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第4章 残酷で恐ろしいのは誰? 2

「陛下の謁見室にご案内します、どうぞ」


 そう声をかけられて、ヘイゼルははっと顔をあげた。


 いつしか目の前には、これまで見たこともないような重厚なつくりの扉がある。


 夜も遅いというのに、その扉の両端には衛兵が一人ずつ立ち、彼らもヘイゼルのことは見ていない。ただまっすぐ虚空を見つめている。

 その表情は、まるでヘイゼルの姿など見えてもいないようだった。


 なにやらぞっとしてヘイゼルが身震いする前で、左右の衛兵が扉を引きあける。


 女官に促されて中へ入ると、誰もいなかった。

 ヘイゼルがなにか聞くよりも早く女官が述べる。


「こちらで今しばらく、お待ちくださいますよう」


 否も応もない。女官は静かに一礼すると再び音もなく下がっていった。

 手持無沙汰のヘイゼルはあたりを見回してみた。


 豪華な調度品がそこここに置いてある。暖炉の上には琥珀を削って立体的に作られた大陸地図が置かれており、別のテーブルには白檀、黒檀の寄せ木細工で作られた大きなチェス盤が乗っている。その上に置かれているのは象牙とクリスタル製のコマ一式。象牙のほうには金粉、クリスタルのほうにはエメラルドの粒がまぶしてある。


 ──趣味が悪いわ。

 ヘイゼルは思う。


 象牙やエメラルドがではない。それらはどう見ても普段使われている道具の顔をしていなかったからだ。


 まさか謁見室でチェスをするわけはあるまい。地図が必要なら紙でいいではないか。わざわざ琥珀を削って作る必要がどこにあるのだろう。


 自分が使うわけでもない、誰かの役に立つわけでもない。それでいて過剰に豪華な品々を置く理由は、それを見せつけて己の権威を誇示したいからのような気がする。そしてヘイゼルは、そういうことを、趣味が悪いと思う。


(いやだ……しかもこの大陸地図、間違っているわ)


 琥珀の地図をしげしげと見つめて、ヘイゼルは眉をひそめた。

 正確には、間違っているのではない。国境をわざと歪めて、オーランガワードに有利なように形作っている。


(こういうことをするから……)


 ヘイゼルは唇を引き結んで険しい表情になった。


 その時、扉があいて王が入ってきた。


 暖炉の前にいたヘイゼルは流れるような身のこなしで腰をかがめて顔を伏せる。父娘とはいえ、国王に対する敬意は払わなくてはならない。


 押し黙っているヘイゼルの目の前を、王の大股の足が左から右へ通り抜けていった。王が肘掛け椅子に腰かける気配。

 やがていかにも義務的な声がした。


「構わぬぞ、顔をあげよ」


 その第一声で、もう、ヘイゼルは気を悪くした。


(構わぬですって?)


 それが父が娘に対してかける言葉なのかと思ったが、この場は大人しくして顔をあげる。


「ヘイゼルでございます」

「ヘイゼル・ファナティックか」


 わざわざ言い直すような口ぶりだった。


 王家の一族は正式に呼ばれる時と通称として呼ばれる時で名前の順番が前後に入れ替わる。

 通常、気安い場面で呼ばれる時にはファナティックというミドルネームが先に来るが、正式な場面や署名をする場面ではそれが逆になり、ヘイゼル・ファナティックとなるのだった。

 正式な呼び名で、しかもファナティックの名で呼ばれたことにそこはかとない悪意を感じる。だがここは堪えた。


「ヘイゼル・ファナティック。お召しと伺いましたのでこれに参上致しました」


 じっと顔を見ながら落ち着いた口調でそう告げる。


 実の父親だというのに、顔を見るのがこれが初めてなのだと思うとおかしな気持ちだった。

 王は椅子の上からじろじろとヘイゼルを検分している。ヘイゼルは心の片隅でわずかに傷ついた。彼の髪の色が鮮やかな赤毛で、みずからのストロベリーブロンドと同じ色味であることが余計に悲しい。


