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第4章 残酷で恐ろしいのは誰? 4

 少し時は遡り、同じ日の夜もさほど深くない時間帯。


 ジャジャとガーヤはヘイゼルに少し遅れて王宮に招聘されていた。にこりともしない女官が形ばかりの頭を下げる。


「長い間ごくろうさまでした」


 そう言われるということは、二人が王宮に戻されたということは。


 ジャジャは目の端で隣にいるガーヤを伺ったが、彼女はその唇を貝のように結んでこちらも形ばかりの会釈を返していた。


 余計なことはなにひとつ言ってはいけない。今この場では。彼女の様子がそんなふうに言っている気がして、ジャジャもそれにならうことにする。


「お二人の今後につきましては、またいずれ、しかるべき報奨と職務が与えられるかと。それまではごゆっくり、ここでお疲れをお取りくださいませ」


 女官が出て行くと、ガーヤはやれやれといった様子で暖炉脇の肘掛け椅子にどかっと腰を下ろした。


 着の身着のまま出てきたのは二人も同じだ。おもむろに、ガーヤは前掛けのポケットに突っ込んであった毛糸玉と編み棒を取り出して、家でしていた編み物の続きをし始めた。静かな室内に象牙の編み棒が触れ合う音だけがカチカチと聞こえる。


 ガーヤがなにも言わないことで、かえって責められているような気になってジャジャは落ち着かない。


 大丈夫、と胸の中で繰り返す。


 王宮の拷問人とは知り合いだ。こうなる前に彼には金を渡してある。

 あの根っからドSは信用ならない性格をしているが、職務に関してはプロだ。金を受け取った以上約定をたがえることはしないはずだった。


(だから、そうひどいことにはならない……)


 自分で自分に言い聞かせるように、何度もその言葉をかみしめる。

 ジャジャの内心を知ってか知らずか、ガーヤは編み棒の先に目を落としたままで口を開かない。


 ──そう、これでいいはずだった。


(いい、はずだ……)


 だが、すべてをやり遂げたはずのジャジャの心は、どういうわけか落ち着かなかった。


 邪魔者は正しく排除した。自分の勤めも果たした。大切な人のこともできる限り守っている。なのに心には喜びも充足感も訪れず、ただひたすら、なにか大事なことを忘れてでもいるような隙間がぽっかりと胸にあいているのだった。


◇◇◇


 ジベットに閉じ込められてから、いったいどれほどの時がたったのか忘れた。


 はじめのうちは、拷問人がやってくる回数も数えていたのだが、途中からわけがわからなくなってやめてしまった。


 今が夜なのか朝なのかわからない。

 ずっと眠れておらず、意識は半ば濃い霧の中にあるようではっきりしない。


「あれは吐いたか」


 だから、父王が拷問部屋に降りてきた時、ヘイゼルはうつろな頭でぼんやりとその声を聞いていた。もはや、頭を動かすことすら煩わしい。


「いえ、まだです」

「なにをしておる。責めよ、と申したろう」

「お言葉ですが」


 拷問人との会話が石の壁に反響する。


「拷問には、順序というものがございます。王女殿下は非常に誇り高く、また我慢強くていらっしゃる」


 ちっと、父王が舌打ちして大股にヘイゼルの傍まで寄ってくる。


「相変わらずしらを切っておるようだな」


(しら、って……)


「おろせ」


 父王の命令に、拷問人がかすかに異論がありそうな様子で、それでも言われるままに滑車を動かし装置を取り外す。


 小さな足場からは、拷問人が手を取って降ろしてくれた。


 父の前では毅然として振る舞いたいのに、ずっと同じ姿勢を強要されていた体は凝り固まって、ヘイゼルは拷問人が手を離すと同時に石の床に膝をついてしまった。立ち上がろうとするのだが、手も足ものろのろとしか動かせないのが悔しい。


「少しは懲りたか。どうだ」


 傲岸な物言いに、ヘイゼルはきっと顔をもたげた。


「知らないものを、知らないと言っているだけです」


 幾度も首を鉄輪で絞められたせいで掠れた声しか出なかった。


「強情な」


 父王が顔をしかめる。


「お前の母には似ても似つかぬ」


 ヘイゼルの胸がちりっと痛んだ。

 母の顔は覚えていない。ガーヤもジャジャもヘイゼルの産みの母についてはなにも教えてはくれなかった。生きているのか、死んでいるのか。


(私のような目に、おあいでないならいいのだけれど)


「ハムザの狼はな」


 ヘイゼルの内心も知らずに父王は続ける。


「その素顔を見たものはほとんどいないと言われておる。どこへでも馬に乗って神出鬼没、また砂漠を横断しどのような追っ手も撒いてしまうので、これまで誰にも捕まったことがない」

