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春麗翁

 2年前に突如として傲来国に現れ、天下にその名を轟かせた格闘の達人。それは齢八十を超えたと思しきおきなであった。歯は半分以上が抜けており、白髪は後頭部にまばらに残っているのみ。痩せこけて、腰も曲がっている。しかし彼の比類なき格闘術には時の皇帝すら警戒せざるを得ない。


 一度でもこの翁が怒ったならば、皇帝が率いし百万騎の兵ですら敵わぬという。人間どころか化物達ですら恐れをなし、天の玉帝すら一目置いているというのだから、とにかく強い。


 ただこの翁は少し変わっていた。女装が趣味と言われ、女物の服を着込み、言葉づかいも女口調。後頭部の白髪を伸ばし、赤いリボンで結んでいた。己のことを「春麗」と名乗っており、巷では「春麗翁」と呼ばれている。


 その気になったならば、皇帝の地位すら奪えたかもしれない力を持つ翁。しかし彼は己の野心のために力を使うこともなく、山奥の一軒家でひっそりと暮らしているのである。


 さて。この翁の暮らす山の麓には小さな山村があった。村人達は2年前から現れた春麗翁を不思議に思いながらも、時々村に現れる翁と顔見知りになっていく。


 ある日の夕方、2人の盗賊がこの村に侵入した。


 賊は村長の家に押し入り、銀色に輝く半月刀を村長の喉元に突きつけ、彼の家族を脅しはじめた。


「おっと。叫び声をあげるなよ。親父を刀で切られたくないだろ?」

「へへへ。うまくいきやしたね兄貴」

「ほら。ガキども、さっさと食料をよこしな」


 赤い鎧を纏しこの2人の男達は都を荒らし回っていた有名な盗賊だ。しかし時の皇帝が討伐軍をさし向けたので、千里も離れた山里まで逃げてきたのだ。


「さあ、こっちに来い」


 村長とその家族達は台所の隅に押しやられ、固まって震えている。


「た……助けてくだされい。食料ならいくらでも持っていっていいから、家族には手を出さんでくだされい」

「ひぃぃ。怖いよお父ちゃーん」


 隠し扉から、ありったけの食料品をせしめた盗賊。しかしすぐには逃げ出さず、明日までこの家に居座ることにした。


「しかし長居して大丈夫ですかねぇ兄貴。この辺で悪さすると現れるっていいますぜ……。春麗翁とかいう変な正義の爺が」


 兄貴分はテーブルに足を乗せ、盃を傾げて酒を飲む。


「はっ。例のオカマの爺のことか。何をビビることがある」

「だって兄貴。翁はめっちゃ強いって噂ですぜ。そりゃ兄貴も強いですけど」

「ははは。だいたいオカマ爺は山の頂で暮らしてんだろ?神様じゃあるめえし、都合よく麓の村に来るわけ……」


 突然に玄関の扉が開くと一陣の風が吹き込む。逆光に照らされ、扉の向こうには小柄な翁のシルエットが浮かんでいた。


「はい、全部お見通しです。噂の春麗ちゃんが、お前達をぶっ殺しにきましたわよ!」

「ななななな、なにぃ!」


 格闘の達人、通称「春麗翁」が突如として現れたのだ。これには盗賊達は仰天した。


 翁は桃色の太極拳服を身に着けており、唇にはシワシワの翁に似合わぬ真っ赤な口紅を塗っている。後頭部の白髪を三つ編みにして、リボンで結んでいる。


その噂に違わぬ女装姿に、2人は唖然とする。



「しゅ……春麗翁だなんて嘘に決まってますよ兄貴!きっと語り者でさあ」


盗賊の弟分は槍を持つと、翁の喉元に穂先を突きつける。


「やい爺。一体どういう了見……」


 穂先を素手で掴む春麗翁。金属部分をグニャグニャに握り潰しながら、槍を折ってしまった。



「ちょっ!嘘だぁ」

「だ・か・ら春麗ちゃんと言ってるじゃないの。ホホホ、疑い深い子ねぇ」


