【レダ視点】魔神の呪い
新しく出現した迷宮の探索を頼まれたあたしたちのパーティは瘴気の篭もった迷宮を進んでいた。
致死性の罠は少なく、赤みがかった岩石で出来た洞窟は一本道。瘴気の影響で変異して出来た場所にしては珍しく楽な迷宮だ。
探索は予想以上の速度で順調に進行していた。
その迷宮の最奥で目にしたのは魔神だった。
数十人は余裕で入れそうなほど広がった空洞に、魔神はただ佇んでいる。
魔神、深淵からの侵略者と呼ばれることもある遥かに高い知性を持つ者と呼ばれていた。
あたしから言わせれば、高い知性ではなく、人間とは相容れない思考なだけだと思うがね。
一見、カラスの獣人のようにも見える魔神の姿は、艶のある漆黒の羽根を全身にまとっていた。
魔神はラウムと名乗り、ここに来る者を待っていたと言った。
「畜生、やるぞ!」
叫んだのはエイベル。
背を向けたら死ぬ、魔神から逃げることは出来ないと肌で感じることが出来るほどの圧迫感。
探索班は、盾役のエイベル、攻撃役のボーラ、回復役のキャシィ、強化役のあたしの4人でパーティを組んでいた。
この4人で依頼を受けるようになってからそろそろ1年だろうか。
最初はA級になってから組んだ寄せ集めの4人であった。
理由も様々で、それまでのパーティがメンバーの結婚を理由に解散したり、ソロに限界を感じたりといった具合だ。
それでも釣りあいの取れたこのパーティで活動し、半年も経った頃には親交も深まって連携も取れるようになっていたし、それなりに友情も芽生えた。
……そのA級のパーティがたった1人の魔神を相手に数刻で壊滅した。
エイベルはうつ伏せのまま動かない。地面に広がる出血量からも、もう助からないだろうと本能では分かっていた。
キャシィも魔力が尽きて倒れたままだ、大きな一撃を食らっていたから、まだ息をしているのかも分からない。
ボーラはどこに転がっているのかすら分からない。魔神があたしにしか注目していないことからも……。畜生っ。
あたしは回避重視にした二重奏で、ただひたすらにラウムの攻撃を避け続けていた。
爪を主体にした格闘術に、隙を突いたかのような攻撃魔法を織り交ぜてくる。正直なところ、これまで避けられていることが奇跡に近い。
もう、どれだけの時間をこうしているだろうか。
でも……、このままではスタミナが尽きたところがあたしの終わるところだ。
「なかなか楽しめたが、これでは数不足であるな。ふむ……」
カラス顔の魔神の表情は読みにくいが、何か考え、にやりと笑ったのは分かった。どうせあたしにとっては、ろくでもないことだろう。
あたしにはしっかりとは聞き取れない、不思議な詠唱。
黒い霧があたしにまとわりつき、徐々に意識が遠のいていく。すでに疲れきった身体では、抵抗しようにも難しかった。
……こんなあっさりと死ぬのか。そう思って目を閉じる。
「そうだな30年やろう。その間に私を倒せなければお前は死ぬ。仲間をたくさん集めてくるが良い」
魔神が宣言し、あたしの意識は途切れた。
◇
目が覚めると、迷宮の入り口だった。
街道から森に入り鐘の間隔の半分ぐらいといったところに、その迷宮は出現している。
辺りを見回しても誰もいなかった。
「エイベル、ボーラ、キャシィ?」
呼びかけながらも立ち上がると、違和感があった。
視界が低い……?