「──そんな人、私は」


「よいから聞け。話によるとそやつは筋骨隆々、見上げるような大男で性格は豪放磊落、かつ冷酷にして、無双の乱暴者の壮年の男であるとされている」


 それを聞いてわずかにほっとした。アスランとは似ても似つかない。


 ヘイゼルのほっとした表情を見て、王はにやりと笑った。その表情が見たかったのだとその顔に書いてあった。


「ところがだ。ハムザの狼はごく最近、世代交代をしておる」


(……せだいこうたい)


 疲労が溜まっているせいで言葉の重要さがうまくつかみきれない。だが、頭の中で警鐘が鳴っている。 ひっきりなしに。

 王は胸を張って武勇を誇るかのように続けた。


「むろんこれは限られた人間しか知らないことだが。……なぜわしが知っているかと? 当然だ。先代のハムザの狼に刺客を差し向けたのはこのわしだからな」


 今度こそ、ヘイゼルは言葉を失った。

 今なんと言った? この父は、いやこの男は、なんと?


「だからお前が会った男がそうに違いないのだ。若い男であったろう? お前とさして年が違わなかったかもしれぬ。それが、今の代のハムザの狼なのだ。そやつの人相風体を隠さずわしに教えよ。他にもなんぞ話したことがあるはずだ。どこへ行くとか、どこへ帰るとか……」

「なんの……ために」


 なにを当然のことを聞くのかというように、父王は両眉を持ち上げた。


「決まっておる。新しい狼がまだ世慣れぬうちに、殺してしまわなくてはならぬ」


 だから、なんのために。

 再び聞こうとしてやめた。言葉が通じるとは思えなかったからだ。話せば話すほど食い違ってしまう気がする。


 父王は懐柔しようとするようにヘイゼルの前に膝を折った。顔を覗き込んできて声を低くする。


「お前とわしは血を分けた親子だ。そのわしにならば言えるであろう。……わしも、実の娘がこのようなところにいるのは見ていてつらい。早く出してやりたくてたまらぬ」

「ここに入れたのもあなたでいらっしゃるでしょう!」

「それはお前が強情を張るからだ。やむなくだ。素直に話せばすぐにでも出してやろうに」


 王の手がヘイゼルのあごを掬って上向かせる。ヘイゼルは顔を振ってその手から逃れた。ひどく汚れたものに触れられた気がしてならなかった。


「さわらないで!」


 王はむっとした声になった。


「お前はわかっておらぬ。ハムザの狼はおそろしい、残忍な化け物なのだ」

「嘘です」

「嘘ではない。狼に率いられた男たちも同じだ。あやつらは我が国にことごとく逆らう。あのようなならず者たちになめられたままでは大国の威信にかかわるというのが王女であるお前にはわからぬのか」


 父王の台詞の後半はほとんど聞いていなかった。聞く価値もないと思った。


「だから、殺すんですか」

「もちろんだ」

「ご自分に従わないから、ただそれだけの理由で?」

「これがなかなか厄介なのだ。統制はまるで取れていないくせに、油断していると思わぬところから攻めてきおる。刺客を放つのに三年、毒を飲ませるのにさらに二年を要したわ。何人か失敗した。それまでわが国の軍隊がいくら損害を受けたことやらわからん……」


「お父様……」


 はじめて父のことをそう呼んだ。

 だが胸に込み上げるのは、あまりにも言葉が通じない悲しさともどかしさだった。


「先代はあの者らに寛大だったようだがわしは許さぬ。国を守り導く立場である国王として、あやつらを見逃しにしてはおけぬのだ」


 その時、せわしない靴音がして拷問部屋に男が一人入ってきた。

 窮屈そうなお仕着せを着ているので側近か文官だろう。


「陛下、陛下。大変でございます」


 色の白い細ひげの男は父王の脇に片膝をつくと、なにごとか耳打ちをする。


「なんだと」


 王は途端に不機嫌になった。先程までも露骨に機嫌は悪かったが、それよりももっと。


「今になってそのような……できるわけがあるまい! ここをどこだと思っておる! 入ったら二度と出ることは叶わないと言われたオーランガワードの拷問部屋だぞ」


(へえ……そうなの……)

 ひんやりした気持ちでヘイゼルは思う。

(そんなところに、迷いなく私を入れたわけなのね)


 文官は声をひそめて話しているが、王はそのような気遣いをしないので、話の内容は半分ほど聞こえた。


「大人しく引退しておればよろしいものを、しゃしゃり出てきおって」

「しかし陛下。ものは考えようかもしれませぬ」


 男はひょこひょこと体を揺らしながら寄ってきて、ヘイゼルの手首や足首を検分した。見知らぬ男の手で無遠慮に触られる不快感に、ヘイゼルはよく耐えた。


「王女様がここにいらっしゃることは、私を含め、限られたものしか知りませぬ。それに幸い、それほどひどい傷もないようでして……ドレスを着るに、さしたる不都合もないかと」

「忌々しい!」


 父王は吼えるように喚き、細ひげの男はびくっと首をすくめた。


 ヘイゼルと拷問係の男は、二人とも微動だにしなかった。

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