 もはや頼れるのは翁だけ。部屋の隅で、村長は涙を流して懇願する。


「春麗翁!こいつら盗賊です。どうか我々をお助けくださいっ」

「分かってるわよ。説明いらないわ」


 春麗翁に圧倒され、弟分は兄貴分の背に思わず隠れた。


「や……やばいっすよヤバイっすよ兄貴ぃ〜」

「だらしねぇな銀英。こんなオカマ爺、噂ほどじゃねえだろが」


 一瞬、翁から微笑みが消え、眼光に鋭さが増す。


「口のきき方に気をつけなさ〜い。あんまり偉そうだとホントに殺しちゃうわよ〜」


 しかし翁の脅しをあざ笑うように、盗賊の兄貴分は不敵な笑みを浮かべた。


半月刀を床に突き刺す。


「あら。刀は使わないのかしら?」

「ククク。お前なぞの相手に、この金風様が出るまでもないだろ」



 盃を弟分に渡し、酒を飲ませた。

 

「さあグイッとやれ」


 酒が入り、少し気の大きくなった弟分も続く。


「ぐぉぉぉ!力が湧いてきたぁぁ。久しぶりの酒は効くぜぇぇ!」

「行け銀栄。やっちまえ」


 盗賊の弟分は折れた槍に代わって、金属製のヌンチャクを懐から取り出し、猛然と振り回しはじめた。


「はいやぁぁぁっ!」


ヌンチャクが回転する度に衝撃波が放たれて、窓が吹き飛んだ。



「ばっ、ばかな!ただヌンチャクを振っただけでウチの窓がぁ」


村長がその威力に驚くのは当然だろう。


ヌンチャクの速度が最高潮に達した時、満を持して翁に襲いかかる。


「はいぃぃぃ!はいはいはいっ!こんなオカマ爺!頭叩き割ってぶっ殺してやるぅ」

「はい遅ーい!」


 ヌンチャクが振り下ろされる前に、距離を詰める翁。そして目を瞑ったまま軽くアッパーパンチを弟分の顎に食らわせる。


その体は民家の屋根を突きやぶり、雲を超え、天界を超え、成層圏を超え、さらに人工衛星軌道を超えて熱圏まで上昇。


「ぐんああああああああ」

「ぎ……銀栄!」


 そこでようやく重力に負けて落下。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ」


 10分後に再び屋根の穴を通って落ちてきた。その腹を春麗翁はサッカーボールをリフティングするが如く勢いを殺し、片足で受け止めた。


「げおぶっ」

「あら?まだ死体になってないの?やっぱり、ただの人間じゃないようね。おほほほほ」


 そのまま床に投げ捨てられ賊は気を失った。兄貴分は翁の力に驚愕する。


──な……なんて野郎だ!あの銀栄を一撃で。


 この派手な戦闘の結果、賊の侵入は村人たち全員の知るところとなり、村長の家の周りを大勢の人たちが囲んで、戦いを観戦しはじめた。



「村長さん家が、賊に襲われとったんか」

「かっかっか。しかしアホな奴らめ。春麗翁に敵うわけがないだろ」


しかし村人の1人が釘を刺す。


「待て待て。相手はただの賊じゃないぞ、俺は見覚えがあるぞ」

「有名なの?」

「ありゃあ金風と銀栄だ!どちらも火焔山の平天大聖に匹敵するという賊だよ」

「そらあ強いな。翁、大丈夫かい」


 春麗翁は兄貴分の金風に向かって近づいていく。


「どこの妖怪風情か知らないけど、はやく逃げた方がいいんじゃないの?オホホホ」


 賊は翁から距離をとった。


「や……やるじゃねえか、オカマ爺。銀栄を倒したのは褒めてやる」

「オーッホホホ。随分余裕ねぇ」


 山影から満月が顔を出したのはその時のことだった。窓から差込んだ月光が春麗翁を照らす。


「あら?」


 するとシワシワの老人の姿は消え失せ……代わりに可愛らしい娘が出現してしまった。その肌はツルツル、毛もふさふさ、白い歯が輝いている。ついでに瞳も輝いており、誰もが振り向くような美人だった。



