第6章 三代目の狼 4
「どうしてそんな。石や金が欲しいのなら、対等な交易で手に入れたら済む話ではないですか」
「それは、あやつが砂漠の民を対等な交渉相手とみなしていないからだな」
そうか、とヘイゼルは思った。
自分が読んでいた、いわば公式の書物に記載がないのも道理だったのだと。記してしまっては、相手を認めたことになる。おそらくは、相手を蔑み、取るに足らないものとして扱うことでこそ、父は自分の行為を正当化しようとしているのだ。
考えているうちにヘイゼルはむかむかしてきて、口をひらいた。
「私……おじいさまに文句が言いたくてなりません」
「ほう」
言ってみていいぞ、とその瞳が言っていたのでヘイゼルは思ったままを口にした。
「どうして、あの人を次期国王になさったんですか。もっと他に、誰か、いなかったんですか」
ベッドの下でぐふっとくぐもった声がした。予想以上に直截な聞き方にあやうくアスランが吹きだしかけたのだが、その声は、祖父の大爆笑でかき消された。
「笑いごとじゃありません。父がそういう人だって、おわかりだったんじゃないんですか」
「うん、わかってはいた。気が小さく、ゆえに自分をことさら大きく見せたがり、確固たる自信がないゆえに己の間違いを認めたがらぬ奴だとな。自分で思っているほど戦に強くはないことも。──だがな、諸々の悪条件を鑑みたうえで、あいつ以上の適役がいなかったのも事実なのだ」
「人材不足、よくないと思いますけど」
これに祖父は怒るでもなく、ククク、とさも愉快そうに笑った。
「そういう物言いも、ガーヤにそっくりだな。あいつに預けて正解だった」
「お亡くなりになったわけでもなく、まだご存命で、十分お元気でいらっしゃるのに、おひとりで楽隠居なさったりして」
「ふはは、はじめて会った美しい孫娘に説教されるとはなあ」
「申し訳ありません……でも、こういう目に合っている以上、私にも言う権利はあるかなと思いまして」
「間違っておらぬな。至極まっとうだ」
そう言っておいてから、彼は顔の前に指を一本掲げてみせた。
「あれのひとついいところはな、金儲けがひどくうまい」
「金儲け……ですか」
「そう露骨に見下した顔をするものではないぞ。あいつに任せておくと、国が富むのだ。おかげであいつが国王になってからずっと、多少の冷害や疫病にも国はびくともせん。いざとなったら国庫からふんだんに見舞金を出し、足りないぶんは外国から買ってでも食糧や種籾を分け与えるからな」
「……」
ヘイゼルは森の家での暮らしを思いだしていた。ジャジャが毎週、森の向こうの市場へ買い出しに行っていたことを。季節を問わず食材は豊富で、農民たちが飢えたという話もヘイゼルが知る限り聞いたことはない。それが当たり前だと思っていたことを、心の中で反省した。
「おかげで、国の端々にも食糧はいきわたる。暮らしてゆくのになんの問題もない。誰も飢えることはない。──まああいつが見栄っ張りで、民に感謝されたいからしているだけの話だがな」
「そんなに、お金儲けがお上手で国庫が苦しいわけでもないのに、なぜ、さらにまた石や金を得ることに躍起に……」
「簡単なことだ。より安定した政府、より強い経済を目指すのはどこの国とて一緒だからな。わしも若い頃はよく考えたものだ。あの砦をなんとか征服できないかとな」
この発言に、ヘイゼルは目を剥いた。
「おじいさま!」
「なにを意外そうな顔をしておる。いいか、世界の国々が生きていくには三つの道しかない。それは圧倒的な政治力か、同じく経済力か、同じく軍事力かだ。いずれにせよ力である」
「力、ですか……」
「力を悪いものと考えるものがいるが、それは現実を見ていないものだ。ことごとく、戦の強いのも、遠くまで歩けるのも、自分を捨てて相手を助けるのも、すべて力の結果である。──例えば人をかばって自分が傷を負うのは徳の力であり、それを目にした者は徳の持つ力に引き寄せられる。そういうことだ」
