第7章 自分の意志で行く 4
「ジャジャさ、俺にはその臣下の礼、やってくれないの?」
無邪気な感じでアスランが言うのに、サディークは、「言わなきゃいいのに」という顔をしたし、当の本人はというとぎろりとアスランを睨みつけた。
「あなたって人は……今ここで始末されたいんですか」
「それは無理だと思うなあ」
「おやそうですか、言っておきますけど僕そこまで弱くもないですよ」
「奇遇だよね、俺も」
二人が言いあうのをヘイゼルはじっと見ていたが、ぽつりと言った。
「いいわね、楽しそうで」
「えっどこが」
「どこがですか」
二人の声が揃う。
「仲悪いよね俺ら?」
「そうですよ!」
ほーっ、とヘイゼルは羨望のため息をついた。
「私も、同性のお友達が欲しかったな……」
「だから違うって!」
「断じて違いますよ!」
二人はえらい剣幕で否定したけれど、ヘイゼルの目には、やはり息があっているようにしか見えなかった。
ヘイゼルは空を見上げた。吐く息がいつの間にか白い。
星ひとつ見えない空だというのに、なぜだろう、不安は感じない。
「上ばかり見てると、めまいしちゃうよ」
「きれいだなって、思ってたの」
「俺も思ったよ。最初にヘイゼルと会った時」
臆面もなくアスランが言うので、ヘイゼルは赤くなってうつむいた。だが静かにアスランの手があごに添えられ、仰向かせられる。
「……俺の生まれた村のことを覚えていてくれてありがとう」
「ううん……」
「どんなに救われた気がしたか、君にはわからないだろ。──だから今度は俺の番だよ」
「おれのばん?」
きょとんとするヘイゼルに、そうだよとアスランはうなずいた。
「ヘイゼルがここで味わった苦痛や屈辱、頑張りは、俺が全部覚えてるからね」
「……アスラン」
「絶対にもう誰にも渡さないって約束する。──あなたをここから連れて行ってもいい?」
いやだと思うわけがなかった。
ヘイゼルが小さくうなずくと、アスランは軽い音を立ててヘイゼルの額に口づけた。
「好きだよ、ヘイゼル」
──わたしも。
言おうとした声は掠れて声にならなかった。胸の内側が甘く痺れたようになって、嬉しくて吐息が漏れそうになる。
ヘイゼルは喘ぐように息を吸って、吐いて、また吸って、吐いて。
空からは白いものが舞い降りてきていた。まるで、生まれたばかりの結晶のひとつひとつがあたりを祓い清めているように。
「私……自分の意志であなたと行きたい」
「うん」
「あなたが好きなの、一緒にいたいの。離れていたくないの」
続けて言うと、アスランは驚いたような顔をした。
「……ヘイゼル」
また先程のように途中で止められてしまうかと思うと、最後まで言ってしまいたくて、ヘイゼルは急いで続ける。
「あなたに卑劣な真似をした男の娘だけど……。それでもあなたが気にしないのなら……連れて行って。私、あなたと行きたいのよ」
ひと息に言ってしまうと、アスランは、まったくもう……とつぶやいて片手の平で己の目元を覆い隠した。長い節ばった指の隙間から、彼の紅潮した肌が覗いている。
「だめって言ったでしょ……」
「だって」
「──お仕置き」
あっと思ったら、避ける隙もなかった。
顔を斜めにして、アスランがヘイゼルに口づけてくる。柔らかい唇の感触にヘイゼルは小さく震えたが、いつの間にか背中には彼の手がしっかりとあてがわれており、逃げることも、身じろぎすることもできなかった。
サディークは見て見ないふりをしているのがわかる。ジャジャが、見たくもないというようにそっぽを向いているのもわかる。すぐ終わるかと思った口づけは思いのほか長くて、ヘイゼルが苦しげに吐息を漏らしてからしばらく経った頃、ようやくアスランの唇は離れた。
「……は、ずかしいから……見てるから……」
「恥ずかしくないとお仕置きにならないよね?」
息がかかるほど近くで言われて、ヘイゼルは言葉をなくした。その唇にもう一度、今度はごくやさしく、ふれあうだけの口づけがされる。
「連れて行くよ。……一緒においで」
……はい。と言う代わりに笑顔で応じた。それを見たアスランに再びきつく抱きしめられる。
「ですからいちゃついている時間はないと何度言ったら」
「助けなければよかったってこの人ほど思う人はいないですね」
「この先まだ長いんですよ、あとにしてください」
「そうですよ、だいたいそれは僕に対する嫌がらせですか」
サディークとジャジャが二人揃ってぶつくさ言っているのを聞きながらヘイゼルは思った。
物語の中のお姫様は、お年頃になると王子様と出会うというのが決まり事だ。
私は生まれながらの王女だけれど、彼女たちとは少し違う。
いつか誰かが来てくれる。その人が連れ出してくれる。そんな夢は見ないようにしていた。
だってそんな日は、どう考えても、来ないから。だけどそうではなかった。
誰かに連れだしてもらうのではない、自分でそこから出て行くのだと思いながら、ヘイゼルは純白の雪片が舞い降りる中、馬の手綱を持って待っているサディークのほうへ足を踏み出した。
しっかりと、大切な人と手をつないで。
この長い物語を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも気に入ってもらえたならこんなに嬉しいことはありません。