 兄貴分の顎は外れんばかりに開いた。


「な……なにぃぃぃぃぃっ!女っ。なぜにっ!?」

「へ?嘘!嘘嘘!ホントに!?」


 異変に気づいた娘は、振り乱す自分の髪を触ると、艷やかな黒髪に戻っていることに気づいた。


──そうか、今日は満月!すっかり忘れてた。


「オカマ爺はどこに消えた。恐れをなして逃げやがったか?」


 問われて娘は「は?」と怒る。


「逃げてないわよ。アタシが春麗よ。翁は仮の姿かしら?」

「はい?」

「アンタも妖怪の端くれなら、こんなことで驚くんじゃないわよ」


 長い黒髪を赤いリボンで巻いた美しき娘。月光に照らされし天女のようなその姿は、時の皇帝をも一目惚れさせる美しさ。かつて皇帝はこの少女に3度も求婚したが、全て断られたという。


 実は春麗翁、その正体は17歳の美少女なのであった。何故に普段は翁の姿をしているのか、理由は後に記す。


 一方、外で見守っていた村人達も、この怪異に仰天。


「おいおいおいっ。あの仙女のような娘、どっから湧いた?」

「いやあれ翁ですよ」

「こんな時に冗談は〜やめろ。ってマジで!?」


 疑っても目の前で起きた現実を否定するわけにもいかない。村人達はとりあえず事実を受け入れることにした。

 

「まあ本人が言うから翁なんでしょう。微塵も面影ないけれど」

「振り幅が大きすぎる」


 意識を取り戻した弟分が片膝をついてヨロヨロと起き上がる。


「あ……兄貴。なんか、やばいっす。逃げましょう」


 兄貴分は銀栄の頭を軽く叩いた。


「落ち着け銀栄」

「へ?」

「俺には分かったんだ。さっきの異常な強さは、娘がオカマ爺の姿に変化した対価として得たものだ。つまり……元に戻った今なら簡単にやっちまえる」

「冷静な分析、すげぇ兄貴!さすがっす」


 一方の春麗も、盗賊達の頑丈さに警戒していた。


──本当にタフな妖怪ねぇ。だけどアタシのことを知らないとはね。


「や……やいコラ女!兄貴は俺よりもずっとずっと強いからな。覚悟しろよ」

「ほー、ずいぶんな自信じゃないの」


 春麗は腕組みして金風を見定める。その体から溢れ出た闘気が凄まじい。(これは春麗だけに見えている)


──驚いた。一体どこでこんな強さを身につけたのかしら。


体を包む闘気が回転をはじめるや、賊の姿は徐々に巨大化し、背丈は倍ほどになる。顔は三本の角が生えた龍と化していく。ついに金風は正体を現したのだ。


その恐ろしい姿に村長が叫んだ。


「ひぃぃ!化物じゃあ〜お助けぉぉ!」


野次馬達も妖怪に恐れ慄き、逃げはじめた。


「わわっ。あいつ人間じゃなかったのか!」

「龍族が化けてたんだ」



金風は床に刺した半月刀を抜くと、両手を掲げ気合を発する。


「はぁっ!」


すると爆発的に膨れ上がった闘気によって村長の家は粉々に砕け、四方に吹き飛ばされてしまった。


「うわああ!」


巻き込まれた村長一家も吹き飛ばされるかに思われたが、闘気の前に春麗が立ちふさがったので無事であった。


「あーあ。誰が村長の家を建て直すのよ……」

「ははは。お前を殺したら村中の家を潰してやるぞ」


 女に戻った春麗など敵ではないと意気揚々の金風。半月刀を振り上げ、春麗に襲いかかる。


「八つ裂きにしてやるぞ、女ぁぁっ」


 しかし無表情に腕組みしたままの春麗の蹴りが、金風の胸部に無慈悲にめり込む。


「はいドーン!」


 金風の巨体は高速で吹っ飛ばされると、二里は離れた山に激突。だが勢いはまるで止まらず、そのまま山の頂上を粉砕して、西の方角に消えていった。


「んっぐぁああああああああっ!」

「あ……金風兄貴ぃぃぃ」


火球の如く輝きながら、高速で大気圏を突き抜ける金風。西域を超えてジブラルタル海峡を超えて、大西洋を超え……1時間後に地球を一周してから東の方角から飛んできて、再び砕け散った村長の家に戻ってきた。


