第6章 三代目の狼 6
ドレスは前よりも豪華なもので、鮮やかに光る銀の刺繍が白地に施されている。刺繍は裾にいけばいくほどみっしりと隙間なく刺されていて、たっぷりとした裾が歩くたびに揺れて、刺繍自体の重みで足の動きにまとわりつくように動くさまは、まるで光る渦をまとっているようだった。
白のドレスを際立たせているのは、胴体部分の鮮やかなプラム色だ。ぴったりと体に吸いつくようなカッティングはヘイゼルの細身の体つきをかたちよく際立たせ、夕暮れの色のような赤紫はヘイゼルの肌と髪色によく似合った。
髪を結ってもらい、髪飾りをつけ、肘の上まである長手袋にプラム色の細いリボンをその場で手際よく縫いこんでもらうと、どこからみても堂々とした若い王族の女性が鏡の中に現れた。
なるほど、先日は手抜きをされたのかと遅ればせながら思った。手抜き、そうでなければ意地悪を。
まあそうだとしてもいいけどと思いながら先日と同じホールへ向かうと、既に大階段の手前あたりから、ヘイゼルに目を止めた貴族たちが笑顔をつくって挨拶してきた。
「ごきげんよう、ヘイゼル殿下」
「今夜も美しいこと、よくお似合いです」
「晴れの日の主賓にふさわしい装いですわねえ」
「……主賓?」
ヘイゼルが首をかしげると、貴族の男女はそろって頷いた。
「私が主賓、ですか」
「そうですとも、今回一番の殊勲者でいらっしゃるでしょう」
「本当に」
貴族たちはそろって目配せしあいながらうなずいている。ちょっと待って、殊勲者ってなんのこと、とヘイゼルは焦りを顔に出しそうになって、慌てて表情を引き締めた。
「きっと陛下よりお褒めの言葉がございますわね」
「もちろんそうに決まってます、王宮を、ひいては国を救ったのはヘイゼル殿下ということになるんですもの!」
「私が……なんですって?」
称賛にまみれた彼らの話を辛抱強く聞き集めるごとに、ヘイゼルは自分の血が引いてゆくのを覚えた。
アスランは自分の兵たちを王都の外まで下がらせ、勝手に攻め込ませないことを約束したうえで、単身、王と面会したこと。その機会をとらえて(という言い方を貴族たちはした)王はアスランを投獄したこと。
彼の身柄を拘束すれば、砦の兵たちに対する抑止力になる。むろん、兵たちが攻め込んでくるような真似をすればアスランを人質として使う。現在は彼の身柄と引き換えに砦の全権を譲り渡すよう交渉しているのだと聞くに及んで、ヘイゼルの胸に今度はキンと凍るような怒りが染みてきた。
(お父様……なんてことを)
「さすがは、長く離れてお暮らしになっても直系の姫君でいらっしゃいますわ」
貴族たちのほめたたえる声が白々しく響く。
「これからは安心して、王宮で姫君らしいお暮らしができますわね」
「これからよしなにお願いしますわ、姫君」
詳しい事情は、更に幾人かに話を聞かないとわからなかった。近衛らしき男がいたので捕まえて話を聞くと、アスランは、兵を下がらせることと引き換えにヘイゼルの身の安全を保障するよう申し出てきたのだという。
その会談の席で王はアスランに兵をけしかけ、言ったらしい。お前が抵抗すれば、あの娘をいつでも再び拷問部屋へ入れると。
「……それで、大人しく、囚われの身に?」
「そう聞いております。抵抗はしなかったと」
「そんな……」
あまりにひどい。その言葉をかろうじてヘイゼルは飲み込んだ。
こんな、誰が聞いているかもわからない場所で本音を口走るのはまずい。そう思って、言葉はかろうじて飲み込んだけれど、扇を持つ手が震えるのは止められなかった。
卑劣にもほどがあると、我が父ながらそう思う。だがその卑劣な脅しをアスランは呑んだのだった。
「それは、いつの話なの」
「つい先日……二日ほど前でしょうか」
では今、アスランは牢につながれているのだと思った。
拷問部屋の淀んだ湿っぽい空気をヘイゼルは思いだす。あんなところに彼がいるのだと思ったら、ドレスをたくし上げ、ハイヒールを脱ぎ捨てて今すぐここから駆けていきたかった。
「あの、素晴らしい功績だと軍部の中でも評判です、殿下」
だが近衛兵がまだ話している。
「長くお留守をされていても、さすがは王女であられる、王家の一員として父王陛下をお助け遊ばした……と」
「あなたは近衛でしょう」
ヘイゼルは彼を振り仰いだ。さすがは近衛だけあり、背は高く、整った顔立ちにも清潔感がある。
「はい、そうです」
「近衛隊の仲間とは、一緒に寝起きをしているの?」
「その通りです」
「彼ら仲間のことを、家族同然だと思う?」
ヘイゼルが尋ねると、彼は晴れやかに笑った。
「もちろんです。つらい訓練も、毎日一緒に暮らしている同期とだから耐えられるのです。──血はつながっていませんが、彼らも私の立派な家族だと思っています」
これに、ヘイゼルは心から賛同して笑みを浮かべた。近衛が唇を半開きにしてそれに見惚れる。
「本当にそうね。私もそう思うわ」
言うと、ヘイゼルは身を翻してそこを後にする。
「あっ……殿下、もうお帰りになるのですか……殿下!」
近衛が後ろで言っていたが、気にならなかった。
来たばかりでも構わない。今はここから帰り、静かに、自分になにができるのか考えたい。
以前アスランに、ガーヤとジャジャは本当の家族じゃないことを見抜かれて、悔しくて、だからなんなのと言い返したことを思いだした。血のつながりが大事なんじゃない、どんなに、どれだけ相手のことを大切に思っているかが家族なのだと。
(だとしたら……私のことを大切に思ってくれているのは、いったい誰)
アスランははじめて会った時以来、一度もヘイゼルの前で煙草を吸ったことはない。市場でも、アルコールでヘイゼルが発作を起こすのを知って巧みにそれらを避けてくれた。あの北の塔をよじ登り会いにも来てくれた。
そして今は、ヘイゼルのために牢獄に入っている。
(お父様……)
対して、父のことも思った。
ヘイゼルを追放するよう命令を出したのは彼だ。これまでは、森のはずれに軟禁状態で暮らしていても彼を恨んだことはなかった。予言の通りにヘイゼルを殺すことなく、せめて国の片隅で生かしておくことが彼の愛情だと信じていたからだ。
(──だけど、違った)
謁見室で見た豪華なチェスが思いだされた。
(お父様は、私を取引の材料として使った……)