 会うなり抱きしめてくれるとは思っていなかったが、こんなにあからさまに珍しいものを見るような目で見られるとは。


 彼の薄い唇には皮肉な笑みが浮かんでおり、誰も信じていないような、冷たい灰色の瞳をしていた。その奥には傲慢さが宿っている。


「さて、ヘイゼル・ファナティック」

「はい」

「そなたは我が国敵と通じておる、それに間違いないか」


 はじめからそんな出会い方だったので、ヘイゼルは遠慮なく言った。


「間違いありますわ。そもそも国敵って誰のことです」


 父王はヘイゼルがはきはきとものを言うのに少し驚いたようだった。だが先を続ける。


「お前に聞いておる」

「わからないので聞き返してます」


 これに、父王は顔を歪めた。

 その様子を見るに、どうやら彼に口を返す人間は普段いないらしかった。


「慣れぬ王宮でいきなり他人に尋問されるのも可哀想だと思い、わしが直々に下問致しておるに。その父の気も知らんでよくもしらを切るな!」

「そうではありません」


 ヘイゼルは辛抱強く言う。


「なんのことをおっしゃっているのか、私にはわからないのです。国敵って誰です」

「ハムザの狼だ」


 絞り出すように言った父王の前で、ヘイゼルはきょとんとした。

 はじめて聞く名前だった。これまでに読んだどの本を思い返しても、覚えはない。


 正確に言うと、半分だけは理解できた。

 ハムザというのはファゴットの森に隣接する砂漠の名前だ。


 あの夜、ヘイゼルがアスランに連れられて焚き火をした砂漠もハムザの一部だし、隊商都市サランもハムザの一部に位置している。そこはあまりに広い砂漠で、重要なオアシスごとでそれぞれ名前もついているため、あまりあの砂漠をその名前で呼ぶ慣習はないし、ヘイゼルたちも普段はただ、砂漠とだけ呼んでいる。


 だから父王が言っているのは、砂漠の狼とでも訳したらいいだろうか。国敵というからには人の通り名なのだろうか。やはりわからなくてヘイゼルは小首をかしげて返す。


「──誰ですか、それ」

「まだしらを切るつもりか!」

「いえ、そうではなく……」


 言いかけたヘイゼルの言葉は彼がサイドテーブルに手を打ちつけた音でかき消される。


「よもや! お前に裏切られるとは思ってもなかったわ!」


 なにを言われているのか本当にわからなくて、一瞬ヘイゼルは言葉に詰まった。


「お前はこの国を破滅に導く。今にしてその意味がよくわかった、ドルーサの予言の通りであった!」

「本当に知らないんです!」


 冷静でいなくては。馬車での道々そう心に決めていたはずだったのに、父の怒号につられる形でヘイゼルも大きな声を出してしまった。


 父が座っている大きな肘掛け椅子の脇にある衝立がずずっと動き、その陰から一人の老婆があらわれたのでヘイゼルはぎょっとする。人の気配など、ついさっきまでなかった。


 だが父王は顔色も変えずに現れた老婆が耳打ちするのを聞いている。


 その老婆が自分の運命を決めた予言者のドルーサであるとはヘイゼルは知らなかったが、白濁した目でちらちらとこちらを見るその様子から、老婆が自分に好意を持っていないことはわかった。


「ヘイゼル・ファナティックよ」


 父は急に声を柔らかくした。


「お前は知っているはずなのだ。知っていることをすべて話すがいい」

「……なんのことか、見当もつきません」

「お前が知っているハムザの狼の人相風体を話すのだ」

「ですから……」


 ヘイゼルが言うのを、父は片手を振って遮る。


「落ち着いてよく考えてみよ。お前ももう……いい年齢だろう」


 とっさにヘイゼルの年がわからなかったらしい。彼は言葉を濁した。


「もうよい大人だ。分別もあってよい。お前は追放されていたとはいえ、この国の第五王女である。この国と父の立場を考えることがひいては国民のためにもなる、そうは思わぬか」

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