼルがケガ人の部屋に入るのをジャジャが邪魔しなくなったことだ。もうそうしても意味がないと踏んだらしい。そこまでは良かったのだが、


(どうしてこうなるのかしら……)


 唯一問題はアスランとジャジャの相性の悪さだった。


 彼らはなにか本質的なところで相容れないようで、ヘイゼルが聞く限り、交わす会話はほとんどすべて喧嘩に発展していた。正確には、ジャジャがアスランにちくちくと皮肉を言い、アスランがそれをのらりくらりと受け流しているので、喧嘩とも少し違うのだが。


 そしてそんな彼らのやり取りを、時折、ケガ人がうす目をあけて聞いていた。


◇◇◇


 三日目の朝のこと。


 既に日課のようにしてちくちくと陰険に、時にわあわあと声高に言いあっているアスランとジャジャに、サディークは震える声で発言した。


「あんたら……やかましい……です」


 驚いたのは男二人だ。


「うお、口きいたよこいつ!」

「まだ三日目ですのに! バケモノですか!」


 ケガ人はどちらの言いぐさにも等しく嫌な顔をしてから、苦しそうな声で途切れ途切れに発言した。


 こないだから言おう言おうと思っていたが、仮にも重症のケガ人の耳元で飽きもせず喧嘩を繰り返して、どういうつもりか。少しは時と場所をわきまえたらどうなのか。こちらは生死も危ういかと思うようなケガをしていたというのに、不謹慎とは思わないのか。第一あなたたちの声がケガに響く。


 それらはどれもはしからはしまでド正論だったので二人は黙るしかなかった。

 言うべきことを言い終えると、ケガ人は、


「ね……ます」


 断りを入れてから、再びまぶたを閉じて眠りに入った。

 はたで聞いていたヘイゼルは律義なものだと妙なところで感心したものだ。


 言いたいことを言ったのが良かったのかどうか、彼はそこからいっそう目覚ましい回復を見せてヘイゼルたちを驚かせた。


 じき寝床に体を起こせるようになり、食べられるものもスープから穀物粥にかわってぽつぽつ会話を交わすようになると、彼の人柄も知れてきた。基本的に無口で愛想笑いもしないけれど、軽薄さがなく、信頼できる若者だということが。


 ケガ人が食べ終わった粥の椀を片付けながら、ヘイゼルは声をかけた。


「退屈でしょう」

「まあ……仕方ないですね、この体では」


 サディークはその見た目からは意外なほど低く落ち着いた声を返してきた。

 確かラプラは男女ともに武術にすぐれた人間が多い、と本に書いてあったことを思いだしてヘイゼルは続ける。


「はやく元気になって体を動かしたい?」

「ああ……そうですね、鍛錬もできなくて、いささか一日が長く感じます」

「退屈しのぎに本でもお持ちしようかとも思うのですけど、うち……専門書ばかりで軽い読み物なんか一切なくて」


 ヘイゼルが言うと、サディークはほのかに笑った。


「どうぞお気遣いなく」


 その時ヘイゼルは、ラプラには美形が多いという文献に書かれていた一文が、はじめて本当のこととして理解できた気がした。


 ひとかけらの贅肉もついてはいない滑らかな白皙の頬、そこに影を落とす長い睫毛、形のよいひきしまった口元。美女と言っても差し支えないほど線が細いのに、ひ弱な印象はどこにもない。

 口をひらかなければ、冷たい印象を抱かせるほど整った美貌だというのに、そうして笑うところは、笑みを向けられたこちらのほうが嬉しくなるほどやさしげなのだった。


 これまでは単なる知識でしかなかったものが急に生々しく手応えのある現実として浮き上がってきたことにヘイゼルが感動を覚えていると、サディークは、色素の薄い水色の瞳で彼女を見あげた。


「普段あなたは、専門書を読んでいらっしゃるんですか」

「ええ、まあ……個人的には、専門書というよりは実用書だと思っていますけど」

「面白いですか」


 それは明らかに社交辞令だった。

 ヘイゼルが彼の退屈を案じているのが感じ取れたので、普段はしない雑談というものをサディークが試みたという、それだけの。


「ええ、とても!」


 だが社交辞令に慣れていないヘイゼルはぱっと顔を輝かせた。


「よければいくつかお持ちします!」

「あっ……」


 戸口にいたジャジャが止める隙もなかった。

 すぐさまヘイゼルは二階へ駆け上がって行き、その腕に数冊、分厚い本を抱えて戻ってきた。


「ちょうど今読んでいるものです!」


 目をきらきらさせて差し出されてしまっては、サディークとしても黙って受け取るしかない。受け取った直後、彼はずっしりとした重さが傷にひびいて、思わずうっという声を出してしまった。


「あ、ごめんなさい。良ければ私が読みましょうか?」

「ええ、そう」


 してください、と彼が言うより早く、ジャジャが急いで割って入った。


「それはよしましょう!」

「どうして」


 ジャジャはしばらく考えて、遠慮がちに口にした。


「ええっと、普通の人には難解すぎて退屈だと思うから、です」


 言葉を選んだ割に選びきれていなかった。そうかしら、とヘイゼルは不服そうに口を尖らせる。


「難解じゃないわよ、もしかしてジャジャはいつもそう思って私の話を聞いているの?」

「いえあの、そういうわけじゃないんですが」


「もしそうだとしたら、説明する私が悪いことになるわね。わかった、もう一度噛み砕いて話すからよく聞いて。本当に興味深いから」

「いえそんな、心から結構です!」

「なぜあからさまに逃げるの」

「そうじゃありません、僕はえっと、仕事がありますから」


「そう、ならサディークに聞いてもらうことにする。私の説明が難解かどうか」

「体力もまだ十分回復してない人にそれはやめてください!」

「聞き捨てならないわね、私の読書が体力を消耗させるとでも?」

「そうは、言ってないですが」


「いいこと、こういう書物の面白みというのはね、書かれている文字を追っているだけでは得られないものなの。知識と知識をつなぎ合わせて、実際には書かれていない部分まで想像する楽しさというのがあるのよ。たとえばほらここ」


 ヘイゼルは慣れた手つきでばさばさと『国内外貴族総覧』の最新号をひらいてみせた。


「中流貴族の一員である末子が婚姻して、西の領土をかなり大きく分割譲渡されているわね。これだけ見ると、ずいぶん気前のいい結婚祝いだなと思うわけだわ。でもね、こっちの地図を見て」


 また別の本をひらく。今度の本は、『オーランガワード全土詳細地図』だった。


「これを見ると、この領土の西端はほとんど泥炭地なわけ。地図の分布では、近隣にもほとんど村や町はないことになってるわ。こんなところに城を建てて住めというのは、現実的ではないわね。では軍事観点で見るとどうか。人口は少なくても、防衛もしくは牽制の目的で国境に砦や城を置く例は昔からあるから。でもこの付近には国境もないし、かといって山賊がでた例もないし、平たく言うとここに城を置く理由って考えられないのね。統治する農民もおらず、政治的に意味もない、さみしいじめじめしたところに住まわせる、これって嫌がらせよね。じゃあなぜそんな仕打ちを身内にするかという視点で考えると──」


 ヘイゼルは次に『中央司法判例記録』を引っ張りだして中の判例を読みあげた。


 嬉々として説明しているヘイゼルの横で、サディークは目をぱちくりさせ、ジャジャはというと早くもうんざりした顔になっていた。

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