第6章 三代目の狼 3
平気です、とヘイゼルは言った。
「部屋が狭いことには不都合を感じません。拷問人は、厳しかったけれど卑劣ではありませんでした」
「そうか」
「それに……あちらさんもあれがお仕事ですから仕方ないかと」
ヘイゼルがそう言うと、その人は再び天井を仰ぐように大笑いした。さもおかしそうにしばらく笑っていてから、
「お前のその言い方よ。ガーヤにそっくりだな」
「えっ」
ガーヤのことを知っているのかと驚くヘイゼルに、老人は眉をあげた。
「おや、知らなんだか。あやつは長年この城で女官頭を務めていた女だ。手が足りなければどこへでもあのでかい尻を突っ込んでいったものよ。厨房でも、お針部屋でもな。目障りかもしれませんが、私が行ってさっさと終わらせた方があちらさんも助かるでしょうし、と言って。──今の言い方、それはもうそっくりだったぞ」
「そうなん、ですか」
「おお。さすがはあやつに育てられただけのことはあるわな」
もう、この人がどこの誰でもいっそ構わない気持ちになっていた。
そのあたたかい雰囲気とヘイゼルを気遣ってくれる様子から、危害を加える人ではないと確信できたし、なによりも、ガーヤのことを知っている。
率直な中にもやさしさの垣間見えるその語り口から、この人は大丈夫だと思うことができた。
(この人は、ガーヤの若い頃を知ってるんだ……)
彼は両足の間に杖を置いて、その上に手を重ね、じっとヘイゼルの顔を見つめている。そして、おや、というように目を細めた。
「お前、その、首から下げているのは……」
ヘイゼルははっとして首元に手をやった。
アスランからもらった金の鎖がわずかに覗いていたのだった。身を固くするヘイゼルに、老人は手を振る。
「ああ、いい、いい。隠さずともよい。取り上げようというのではないから」
そして、おもむろに自分の襟に手をやって、きっちりと合わさった襟元から似たような金の鎖を取り出した。
「どれ、わしのも見せよう」
「えっ……あの、それ」
それはヘイゼルがアスランに貰ったのと同じ、金の鎖と一枚のコインが下がっている首飾りだった。だがひとつだけ違うところがある。
「お前のも見せてみなさい」
「……はい」
ヘイゼルのにはコインの他に、野生動物の牙にも似た金の飾りが下がっている。老人はあたたかく目を細めて、そうか、なるほどな、そうか、とつぶやいていたが、ヘイゼルが説明を求めるように見つめているのに気づくと、肘掛け椅子の上で姿勢を正してから語りだした。
「そのコインの意味を知っているかな」
「……いいえ」
「これは仲間であり、友である印なのだ。──金の鎖と特別なコイン。このコインに見覚えはあるまい。これはな、もう今では作られていない古いもので、市場に出せば相当な価値を持つ」
そして彼は指の先でコインをつまんで、ヘイゼルに示す。
「よく見なさい。わしのはコインがあるのみだが、お前のは違うね」
「……はい」
「あの砦に住む者たちのうち、狼の牙飾りを下げられるのは、唯一、あそこの王とみなされたものだけだ。王は牙飾りを二本持っており、その二本あるうちの片方は、自分のつがいとなる相手に渡す」
そこで彼は言葉を切って目を伏せると、昔を懐かしむように声を低めた。
「わしのよく知る男は、最後、死ぬまで片牙を誰にもやらなかったと聞いているが……」
「あの」
ヘイゼルは姿勢を正して声をあげた。
この人の名前を聞かなくてはいけないと思った。と同時に、先ほど自分は間違えたとも。相手の名を尋ねるのなら、先に自分が名乗らなくてはならなかった。
ヘイゼルはまっすぐ相手の目を見て、静かに尋ねる。
「改めて、お名前を伺ってもよろしいでしょうか。私は、ヘイゼル・ファナティック・アクラムと申します」
するとその老人は、にやっと笑って口をひらいた。
「オーファン・アンヘル・アクラムだ」
やっぱり、という気持ちと、まさか、という気持ちがどちらもあって、ヘイゼルは言葉を続けられなかった。国内外貴族総覧を思いだしてみなくても、先代の王陛下の名前はオーランガワードの民であれば子供でも知っている。
(やっぱり……このかたは私のおじいさま)
「お前にとっては祖父にあたる。会うのははじめてだな」
「先日の夜会ではお目にかからなかったような……」
「招待されていなかったからな」
「えっ?」
引退したとはいえ、王宮で開催される夜会に王族を招待しないなどあるのだろうかとヘイゼルが首をかしげていると、祖父はなんでもないことのように言った。
「なあに、わしを公の場に出したくないと思うあやつのささやかな嫌がらせだ」
「嫌がらせ……」
「よくある話だ。己の権威を高めんとするあまり、先代をないがしろにする。──表向きは、わしの足を心配するようなことを言って、なんだかんだ、顔を合わせるのを避けておるのよ。あの小心者が」
罵るようなことを言いながらも、彼の口調は軽やかだった。その証拠に、深い緑色の目が笑っている。思わずヘイゼルは軽口を叩いてしまった。
「おじいさま、楽しそうです」
「わかるか」
これに祖父は悪戯っぽく返す。
「わしは現役当時、いやというほど夜会も社交もしてきたのよ。だから招待されぬこと自体は、いたって都合がよい。そのぶんしたいことをする時間もできた。行こうと思えば、行きたいところにも行ける。面倒な外交に頭を悩ませることもない」
「おじいさまに……質問してもいいですか」
「なんだ」
「なぜ、父上は……砦に私兵を常駐させてまで、その場所に執着なさっていらっしゃるの?」
いい質問だ。そう言ってから祖父は肘掛け椅子に大きく体をもたせかけた。
「あの地では珍しい石と金が採れる。あいつはそれが欲しくてたまらず、そのために彼らが邪魔なのよ」
「石と金、ですか」
「それが欲しいあまり、これまで幾度も兵を出しては打ち負かされて帰ってきておる。もともと地の利もないものを、凝りもせず何度もな」
「そんな戦争の記述は近年どこにもありませんでした」
すると祖父は、ふっと目を細めた。
「歴史をよく勉強しているようだな、ヘイゼル。──だがひとつ覚えておけ。国家間で正式に宣戦布告をせずに行うものは、戦争とは記されないのよ」
「単なる私闘だと」
「そうよ。しかもやつは小狡いことに、国家の軍部隊を送りこむのではなく、金で雇った傭兵たちを送りこんでおる。これによって奴は、いくらでも言い逃れができる。自国の軍隊ではなく、外国人同士が争いあったにすぎぬとな」
「そんな……」
ひどい、とヘイゼルは思った。
ベッドの下ではアスランがこの会話を聞いているはずだった。彼に対して心から申し訳ないと感じる。




