表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/37

第1章 まさかお客が来るなんて 4

 夜になると、いつもジャジャが二階のヘイゼルの部屋までお茶を運んできてくれる。ポットにたっぷりの熱いお茶と、甘さを抑えた焼き菓子の皿も。


「失礼します──遅くなってしまってすみません」


 ジャジャは、まるで女王陛下に使える従僕のように彼女の脇に膝をつき、ベッドサイドのテーブルに音もなくお茶のトレイを置いた。


 ふたりきりなので、姉と弟の演技をする必要も今はなく、普段通りに話すことができる。


「ケガ人の様子はどう?」

「よくなってきてますよ。今日はスープを二回と薬を二回飲みました」

「なにかしゃべった?」

「いいえ、さすがにまだ」


 ジャジャは膝まづいたままで首を横に振る。


「あの傷では、起きあがれるようになるまで一週間はかかるでしょう。どう見ても刀傷ですからね」

「そうなの? 私は見てないからわからないのよ。あなたったら、露骨に私を彼らから遠ざけるんだもの」


 ジャジャは模範的な笑顔を浮かべた。


「そんな。得体の知れない人間からあなたを守るのが、僕の仕事なだけですよ」

「得体の知れない、ねえ」


 ジャジャがお茶の支度をしてくれているのを横目で見ながら、ヘイゼルはアスランのことを思った。


 気がつくと、かなりの確率で目が合う彼のことを。


 彼は立ち居振る舞いや言葉つきにも乱暴なところは一切なく、なにかする時は必ずガーヤに断りを入れてからそうしていた。自分が招かれていない客人であることを理解しており、今以上に迷惑をかけないよう気遣っているのが見てとれる。口調や表情は人なつこいのに馴れ馴れしさを感じさせないのは、他人と暮らす距離感に慣れているからなのかもしれなかった。


 そしてヘイゼルが見る限り、彼はいつも笑っていた。むっとした様子や怒ったところは欠片も見えない。一度など、自分で使った食器を自分で片づけようとして、慇懃にジャジャに取り上げられて苦笑いしていたところも見た。


 公平に言って、彼に対するジャジャの態度はあまりよろしいものではなかったが、アスランがむっとした様子を見せることはなく、ヘイゼルと目が合うと、雰囲気を悪くしてごめんね、とでもいうようににこっと笑うのだった。


 そんな時に目に止まるのは、その左右非対称な色の瞳だ。右目は琥珀色、左目は青みがかった灰色。


 ヘイゼルがそれを見つめていると、彼は左の灰色の目の下に指を当てて、これでしょ、気になってるのは。みたいな顔をする。もっと見たいならどうぞ、と小首をかしげるそのしぐさがおかしくて、ヘイゼルはちょっと笑う。大抵はそのあたりで、気配に気づいたジャジャが、姉さん洗濯もの取りにいってくれますか、などと邪魔をするのだが。


 お茶のセットを終えたジャジャが静かに口をひらいた。


「──あのふたりはおそらく砂漠の民です」

「そうね」


 そこはヘイゼルも気づいていた。というより、彼らのいでたちはオーランガワードの人間には見えなかったから。


 砂漠にはいくつもの部族が点在しており、どこの部族もそれぞれに身内の絆を重んじる。アスランの日に焼けた肌も、馬で移動しやすい軽装も、自由な風のような雰囲気も、どれも砂漠の民たちが持つ特徴そのままだ。


 彼らは砂漠を自在に動き回り、ときに砂漠を渡る隊商の護衛や道案内のようなことをして暮らしている。東西の国をつなぐ独自のルートを持つ彼らには、王宮でも見られないような稀少な焼き物や絹織物、香料や細工物などを売買することもでき、それを面白く思わない王侯貴族に目の仇にされることもあった。


 ことに先代の王が引退して今の王に代変わりしてから、オーランガワードは戦が多い。まるで己の権威を誇示することに懸命であるかのように。だから国境付近にはぴりぴりした空気が流れているのだが、ファゴットの森のまわりは小さなオアシスが点在しており、そのせいでこの一帯は停戦地帯とされていた。

 最近ここらであれほどの深手を負うような武力衝突があったという話は聞いていない。もしそんなことがあれば、ヘイゼルの身の安全をなによりも気にして朝晩偵察に出ているジャジャの目に止まらないはずがないからだ。


 流れものの兵士である可能性もゼロではなかったが、それにしては二人とも若いし、なによりアスランに殺伐とした雰囲気がない。また礼儀正しさも持ち合わせている。


 それを言うと、ジャジャはゆるゆると首を横に振った。


「礼儀はともかく、殺気がないことが兵士でない証拠にはなりません。むしろ超一流の兵士は普段はそんなふうに見えないものなんです」

「あなたが言うと説得力があるわね」


 褒めたつもりだったが、ジャジャはそれをさらりと流した。


「僕など全然。あのケガ人のほうは、おそらくラプラですよ」

「ラプラ」


 ヘイゼルは以前、文献で読んだことがある。砂漠の向こう側の国々では、アウトカーストとして昔から蔑まれてきた一族だ。ラプラはアウトカーストであるゆえ他の部族との婚姻が許されず、近親婚を繰り返した結果、非常に美しく、また身体能力にすぐれたものが頻出すると本には書いてあった。


「あの筋肉のつき方は尋常じゃありません。細いのに、全身がしなやかな筋肉でびっしり覆われている。体力も相当あるはずです。普通の人ならあんな傷で馬で砂漠を超えられずにそのまま野垂れ死にます。それに、ラプラに多い特徴的なプラチナブロンドそのものですし」


 そうなの、とヘイゼルは相槌を打った。なにしろ、最初の夜を除けばまだ一度もケガ人をまともに見ていないのだ。


「このあたりでラプラを受け入れているのは、砂漠の民たちくらいです。なのになぜ自分たちの仲間を頼らないんですか? 不審です」


 そうねえ、とヘイゼルはお茶のカップを両手で包むようにした。


「ジャジャはそのこと、どう思うの?」


 彼は薄くて形のよい唇を軽く噛んだ。


 ラプラは美形を頻出する一族だというが、彼だってなかなかのものだ。秋祭りが近づくと、近隣の村の娘たちはなんとなくそわそわするのを知っている。彼はこっそり捨てたり隠したりしているつもりらしいが、市場へ買い出しに行った時、手紙だのちょっとしたお菓子だのを困った顔で持ち帰ってくるからだ。


「……わかりません、まだ」


 ここは正直にジャジャは言った。


 こういうところが彼の信頼できる所だとヘイゼルは思った。明らかに面白くないと感じているはずなのに、肝心なところでは公平な判断をするところが。


「でもあなたに危害を加えるものなら、僕は戦います。お休みなさいませ、ヘイゼル様」


 そして戸口で小さく一礼してから彼女の部屋を出て行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