彫像
外を見ると陽も落ちてきて空が赤くなりはじめていた。そろそろ夕方だろうか。
暗くなる前には帰らないと両親に怒られるので、次の部屋を見たら今日は帰ることにした。
「あとはこの扉だけだね?」
聖堂1階の奥にある扉の前に立ったクレアが聞き耳している。わたしの行動を覚えたらしい。
「特に音もなし。開けるよ」
クレアは扉を開けると中を見回してから部屋に入る。机と椅子、棚などの家具と騎士をかたどった彫像が置いてあるのが見えた。
なんか見たことある彫像だなあと思った。
「ダメ!」
「ひゃぁ!」
アレの正体に気付いたわたしが咄嗟にクレアを引っ張った途端、円形の台座ごと騎士の彫像が跳んで来て、さきほどまでクレアのいた場所に手に持った石の剣を振る。
剣はぎりぎりで何にも当たらずに空を切った。
クレアは突然引っ張られてわたしの後ろでしりもちをつく。
「あれは『彫像』って魔物よ!」
ここまで安全だったから慎重に行動しているつもりだっただけで、慢心があったのだろう。
クレアに先行させるべきではなかった。
『リビングスタチュー』は古代文明の遺跡によくいる石像の魔物で、建物の防衛を任せられている。
建物を守るために配置されているそれには光の魔力による魔除けの効果は発動しない。
『セブクロ』では所持する武器や色の違い以外にも形状が数パターンあった。部屋にいたのが知っている形状だったため最悪は回避出来た。
彫像のレベルは30ぐらいだったと思う。
物理攻撃に高い耐性をもっていて、どの職業でも最初の転職クエストで相手をすることが多い。まだ情報が無い初期の頃に参加したパーティは物理攻撃のメンバーばかりで、大苦戦した記憶がある。
攻略法が出回ってくる頃には、魔法使いに手伝ってもらうクエストになっていた。
実戦経験の無いわたしとクレアはいくら高く見積もってもレベル15は無いだろう。
木剣ではダメージが通るかも分からない。
そもそもこの世界でゲームのレベルを目安にしても良いかも分からないけれど。
「逃げるよ、クレア!」
「だ、ダメ、お姉ちゃん」
彫像の石剣が空を切る鋭い音を聞きながら、隙をついて木剣で攻撃を試みる。
木剣に切断力など皆無、斬るのではなく叩く武器でしかない。相手の石剣も同じようなものだが、かわしそこなった石剣が頬に浅い切傷を作った。
――斬れる。
魔力による強化なのか、その薄さによるものなのか分からないが金属の剣と遜色ない切れ味を持つらしいことを身をもって知ることとなった。
ただでさえ密度の高い石剣なのに、これでは木剣で攻撃を受けることが出来るか微妙だ。
慎重に何度か攻撃した結果、木剣ではダメージが全く通っていないことが分かった。
ずっと放置されていたせいか壊れかけなのか彫像の動き自体は緩慢で攻撃を見切ること自体は難しくない。
振るう石剣の速さは鋭いが、刀身の長さに気をつければ避けきることは出来るだろう。
これも剣術を教えてくれた父さんのおかげだね。
ダメージが通らないので撤退するしかないのだが、クレアは涙目で座り込んだまま震えていて上手く動けないようだ。腰が抜けたか……。
「ちょっとずつでも良いから下がって!」
「う、うん」
クレアは這いつくばるように震える手を床について後ろに下がりはじめる。
クレアが攻撃対象になったら、わたしには守りきれない。
ダメージが通らなくても良いのでとにかく彫像に木剣を叩きつけて注意を引き続けるしかないだろう。
都合の良いことに彫像も部屋に入っただけのクレアよりも、それを守ったわたしを攻撃しようとしている。どうせなら部屋から出た時点で戻ってくれれば良かったのに。
幸運だったのは彫像の動きは思ったよりも単純だったことだ。
飛び掛かりながらの縦斬り、着地して横斬りをしてくるだけだ。立ち止まっていたら他にもしてきそうだけど、すぐ後ろに下がればその繰り返しだ。注意を引きつけるために着地時に木剣を叩きつけるのは忘れない。
これならクレアが逃げるまで時間が稼げるはずだ。こちらへ振り返る彫像の表情のかわらない顔は不気味だ。
ちらりとクレアを見ると、わたしたちが入ってきた扉の近くまで移動していた。
再び、彫像が跳び上がる。攻撃をかわして横斬りまでにこちらの攻撃を当てる、基本的な動作の繰り返しだ。
――そのはずだった。
「なっ!」
同じ攻撃を繰り出すのだと思っていたら別の攻撃をしてきた。着地した瞬間、勢いを使って前進するように刺突。
致命傷は回避したけど、わき腹にかすった。防具なんて着込んでいない普段着だ。
簡単に服が裂け、血が流れる。
「お姉ちゃん!」
「いいから下がって! 通路じゃ戦いにくい、しばらく時間を稼いで追いかけるから!」
クレアの悲鳴じみた声が聞こえたが、それよりも撤退して欲しい。
血が流れた場所が熱を持ち、痛みが走る。
うう、思ったより深いかもしれない。
この世界にあまり執着がないわたし一人だったらこの時点で心が折れて諦めたかもしれない、でも今は止まるわけにはいかない。
わたしがやられたら次は妹の番なのだ。
クレアはまだギクシャクした動きだけど立ち上がった。
怪我をしたことでわたしの動きが鈍くなる。彫像の攻撃をかわすのがぎりぎりになり、クレアの様子を見る余裕がなくなった。
せめて攻撃が通ればいいのに!
