第4章 残酷で恐ろしいのは誰? 5
サディークはかつて、アスランにこう聞いたことがある。
「なぜ、私を信用するんですか」
生まれた国ほどではないとはいえ、ラプラへの風当たりはどこでも強い。砂漠の部族は少しはましだが、それでも、自分からサディークと親しもうとする人間は少ない。
「んんー?」
これにアスランは答えなかった。聞かれるまでもないことだというように。
サディークはいくぶん語気を強めて再度尋ねる。
「私があなたを裏切るかもしれないとは思わないんですか」
ラプラは武術にすぐれたものが多い。ゆえに、命をかける傭兵として金を稼ぐものが多く、金を積めば誰のところへもゆくといった誤った認識もされている。
現に、アスランがサディークを受け入れた時、既存の仲間たちはいい顔をしなかった。それで先の質問をしたわけだが、サディークが答えを待っているとおもむろにアスランは言った。
「お前が俺を裏切る気になったとしたら、そんな気にさせた俺が悪いと思うけどな」
思ってもいなかった言葉にサディークがまばたきしていると、彼は続けた。
「お前には、主を見極める権利がある。これからゆっくり、俺を見たらいいよ。こう言っちゃなんだけど、俺はいいとこも悪いとこもある普通の人間だよ。それを隠さないし、そう都合よく悪いところだけ隠せるとも思わないから、全部見たうえで、これから仕える相手をお前が決めたらいい」
これまで、サディークにそんなことを言った相手はいなかった。大抵力ずくでねじ伏せようとするか、金を積んで使おうとするかのどちらかだった。
「そのうえでもし、見切りをつけられたとしたら、それは俺の責任だ」
「……そうですか」
それっきり、もう二度とその質問はしなかった。
強引に恩に着せることだってできたのに、アスランは自分に選ばせてくれようとしているのだと思った。
サディークは当時、二代目ハムザの狼を殺すよう命令を受けた刺客だった。
なかなかチャンスはなく、刺客だということはばれ、アスランとの一騎打ちの末にサディークは敗北した。その場で殺されてもおかしくないところだったのに、アスランはサディークをかばったのだ。
俺に預けてくれないかなあ、こいつ。彼はそう言った。
だってこいつ、このまま帰ったら絶対始末されちゃうでしょ。それなら俺のそばに置く。
皆の前でそう宣言して、あろうことか、二代目本人もそれを受け入れた。
(……ありえん)
当時の彼はそう思った。
ラプラの掟にならうなら、命を助けられたらその相手の命令は聞かなくてはならない。だがアスランはそれをわかった上で、自分を自由にしてくれた。熟考の末にではなく、剣を鞘におさめると同時に、ごく当たり前のことを言うように。
その彼が、今サディークの目の前で長いこと黙りこくっている。
彼の視線の先には、ファゴットの森がある。
(私を助けた時ですら、あんなにあっさり決めたくせに……いったいなにをそんなに長いこと)
いくら待ってもアスランが動こうとしないので、根負けする形でサディークは問いかけた。
「なにを考えてるんですか」
「んん?」
返事はいたって呑気なものだった。
「さてどうしようかな、って思ってさ」
サディークはあきれる。
「どうしようって。そもそも迷うところなんですか、ここは」
「んー」
一瞬ちらりとサディークの方を見たアスランは、また森の方へと視線を戻した。だめだ完全に生返事だとサディークは思う。
「──そうだよな、迷うところじゃないよな」
「あのですね、今更あなたがなにを言おうが驚きやしませんから、頼むから考えないで適当にものを言うのはやめてください」
「サディーク」
「なんですか」
「こんな目に合うのは間違ってるよな、俺たちも、彼女も」
ガーヤがあの時機転をきかせて彼らを窓から逃がしてくれなかったら、やってきた王宮の兵士とかち合わせしていただろう。かち合ったところで、アスランとサディークが二人揃って遅れをとるとも思えなかったが、問題はそこではない。自分たちがこの家に世話になっているという事実が知れるのが問題だった。
それが知れて、ヘイゼルやガーヤの立場が余計に悪くなることが。
庭に出ていたヘイゼルのことをサディークは思った。
あの時、悲鳴などは聞こえなかった。無事を確認する余裕はなく出てきてしまったが、彼女がどうなったかと彼なりに気にかかってはいる。
「そうですね」
「黙ってやられっぱなしでいるのは間違ってる……」
つぶやくようにアスランが言ったので、サディークは力強くうなずいた。
「ええ、私はそう思いますが」
するとアスランは愉快そうに笑った。
「お前とあの子って、気が合ってる」
「そうですか」
「あの子はこう言ったんだよ。復讐はためらうな、ただしどんな方法をもってするかはよく考えろって。──お前も彼女も、きれいな顔して意外と好戦的だ」
「まあ、気丈なかただなとは思います」
お世辞抜きで、これは本当にそう思った。
もし彼女が王宮にいるとしたら、今はかなりつらいことだろう。
サディークのように、生まれながらに差別されている方がまだ楽なのだ。王女の位は剥奪しないままでおいて、だらだらといつまでも蔑みの対象にする。時折王宮に呼び出しては、そのことをつきつける。そちらのほうがよほど残酷だった。
そうしたことをする人間の品性を疑う、とサディークが言うと、アスランはなにか決めたように短く言った。
「お前、ここからひとりで砦に帰れ」
「えっ」
思わず声を裏返らせたサディークに、彼はけげんな顔をした。
「えってなんだよ。帰れるだろ」
「いえ帰れますけどそういうことではなく……あなたはどうするんです」
「先に行く」
(先に……)
サディークが言葉の意味を反芻していると、アスランがさっきまでの迷い顔とはうって変わったきびきびした口調で続けた。
「お前、帰って皆にこう伝えろ。王に直談判しに行く。もし俺が帰らなければ、先代に続いて俺も殺害されたと思え。精鋭部隊はその時のために攻守を固め、女子供と病人は砦を守れ……とな」
聞くなり、サディークの顔がぱっと輝く。
「戦うんだ、そうですね!」
「なんで嬉しそうなんだよお前は」
それを聞いたら、みんなどんなに沸き立つだろうと思った。このひと月ほど、そうしたくて誰もがアスランの命令を待っていたのだ。
「戦うんだ、そうですよね」
サディーク自身もあまりに嬉しくて再度押し込むように確認すると、アスランはにっと短く笑った。
「俺はそうは言ってないぜ。武力にものを言わせるのは、俺にとっては最後の手段だ」
ただ、と言って少し背筋を伸ばした。まっすぐにファゴットの森を見る。
森の向こうには遥かに続く街道があり、その街道は王都エルランディアへと続いていた。
「ただ、俺のこの悲しみは一族みんなの悲しみでもある。──先代を失ったけじめは、みんなでつけなきゃな」
その言葉に、サディークはぶるっと震えた。
今のこの言葉をそっくりそのまま伝えようと思った。
腕自慢、侠気自慢の男たちが奮起する様子が目に浮かぶようだった。
二代目が毒殺されてからというもの、みんな、オーランガワードに復讐したくてうずうずしていたのだから。