ぎょっとして自分の身体を確認する。
……縮んでいた。
自分の顔を見ることは出来ないので分からないけど、少なくとも腕や胸元から下には身体全体に赤黒い紋様が浮かんでいることも分かった。
「これは、……呪いか?」
相対的に大きくなってしまった服と防具は辛うじて身に着けているが、武器や荷物は身体に結んでいたポーチに入っていた物ぐらいしか残っていない。
とりあえず紐を取り出して、帯のようにして滑り落ちそうな服を身体にくくりつけた。
3人のことも気になったが、あの死闘が夢だったなんてことはないだろう。
怒りに身を任せて1人であのクソ野郎のところに戻ったところで戦えるわけもない。
冒険者が命を落とすことはよくあることだ。今までだって仲間を失ったことはあるだろう。共に悲しむ者がいない状況で自分にそう言い聞かせるように、縮んだせいでバランスの取りにくくなった身体を引きずりながら、町へ続く街道へと進んだ。
街道に出てしばらく歩くと、運が少しは残っていたのか、たまたま町へ帰る途中だという冒険者のグループに出会えた。
出会ったグループに助けを求め、町へと戻る。
起こったことをギルドへ報告し、今後の対策を考えなければならない。
町に到着したところで、助けてもらったグループに礼を言い別れた。
ギルドへの報告も終わり、そのまま担ぎ込まれた教会。
高位の聖職者に診てもらったあたしの身体は、やはり呪われていた。
呪いの内容は、歳が巻き戻され、老化が止まっているそうだ。
それ以外に害は無いだろうという見立てだった。
これだけ聞けば、不老不死を求めている人間からすれば幸運かもしれない。
だが、魔神の最後の言葉からも、その不老は30年がタイムリミットだと分かっている。
紋様は胸元から臍の下辺りまでと左右の腕だけに出ていた。
服を着てしまえば身体の紋様は見えないが、グローブなどで腕を隠すのは楽器を弾きにくくなるので難しいだろう。
あたしにとってこの呪いは自分を縛るだけの物でしかない。別に、仲間の後を追って死にたいってわけじゃないが、事故や病気が無くても、普通に歳を取っていずれ死ぬのが人間ってもんだろう。
それに、それなりに見てくれだって良かったあたしの身体も、今では子供のときの姿だ。巻き戻し過ぎってもんさね。
まあ良いだろう。
魔神がその気なら殺ってやる!
◇
――魔神に呪われてから20年。
ギルドとの協力で、十分な戦力の討伐隊が組まれるまでそれだけの時間がかかった。
素質のありそうな冒険者を見つけあたし自身が鍛えたりもしたこともある。
魔神はずっと迷宮から動いていないようだった。
何か理由があるのかもしれないし、それが魔神のやり方なのかもしれないが、人ならざる者の考えなど気にする必要もないさね。
大規模戦闘を推定し、参加する冒険者の最低条件はB級以上。実際に参加したのはほとんどがA級の48人。あたしもその1人となる。遠くの国からも応援を頼んでかき集めた精鋭部隊だ。
リーダーは自分には向かないので譲ったが、情報は全て共有済みである。前回の長時間に及ぶ戦闘で、魔神の大体の行動パターンは掴めているのだ。
――迷宮の最奥
「ほう、30年も必要なかったか、人間というものはなかなか難しい」
20年ぶりの対面に、クソ野郎もあたしを覚えていたようだ。
そもそも迷宮に続く道はギルドによって封鎖されていたから、客人はほとんどいなかっただろうが。
「しかし、これだけの良質な贄を提供してくれたことには感謝しよう。深淵の門をしばらく開くには十分だろう」
20年前と同じように佇んでいた魔神は淡々と言葉を紡ぐが、あたしたちには何がしたいのか、何を言いたいのかよく分からない。だが、こいつを放置すれば人にとって悪いことが起こるのだろうということは理解できる。
「消えろ、クソ野郎!」
あたしの放った短剣から、戦いの火蓋が切られた。
金属鎧の戦士が攻撃を防ぎ、その後ろから攻撃魔法と矢が乱れ飛ぶ。
怪我をすれば回復魔法が飛んでいく。
あたしは呪歌で仲間を鼓舞する。
◇
事前に立てた綿密な計画により、参加した冒険者は1人も死ぬことなくラウムを追い詰めることに成功した。
「認めよう。舐めていたのは私の方か。……しばし眠るとしよう」
身体中の羽根が血に塗れたラウムが何ごとか詠唱を始める。
明らかに撤退するつもりだろう。
「させるか!」
あたしは、予め用意しておいた短剣を投げつける。
ラウムに当たることはなく足元の地面に突き刺さると、爆発した。
致命打どころかちょっとしたダメージにすらならない小さな爆発。
