愛の告白♡
夜。リビングのテーブルでは夫婦ふたりが晩酌しながら会話を交わしていた。時折難しい顔になり、ため息が漏れる。ふたりが話し合っているのは、二十二歳になるひとり息子のユウスケの事だ。誰もが知る一流大学に通い将来が楽しみな自慢の息子なのだが、奥手でこれまで一度も浮いた話を聞いた事がなかった。
「誰か良い人はいないのか?」
「仲の良い友達はいるようですが。好きな子がいるかまでは分かりませんわ。あの子、何も話しませんもの」
「そうか。むかし、若者の恋愛離れが増えて社会問題になった時代があったじゃないか」
「懐かしいですわね。確か草食系男子や絶食男子など、恋愛に対して消極的な男性が増えたんでしたね」
「ユウスケを見ていると、その当時の若者のようで心配になるよ」
「ですが、今は昔とはまるで違いますから」
「だからこそなんだ。昔ならまだ知らず、今の時代で奥手というのもなぁ。あいつ、何か身体的に異常があるんじゃないか」
「まさか。大丈夫ですよ。そのうち、彼女を紹介してくれる日が来ますよ」
「…それならいいんだが」
父親はお酒をグビッと喉に流し込む。赤らんだ顔で、酔うと必ずする話を始めた。
「娘を持つ父親が、娘の交際を反対するという話をよく聞くが、何て自分勝手な親だとワタシは思うね」
熱が入り、つい声のボリュームが上がる。
「ワタシはそんな父親に問いたいよ。娘が一生誰とも付き合わなくてもいいのかと。男を知らずに死んでもいいのかとね。ワタシは自分の息子がそんな事になったら、不憫でならないよ」
「そうですね。分かりましたから、そろそろお休みになったらどうですか」
母親は2階にいるユウスケに聞こえないかと冷や冷やする。もし聞こえていたら、プレッシャーを感じてしまうんじゃないかと心配した。
2階の部屋では、ユウスケがベッドに横になり自己啓発本を読んでいた。しばらく読み進めていたが、きりの良いところまできたので、しおりを挟んで本を閉じる。
天井をぼうっと眺め、物思いにふける。こんな時、年頃の男性が考えるのは、好きな女性の事だ。ユウスケは、頭の中に大学のゼミで一緒のナナミの姿を描いていた。
ああ~、ナナミちゃんに会いたい。出来る事なら触れてみたい。こんなにもナナミちゃんが好きなのに、何で僕は愛の告白が出来ないのだろう。皆は簡単に出来ているのに。友人なんか道端で好み女性を見つける度に愛の告白をしている。中には、好きなアイドルやアニメのヒロインがテレビ画面に映る度に愛の告白をする友人もいるぐらいだ。それなのに、どうして僕は出来ないんだ。今は大昔とは違い、生殖細胞が活性化さえすれば愛の告白が出来るようになったというのに…
ユウスケは生態学の教材で見た大昔の愛の告白の映像を思い出す。
教材動画は学校の校舎裏で男女が向かい合って立っているところから始まる。二人ともどこか照れ臭そうな素振りをみせている。突如、男性の方が覚悟を決めた顔になる。真っ直ぐ女性の目を見詰め、勇気を振り絞って言う「君の事が好きだ。付き合ってくれ」
返事は2パターン用意されていた。
承諾する場合。女性は上目使いで照れ笑いを浮かべ「うれしい。ありがとう。こんな私でよかったら」
断る場合。女性は素っ気ない態度で「今は誰とも付き合う気はないの。ごめんなさい」
ユウスケは映像を思い返すだけで頬を赤らめ照れ臭い気持ちなる。大昔の人はよく面と向かってあんな事が言えたなぁ。恥ずかしくないのか。よくやるよ。恋愛離れが増えて社会問題になったのも頷ける。まぁそういう時代を経て、人類は進化したんだろうけど。
ユウスケはベッドから起き上がると、さきほどダウンロードした映画を見る事にした。去年大ヒットした話題のラブストーリー。本当は映画館の大きなスクリーンで観たかったのだが、男ひとりではさすがに行きづらく断念したのだった。
2時間があっという間に感じられた傑作だった。主人公の男性が余命いくばくもないヒロインに交際を申し込むシーンには涙が止まらなかった。やっぱり大きなスクリーンで観たかった。僕もいつかあんな感動的な告白をしてみたいものだ。
休日。駅前にある大きなスクランブル交差点には、信号待ちをする大勢の人の姿があった。その中にユウスケと母親の顔がある。母親の買い物に付き合わされたユウスケは、両手いっぱいに紙袋を抱えていた。
歩行者用の信号機が赤から青に変わる。大勢の人がいっせいに動き出す。ぶつからないように行き交う老若男女。足早に歩く母親の後に続くユウスケ。目の端に知った顔が映った。反対側から歩いてきた、大学のゼミで同じナナミである。
「ナナミちゃん」ユウスケは思わず声に出していた。名前を呼ばれ立ち止まったナナミは、声のした方を振り向く。「あ、ユウスケくん」
ユウスケは、大学ではないところでナナミに会えたことで、緊張と高揚を感じ、フワフワとした気分になった。ナナミもまたこのシチュエーションにドキドキしていた。
交差点を絶え間なく行き交う人たちの中、ユウスケとナナミだけが時間が止まったかのように立ち止まり見詰めあっていた。
休みの日のナナミは、大学で見るよりしっかりと化粧をしており、赤いワンピースを着て、色気を漂わせていた。女性らしい甘い香りもした。そのことが、ユウスケの体温を上昇させ、男性ホルモンを増幅させると、生殖細胞が活性化していく。
突然、ユウスケの顔付きが真顔になり、両手に持っていた紙袋を放り投げた。胸を膨らませ、お尻を突き出し、両手を大きく広げ、自分を大きく見せる体勢を取った。ユウスケの男らしさを肌で感じ取ったナナミは、ポッと頬を赤らめる。
「何だ?」「どうしたの?」と交差点を渡っている人たちが騒ぎ立てる。そんな声を聞き、先を歩いていた母親が振り返り、ユウスケの姿を見て驚いた顔になる「ユ、ユウスケ」
ユウスケはゆっくりとダイナミックに両腕を左右に振り、腰も左右に振り、唇を弾いてパン!パン!パン!と音を鳴らす。その動きを何度も繰り返す。
「何だ。交際を申し込んでいるのか」「ヤダ、こんな所で愛の告白。お若いんだから」「求愛ダンスか。頑張れ」などと、立ち止まる者、通りすがる者、一様に顔をほころばせながら声をあげている。
母親の息子を見詰める顔は、何処か寂しそうであった。あなた、ユウスケがついに大人の階段を登り始めましたよ。
歩行者用信号機が赤に変わり、横断歩道にはユウスケとナナミだけになった。渡り切った人たちは、用事があるにも関わらず、足を止めて見ている。信号待ちをしていた車の運転手たちも、車を発進させることはなく黙って二人の恋の行方を見守っていた。
ユウスケの求愛ダンスは激しさを増していく。腕を振り、腰を振り、唇を鳴らす。突然ナナミが真顔になる。返事をする時がきたようだ。周りは静まり返り、一気に緊張感が高まる。ナナミはゆっくりとしなやかに両腕を振り、腰も振り、唇を鳴らす。徐々に二人の息が合っていき、シンクロしていく。交差点に咲いた2輪の花が美しく揺れているようであった。
周りから拍手と歓声が起こる。コングラチュレーション!
母親は人目もはばからずに泣き崩れた「良かったわね、良かったわね、ユウスケ」
終