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心の傷は思うより深く



5つの頃に結んだ婚約を、たった今私は破棄された。


理由は他に愛しい女が出来たからなのだと。


悲しくはなかった。何せ政略であったし、私からいくら歩み寄ろうと努力をしても向こうは微笑みながらも見えない壁を作っていたのだから。


夢を見る少女のような淡い恋心もついに芽生えず終わりを告げた。だが私はまだ幸せだろう。他の令嬢たちは彼の愛した女性の為に愛しあった、もしくは友愛程度にはあった関係をことごとく破壊され失意に領地に引きこもったり修道院へと自ら足を運んだと聞く。


愛が芽生えなくて、心に無駄な傷も負わなくて良かった。


例えこの婚約が無くなれど私の父も母も幅広い交流を持つ。故に悪いようにはされないと思いもあって私は平静を保てていた。



「……そうですか。わかりました。私も否やはございません。では父とそちらの当主様へのご連絡だけはお忘れなきよう。これにて失礼いたします。今日までありがとうございました」



淑女の礼を取り、何か唖然としたように呆ける元婚約者の前から退く。脇にいた新しい婚約者とどうぞお幸せに。



「待ってくれ!クレナマルタ嬢!」



と、家へと戻る為の馬車に向かう道中に見知った声に呼び止められた。


従者とともに立ち止まり振り返れば元婚約者の学友であったか……。逞しく背の高い殿方が走り寄ってきていた。呼吸が落ち着くのを待って何かご用でしょうか、と首を傾げて問えば紺碧の目をキラキラと輝かせながら口を開く。



「あいつ、あいつとの婚約を破棄したと言うのは本当だろうか!」


「ええ。あの方がご当主様と我が父にそう持ちかける予定にありますので、恐らくはそうかからない内に私もそうなるのでしょう」


「ならばっ!婚約を破棄されたばかりの貴方に願うのも男としてどうかとは思うが、俺と……いや、私と婚約を結んでは頂けないか!」


「……はぁ、それはご冗談のおつもりでしょうか?」


「いや全くそんなつもりはない!もちろん、あいつと何か企んでのことでもない!私は貴方のことを幼き頃より慕っていたのです。今とは違い弱気で内気であった私を庇い弟のように優しく接してくれた、貴方を私は娶りたい!」


「弱気、内気、弟……?まさか、貴方はカルガ?」



カルガンディ・レブ・ナバランド。我が領地の隣にある長閑な静養地で過去に出会った、美少年の名だ。


湖の妖精かと初めてお会いした時は本当に思った。そんな曖昧な存在を一番信じていないと言っても過言ではない私が、だ。


それくらい湖の畔で今にも消え入りそうなほど儚く大きな瞳に涙を溜めてはらはらと真珠のように零す彼は幻想的だったのだ。


声も今よりずっとか細くさながら天使の囁く福音。思わず抱き締め慰めればおずおずと臆病な仔猫が懐くよう、私を慕い、後を追って歩く姿を今もありありと思い出せる。


私の人生においてあれだけお姉さまという言葉に感動し胸を高鳴らせた覚えはない。


いつかまた縁があって会えたなら。そう思ってはいたがまさかこんなにもかつての面影もなく男らしく育ちきっているとは。


思い出の中の少年像が砕け、婚約を破棄された以上の虚しさと寂しさ、やるせなさが去来した。


しかも婚約破棄されて直ぐに弱った獲物を狙うかのような卑劣な行いをするような育ち方をしているなんて誰が考えただろう。


再会の喜びはなく木の葉が仄暗い水底に沈んでいくように枯れた心が冷たく沈むのを感じながら私は彼と対峙した。



「あなたがカルガだとしても一体何になるというのです。私は今疲れておりますの。横柄な婚約者……いえ、今はもうそう口にするのも憚れるあの方が悪人の罪を論うようにして私との婚約を破棄した挙げ句、新たに婚約を立てようとする舞台に無理やりに立てさせられたのですから、殿方ならばそっと放っておいてほしいところでしたわ」



ちくりと毒を含んだ小さな棘を突き立てる。


傷心の女につけ入ろうとするなど語るに落ちた相手に容赦はしない。あからさまに顔を歪めそんなつもりではと焦りだす彼を尻目にご機嫌ようとその場を後にする足を再び進めて馬車に乗り込み、扉が閉まる直前彼は未練たらしくまた声をあげた。



「私は!私は本気です!あいつのようにはなりません!あなたの心が動くまで、百日、いや一年や十年かかっても構いません!愛を訴える手紙と贈り物をし続けます!どうか、どうか私をまた側において下さい!」