「……ぬ。何故だ」
それでもラウムの魔法が発動しなかった。不思議そうに辺りを見回している。
短剣には詠唱中断の効果が付与されていた。
短剣が当たらなかったことも考えて、失速した瞬間に爆発し、その爆発によって詠唱の中断効果を発生させるように作られた一品物だ。
あたしに呪いを刻んだのも何かしらの詠唱が必要な魔法だったことは分かっている。そして、それは人間の寿命すら変化させるかなり高度なものだ。ならば、魔法による奥の手を持っていてもおかしくないと推測は立つ。
今まで優位に立ったことしかないのか、その姿は隙だらけだ。
A級冒険者の集団が、そんな隙を逃すはずもない。
あとは時間の問題だった。
「仇はとったよ。エイベル、ボーラ、キャシィ……」
勝利の雄たけびをあげる集団の中、あたしはひっそりと仲間に黙祷を捧げた。
◇
「え、レダさん町を出て行っちゃうんですか?」
「ああ、ギルドマスターにはもう伝えてある。長くかかったけれどやるべきことは終わったし、これからは自分のやりたいことを探しなおすさ」
町の冒険者ギルド。去年ギルドに入ったばかりの受付をしている娘に、町を発つことにしたと伝えた。
魔神を倒したことで、あたしの全身を覆っていた赤黒い紋様は消えた。
教会で診てもらったところ、紋様が消えたことで歳を取るようにはなっているが、20年蝕まれた呪いは身体に浸透している可能性が高いと言われた。その結果、老化の進行速度はかなりゆっくりになっているだろうと。
10歳に満たないであろうこの身体が、いつ朽ちるのかはあたしにも分からない。
300年生きると言われているエルフよりも長生きなのは間違いないだろうなとは思っている。
「何処に行く予定なんですか?」
「そうさね。東の方にでも行ってみようか」
「戻ってはこないんですか?」
「分からないね。20年いた町だから愛着のようなものは湧いているけれど、あたしのやることはもうここにないという気持ちもあるさね」
「そうですか……。それでもギルドは<魔神殺しの>レダさんのお帰りをお待ちしていますからね!」
「気が向いたら帰るさね」
背中を向けたまま手を振って、ギルドを出ると、そこには魔神ラウムと一緒に戦ってくれたメンバーが20人ほどは集まっていた。
目立ちたくないと言っておいたのに、ギルドマスターが手を回したのだろう。
「水臭いぜ。何も言わずに行くなんてよ」
「そうですよ。私たちがA級になれたのもレダさんのおかげなんですからね?」
「ありがとな! レダさん」
「また色々と教えてくれよな!」
それぞれに感謝や励ましを受けながら、あたしは町の門をくぐった。「いってらっしゃい!」という揃った声に、あたしは笑みを浮かべて答えた。
「行ってくるさね!」
様々な知識と、長寿を利用して新米冒険者の教官になる。
いずれはそんな道を進むのも楽しいかもしれないなと、ふと思いついた。
まあ、とりあえずは常に短く切り揃えていた髪でも伸ばしてみようか。
しかし、老化が止まっているというのに爪やら髪やらは普通に伸びるのはどういうわけなんだろうと疑問も浮かびつつ。
あたしにはまだまだ時間だけはあるのだから、のんびりやっていくさね。
◇
「レダさん! レダさん! 起きてくださいよ!」
「……ん? 寝てたか」
書類仕事に追われて、机に突っ伏したまま眠ってしまったようだ。
懐かしい夢を見ていた気がする。
あれは何十年前だったかね……。
なんだかんだと出会いと別れを繰り返しながら大陸を一周し、10年後ぐらいに1度町に戻った。
1年ほどは暮らしてみたが、結局また町を飛び出して、それ以来はたまに顔を出していたぐらいさね。
それもガルディアの町のギルドマスターになることを報告に行ってからは1度も帰っていない。最後になるかもしれないとは伝えていたけれど、実際に行かなくなるとそれはそれで寂しさを感じることもあった。
最後に顔を出した日には、あの新入りの受付の娘も、孫が出来たと幸せそうに笑っていた。
「どうせ寝るならベッドを使ってくださいよ、その辺りの書類は急ぎじゃないでしょう。それと、マルクさんが村のことで相談したいことがあると来てますよ。森の様子がおかしいとか」
「ああ、分かった。3分したら通してくれ」
寝てる間についた涎の跡を、生活魔法で湿らせたハンカチで拭いて、冷めてしまったお茶を飲む。夢のせいか少し汗をかき、渇きった喉には丁度良い。
さて、マルクが直接あたしのところに来るなんて今度はどんな問題が起きたのかね。やれやれとあたしは眉をひそめた。