焦りは禁物。ここで更に攻撃を食らったら動けなくなる。考えろ。
……こんなとき『セブクロ』ならどうする?
破壊力のある金属製の剣でも落ちてないかとちらっと見回す。
この部屋はさっき調べたばかりで、そんな都合の良い展開にはならない。使えそうなマジックアイテムも持ってない。
わたしは攻撃魔法を使えない、生活魔法がやっとだ。魔法陣に魔力を流すぐらいなら出来るけれど。
……『セブクロ』の『わたし』ならどうする?
「そうか、生活魔法と魔力が使えるなら、コレも……」
わたしは木剣をぎゅっと握りなおした。
わき腹の痛みを無視して少し距離を取り、集中する。
彫像はいつも通りに跳びかかって来る。
このあとは続けざまに向かって右からの横薙ぎか刺突のはずだ。わたしは彫像の左側へすれ違うように木剣を振るった。
「『風剣』!」
木剣でダメージが通らないなら魔法で強化すれば良いじゃない。
木剣に魔力を流し込み属性を付与するのだ。
がんばれ、わたしの妄想力!
今までの攻撃は木剣を叩きつけた衝撃が手の平にも返って来ていたのだが、今の攻撃にはそれが無かった。
振り返ると彫像の右半身が切り裂かれていた。
『魔法剣』、最上級職「魔法戦士」だけが使える秘儀。
さすがに初期職業のためのクエストで出現する魔物ぐらいならレベル差すらひっくり返す一撃のはずだ。
彫像もこちらを振り返る、壊れる寸前の機械のような遅さだ。
その緩慢な動きはなんだかこちらを恐れているようにも見えた。
これなら勝てる!
「クレアには指一本触れさせないんだからね!」
右手の『風剣』が乗った木剣を残った左半身に叩きつけた。先ほど切り裂いた場所とつながり、上下に両断されて、動かなくなった。
木剣では最上級職が使う秘儀には耐えられなかったらしい、びしっという鈍い音が響いて木剣が複数に割れた。
……どうしよう、父さんに叱られる!
「いたたた」
戦闘の緊張が解けた途端、酷い痛みが走った。
わたしは座り込んで、左のわき腹に手を当てる。服も添えた手も血で染まっていた。
これは傷を自分で見るのは怖いなあ。
『風剣』が使えるかどうか少しは賭けだったけど、閃いたときには使えるだろうとも思った。
『洗浄』の生活魔法を使ったときに、あれは属性魔法を小さく使っているのだと確信したのだ。
あの時、魔法陣にこびりついていたゴミを吹き飛ばしたのは紛れも無く風の魔力で、『セブクロ』で選んだわたしの属性は水と風。
キャラクター作成は随分昔なのでちゃんと覚えていないけれど、少しだけ水が多い比率にしたんだっけかな。
わたしの髪と目の色はそれをイメージして作ったからね。
その魔力を確信した途端、魔法剣のスキル名が自然に頭に浮かんだのだ。
「『癒し』!」
クレアが駆けてきて癒しの魔法を使ってくれた。
傷が深いと一瞬では治らないらしい。というか撤退させたと思ったのにまだ部屋にいたのか。
「逃げろって言ったのに」
「お姉ちゃんを置いて逃げられないよ」
「そっか」
クレアの頭を撫でる。
しばらく撫でてから気付き、ふと手を止めた。
「もしかしてさっきの聞いてた?」
「え?」
「『クレアには……』ってとこ」
「ああ、……うん」
思い出したのかクレアの顔が真っ赤になった。
とっくにクレアは部屋から逃げていたと思ってたんだよ! まさか本人がいるとは思ってなかったわ! わたしの顔も真っ赤だわ!
こっちの世界に来て早々、たった2週間で封印したい過去がいくつもあるとかここは地獄か。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「ありがと!」
癒しの魔法をかけおわって、クレアはわたしに抱きついた。
クレアの実力不足か魔力不足か完治まではしなかったみたいだけど、痛みはもうほとんど無い。
「どういたしまして」
わたしはクレアにそう言って、意識を手放した。