子どもじみたことを。


喚くような声を聞きながら馬車は動き出し、騒々しさから離れていく。屋敷に帰ったら父から何を言われるかを彼の言葉より考えて私は非日常的なやりとりに疲弊し詰めていた息をそっと吐き出した。



帰宅すると私の疲れ切った顔や様子を見てうちのものたちが皆一様に驚いたような顔をして、私付きの侍女に説明を求めた。


侍女は目に涙を浮かべ辛辣に元婚約者が私にした悪行を全て明かす。その横を私は通り自室へと向かうべく無言で行く。早く休みたかった。


着替えを手伝ってもらい、事情を聞いたらしい母が訪れこれまた心配そうな顔をされながらしかし弱々しく受け答えをして交わしベッドに入り寝付く。今日くらいわがままであっても許されるはずと。


明日から過ごすであろう地獄のような日々を考えては暗く落ちた気分のまま。



寝ている時に父も来たらしいが、声をかけても反応がないいつにない態度であったために深刻に捉えてもらえたらしい。翌日は起きると直ぐに父母が駆けつけ更に兄や妹までと揃って驚いた。


事実無根の罪を公の場で論ったこと。また、両家の当主の意思に反し国王陛下にも認められていた婚約を一方的に破棄したこと。どれも彼と彼の家を糾弾するに難しくはなく、護衛と侍女が私の日々の過ごし方を父に報告するために書いていた報告書によって彼が口にしたこととの矛盾を明らかに示した。


学び舎で働くものたちにも怪しい動きはなかったかと広く情報を求めれば出るわ出るわ、証言者たちの多さに皆呆れかえった。貴族の子女が通う名のある場なのだから多くの働き手がいて然りであるが、それでも元婚約者の無能さ、考えの浅さなどが露呈した。


私を槍玉に上げたかったのだろうに彼らは道化と成り果て、先頭で旗を掲げていたであろう王子もついにこの一件で国王陛下に見限られ継承権の剥奪と断種の刑を賜れ、地方へと兵役に付すこととなった。


そうなれば元婚約者たちの破滅も近い。


私はただ黙って父母や他の似たような境遇の令嬢たちの親族が彼らに相応の罰と償いを求め、今まで得ていたであろう名誉や地位を奪い遠ざけるのを静観していた。


元婚約者の両親からも見舞いと謝罪、そして詫びとして多額の金銭などを受けたと聞く。受け取りを拒否しようとした両親にいずれ行かず後家として穀潰しになるかもしれない身だ。貰っておくに越したことはないと勧めればその場にいた皆が複雑そうな面持ちとなった。



その後は療養の名を借りて領地に引きこもり、刺繍を嗜んだり細々とした日々を過ごしていると両親が恐る恐ると部屋の扉を叩いてきた。見合い話の相談と、カルガの手紙と贈り物がその手にはあった。


婚約破棄騒動が起こり、うちが落ち着くのを待っていたのかある程度日を見てからずっと返事も返されないというのに送り続けてくると。


私の心や事情を考えず本当に送り続けてきた彼の執着に目を眇めた。


いや、全く考えてはいなかったと言うものではないか。常識的に見た範囲で日を開けているし贈り物の傾向は私の好みをよく調べていることがうかがえるもの。最初のうちのものなどは恐る恐るというように私のまとう色などを使ったアクセサリーが選ばれている。


そこまで気付きふと、彼が口にしていたいつまでも待つという言葉を思い出した。そしてその贈り物と手紙は何日くらい続けられているのかと問えばもうかれこれ十日は続いているという。



卑屈になった私はそれらを見てチラチラと私の反応を見る両親に顔を歪めないように必死になりながら思った。


彼はもので女が動くと思っているのだろうか。私もそのような女と見なしているのだろうか。


どこにでもあるような詩集から抜き出したような甘い言葉の並んだ手紙も迷惑にしか思えない。



「……ごめんなさい、お父様、お母様。私、気分が悪いのでそちらのものは処分か、それが無理ならどこかにしまっておいてはいただけませんか。親不孝にもほどがあることはわかっています。でも、まだ、心の整理がつきませんの」



許して、と心の傷を曝け出し血を吐くようにして口にすれば母が涙を目に溜め可哀想にと私を抱きしめてきた。父はそうかと諦めと失意を少し見せながら黙ってそれらを片すよう執事に言いつけ、もう少しゆっくりと静養してからまた婚約者探しをしようと提案し部屋を後にした。



私の心が晴れる日は本当に来るのだろうか。このまま固く凍てついたままに人生を終えるのではなかろうか。


母も出ていった後に一人窓辺から庭に小鳥が舞い降り地を啄むのを眺めながら私はただただに未来を悲観し途方に暮れていた。



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