「おかえり!」


そして春麗の蹴りを顔に食らってようやく移動が止まり、そのまま血だらけで地面に崩れ落ちる。──その姿は人に戻っていた。


大気との激しい摩擦を受け、赤い鎧からは焼け焦げたような匂いが放たれている。


「ば……ばかな。ばかなぁぁぁ。爺の時より遥かに強ぇぇ。ありえねぇぇ」


 盗賊金風の見立てでは、春麗の蹴りは銀栄が食らったアッパーパンチの150倍の破壊力。


「オーッホホホ。そりゃまあ若いですからねぇ。翁のときは歯が少ないから踏ん張りが効かないんです」


 と言って春麗は微笑んだ。


 これが春麗の本来の戦闘力だ。その強さは蹴り一発で崑崙山脈を粉砕すると言われる。天界の騎士達ですら恐れをなす蹴りであった。春麗の完勝であった。



「ぐぅぅ、俺の負けでございます。春麗様にはどうやっても敵いませぬ……ガクッ」


 勝利を見届けた村人達が拍手喝采を送る。


「すげぇ!あの子、めちゃくちゃ強え」

「さすが翁……じゃなかった。春麗さん!」


 春麗は嬉しそうに笑って手を振って応える。その可憐な姿にこの場にいた全員を魅了されてしまったという。


 敗北を喫した2人の盗賊は恥も外聞もなく、並んで鮮やかに土下座した。


「ひぃぃ。我々、春麗様に従います。なんでもしますので命だけはお助けを」

「オホホホ。じゃあ今すぐに都に帰ってもらおうかしら」

「へ?今すぐと言われましても千里は離れておりまして……」


 春麗は2人の胸ぐらを掴むと、そのまま投げ飛ばす。2人は火球となって夜空へと舞っていく。


「行ってらっしゃ〜い!二度と来ないでね〜」


 金風と銀栄の悲鳴が徐々に小さく消えていった。


「うひゃあああああああああ!二度と来ません〜アツアツッ」

「あらぁぁぁぁ……兄貴ぃ、服が焼けるぅぅ!」


 賊達の体は千里離れた都を目指して、ロケットのように飛んでいく……。次の日の朝、皇帝の宮殿の屋根に賊達が突き刺さっているのが発見される。そしてお縄になったという。



※※※

「この口紅は妻からのお礼です。家の方は修理のメドがつきましたのでご心配なく」


 次の日。村長が翁の家を訪ねた。翁はパタパタと白粉を頬に塗りながら、村長からの礼品を受け取った。


「最近、口紅が減っちゃって困ってたのよね〜オホホホ。」

「しかし翁が、元々あのようなお姿だったとは知りませんでした」


 村長は椅子に腰掛け、出されたお茶をすすって呟いた。


 翁の話によると、変身してしまったのは2年前のことだった。西遊記の孫悟空よろしく、イケイケなために天の玉帝となんやかんやあった春麗。その結果、お釈迦様の手のひらの上でクルクルと踊ることになり、罰として翁の姿にされてしまっていたのである。(ただし満月の光を浴びた時だけ元の姿に戻る)元の姿に戻りたければ1万の善行を積まなければならないらしい。


「月に100の善行を積んでも8年はかかるのよね〜。まあ別にこのままでも構わないんだけど」

「え!?構わないと」


 一般的に考えれば、これは春麗に与えられた過酷な罰なのであるが……。翁は鏡に写った自分をマジマジと見つめては、ウットリする。


「この開いてるのか分からない弛んだ瞼。愛くるしいすきっ歯。どれも美し過ぎて、元に戻るのが辛いの」

「ええっ!」

「貴方も男なら、この気持ち分かるでしょ?」


 同意を求められた村長はお茶を噴き出しそうになったが堪える。


「そ、そりゃあもう。もちろんです!」

 


 元の春麗の方が、よっぽど美人に思えるのだが、春麗本人にとってはその限りではなかったようだ。どういうわけか翁の姿を気に入っている模様。そのため元の娘の姿に戻る気などサラサラないらしく、罰を与えたはずのお釈迦様もこれには困っているようだ。


「全く今のほうが、なんか自由に生きてるって感じするのよ〜。もう毎日が楽しくてよ、オーッホホホ」


(終わり)

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