「おじいさまの……」
ヘイゼルは砂漠での夜を思いだしながら言った。
アスランが、自分の養い親だと言ったその人が、おそらく祖父にあの首飾りを渡した人物であり、そしてまた、友人なのではないか──。
「……ご友人のお名前は、バルカザールとおっしゃるのではないですか」
「そうだ」
ヘイゼルがその名を知っていることを驚きもせず、あっさりと彼は認めた。
かつて若かりし頃、武勇にすぐれた王であった祖父は、砦を征服してやろうと兵を率いて出掛けてゆき、そこで彼と出会ったのだと。ヘイゼルはあきれた声を出す。
「征服って……本気だったんですね」
「こう見えて、戦には自信があったのでな。だがその折にバルカザールと会いまみえ、その並々ならぬ男ぶりに感心してすぐさま友人になったのよ」
「そう、だったんですか……だからその首飾りを」
「そうだ。あいつの人徳もまた政治力のひとつと言える。こやつは敵に回すよりも、手に手をとったほうがよいと相手に思わせる力だ。だからわしが在位中は彼らとの関係もよかったのだが、それもあいつは快く思ってなかったようでなあ……」
眉間を寄せる祖父に、ヘイゼルはふと疑問を覚えた。
「あの、なぜ、私にそんな話を……」
祖父はそれには答えずに、ヘイゼルの顔をじっと見た。
長いこと、ヘイゼルが不安になるくらいじっと。
「戦だ」
そして言った。
「戦が始まるぞ。……砦から兵がじわじわ集結しておるとわしの手のものが知らせてきた。砦の兵士は数にして八十名ほど。少なく思えるが、正規の兵士たちと彼らは比べ物にならぬ。ひとりひとりが独自の判断で動くことのできる、軍部で言うなら中隊長並みのものが集まっておるからな。今は王都のあちこちに散らばって潜んでいるようだが……彼らに一気に攻め込まれたら、この王宮だとてどうなるかわからん」
耳元でうるさい音がする。それが自身の心臓の音だということに、ヘイゼルは少し遅れてから気がついた。
ヘイゼルは唇を引き結び、きゅっと両手を握りしめる。なにか怖いものがすぐそばまで追いついてきているような、そんな気がした。
「逃げろと言いたいが、ここではなあ……」
難しいかなと苦笑して彼はゆっくりと立ち上がった。
ヘイゼルは彼の顔を見上げる。杖をついていても、背は高く肩幅の広い人だった。しわの多い顔には決意が滲んでみえる。
「戦になったら……おじいさまはどうなさるんですか」
「わしか?」
「お逃げにならないんですか」
「王族が、責任を取りもせず逃げてどうする。側付きの女官らはすでに先を見越して里下がりさせておるが、わしは残るさ」
「それでは、私も」
「お前はダメだ」
即答だった。
「どうしてです」
すると祖父はやさしく目を細めてヘイゼルの小さな頭部に手を置いた。大きな手でそっと髪を撫でる。
「母によく似て美しい娘になったな。……お前は血筋こそ王家のものだが、もとよりここで暮らしてはおらぬだろう。戦が起こるという今、お前がここにいるのはとばっちりを食っているようなものよ。慣れ親しんでもおらぬ王家に義理立てなどしなくてよい」
「でもっ……」
「若く美しい娘が敵方に摑まると、むごいことになるから。……彼らはすじの通ったよい男たちだが、中には荒くれたものもいるからな……。できれば逃がしてやりたいが、塔の上ではなかなかにそれも難しかろう。──よいか、戦になったら内側から扉を閉めて決して出てくるなよ。そして、隙を見て、逃げられそうなら迷わず逃げよ」
「おじいさま……!」
「わかったな、ヘイゼル」
そしてそこから立ち去って行きながら肩越しに笑ってみせた。
「お前と会えて有意義だった。……息災でな」
まるで、これで会うのは最後になるとでも思っているように。




